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知音 2025年11月号を更新しました


各駅停車    西村和子

金島の次は祖母島稲の波

霧飛ぶや太郎杉より四郎杉

草の露蹴りつつゆけば靴光る

調律の一音一音露しづく

葛蔓空き家と見るや侵しけり

馬追や宿題歯磨き終へし子に

城山へおし移りたり鰯雲

軒先に城を常住秋の風

 

ラバの血  行方克巳

 子規庵を訪う
律さんが欲しい糸瓜の花いちもんめ

吹かれ寄る紫苑の丈のなつかしき

赤とんぼねえやは知らず母はなき

雨風の七曜ありぬ種茄子

秋風のよきかな小人閑居して

二枚舌かんでしまへり秋の暮

ロバよりもラバの血われに秋高し

千里行くわれはラバたれ秋天下

 

法力 中川純一

オリーブの実に瀬戸内は今日も晴れ

長すぎし原稿縮め秋暑し

まくなぎや熊除け鈴の鳴りどほし

秋彼岸寺と学校隣りあひ

法力の及ばぬ秋蚊来ては刺す

毬栗や堰を落ちたる水平ら

妻をらず娘やさしき秋日和

秋風や虫魚も人も会ひ別れ

 

◆窓下集- 11月号同人作品 - 中川 純一 選

生と死は同じ数だけ蟬の穴
田代重光

パナマ帽父の煙草の匂ひかな
山本智恵

掃き寄せて骸の軽し秋の蟬
佐瀬はま代

ゼロメートル地帯染めたる夕焼かな
井出野浩貴

参道に果てて蚯蚓の草書体
池浦翔子

チェーホフの世阿弥の書架を蜘蛛自在
小倉京佳

自転車をドミノ倒しに初嵐
清水みのり

夏萩に盛りのありし盛り過ぎ
山田まや

父と子の端居に夕餉告げかねて
石原佳津子

大浅間小浅間夏の雲白く
江口井子

 

 

◆知音集- 11月号雑詠作品 - 西村和子 選

鉛筆の掠れ涼しき設計図
田中久美子

国道の白線かすれ原爆忌
井出野浩貴

サングラスはづす波音聞くために
松枝真理子

問い詰めてみても答へぬ金魚かな
立川六珈

尻尾より乾きそめたる蛇の衣
山田まや

宵山の句友句敵酌み交す
米澤響子

嫁終了妻母卒業昼の月
折居慶子

馬術部は美男子揃ひ青葉風
吉田泰子

人寄ればすぐに三線仏葬花
影山十二香

日盛を来て受付へ保険証
小野桂之介

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

雨だれは木琴の音走り梅雨
田中久美子

「雨だれ」というショパンのピアノ曲があるが、あの曲ほど激しいものではないのだろう。「木琴」の音と喩えたことで、懐かしさも加わる。昭和の子供達は、音楽の時間に木琴を叩いたものだが、現代の子供達にはそれほど親しみのある音色ではないだろう。ピアニカ以前の教材であった。
この句の要は「木琴の音」である。ピアノの音ではありきたりになる。雨だれを耳にした時、木琴の音のようだと聞き取った聴覚で勝負した俳句。毎日雨が降り続く梅雨時ではなく、梅雨の季節がそろそろやってくるという時期のものだから、説得力もある。このようにずばりと「木琴の音」と断定した点がよい

 

尻尾より乾きそめたる蛇の衣
山田まや

蛇の抜け殻を見かけた時、俳人の興味を持って見つめた句。とかく女性は、蛇だの虫だのを気味悪がる傾向があるが、句材として出会った対象を、逃げずに見つめた態度を見習いたい。注意深く観察していると、尻尾のほうから乾き出したのだろう。頭の中でこしらえるのではなく、実際に見て作った確かさがある。

 

熊蟬の大音声の大路かな
米澤響子

熊蟬の声は関西の夏の象徴だ。一匹でもかなりのボリュームで鳴き立てる。関西で暮らした歳月で、もっとも印象的だったものだ。
この句の大路は、作者の住む京都の都大路であろう。京都の猛暑が最高度に達するころ、祇園祭が始まる。この祭の源は疫病退散の祈祷であったから、千年以上前から盆地の暑さは人々をまいらせた。今回の一連の作品は、祇園祭に係わる季語であるから、その頃の京都で詠まれたものだろう。朝から、じゃんじゃんと京都の町中で鳴き立てる熊蟬を、迫力を持って描写している。