奥 山 西村和子
台風の来るぞ来るぞと逸れにけり
宮士に風ありとも見えず雁渡し
良しくれ七堂伽藍浮くばかり
撥捌き三者三様月の宴
手筒花火ほてりしづめの山の雨
金然きの小鉢も遺作菊膾
鎌倉の秋を惜しまんスニーカー
門川の水澄む町に深入りす
どぶろくの酔ひざまし 行方克巳
どぶろくや切つた張つたのなき世にて
とぶろくが目当てなるべし二三人
だめもとの話どぶろく糸をひき
どぶろくや割に合はざる世を渡り
どぶろくや三日 天下をそしるなく
どぶろくの茶碗の闕けのえも言はず
どぶろくの酔ひのにはかにかけめぐり
名水の此はどぶろくの酔ひざまし
色なき風 中川純一
阿弥陀堂色なき風へ明けはなち
露草の青も百花のそのひとつ
藪蘭の盛りは数をたのみかな
瓢箪のくびれみめよくぶらさがり
白無垢の裾を憚り秋時雨
七代目継ぎし偉丈夫今年酒
預かりし猫の甘噛み秋日和
人生のノートまつさら天高し
◆窓下集- 12月号同人作品 - 中川 純一 選
今生の花火病室のテレビより
小池博美
舞ふよりも吹かれて来たり秋の蝶
山田まや
木槿咲く旧家に山羊の鳴いてゐし
吉田しづ子
漣に揺れてゐるかに黄釣舩
佐瀬はま代
言ひ残すことあり流灯岸に寄る
小林月子
白木槿薄化粧して逢ひに行く
影山十二香
虫の音のかさなりそむる家路かな
井出野浩貴
雨雲を散らし水掛祭かな
小山良枝
夜業終ふ墨汁のごと神田川
田代重光
一列の海水帽に道譲る
國領麻実
◆知音集- 12月号雑詠作品 - 西村和子 選
工場の閉鎖の噂大西日
井戸ちゃわん
子規の庭に生まれ一生蜆蝶
田中久美子
東京音頭ふたたびみたび盆踊
廣岡あかね
歌姫のその後を知らず罌粟の花
松枝真理子
ガラス戸を磨き上げたり獺祭忌
影山十二香
祇園会やはぐれて酒舗に待ち合はす
藤田銀子
盤石を分けてたばしり水の秋
前田沙羅
汗ばむやややこしき字を書き写し
立川六珈
山百合や壊すほかなき家なれど
本田良智
かまきりの抜け殻風に葬られ
辰巳淑子
◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子
祭太鼓昼餉の支度急かさるる
井戸ちゃわん
祭に参加する立場ではなく、家庭でその人らを支える側の俳句である。祭の句というと、加勢したり見に行ったりする句が多いが、その点でも類想のない作品。
祭太鼓が聞こえてきて、そろそろ神輿や山車が出る時間になったのだろう。神輿を担ぐ若者や、山車を曳く子供達の腹ごしらえをしなければならない。そんな家庭の主婦の発想だ。単に、見物に行く家族を送り出すにしても、まず「昼餉の支度」というわけだ。いろいろな支度に手を貸したり、後片付けをしたり、家の中も祭の日は結構忙しい。作者は見物にさえ行かないのかもしれない。
句碑に添ひ歌碑に傾き曼珠沙華
前田沙羅
九十九回目のみちの会で、向島百花園に行った折の作。園内には曼珠沙華が目立った。それをこのように描写したことで、句碑や歌碑がたくさんある場所柄を描いており、「添ひ」と「傾き」の使い分けに、具体的な描写が工夫された作品。
大雑把な写生句では、こうはいかない。一つ一つに目を止め、足を止め、心を止めてこそできた作品である。
自転車に空気を入れむ雲の峰
磯貝由佳子
句会にもよく自転車で来る作者らしい句。自転車に空気を入れようと思うのは、これからでかけようとする意志の表れ。折しも入道雲がむくむくと育っている暑い日。こんな日は私なら日傘を差してバス停まで、という思いになるのは年齢のせいだ。まだ六十代前半の作者は、どんなに暑くても夏帽子を被って、自転車で出かける方が手っ取り早いのだろう。そんな若さを感じ取った俳句。