コンテンツへスキップ


銷 夏    西村和子

鰻食ふためだけに会ふ宵の口

川風を招くうなぎののれんかな

鰻肝食ふや主治医に勧められ

家移りの委細は問はず鰻食ふ

連山の幾層倍の雲の峯

分水嶺越ゆや白雨に迎へられ

虹を呼ぶ嬬恋村の通り雨

バルコニー鳥のおしやべりひとしきり

 

小人閑居して  行方克巳

炎昼や虫けらと虫けら同然と

ゲレンデのみどり夏山切り分けて

万緑の中や小人閑居して

ぢり/\と飛蝗とわれの至近距離

睡蓮の此者まひるまの宵つ張り

四半世紀すぐ半世紀夏炉焚く

不機嫌な焼け木杭や夏炉焚く

二枚舌からみ合ふなり夏炉燃ゆ

 

蚊遣豚 中川純一

いぼいぼの殊に元気な胡瓜選る

巫女に振り衆生に振りて夏祓

くるくると木漏日まはし藍日傘

熊蜂の少しオジさん臭く飛ぶ

花虻の飛びざまのさも小市民

マドンナのまとふブーゲンビリアかな

夜目きかぬ人間籠めてキャンプ更け

追ふ夢も去りし平穏蚊遣豚

 

 

◆窓下集- 10月号同人作品 - 中川 純一 選

透け透けのらせん階段夏館
中津麻美

若葉冷誰かのぬくみ残る椅子
佐瀬はま代

春風や女将こつそり再婚す
田代重光

青梅雨や灯して暗き御本殿
影山十二香

誰も来ぬ暮れて寂しき山法師
山田まや

指先にその冷たさのなめくぢり
小野雅子

階段の手摺に木彫夏館
井内俊二

停めてある車に昨夜の柿の花
片桐啓之

トマトまづ器量問はれてをりにけり
島野紀子

引越しの挨拶トマト一袋
佐藤二葉

 

 

◆知音集- 9月号雑詠作品 - 西村和子 選

おのおのに板宛がはれ燕の巣
大塚次郎

せつかちな手締めも三社祭かな
松枝真理子

一羽欠け二羽欠け軽鳧の子の育つ
井出野浩貴

白日の風に悩める牡丹かな
山田まや

しだらなく揺るる泰山木の花
前山真理

鉄扉抜けタイルを辷り瑠璃蜥蜴
牧田ひとみ

眠剤の残りを数へ春夫の忌
本田良智

繙読を心しづめに花の下
藤田銀子

祭りの子声から先に駆けてゆく
田代重光

野茨の棘にスカート引つ張られ
くにしちあき

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

声太き筒鳥森の深ければ
大塚次郎

筒鳥は、夏の山林でポポッ、ポポッと鳴くカッコウ科の鳥。郭公や時鳥などよりも地味な鳴き声だし、聞き取りにくいので、あまり注意を引かない。長年理科の教師だった作者は、観察力が鋭く声の太さが気になったのだろう。聴覚で描かれた作品だが、句の後半に至って、森の深いところに生息する森の主のような筒鳥が想像される。

 

柿若葉濡ればみたりし日差しかな
山田まや

柿若葉のてらてらした葉の表面を描くのに、「濡ればみたりし日差し」と表現した点がポイント。「濡ればむ」とは、濡れたように見えるという意味だが、日常ではあまり使われない。こうした表現に出会うと、日本語の豊かさは、使ってこそ生かされると思う。九十歳を越えても、表現の工夫を怠らない作者を、見習いたいものだ。

 

眠剤の残りを数へ春夫の忌
本田良智

「春夫の忌」とは佐藤春夫の忌日で、五月六日。忌日の句は、たまたま今日が誰々の忌日だからといって、安易に取り合わせる人がいるが、句会で忌日の句が出ると、その人の作品の何が好きかを聞くことがある。言葉に詰まるようでは、季語として十全な働きをしているとは思えないからだ。
昭和三十九年に亡くなった佐藤春夫は、偉大な詩人だったので、その頃文学に目覚めた私達の年代は、その詩を愛読したものだ。手元に岩波文庫の『春夫詩抄』があるが、短詩が多く、今も暗唱している作品が多い。定型の短詩は、俳句に通ずるものがある。
そんな佐藤春夫の忌日と、「眠剤の残りを数へ」の関係を問われると、明解な答えは出せないのだが、青春時代に春夫の詩を愛唱したであろう作者が、七十代になって眠れない夜などには、あの「しぐれに寄する抒情」などを思い出していたのではないかと思う。

 

 


明日句会    西村和子

入梅や呼びかけきたる故人の句

梅雨の蝶墓碑銘探しあぐねしや

青梅雨のあたりを払ふ豪華船

薔薇園の卓に師弟か恋人か

木下闇濃くなる日暮遅くなる

ハンカチにアイロンかけて明日句会

踏切を渡りおほせず梅雨の蝶

ボクシングジムすれすれに梅雨のバス

 

梅雨籠り  行方克巳

四月馬鹿五、六、七月馬鹿馬鹿馬鹿

横柄な出目金に遊ばれてゐる

だんまりの父子のひと日茄子の花

思ひ出の真帆や片帆や水芭蕉

金光明最勝王経梅雨滂沱

秋津島梅雨曼荼羅の濃絵なし

どつこいしよと立つて歩いて梅雨籠り

誰も知らぬ一日旅めく山法師

 

アマリリス 中川純一

天道虫弁当箱の縁歩く

青梅雨や気つけに一つチョコレート

尾のきれし守宮もたもたへなへなと

六月来ポールモーリア今も好き

駅頭に迎へくれをり白絣

調律の遅々と進まぬアマリリス

目もて追ふ蠅虎と歯を磨く

跳ねてみせ蠅虎の我に狎れ

 

 

◆窓下集- 9月号同人作品 - 中川 純一 選

朧夜や息するやうに嘘をつき
平手るい

ハイヒールかつかつ鳴らし新社員
中津麻美

薫風や糸切りばさみ音軽く
松枝真理子

えごの花散つて先師の一句あり
江口井子

理髪師に頭預けて目借時
田代重光

自販機の水をまた買ひ新社員
大橋有美子

風光る中折帽の母若く
松井伸子

田植時逆さに映る鳥海山
折居慶子

山笑ふ遺跡の下にまた遺跡
竹見かぐや

厚化粧して現れし新社員
茂呂美蝶

 

 

◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選

キャンパスの深閑として椎の花
井出野浩貴

虚子像になんじやもんじやの花盛り
影山十二香

フランスパン抱へ短パン美少年
佐貫亜美

眉の濃き男の子まぐはし若葉風
牧田ひとみ

ひとり来て石に坐るも花の客
高橋桃衣

青蔦や白い扉の雑貨店
井戸ちゃわん

煙草購ふやうに薔薇選るサングラス
石原佳津子

雛飾る一人娘の巣立ちても
松枝真理子

多摩川の浅瀬きらきら薄暑光
くにしちあき

同僚に出会す神田祭かな
塙 千晴

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

桜の一句教へて教師廃業す
井出野浩貴

六十を待たずして教職を退いた作者にしてみれば、「廃業」という一語に思いをこめたに違いない。定年退職の折の句であったなら、こうは言わないだろう。「退職」とか「定年」とかいう言葉には、人生の時が至って職を退いたという思いがこめられるが、「廃業」には自らの意思が感じられる。
桜の花が咲く前に、桜の一句を黒板に書いて教えたのだろう。その一句は誰の句だろうと、想像が広がっていく。芭蕉の句かもしれないし、自作かもしれない。いずれにしても生徒たちは桜の花が咲く頃になると、その句を思い出すだろう。それも何年か先のことかもしれない。
「教師とは、海に向かって石を投げ続けるようなものだ。」と、長い間教職にあった人に聞いたことがある。大方の石は戻ってこないが、時々忘れたころに波に乗って戻ってくることがあると、感慨深いものだそうだ。

 

むつつりと武蔵鐙の花擡げ
影山十二香

「武蔵鐙(あぶみ)の花」は歳時記には載っていないが、以前鎌倉の吟行で江口井子さんに教えていただいた。都から離れた、武蔵の国で作られた鐙に似ているということから、この名がついたのだろう。華奢とか華やかとかいうものからは程遠いに違いない。従って、この句の「むつつりと」「擡げ」は、その本質に迫っているといえよう。花は全てが「咲く」とか「ひらく」ものではないのだ。

 

こんな生き方もあるさと姫女菀
くにしちあき

姫女菀は初夏によく見かける雑草だが、名前は優雅だ。しかし、どこにでも見かけるせいか、貧相で俳人しか目に止めない花でもある。その花を見つめていたら、こんな声が聞こえてきたのだろう。ありふれた花ゆえに、誰も目を止めたり足を止めたりしないが、こんな生き方も気楽なものだ。対象に目を止め、足を止め、心を止めないと、本当の姿は見えてこない。そんなことを教えられた句。

 

 


鬣    西村和子

初夏や鬣尻尾切り揃へ

ホイッスル緑雨の馬場を貫きし

緑さす人馬の鼻梁一直線

騎手孤独馬なほ孤独若葉雨

緑雨潸々馬術大会粛々と

優勝の駿馬秀馬秀麗緑さす

緑雨浴び競技終へたる裸馬

夏来たる子らよ馬には乗つてみよ
(一部「俳句」7月号発表済)

 

なまけもの座  行方克巳

へら/\と人のかたちにしやぼん玉

丸腰の教師に燕返しかな

永き日の暮れてたちまち二十五時

ガザ版殺人ゲーム春昼こともなし

四月馬鹿どつこい三鬼まだ死な

うそつけぬ漢のエイプリルフール

ことだまといちにちあそび四月馬鹿

悼  八木澤節
一つまたなまけもの座の春の星
(「俳句」6月号より)

 

馬事公苑  中川純一

少女騎手皇女さながら青葉風

ギャロップの騎馬の頭上を夏燕

青葉雨騎乗の少女頬赤く

風薫る悍馬少女を乗せて跳ね

小悪魔のごとく豚カツ屋の金魚

処方猫もらひ薄暑の娑婆にかな

昨日今日柚子坊ふえて鳥減って

気が付けば柚子坊ここにまた歯形

 

◆窓下集- 7月号同人作品 - 中川 純一 選

帰されて噂されをり新社員
稲畑航平

この先は藩主の墓域辛夷咲く
小野雅子

若人はピザ十八枚花莚
小倉京佳

結界は人の世のこと猫の恋
山田まや

動物園檻の無骨や梅香る
亀山みか月

花ミモザ次もをんなに生れたし
林奈津子

入学式了へて記念の献血へ
影山十二香

ぎりぎりの平和いよいよ蜃気楼
川口呼瞳

先行きのぼんやり不安春の星
小山良枝

青空の欠片掻き寄せ藍微塵
栃尾智子

 

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 西村和子 選

春愁や人差指で弾くピアノ
田代重光

さへづりや名訳誤訳紙一重
井出野浩貴

支度して出かけずじまひ春の雪
中野トシ子

花仰ぐ肩の力のぬけてきし
前山真理

いぬふぐり咲きたいところきめてをり
山田まや

冷え冷えと崖に吹かれて山桜
影山十二香

鎌倉の風存分に懸り藤
高橋桃衣

転調自在鶯の谷渡り
松枝真理子

鳥けもの人もまがよひ霾ぐもり
中野のはら

夏近し子犬の服もトリコロール
牧田ひとみ

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

見納めと毎年集ふ花見かな
田代重光

作者も後期高齢なので、自分たちのことを詠んだのだろう。桜を見ると日本人は、こんなに見事な桜を来年も見ることができるだろうかと、ある年齢から思ってしまうのだ。高齢になると、仲間が集っても今年が最後だろうと思うし、口にもする。
これが見納めの桜だなあと口にしたとき、そういえば去年も一昨年も同じことを言ったと気づく。したがって、この句には老境の本音とともに、おかしみも感じる。その点がこの作者らしい俳句

  

句仲間はみな歳下や鳴雪忌
中野トシ子

これも高齢者の実感から生じた句。内藤鳴雪は松山藩の常磐会寄宿舎の舎監であったから、青春時代の子規たちは世話になった存在だ。二十歳年下の子規に感化されて俳句を始めた。
この句の作者も、ある時見回してみたら自分が最年長であることに気づいたのだろう。忌日の句は、その人物をよく知っていないと難しいものだが、この句の季語は動かない。

 

まだできることのいくつも桜散る
前山真理

これも高齢者の呟き。歳とともに、昔はできたことができなくなる。そのことを悲観するより、歳を取ってこそできることを考えようと、発想の転換を試みた句。
桜の花は盛りを終えて頻りに散っているが、盛りを過ぎた自分にも、「まだできることのいくつも」あることを自覚させようとしたような句で、共感を呼ぶ句。

 

 


内 外  西村和子

太枝を斬られてもなほ初桜

起き直り蕊むくつけき落椿

遠霞望遠鏡を過去へ向け

花の雨寝覚めの床に囁くは

水門の内外平ら春の暮

船溜り名残の落花たゆたへり

少年の臑のすこやか松の蕊

かげろふや忌日過ぎたる虚子の墓

 

山椒魚  行方克巳

春や春葛根湯のあれば足り

見てよ見て野苺よこのちつこいの

によきによきと建つものは建ち椎若葉

食はずぎらひとは味噌餡の柏餅

はんざきの目のつぶつぶと二つある

コンマ一秒にて山椒魚の餌食

山椒魚盧生の夢の覚めたれば

何もせぬことにも疲れ新茶くむ

 

花 莚  中川純一

花筵抱へ先頭先頭お父さん

ばんざいは抱つ子の合図花筵

すれすれの燕に池の照り返し

春宵の鎖骨をなぞるレースかな

気まぐれに気まままに咲いて姫女苑

水揺れて赤ちやん目高身構へる

話したき一人隔たり春渚

春宵の言葉どほりにとれば罠

 

◆窓下集- 6月号同人作品 - 中川 純一 選

ものの芽のこゑを聴かむと跼みけり
青木桐花

縮緬のお座布ふつくら春火鉢
小野雅子

眉山をなだらかに描き春灯
三石知左子

下萌や鳥の刺繍のベビー靴
牧田ひとみ

踊り場に一燭ゆるゝ雛の家
米澤響子

春一番シャガールの馬空を飛ぶ
くにしちあき

泥団子並べてありぬ蝶の昼
松枝真理子

今日よりも明日良からむ蝶生る
小倉京佳

ふる里も東風吹く頃や隅田川
芝のぎく

沈丁の香よころころと笑ふ娘よ
菊田和音

 

 

◆知音集- 6月号雑詠作品 - 西村和子 選

春の水鳴り出づ一歩近付けば
小山良枝

春燈や卓の辺に伏す盲導犬
井出野浩貴

寄り付に円座を並べ日脚伸ぶ
山田まや

どこまでもボール転がる草青む
井戸ちゃわん

春の風邪うがひぐすりのすみれ色
牧田ひとみ

本棚の埃見ぬふり春の風邪
影山十二香

撫で牛を帰りにも撫であたたかし
廣岡あかね

宵にまた歩かむ神楽坂の春
志磨 泉

雪掻の力任せは捗ゆかず
石原佳津子

バナナ喰ひつつぼろ市の客あしらひ
磯貝由佳子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

胸騒ぎ覚ゆ無数の落椿
小山良枝

椿の花は、首からぼたっと落ちるので不吉だと思われてきたが、花びらが散らずに完全な花の姿のまま落ちるのは、その構造に由来する。落椿を拾って子細に見ると、五弁の花びらと芯が、まるで造化の神が糊付けしたようにきっちりとつながっている。
真っ赤な椿が、咲いていた時の形のままたくさん落ちているのを目にして、「胸騒ぎ覚ゆ」と感じたのは、共感を呼ぶ。主観的写生と言えようか。その底には、客観写生の目が働いていることは言うまでもない。

  

水の辺になにしか来けむ春の暮
井出野浩貴

「なにしか」は、どうしてかという意味だが、「し」は強めの助詞でことさら意味がない。水辺に来た時、なんでこんなところに来たのだろうと思った。誰にも経験のあることだが、「春の暮」のアンニュイや、妖しい心持と響き合っている。
人間の行動は、全てが自分の意志に従っているわけではない。仕事や用事に追われている時は気づかなかった、我ながら不思議な行動。それは、気分の浮き立つ春の季節感の一つと言えようか。

 

うららかや子らよぢ上りふら下がり
井戸ちゃわん

音読してみると、ラ行の音の連続が軽やかで効果的である。情景はそこらの公園で遊ぶ子供たちの様子で、目新しいものではない。しかし俳句は、奇異なことがらを詠むことに意味があるのではなく、誰もが見慣れているはずの光景を、季節感と詩心をもって描写することに意味があるのだ。

 

 


移植鏝  西村和子

湯けむりの丈を競へり冴返る

噴出の湯けむり盛ん寒戻る

薬草湯浴みし我が身のかぎろへる

あるほどの雛見よとて骨董店

老いたればこそ存分の朝寝かな

服薬を忘れてゐたる四温かな

園丁の膝当て幾重薔薇芽吹く

一握の春の土盛り移植鏝

 

四月馬鹿  行方克巳

その人と思ふ老人彼岸寒

春宵のオスカー光る凶器めく

死に支度晏如よかりし山笑ふ

卒業をしたいさせたいしたくない

ふたりでもひとりでも同じつてこと四月馬鹿

うそのやうなほんとに笑ひ四月馬鹿

沈丁の闇より踵返しけり

日出づる国の黄砂の日もすがら

 

花辛夷  中川純一

藍深き蔵の半纏春灯

時ならぬ雪の梅みてカレー食ふ

呼び合へる鳥を仰げば花辛夷

母子像の背中を撫でて花の風

揚船のワイヤー鳴らし春一番

啓蟄や老にもありし一目惚れ

啓蟄やさつそくに糞転がして

春水を見てをり迷ひなき瞳

 

◆窓下集- 5月号同人作品 - 中川 純一 選

雪解風水の匂ひに包まるる
鴨下千尋

笹鳴や竹の耳掻き良く撓り
相場恵理子

金縷梅の梵字散らしに綻びぬ
山田まや

下萌やふつと尽きたる引込線
井出野浩貴

納札幸も不幸も綯ひ交ぜに
池浦翔子

滑りつつ凍りし道の早歩き
伊藤織女

梅三分絵馬に大きく志望校
小塚美智子

白梅やひたと開かぬ長屋門
帶屋七緒

光にも重さありけり返り花
竹見かぐや

白髪の光愛しみ初鏡
佐瀬はま代

 

 

◆知音集- 5月号雑詠作品 - 西村和子 選

自転車の籠に破魔矢の鈴鳴らし
松井秋尚

頰刺や昭和生まれとひとくくり
井出野浩貴

踏み出せば立春の風頰を刺す
牧田ひとみ

溜息の数だけ老いてはや二月
佐瀬はま代

煤逃も買物連れも喫茶店
高橋桃衣

走り根のくねりて乾き寒の内
大橋有美子

鉄棒も竹馬も駄目本が好き
影山十二香

いつよりか一人が楽し龍の玉
松枝真理子

福笹の鯛のぺこぺこ裏がへる
米澤響子

愛犬もシャンプーカット春を待つ
黒羽根睦美

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

虚子の歳まではと願ふ初詣
松井秋尚

七十代最後の年を迎えた作者の本音。高浜虚子の享年は八十五だったので、その年までは生きたい、しかもその春までは句を残している虚子を見習いたい、と願うのは俳人ならではの思いだろう。
昭和三十四年の四月八日に亡くなった虚子の最後の作は、

独り句の推敲をして遅き日を

だった。鎌倉の婦人子供会館は、最後の句会をしたところであり、そこの看板は虚子の筆である。私達も鎌倉の句会で、そこへ行くたびに虚子を思い、寿福寺のお墓に参る人も少なくない。

  

錦絵のごとく関取鬼やらひ
牧田ひとみ

相撲好きな作者ならではの作。相撲はスポーツというよりは興行であると私は思っている。ただ強ければいい、勝てばいいというわけではなく、美意識や品格を求めたいものだ。最近のお相撲さんで錦絵のような関取というと、遠藤とか大の里辺りだろうか。怪我をしても、包帯やサポーターを巻かないで土俵に上る美意識も貴重だと思う。
この句は、豆撒きに関取を招くような格のある場所なのだろう。立ち居振舞や顔立ちなどが錦絵のようだというのは、最高の誉め言葉だ。

 

 

日当りてほはと烟りぬ枯木立
影山十二香

枯木立を詠んでいるが、春が近い季節であることがわかる。芽吹きが近くなると、梢がほんのり色づき、けぶるようになる。見たままを詠んでいるにすぎないのだが、こうした微妙な季節の移り行きに気づくには、常に俳句を作ろうと自然に向き合っている姿勢が大切だ。

 

 


北 海  西村和子

朝まだき乗継空港春いまだ

いちはやく春風察知管制塔

地平まで田園霞む離陸かな

拳上げ意気軒昂や大枯木

飛行機雲縦横斜め春浅き

春遠からじ北海の潮境

寒風はぶつかり潮目混りあふ

窓競ふ右岸左岸の冬館

 

旅ひとり  行方克巳

料峭やことばさがしの旅ひとり

日めくりのあつけらかんと二月尽く

若布刈舟息つぐごとく傾ぎけり

文庫本忘れな草を栞りけり

雛あられむさぼるごとし老いぬれば

てのひらの残像として雛あられ

ガラスペンもて描く未来卒業期

梯子一つ一つ外され卒業す

 

巣 箱  中川純一

出展の油彩仕上がり春立ちぬ

バレンタインデーのパンプス鳴らし来

東京を吹き飛ばしたる春一番

弁当に輝く卵春立ちぬ

囀の八連音符小止みなく

白梅に目白の逆さ縋りかな

まだ覗かれずあり新しき巣箱

霜柱扇びらきに倒れたる

 

◆窓下集- 4月号同人作品 - 中川 純一 選

初鏡背ナより妻に覗かれて
小野桂之介

遺伝子のつくづく不思議初鏡
松枝真理子

二階まで行つたり来たり小晦日
佐瀬はま代

初鏡かの世の人の声のして
佐貫亜美

松過ぎのほこりしづめの雨となり
影山十二香

簪のくれなゐ仄と初鏡
清水みのり

幼子の声よくとほり三が日
大塚次郎

チアリーダーどつと乗り来る七日かな
小塚美智子

鉋屑くるくる日脚伸びにけり
井出野浩貴

振り子めく自問自答の冬ざるる
岩本隼人

 

 

◆知音集- 4月号雑詠作品 - 西村和子 選

枯蓮たふるることもあたはざる
井出野浩貴

蒼穹を引つ掻き鵙の去りにけり
藤田銀子

鳥海山静かに在す小春凪
石田梨葡

しばらくの閑話に炉火の蘇る
山田まや

寒禽のしぼり切つたる声放つ
米澤響子

神の留守電話の声のしよぼくれて
𠮷田泰子

にほどりにむつかしき顔見られけり
立川六珈

試みの一句も投じ初句会
松枝真理子

夜半の冬初学のノート読み返し
田中優美子

花壇には入れてもらへず石蕗の花
三石知佐子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

亡びしか亡ぼされしか冬の月
井出野浩貴

廃墟を冬の月が寒々と照らしている光景を想像した。国の内外を問わず、かなり文明や文化が発達した痕跡のある場所が、今は廃墟になっていることがよくある。何らかの理由で自ら亡びたのか、外敵に亡ぼされたのか、歴史の奥へ思いを馳せている句と読んだ。
数年前の疫病の世界的流行の折、ウイリアム・マクニールの「疫病と世界史」を読んだ時、今までの世界史観が覆された思いがした。文明や武器が発達した国が、未開の民族を亡ぼしたと思っていたものが、実は免疫のない国へ疫病を持ち込んだことで、民族が亡びてしまったという歴史があったことに、それまで気づかなかった。
この句はかなり抽象的なことを言っているようだが、冬の月に照らし出された廃墟を思い浮かべることができる、深い作品だと思う

  

たま風や逃げ足早き波頭
石田梨葡

「たま風」とは、日本海沿岸に西北から吹く季節風。「たま」とは、西北に集まって住む「亡魂」のことで、柳田国男の説によると、この悪霊が吹く風の意味、と歳時記にある。「たま風六時間」と言われ、それほど長続きしないそうだ。山形県在住の作者ならではの作品。
「雪迎へ」とか「白鳥」とか「地吹雪」などとともに、地元の人しか体験できない季語を、もっと積極的に詠んでもらいたい。この句の勢いと速さは、長続きしない季節風を実に的確に描写している。

 

ポップコーン匂ひスケートリンク開く
𠮷田泰子

子供たちが集まる、冬場だけ開かれる臨時のスケート場であろう。私の住む二子玉川にもあるので、この光景は非常によくわかる。ポップコーンといえど、最近はキャラメル味やチョコレート味が人気らしく、休日の昼間はその香りが満ち満ちている。スケートと言っても、上手な子たちが幅を利かせているわけではなく、全くの初心者が楽しんでいる場所であろう。そうした場所柄を嗅覚によって描いた点が、この句のポイント。

 

 


百間廊下  西村和子

底冷や百間廊下磨きたて

百間廊下寒行僧の素手素足

寒行の声百間を貫きぬ

寒行や心の迷ひ筆に出て

来たるべき喜寿の諸手に破魔矢受く

押し切れば歯軋り返す冬菜かな

潜みゐし時は何色龍の玉

密なるを以つてよしとす龍の玉

 

竹馬の王子  行方克巳

竹馬の王子よ地球乗りこなし

繭玉や飲み食ひ笑ひかつ怒鳴り

冬桜この日この時違ふなく

道行の菰を傾げて冬牡丹

頽齢といふ一盛り冬牡丹

石垣のやうに崩れて大浅蜊

ぐるつくぐるつく鳩どちバレンタインの日

剃刀の捨刃匂へる余寒かな

 

水仙  中川純一

年酒酌む杜氏の妻を描きし絵と

人日や原稿書きもひと区切り

松過ぎの隘路に資源回収車

どてらよりぬつと握手の腕伸ばす

どてら着て農家の嫁が板につき

純白の母の水仙咲きにけり

水仙や何かと鳩の寄つて来る

物の芽のシンデレラたるそのひとつ

 

◆窓下集- 3月号同人作品 - 中川 純一 選

クリスマスソング仄かに昇降機
中津麻美

長き夜の悲恋小説飽き飽きす
田中優美子

海を恋ふ退役船へ木の葉雨
牧田ひとみ

萩刈られ風の見えざる庭となり
山田まや

丹の橋に小紋ちらしの落葉かな
吉田しづ子

外套の長き抱擁始発駅
川口呼瞳

暖炉の灯見つめる背の人寄せず
大橋有美子

物置の鍵穴錆びし枇杷の花
野垣三千代

腕振れば歩幅広がり冬青空
辰巳淑子

星冴ゆる咫尺に月の弓を立て
上野文子

 

 

◆知音集- 3月号雑詠作品 - 西村和子 選

冬晴やヘリコプターの音近し
松枝真理子

子育てに失敗葱が食へぬとは
井出野浩貴

落葉投げ上げ誕生日おめでたう
田中久美子

日の丸は単純明快冬青空
くにしちあき

なにがしの館趾より秋の声
藤田銀子

日向ぼこ猫は耳から振り向きぬ
吉田林檎

鵙の声届き電波の乱れたる
立川六珈

茶の花のほつほつと咲きぽろと散り
中野のはら

空耳にあらずたしかに残る虫
山田まや

冬青空対岸に雲押さへつけ
大橋有美子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

銀杏散る大学の名は変はれども
松枝真理子

下五を逆接で言いさしていることから、大学の名は変わっても、キャンパスの晩秋の光景は昔と変わらない、と言いたいのだろう。東京工業大学が東京科学大学に、大阪外大が大阪大学外国語学部と変わったように、世の中の変遷や大学の経営の都合で、名前が変わることはよくあることだ。この句に詠まれている大学は、歴史があって銀杏並木が立派なのだろう。そこに愛着を感じている作者なのだ。

  

ビル風を秋風が追ふ御堂筋
立川六珈

大阪の御堂筋は、最大八車線、幅四十四メートルの大通りで、戦争中万が一の時は飛行機の離着陸ができるように道幅を広げたと聞く。そこを通り抜ける風の速さを、「ビル風を秋風が追ふ」と表現した点がポイント。今は両側にビルが立ち並んでいるが、もともとは大阪の商家だった。
私が関西に移り住んだ頃、大阪は無断駐車が多かったが、もとはうちの敷地だったという思いが影響していたと聞いたものだ。ビルの前に、二重三重に無断駐車する現象は珍しくなかったものだが。

 

十三夜水の面もくもりなく
山田 まや

この句のポイントは「も」にある。言うまでもなく、十三夜の月の出ている空は澄み渡っている。仲秋の名月よりも遅い時期なので、空気はより冷やかになり、月光も曇りない。その月が映っている水の面を描写して、空の光景を想像させるという心憎い手法を取っている。

 

 


初日記  西村和子

我が地平見えてきたりし初日記

東京の目覚眼下に初仕事

庭燎の名残へ小雨初社

つちくれを破らぬ雨の初社

水際まで自づからなる敷松葉

かくも舞ひ上ることあり銀杏散る

仕立屋の間口一間夜も落葉

靴音の吸ひ込まれゆく夜の落葉

 

二階の女  行方克巳

大榾をちろりちろりと這ふ火かな

二階から君を見てをりクリスマス

吊るされし鮟鱇の此は立ち泳ぎ

蓮根の穴のふしぎを言ふ子かな

きんとんの甘さ滲める経木かな

初湯して手指足指つつがなく

初夢の二階の女見も知らぬ

虚子選のなき世なりけり初句会

 

冬木の巣  中川純一

表から裏から見上げ冬木の巣

ぼつと浮き金黒羽白まぎれなき

落葉掃き枝の鷺には目もくれず

雪吊のふはりとワルツ踊らんか

聖菓切る銀のナイフにリボン巻き

読初やレディームラサキ・ティーパーティー

歌留多とる嫁がぬままにうつくしく

目をほそめ春一番の由比ヶ浜

 

◆窓下集- 2月号同人作品 - 中川 純一 選

福相のひらり悪相鱏過る
影山十二香

聖堂のイコンを巡り夏灯
佐藤寿子

柿落葉むかし子供の多き路地
佐瀬はま代

鍵束を鳴らし夜業の灯を消しぬ
佐々木弥生

ひよどりを母はピーチョキチョキと云ふ
大塚次郎

さはやかや夢の中まで風が吹き
井出野浩貴

秋惜しむ太平洋に雲一朶
川口呼瞳

無花果を二つに割りて異母兄弟
大橋有美子

ひそひそと猫と話す子夜半の秋
菊池美星

子は食べぬものと無花果遠ざけて
黒須洋野

 

 

◆知音集- 2月号雑詠作品 - 西村和子 選

一斉に輪郭省き秋の雲
田中久美子

おでん喰ふ蒟蒻問答聞き流し
月野木若菜

思ふことおほかた言はず石蕗の花
井出野浩貴

鳶孤高鴉談合冬紅葉
影山十二香

凸凹の渡り台詞の村芝居
藤田銀子

思ふほど声の届かず芒原
中野のはら

その辺り明るくしたり檀の実
くにしちあき

喪の一団どつと笑へり冬鴉
吉田林檎

鰯雲水平線へ落ち行けり
森山榮子

身に入むやただいまの声隣家より
米澤響子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

稲光夫の横顔撲りつけ
田中久美子

実際に誰かが撲りつけたというわけではない。稲光に照らし出された夫の横顔が大きな打撃を受けたように見えたのだ。それをこのように思い切った強調によって表現した。若いころから個性的な作品を見せてくれた作者が、句歴と人生経験を重ねて、さらに独特の句境に至った。夢見るような句が多かった作者が、人生のさまざまな試練を体験したことは痛々しくもあるが、創作者としてはある意味選ばれた存在になったのだと言えるだろう。

 

  

野分来ることは承知の鴉の目
中野のはら

台風が来るというので、人間界は戦々恐々としているが、鴉は平然と高枝から睥睨している。私たちに最も親しい存在の鴉はかなり知能が発達していると聞くが、こうした句に出会うと人間がいまさらあたふたしている気象現象を既に承知しているのかもしれないと思えてくる。
鴉の目はどんな時も人を馬鹿にしているような感じであるが、このように表現したことで人間との対比も明らかになる。

 

 

夕紅葉見返る度に色深め
くにしちあき

紅葉狩の折の夕暮れの光景。日の差している間、美しい紅葉を堪能したのだろう。帰る段になっても惜しまれるような気持ちになったのだ。「見返る度に」には、何度も振り返って見ておきたいという思いがこめられていよう。その度に紅葉が色を深めたという写生の目が効いている。
この作者にしては地味な作品だが、こうした地道な吟行と写生は俳句の体力を維持するためにはとても必要なことだ。

 

 


枯 園  西村和子

落葉掃く音止まりたり築地塀

拝観謝絶でもなく障子閉ざしあり

枯れきりし香のそこはかと藤袴

綿虫や昼も闇抱く矢倉墓

吹き残り名札もらへぬ野菊

枯れてなほかりがね草は空を恋ふ

枯れざまもゆかしかりけり乱れ萩

落葉踏む先師の影のどこにも無し

 

もしかして  行方克巳

ふくろうの会にて
爽籟や万葉歌碑の岩根なし

心音も水音も秋深みかも

火襷をまとふふ仏や萩の寺

ハロウィンのその子の血糊もしかして

二枚舌ちびて健在燗熱く

ここだけの話もちきり燗熱く

つひぞ日のささぬところに帰り花

蓮根掘る泥の細波荒けなく

 

初 鏡  中川純一

フランネルシャツ着て散歩秋惜しむ

新豆腐達者であればそれでよく

ミサイルが飛びハロウィンの馬鹿騒ぎ

蒼鷹を見しといふ目の輝ける

日当たればわらわら揺らぎ冬の水

小春日の鴨を運べる水の綺羅

槙の影雪の校庭撫でてゐる

弟の姉に見惚るる初鏡

 

 

◆窓下集- 1月号同人作品 - 中川 純一 選

病む人に手鏡届け秋の暮
井出野浩貴

名月を犬に見せやる幼かな
影山十二香

鯖雲や古稀の祝のクラス会
佐瀬はま代

鳴き終はり直ちに跳ぬる鉦叩
稲畑航平

ひと粒の露に朝日を閉ぢ込めぬ
冨士原志奈

渡り鳥迷ひ全くなきごとく
小林月子

まだ見えずとも見つめ合ふ母子小鳥来る
高田 栄

秋蝶を加へ光の輪の揺るる
政木妙子

柿熟るる島に寂れし能舞台終
山田まや

サラブレットの終の住処や小鳥来る
小塚美智子

 

 

◆知音集- 1月号雑詠作品 - 西村和子 選

パチンコ屋ゆゑなく覗き秋の暮
井出野浩貴

名水のあれば豆腐屋涼新た
藤田銀子

毬栗けつ飛ばし水溜りじやぶじやぶ
影山十二香

踊り誉め俊足称へ運動会
小池博美

地下足袋のもう泥まみれ在祭
高橋桃衣

左耳ばかりに聞こえ鉦叩
中野のはら

秋高や丹沢山領見霽かし
牧田ひとみ

こころまで風にさらせば秋の声
松枝真理子

より高き風をとらへて紫苑揺れ
松井洋子

北海道年々新米旨くなり
三石知左子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

あだびとを呪ふまなざし菊人形
井出野浩貴

「あだびと」とは男女の仲では真心のない浮気者。そんな恋人を恨むのではなく、「呪ふ」というのだから凄みを感じる。最後まで読むと、ああ菊人形の事なのかと思うが、それほど表情の微妙なところまで作ってあるとは思えない。背景や場面によって、そのように作者には見えたということだろう。
このように、自分にはこう見えたということを大いに打ち出していいのだ。ただし言葉の選び方に工夫が必要なことはこの句に学んでもらいたい。

 

 

大人にも残る宿題法師蟬
藤田銀子

法師蝉の鳴き声の聞きなしは、夏休みの終わる頃に聞こえることから、宿題を急かすという発想が多い。しかしこの句は夏休みの子供たちではなく、「大人にも残る宿題」と発想を飛ばしている。こう言われてみると、自分に課せられたものは何だろうと思う。それぞれの年代に従って課題は様々に変化していくが、自分がやり残していることに気づく人は案外少ない。読み手の生き方を問う力がこの句にはある。

 

 

運動会終はつてもまだ駆け回り
小池博美

小学校低学年の子供だろう。運動会が終わっても、まだエネルギーがあり余っている。一日中体育の時間なわけだから、張り切った子はそのままおとなしく帰るはずもない。これが高学年になるとTPOをわきまえて、終わった後も駆け回るということはなくなる。主語をあきらかにしていないにも関わらず、その姿や年齢まで見えてくるのは、現実のどこを切り取って描写するかを心得た作品だからだ。

 


草の花  行方克巳

朝な朝な凝りたる血か七竈

櫨紅葉真つ赤な嘘であつてもいい

もう誰も待たぬ桟橋雪螢

堕ちてゆく堕ちてゆくよと雪螢

蝦夷富士にかめむしが貼りついてゐる

露芝を踏んでカインの裔ならず

タケオでもアキコでもなく草の花

心中はむごい終活草の花

 

遺 構  西村和子

秋風に解き放たれし裸馬

嘶きて散らしたりけり赤とんぼ

競馬場遺構厳つし小鳥来る

赤蜻蛉百の一つもぶつからず

秋灯を塗り籠め茶屋街西ひがし

城垣を囲む山垣秋霞

秋深しここにも天守物語

存在の危ふき蜘蛛も我らとて

 

丹 田  中川純一

丹田に坐禅の手印小鳥来る

こほろぎや校舎のここらいつも影

野菜室娘の梨が隠れをり

翅広げたればサファイア秋の蝶

待ちかねてをりたるごとく雪螢

剥き出しの地層より立ち紅葉濃し

生きのびし無残またよし蔦紅葉

山雀は人好きな鳥首傾げ

 

 

◆窓下集- 12月号同人作品 - 中川 純一 選

唐黍の捻くれ粒の押し合へる
大橋有美子

台風ののろのろ進む山の雨
高橋桃衣

新涼の畳百畳拭き清め
影山十二香

ビルの灯の定時に消えて月今宵
三石知左子

碁会所のたつたひとつの扇風機
田代重光

ユニオンジャック船尾に靡き秋の声
佐瀬はま代

敬老日関町小町舞ふが夢
山田まや

蓮の実の飛んでど忘れパスワード
米澤響子

アラバマの闇の深さよ虫時雨
井出野浩貴

ゆくりなく座席譲られ菊日和
小野雅子

 

 

◆知音集- 12月号雑詠作品 - 西村和子 選

教会の扉の重き残暑かな
くにしちあき

馬に水飼ひたき汀葛の花
井出野浩貴

縁側も父母も亡し西瓜切る
影山十二香

ペディキュアの桜貝めく素足かな
磯貝由佳子

自転車は杖の替りや夏痩せて
井戸ちゃわん

衣被吾を最後に女系絶ゆ
松井洋子

教会の裏どくだみの花散らし
杢本靖子

短夜の夢より覚めて生きてゐし
山田まや

改札に急ぐ者なし秋うらら
月野木若菜

ぺたぺた歩きぱたぱた走り跣足の子
松枝真理子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

灯火親し仮名で書かれしものがたり
くにしちあき

読書の秋に読んでいるのは「源氏物語」か。言われてみると、平安時代の物語はすべて仮名で書かれていた、その時代、物語の社会的価値は低く、文学と言えば漢詩が男性の教養の筆頭だった。女子供が楽しむ物語は、どちらかというと馬鹿にされていた節がある。
しかし千年経った今、源氏物語は世界に誇るべき最初の長編小説である。フランス語の翻訳に長い事携わっていた作者には、「仮名で書かれしものがたり」に、私たちには計り知れない思いがあるのではないか。

 

 

肖像のレースに触れてみたくなる
磯貝由佳子

この肖像画は古いものに違いない。したがってレースも手編みであろう。ヨーロッパでは繊細なレースや技を尽くしたレースが服飾文化として継がれている。そんな精巧なレースを目にして、思わず触れてみたくなった。レースの魅力もさることながら、画家の腕前も素晴らしい。例えばフェルメールのように。

 

 

草いきれこんな所に美術館
杢本靖子

「草いきれ」は真夏の雑草が生え放題の場所を想像させる。したがって「こんな所に美術館」という意外性がものをいう。具体的な場所は知らないが、なんの美術館だったのだろう。読み手の心も誘われる。実際に出会ったからこそできた句であろう。