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蘆の角  行方克巳

鳥雲に入る新宿の目に涙

この池の一羽と一人春時雨

残されし鴨の水尾ひく光かな

振り返る他人の空似沈丁花

何か建つまでのたんぽぽ黄なりけり

町空の汚れ易くて花辛夷

末黒野の一番星すぐ二番星

根の国の波のざぶりと蘆の角

 

桜隠し  西村和子

うつし世の憂ひは去らず西行忌

円位忌の月の鏡の曇りなき

初蝶の残像のなほ光撒く

返稿をいちにちのばし春寒し

しんと咲き増ゆる今年の桜かな

ひと夜さの桜隠しを目のあたり

せつせつと桜隠しのささやくよ

我が窓を目がけ落花か雪片か

 

◆窓下集- 5月号同人作品 - 西村 和子 選

故郷の長兄の逝き年つまる
千葉美森

森に棲むものとわかちて冬の水
井出野浩貴

女正月やんちや盛りも加はりて
小池博美

隠るるも美徳なるらむ竜の玉
植田とよき

足止めの豪華客船春寒し
前山真理

人見知りされて泣かれてお元日
井戸ちゃわん

寒鴉タワーマンション縫うて飛び
帶屋七緒

鶯餅食うて男の生返事
影山十二香

ビーナスの生まれし海の寒夕焼
岩本隼人

都鳥群れ舞ひ築地明石町
島田藤江

 

◆知音集- 5月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

冴返るルビンシュタイン聞く看取り
栃尾智子

早春や子にオムライス母美人
中川純一

天神下の魚屋に寄り梅日和
中野トシ子

唇の動き読めたり春の夢
小沢麻結

年寄の一つ年取る雑煮かな
立花湖舟

梅咲いて死んでしまつたやうな家
原 川雀

微笑みに返す瞬き水温む
馬場繭子

薄氷光となるをためらはず
櫻井宏平

暴雪のその前ぶれの空真青
増田篤子

上の子のねび勝りたる御慶かな
前田沙羅

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

寒紅をさして貰ひて母小さし
栃尾智子

美しく死化粧をほどこされ口紅をさして貰ってちんまりと横になっているお母さん。生前、それもこの10年程のことは色々と智子さん自身から聞かされていたのだが、とても自由闊達に日常を、わが時間を生きて来られた人のようである。彼女の海外旅行の話など、例えて言えば斎藤茂吉の奥さんみたいだねなどど楽しく聞いたものである。この何年かは、ずいぶん智子さんを頼り切って、智子智子というような毎日だったように推測する。そのお母さんが今、本当に安心しきった表情を浮かべて作者の前に横たわっているのである。

浅春や昼酒の酔ひ顔に出て
中川純一

句会の前などに、提出句が出来てしまうと一杯ひっかけて来る人が結構いるもので、それが顔に出なければいいけれど、作者のように、それほどの量飲んでいなくても一目でそれと知られる場合がある。少し改まった会議などは自分でも不都合だと思うのである。顔に出る、といえば、心中穏やかならざる時など、私などすぐにそれが態度に出てしまう。すこしのらりくらりとして自分を制御しなければと思うのである。

母をればこの紙雛きつと買ふ
中野トシ子

雛を売っている所ではあるが、何段飾とかいう本格的なのではなくちょっとした小さな雛とか、紙製のとかを売っている店である。作者もはじめからそういうきちんとした雛を買うのが目的でそこに来たわけではないので、色々な売場を覗いているうちに折しも雛の節句をひかえた頃というので、ひとつコーナーに雛人形が置いてあり、その一つの紙雛に目を止めたのである。
もしお母さんが一緒だったら間違いなくこの可愛い紙の雛人形を買うに違いない、とそう思ったのである。

 

死 神  行方克巳

到来の酒は「死神」寒明くる

躓きし石ころ一つ春立てる

立春大吉而して生死しゃうじ去り難く

うすら氷の端をみしりと持ち上ぐる

春の猫老いらくの恋またよきか

しちめんどくさい恋より春の猫

少年のどんぐりまなこ山火燃ゆ

叩かれて炎立つなり野火の舌

 

膝 掛  西村和子

七福神巡るは時を溯る

先達は雨もいとはず福詣

検疫を待つ船あまた春寒し

春寒の空掻き乱し取材ヘリ

語り寄るごと紅梅に佇める

膝掛や知る人ぞ知る喫茶店

盛り過ぎたりといへども谷戸の梅

俗塵を退けたりし梅の谷

 

◆窓下集- 4月号同人作品 - 西村 和子 選

漱石は知命を知らず冬すみれ
井出野浩貴

大槻の影のつばらか冬の水
前山真理

落葉踏む音われのみと気付くとき
山田まや

船笛を耳朶に残して納め句座
藤田銀子

マティスの赤ゴッホの黄色落葉踏む
小池博美

小春日や隣席の児に見詰められ
植田とよき

秋惜しむ古本市をさまよひて
磯貝由佳子

なにを待つ母の明け暮れ枇杷の花
竹中和恵

いつの間に釣舟消えて小春凪
中野のはら

尻餅をつくも平静初蹴鞠
野垣三千代

 

◆知音集- 4月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

男手の小松菜洗ふ冬の水
小野桂之介

噴水の後ろの正面冬来たる
津田ひびき

顔役の茣蓙に居流れ潮神楽
帶屋七緒

死も生もことのなり行き冬木立
原田章代

悴める手を香煙の擦り抜けて
谷川邦廣

雨となり霰となりしひと日かな
高橋桃衣

初御空歩ける処まで歩く
志磨 泉

ひとり寝の起きても一人初昔
橋田周子

水底はこちらなのかも冬の水
吉田林檎

あの頃はフランス映画落葉踏む
藤田銀子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

気を付けのままに二歳の御慶かな
小野桂之介

「気を付け」は直立不動の姿勢をとらせる時の号令であるが、もともと軍隊用語か何かだろう。おじいちゃんに新年のご挨拶をなさい、と言われた子供が、ぴんと背筋を伸ばして立ったまま「おめでとうございます」と言ったのである。その緊張した面持ちがおかしく、また可愛いいので居合わせた人の笑いを誘ったのだ。
緊張と言えば今から30年以上も前に中等部で教えたS子ちゃんのことが思い出される。卒業式で一人一人卒業証書を受けるとき、いつになく緊張していた彼女に式のあとでそれを言ったところ、「緊張すべき所では緊張しなければいけないってお父さんに言われた」という返事。まことに「負うたる子に教えられる」である。Sちゃんがおとなになったら一緒にお酒を飲もうネと約束したのだが、彼女はとっくに忘れてしまっただろう。

津山から雪の匂ひの男来る
津田ひびき

津山と言えば西東三鬼の生まれた町である。津山城址の桜を見に行ったことが思い出される。<花のうへに人またひとの上に花 克巳>というのがその時の句である。作者のところにその津山から一人の男がやって来た。そしてその男は雪の匂いのする男だというのである。読者は、これだけでその男のすべてを想像すればよいのだ。俳句は寡黙であるのがいい。

わだつみへ向きて幣振り潮神楽
帶屋七緒

潮神楽は鎌倉材木座海岸で行われる神事。潮神楽の名の通り祭の庭は海に向かって設けられる。ゆえに神主は海へ向かって幣を振るというわけだ。今年は正月の11日に行われた。単調な儀式が長々と続き、神楽舞も行われるのであるがきわめて省略的で、女舞などもなく淋しいものである。しかし、このような儀式が農漁村の様々なところではるか昔より営まれ続けていることに意義があるのだろう。

 

血の管  行方克巳

初寝覚黄泉平坂より電話

雑煮椀洗ふひとりの水つかふ

風呂吹を吹いて不器用あひ似たり

血の管の耐用年数寒の雨

寒の水愚直の十指焠ぐべく

大寒の我に一瞥ホームレス

大寒や術なき木偶の足づかひ

死神に耳うちされてあたたかし

 

芹 鍋  西村和子

みちのくの星は大粒春隣

根合せをせむとや芹鍋の棒根

芹鍋や鬚根くはしく洗ひあげ

芹鍋や酒豪健啖うち揃ひ

芹鍋や酒一滴は血の一滴

芹鍋や六腑に清気巡りたる

芹鍋や旅程延ばせし甲斐ありし

芹鍋や宵の星降る裏小路

 

◆窓下集- 3月号同人作品 - 西村 和子 選

冬うららとんびの声も波音も
高橋桃衣

冬晴や海へ曳きたる富士の裾
井出野浩貴

駅前の広場に蘇鉄冬うらら
井内俊二

ゐずまいを正すてふこと今朝の冬
島田藤江

隠しより新札熊手選りながら
藤田銀子

高舞へる鳶を仰ぎて納め句座
前山真理

靴の泥流れに濯ぎ小六月
大橋有美子

夫はテレビ吾は居眠り夜の長き
井戸ちゃわん

竹馬にピエロが乗つて野分あと
植田とよき

金風や歩いてほぐす身の疲れ
山田まや

 

◆知音集- 3月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

瞬きて工事現場の聖樹かな
佐貫亜美

待降節の死やアフガンに殉じたる
江口井子

警備所の名は供溜冬紅葉
帶屋七緒

吹き溜る枯葉に菓子パンの袋
菊田和音

吐き出せぬ言葉のみ込み悴める
鈴木庸子

街宣車だらだら走る師走かな
田中優美子

綾取の子の指こんなにもやはらか
石原佳津子

ダンボール踏んで束ねて十二月
吉田しづ子

冬帽子かぶれば齢添うてきし
笠原みわ子

無表情とは年の瀬の警備員
中川純一

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

少年は帝となりぬ落葉踏み
佐貫亜美

沼津御用邸での作。作者は広々とした御用邸の庭を落葉を踏みながら歩いている。屋敷のどこかの部屋に、少年であった日の天皇(昭和天皇か平成天皇がいずれかであろう)の写真が飾られていたのかも知れない。少年は自分と同じようにこの庭の落葉を踏み、石蕗の花に目を止めつつ歩いたにちがいない。そんな少年の日の天皇にひょっこり会えるような気もする。他の子供と特徴の差異があろうとも思われない一少年が、やがて日本で唯一の天皇という存在になるのである。

テロップに訃報流るる冬夕焼
江口井子

「中村哲氏を悼む」という前書がある。雑詠欄の前書は誌面の都合でほとんどはカットされてしまうが、この場合はどうしても必要な前書である。(私達は句集などにもほとんど前書を用いることがないのだが、一句一句の独立性を損なわない限りにおいて前書は有効に活用すべきだとこのごろ私は考えるようになった。)中村さんはアフガンで身命を賭して現地の人々のために働いた。それなのに考え方を異にする人らの凶弾に倒れたのである。多くの日本人が世界各地にちらばって恵みの少ない人々のために働いていることを思えば、私たちの生活上の不平不満は取るに足らないことだ。

御愛用のちゃんちゃんことぞ仕立よき
帶屋七緒

皇室のどなたか(天皇かも知れない)が着用されたというちゃんちゃんこが展示されている。一口にちゃんちゃんこというが、流石にその仕立には念が入っている。そんじょそこらのちゃんちゃんことは格が違うのである。

 

日向ぼこ  行方克巳

目も鼻もなき短日の木偶であり

葉書いちまい手にして湯冷めごごちかな

父を謗り母を叱りてさむや夢

おめえらと一括りされ日向ぼこ

火の付かぬ焼けぼつくいや日向ぼこ

日向ぼこ地獄見て来し顔ばかり

狡辛い男の噂日向ぼこ

羽子板市恋の迷路もなかりけり

 

絵の奥 西村和子

保険証しかと確かめ初電車

初電車優先席へ迷ひなく

原稿の督促なりし初電話

加賀の雪詰めて蟹の荷届きけり

湯を花と滾らせ放ち鱈場蟹

絵師逝きしのちの開かずの障子かな

絵の奥の夜の雪積む音ひそか

目覚めけり聞こゆるはずのなき咳に

 

◆窓下集- 2月号同人作品 - 西村 和子 選

デスマスクごろんと置かれ冬館
吉田林檎

画鋲の穴あまた夜学の掲示板
井出野浩貴

湧き出でて落つるも無音秋の水
藤田銀子

小春日やトロンボーンののほほんと
高橋桃衣

小鳥来るチョコ工房はガラス張り
影山十二香

自負少し鏡に戻る秋夜かな
岩本隼人

道の辺の草の声聴く素十の忌
牧田ひとみ

正座して聴く山の音秋深し
井戸ちゃわん

朝霧がロッジの窓を流れゆく
植田とよき

出し抜けに思ひ出す名や灯火親し
石山紀代子

 

◆知音集- 2月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

旅にして引鶴の空晴れ渡り
千葉美森

ためらひもなくむささびの一ッ跳び
中川純一

思いつきり尻餅つきぬ秋の雷
小原純子

島人に雁金の空あをあをと
櫻井宏平

ノーサイド円陣の背に湯気のたつ
渡谷京子

外れたる道を戻れず寒北斗
冨士原志奈

こはごはと膝の兎を撫でてゐる
大橋有美子

血涙の通へる桜紅葉かな
中田無麓

大根と大根の葉の昭和かな
高山蕗青

対岸の雪吊ふるふるふるふると
栃尾智子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

豊かなる水を残して鶴帰る
千葉美森

真鶴や鍋鶴の飛来地として鹿児島県の出水市が知られているが、3月にもなるとまたはるばると北方の地を指して帰って行く。その繰り返しが毎年行われるのであるが、それが習性とは言いながら、何故これ程まで苛酷な旅を繰り返さなければいけないのかと思うことがある。私共人間の目から見れば、こんなに美しい水の国を去って行く鶴の気持ちが知れない、というところだろう。<鳥帰るいづこの空もさびしからむに 安住敦>の句が思い出される。

車椅子の目線の低く秋黴雨
小原純子

投じられた句から、車椅子での活動を余儀なくされたことが分る。また車椅子で外国にも行っている。そういう立場にあれば致し方のないことであるが、それが作句のよすがにもなるのである。上五中七、当り前のことのようであるが、これは車椅子を使用する身となっての実感なのであり、季題が有効に働いていることがポイント。

訪へばまた柿山盛りに剥きて母
櫻井宏平

久しぶりに時間を得て故郷の母を訪れると、好物の柿を剥いてすすめて呉れた。それも山盛りにーーー。そんなに食べられないよと言いながらも母の手許をじっと見つめている作者である。

令和元年  行方克巳

海桐の実弾けけふより膝栗毛

草の絮吹かれみちくさほどの旅

かの旅のみなかみ紀行しぐれ傘

牧水の気息の筆や冬あたたか

冬海やわれも眼のなき魚にして

露葎踏んで轍の行き止まり

寒禽の羽搏く光まみれかな

梓枯れ令和元年こともなし

 

迷宮 西村和子

裳裾まで新雪を刷き今朝の富士

打ち上げしものに根が生え冬の浜

風騒の人を散らしめ冬渚

詩のかけら拾ふ長身冬渚

散骨か流木か浜冬ざるる

松の影松に凭れて冬あたたか

冬草を敷きて流るる松の影

木と紙と竹の迷宮隙間風

 

◆窓下集- 1月号同人作品 - 西村 和子 選

曼珠沙華獣道にも飛び火かな
中川純一

ばらばらになるまで飛ばむ秋の蝶
米澤響子

ゆきあひの空の深さよ桃を捥ぐ
くにしちあき

えんまこほろぎおかめこほろぎ不眠症
井出野浩貴

わが句集わが手を離れ涼新た
吉田林檎

夢二忌の草食男子恋をせよ
藤田銀子

亡き人の句の偲ばるる桜蓼
江口井子

心あてに心まかせに秋の蝶
帶屋七緒

原つぱに遊ぶ子見えず秋の蝶
影山十二香

母を見し途端に破れ金魚掬ひ
植田とよき

 

◆知音集- 1月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

爽やかや余白ばかりの山水図
田代重光

おそるおそるシャッター上げて野分あと
井内俊二

犬も子も蜻蛉集まる原つぱへ
松井秋尚

新涼や硬き背凭れここちよく
竹中和恵

小流れに木橋設へどんど焼
原 川雀

冷え冷えと光増したり今日の月
松原幸恵

朝顔を咲かせ空き家にあらざりし
井出野浩貴

秋澄めりその虹彩も雀斑も
中川純一

オール捌き苦手な男秋の風
小倉京佳

うらやましかりし栗の木ある家が
片桐啓之

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

目の合ひてビラ渡さるる残暑かな
田代重光

駅頭などで日々さまざまなビラが配られる。そのほとんどは興味のないもので、人々はそっけなく無視して通り過ぎていく。たまたま作者はビラ配りの人と目が合ってしまった。そこに一種の共同の関係が生じて、貰いたくもないビラを受け取るハメになってしまったのである。そこには人間的なやさしさに通じるものがある。実はビラ配りのような何でもない仕事も大変なのである。誰も受け取ってくれなければ彼の役割は果たせない。残ったビラの束をごっそり捨てるわけにはいかないのだ。自分に取って役立ちそうにないビラでも受け取ってやればいい。どこかにそっと捨ててしまっても、ビラ配りの役割はそれで全うできるというものだ。そう、ティッシュが付いていなくても冷たく無視しないでそのビラ貰ってやりましょう。

絡まつて吹き飛ばされて野分晴れ
井内俊二

野分の後の景である。様々なものが飛ばされて来ているのだが、これは一体何だろう。絡まり合うようにして飛んで来た何かが辺りに散乱しているのである。それを特定しなくても野分の去ったあとの雰囲気は充分感じ取れる。

鈴虫の声重なつて透き通る
松井秋尚

ただ一匹鳴いている鈴虫の音色も美しいのだが、その鳴声が重なった時により一層の透明感を作者は感じ取ったのである。コーラスなどもその通りかもしれない。

飛礫文字  西村 和子

虚子ここに住みし証の露の石

草の花ここらも虚子の散歩道

色変へぬ松を誇れり五山二位

道場の墨痕難解無窻の忌

飛礫文字めく初鴨の十あまり

身に入むや無相無願に遠くして

なからひのほどもいつしか秋深し

秋深し思ひ至りし師の言葉

 

いやいやいや 行方 克巳

一瀑に億年添ひて滴れる

草の花十五の我に涙して

雑草といふ草々のもみぢかな

草の絮風のくちづけいやいやいや

千年の窯のほとぼり秋気澄む

寝転んで運動会の空青し

運動会赤んぼ手足ばたつかせ

素十忌や明鏡止水ならずとも

 

◆窓下集- 12月号同人作品 - 西村 和子 選

夜の森に呼ばるる思ひ夏休
井出野浩貴

覚えある声に振り向き銀座秋
くにしちあき

涼しさや畳廊下に足投げて
島田藤江

保険証忘れて戻る炎天下
中野トシ子

青りんご段丘縫うて千曲川
井内俊二

秋風や母の鉛筆みな小さく
高橋桃衣

野分あと波に被さる波の音
松井秋尚

花木槿一人はなれて下校の子
竹中和恵

岩の間を落ちて滑つて滝の音
岩本隼人

眼まだ生きてゐるなり背越鮎
吉田林檎

 

◆知音集- 12月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

鮭帰り来る大いなる雲の下
中川純一

引鶴や昨夜より海荒れしまま
難波一球

秋暑し学生街のラーメン屋
國司正夫

夜の秋やエンドロールのみな鬼籍
清水みのり

吾亦紅希林ドヌーヴ同い年
下島瑠璃

ゆく夏の江戸千代紙の紺深し
島田藤江

浜の名をシャツに染め抜きサングラス
井内俊二

夏風邪のわがまま言はぬこと不安
菊池美星

ジュラルミンケースの弾く残暑かな
鴨下千尋

見かけない顔だと金魚上目遣ひ
小池博美

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

鮭の屍に蟹の這ひ寄る渚かな
中川純一

鮭の生涯で最も重要であり、かつ困難な世代の受け継ぎという大業をなしとげた彼らは力尽きて水際に浅瀬にその屍を浮かべる。つつつと這い寄って行くのは数多の蟹である。こうした食物連鎖があるからこそ、自然界の生物は命を継ぐことが出来るのである。一句、見たままを述べただけであるが、自然界の大きなテーマに迫るものがある。

樺太の真つ暗闇へ鴨帰る
難波一球

鴨の一隊が北を指して帰って行く。鴨の行く手にはただ深い闇が横たわっているばかりである。どれほど大変な旅をしてでも、彼らは帰って行くのである。大自然の摂理に従うまでのことではあるが、また、そういう自然界の掟が崩れることは、地球環境の劣化につながることでもある。
最近地球上の多くの動植物が絶滅しつつあるという。その多くの原因はヒトの仕業による。

秋暑し駅の牛乳一気飲み
國司正夫

駅のホームにあるミルクスタンドである。私はこの句を読むなり思ったのはJRの秋葉原駅のそれである。かなり遠くの地域の牛乳がそこには並んでいる。なつかしい牛乳壜に直接口をつけて飲む牛乳はまことにうまい。

霧の香  西村 和子

街路樹の野分の傷の青臭き

小鳥来る潮いたみせし大樹にも

前山の霧湧く音か谿声か

端近に坐せば霧の香谷の音

霧流れ前山の時とどまれる

杉山の気息に応へ霧蒼し

翔り啼く山鳥霧を劈きて

秋の夜の旅の終はりのカルヴァドス

 

あんぱんの臍 行方 克巳

年寄の日の年寄の一人なり

戦跡の霧の一斉蜂起かな

せんもなき噂ばかりや悪茄子

あんぱんの臍が塩つぱい秋出水

秋風や腑分けの如き江戸古地図

秋風や本の匂ひの本の虫

息ひそめをればけだもの夜の鹿

さ牡鹿の夜々の渡りの水無瀬かな

 

◆窓下集- 11月号同人作品 - 西村 和子 選

麦秋の野に佇つ女胸巨き
島田藤江

梅雨いまだ富士山隠し海を消し
高橋桃衣

日の差してたちまち夏の海となる
くにしちあき

武家屋敷質実剛健花南天
栃尾智子

海底に沈む大陸雲の峰
小倉京佳

廃業の奥に住まへり柿若葉
中野トシ子

緑蔭のシャンパングラス夕日影
國司正夫

峰雲や大局見よと父の声
難波一球

髪結つて浴衣着て下駄つつかけて
田中久美子

降り出して匂ひたちたる茅の輪かな
吉田泰子

 

◆知音集- 11月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

茶杓銘願の糸の今宵かな
山田まや

流れ星消えて危ふき星にわれ
中川純一

「黒いオルフェ」流るる喫茶店晩夏
松重草男

風見鶏西日の海を向きしまま
前田星子

白南風やささ濁りして千曲川
前田沙羅

ひたすらに草の丈縫ひ秋の蝶
本宿伶子

水族館に昭和レトロの金魚売
原 川雀

クラクションに足竦みたる溽暑かな
橋田周子

塗り終へし荘のベランダ日脚伸ぶ
難波一球

蜥蜴疾走灼熱のアスファルト
月野木若菜

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

天の川年々に夫遠くなり 山田まや

私は全くドライな人間だから、人が死んで肉体が滅ぶのと同時にその人の魂も何もかもすべて過去のものになってしまうと考えている。しかし、それはあくまで私一個人の上に言えることで、誰もが異なる死生観を持っていることも理解している。まやさんについて私がどれほど知っているかは分からないが、きっと彼女は亡きご主人と毎年星会の夜に逢うことが出来るということを信じる人だと思う。それなのに今、天の川を仰ぎながら、夫君が少しずつ遠くなって行くのを感じている。それは自分が冷淡になりつつあるのだろうか、とそのように自問しているのではないか、とも思う。いいえ、そうではない。何となく遠くなって行くと感じるのは夫君があなたの胸に宿った悲しみを、少しずつ軽く淡くさせてくれているのですよ―――。

星がまた飛んで涙の乾きけり 中川純一

涙という文字を見て、オレはいつから涙を流していないのか、ということをふと思った。すぐに消極的になってしまう自分なのに、何時からか考えると涙を少しも流していない。
さて、作者に何があったのかは分からないが、いくつかの流星を数えているうちに、涙が乾いたというのである。でもこの涙は悲しみの涙ではないかも知れない。大きな自然に抱かれている自分を強く意識した時にも涙は出る。もしかしたら、思いがけず美しい流れ星が彼の視野を大きく横切ったのかも知れない。何も言っていない句だから、連想は様々に広がってゆく。

蟻はどこでどう休むのだらうか 松重草男

「燕はいいねエ、のんきそうに飛んでサ」とはよく言われることだが、とんでもない、句帳片手に燕を見ている方がよっぽど呑気なのですね。蟻は人間によく似た社会を営んでいるというけれど、確かにその実態は分かりにくい。働き蟻は死ぬまで働き続けるって本当?私たちが見掛ける働き蟻は確かに休むことなど知らぬげに動き廻っている。この句、作者のやさしさが滲み出た一句―――。

静脈動脈  西村 和子

どぶ板を踏み抜きたりし梅雨の雷

梅雨出水代行バスの泥塗れ

水路静脈陸路動脈梅雨深し

梅雨明を待てずくり出す白帆かな

遮断機のぎくしやく上がり梅雨晴間

梅雨明の車窓いきなり海ひらけ

生ビール良妻賢母とうに捨て

鼎談ののちのビールの酔早し

 

今朝の秋  行方 克巳

大鯰にも逆鱗のありぬべし

夜も暑しまた積ん読に蹴躓き

水海月無為といふこと美しく

死がありて死後がありけり金魚玉

梨剥いてくるるばかりの母がゐて

蛙の子も七夕竹に出て遊べ

疣一つ二つゆゆしき残暑かな

何処も痛いところがなくて今朝の秋

 

◆窓下集- 10月号同人作品 - 西村 和子 選

大船鉾路地に降臨したりけり
井出野浩貴

梅雨深しきゆつきゆと軋む連結器
井内俊二

涼しさや火伏せの護符を重ね掛け
高橋桃衣

楚々としてビール一気に飲み干しぬ
松井秋尚

無駄足の一日の暮れてビール干す
影山十二香

みなとみらい増殖止まず梅雨晴るる
大橋有美子

夏炉の火はぜて将棋の駒の音
植田とよき

祗園祭いくさしのぎし婆娑羅掛け
小倉京佳

鉾建の縄屑掃くも誇らしげ
竹中和恵

もてなしの絵団扇のまづ配らるる
中川純一

 

◆知音集- 10月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

無造作にひまはり抱へたる役者
原田章代

母怒らせてしまひけり母の日も
巫 依子

夏の月仰ぎ兜太の総入歯
羽深美佐子

夕立が並木通りを大掃除
河内啓一

さへづりに目覚め心の灯りたる
御子柴明子

老鶯やロッジの窓のすぐに森
中川純一

梅雨寒や姉妹で差せる母の紅
笠原胡桃

産直の味見一粒さくらんぼ
小野桂之介

見上げたる吉祥瑞雲像涼し
谷川邦廣

かろやかに白靴に追ひ越されけり
山田まや

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

けふ昨日あすもうつちやり草むしる  原田章代

今日の約束も昨日しなければならなかったことも、明日の予定もすべて反故にして、がむしゃらに草むしりをしている、というのである。どのような心境の変化が作者にこのような事態をもたらしたのかその事情は分からないが、よほどのことがあったのだろう。「うつちやり」という言葉が作者のやむにやまれぬ心のありようを如実に表している。

明易やつくづく父に似し男  巫 依子

自分の傍らに眠っているこの男、どこまで父に似ているのかと思われるほどよく似ている。勿論それは顔などの容貌を言っているのではない。父親の持っていた嫌なところが全く同じなのだ。もしかして、この男と深い関わりを持つことになったのも、イヤだイヤだと思っていた父親との類似がかえって引き寄せられる原因だったのかもしれない。

枝豆の塩味浜の匂ひして  羽深美佐子

枝豆に塩を振るのは普通のことであるが、その塩味が浜の匂いであるというところに、作者の郷愁のようなものが感じられる。浜辺に近い町で住んだ経験でもあるのだろう。

蟾蜍  西村 和子

うしろにも気配よぎりし竹落葉

梅雨に倦み世に倦み船のピアノ弾き

もの書くはひきこもること蟇

蟇内なる闇をひきかむり

偸盗の手下(てか)の蝙蝠蟾蜍

蟇虚子亡きのちの闇を守り

庭先を江ノ電の音額の花

もてなしの雫残れる額の花

 

白玉  行方 克巳

夏暖簾端近にして座持ちよく

青葉雨かつての家族写真にわれ

白玉を食ひに行こかと男どち

白玉や島原小町老いたれど

くつつきしままの白玉すくひけり

白玉やさらぬ別れのありといへば

メロンより西瓜が好きとにべもなく

龍馬あり左内ありし世雲の峰

 

◆窓下集- 9月号同人作品 - 西村 和子 選

原書購読五月の窓に背を向けて
藤田銀子

嫗出て傘干してをり藤の茶屋
山田まや

ありんこを潰す子ぼうつと見てゐる子
影山十二香

片付かぬ本の山増え梅雨湿り
松井秋尚

ちよとのぞくボクシングジム姫女菀
松枝真理子

船内にピアノ気怠く梅雨の航
牧田ひとみ

門灯の知らぬまに点き春も逝く
植田とよき

待合せ場所はコンビニ梅雨曇
塙千晴

ひきがえる暗がり増ゆる父母の庭
中津麻美

スタカットはた三連符花藻ゆれ
米澤響子

 

◆知音集- 9月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

婚礼のマカロン摘む夏手袋
三石知佐子

ぼろ屑のごとく固まり軽鳧の子ら
植田とよき

じろつと見るあの女の目蟇
鈴木庸子

撓むとは耳打ちに似て竹の秋
中川純一

熱の子の汗拭きやれば薄目あけ
佐藤二葉

真白なテーブルクロス夏館
くにしちあき

硝子器にかへて早々夏気分
佐藤俊子

夏つばめ三尺路地の軒掠め
前山真理

糠雨に垂れて名残の花菖蒲
田代重光

袋角触るればぽつと灯りたり
米澤響子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

王冠の刺繍のシーツ夏館 三石知佐子

フランスの古城ホテルに宿泊したのである。ヨーロッパにはすでに廃城となった建物を高級ホテルとして今に活かしているところが少なくない。シーツにもかつての城主たる印の王冠が刺繍されているのである。はたしてその夜の夢は如何に―――。

いくたびも父を討ち取り水鉄砲 植田とよき

鉄砲は武器であり、水鉄砲は玩具である。水鉄砲から飛び出すのは水であり、誰を傷付けることはない。しかし、本来人を殺傷するのが目的である鉄砲という玩具を子供に与えることは、人殺しの練習を子供の頃からさせることでもある。こんなことを考えて子供に水鉄砲を与える親が居るとは思わないが私にはどうしてもひっかかる部分がある。それは最近の戦争が全くテレビの画面の中で行われているゲームみたいであるからだ。戦争の現場を全く体験せず、しかも大量の血が流れる殺戮が行われている事実がある。まるでゲーム感覚でしかない戦争の恐ろしさ―――。私はゲームの楽しさも何も知らないが、ボタン1つで相手を殺す殺人ゲームは人類の今後を象徴するものだ。子供は容赦なく父を追いつめ、父親や水鉄砲に打たれるたび複雑な思いを感じるのである。

蟇犬に嗅がれてをりにけり  鈴木庸子

のそのそと這い出してきた蟇を見とがめた犬がこいつは一体何ものだとばかりに近付いてゆく。犬はまずその鼻でもって相手が何たるかを確かめようとする。犬はまだ蟇は知らないのだ。もし蟇が飛ぼうとでもすればすぐにちょっかいを出すだろう。蟇はそのことをよく知っている。この蟇と犬の関係を、人間と人間の関係に置きかえてみるとおもしろい。

摩文仁  西村 和子

夏酷し礎(いしじ)にひざまづく人ら

黒南風や平和の礎盾として

沖縄忌近き岬へ波咽ぶ

梅雨曇かの日も潮の烟りけむ

少女らへ供華の白百合仏桑華

ひめゆりの塔の壕(がま)より黒揚羽

草茂り戦跡覆ひ尽せざる

月桃の莟なみだのしたたるか

 

蚯蚓鳴く  行方 克巳

天際に鬩ぎ止まずよ今年竹

大蟻が小蟻を口説く神妙なり

鬼子母神裏の抜け道蚯蚓鳴く

蚯蚓鳴く母へもたらす何もなく

誰かゐる誰かがゐない五月闇

バナナ食ふときの彼女を盗み見る

令夫人なるべしバナナ食ふときも

籠枕大往生を疑はず目を凝らすなり独房の春の闇

 

◆窓下集- 8月号同人作品 - 西村 和子 選

初夏やペルシャの壺は海孕み    高橋桃衣

空飛べぬ鳥にも翼五月来る     井出野浩貴

蝶々の絶えず高倉健の墓      藤田銀子

鳥雲に入る真つ新なパスポート   井戸ちゃわん

革命歌聞こゆ五月の石畳      くにしちあき

指笛を吹くやも知れぬ古雛     岩本隼人

瞑れば船の残像夏来る       大橋有美子

総展帆五月の空へ羽撃きぬ     影山十二香

ものの影匂ふがごとき五月かな   佐貫亜美

放心の時ありてこそ湯屋の春    大黒華心

 

◆知音集- 8月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

レフ板に輝く新婦糸桜       井内俊二

手を摩るだけの看取りや若葉雨   前山真理

江ノ島をはみ出してゐる緑かな   久保隆一郎

お早うの声の眩しき更衣      松井秋尚

かんなぎのゑくぼの深き花鎮め   島田藤江

初夏のトートバッグのフランス語  中川純一

街騒のふと止み梅花空木かな    原川雀

花は葉にかくて光陰流れけり    立花湖舟

武者人形のやうな顔して抱かれゐる 井上桃江

何もをらぬ池と思へば水馬     笠原みわ子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

レフ板に輝く新婦糸桜  井内俊二

糸桜が咲く庭園で、花嫁が記念撮影をしている。レフ板を用いての本格的な撮影である。レフ板が時折きらりきらりと反射して輝くのだが、そのレフ板に照らされた花嫁はもっと輝かしく見える。新婦の喜びがレフ板によって強調されるかのようである。

手を摩るだけの看取りや若葉雨  前山真理

何か病人の好物を持っていったり、あれこれと話をしたりして慰めることはもう出来なくなった病人である。だから看取りといっても心をこめてその手を静かに摩ってやるのがせい一杯なのである。病室の窓には若葉の色を際立たせて雨が静かに降り続けている。

江ノ島をはみ出してゐる緑かな  久保隆一郎

作者の位置は江ノ島からそう遠くはなく、また近すぎない所にある。海上の1つの島がモチーフになっている一枚の絵がたちまち眼に浮かんで来た。茂った緑がはみ出しているという把握はまことに単純化が効いていておもしろい。俳句はこのようにシンプルでしかも印象的にものごとを述べることが出来る文芸なのだといういい例として紹介したいと思うのだ。