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知音 2025年5月号を更新しました


移植鏝  西村和子

湯けむりの丈を競へり冴返る

噴出の湯けむり盛ん寒戻る

薬草湯浴みし我が身のかぎろへる

あるほどの雛見よとて骨董店

老いたればこそ存分の朝寝かな

服薬を忘れてゐたる四温かな

園丁の膝当て幾重薔薇芽吹く

一握の春の土盛り移植鏝

 

四月馬鹿  行方克巳

その人と思ふ老人彼岸寒

春宵のオスカー光る凶器めく

死に支度晏如よかりし山笑ふ

卒業をしたいさせたいしたくない

ふたりでもひとりでも同じつてこと四月馬鹿

うそのやうなほんとに笑ひ四月馬鹿

沈丁の闇より踵返しけり

日出づる国の黄砂の日もすがら

 

花辛夷  中川純一

藍深き蔵の半纏春灯

時ならぬ雪の梅みてカレー食ふ

呼び合へる鳥を仰げば花辛夷

母子像の背中を撫でて花の風

揚船のワイヤー鳴らし春一番

啓蟄や老にもありし一目惚れ

啓蟄やさつそくに糞転がして

春水を見てをり迷ひなき瞳

 

◆窓下集- 5月号同人作品 - 中川 純一 選

雪解風水の匂ひに包まるる
鴨下千尋

笹鳴や竹の耳掻き良く撓り
相場恵理子

金縷梅の梵字散らしに綻びぬ
山田まや

下萌やふつと尽きたる引込線
井出野浩貴

納札幸も不幸も綯ひ交ぜに
池浦翔子

滑りつつ凍りし道の早歩き
伊藤織女

梅三分絵馬に大きく志望校
小塚美智子

白梅やひたと開かぬ長屋門
帶屋七緒

光にも重さありけり返り花
竹見かぐや

白髪の光愛しみ初鏡
佐瀬はま代

 

 

◆知音集- 5月号雑詠作品 - 西村和子 選

自転車の籠に破魔矢の鈴鳴らし
松井秋尚

頰刺や昭和生まれとひとくくり
井出野浩貴

踏み出せば立春の風頰を刺す
牧田ひとみ

溜息の数だけ老いてはや二月
佐瀬はま代

煤逃も買物連れも喫茶店
高橋桃衣

走り根のくねりて乾き寒の内
大橋有美子

鉄棒も竹馬も駄目本が好き
影山十二香

いつよりか一人が楽し龍の玉
松枝真理子

福笹の鯛のぺこぺこ裏がへる
米澤響子

愛犬もシャンプーカット春を待つ
黒羽根睦美

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

虚子の歳まではと願ふ初詣
松井秋尚

七十代最後の年を迎えた作者の本音。高浜虚子の享年は八十五だったので、その年までは生きたい、しかもその春までは句を残している虚子を見習いたい、と願うのは俳人ならではの思いだろう。
昭和三十四年の四月八日に亡くなった虚子の最後の作は、

独り句の推敲をして遅き日を

だった。鎌倉の婦人子供会館は、最後の句会をしたところであり、そこの看板は虚子の筆である。私達も鎌倉の句会で、そこへ行くたびに虚子を思い、寿福寺のお墓に参る人も少なくない。

  

錦絵のごとく関取鬼やらひ
牧田ひとみ

相撲好きな作者ならではの作。相撲はスポーツというよりは興行であると私は思っている。ただ強ければいい、勝てばいいというわけではなく、美意識や品格を求めたいものだ。最近のお相撲さんで錦絵のような関取というと、遠藤とか大の里辺りだろうか。怪我をしても、包帯やサポーターを巻かないで土俵に上る美意識も貴重だと思う。
この句は、豆撒きに関取を招くような格のある場所なのだろう。立ち居振舞や顔立ちなどが錦絵のようだというのは、最高の誉め言葉だ。

 

 

日当りてほはと烟りぬ枯木立
影山十二香

枯木立を詠んでいるが、春が近い季節であることがわかる。芽吹きが近くなると、梢がほんのり色づき、けぶるようになる。見たままを詠んでいるにすぎないのだが、こうした微妙な季節の移り行きに気づくには、常に俳句を作ろうと自然に向き合っている姿勢が大切だ。