◆特選句 西村 和子 選
明易や病衣の腕のバーコード
宮内百花
投薬管理のために、腕に巻く形状のものと拝察いたしました。一句、即物的に詠まれていますが、17音のなかに、様々で複雑な感情が織り込まれています。バーコードを付与されたことで、自身が管理される対象になったことへの嘆きと自虐。病衣に象徴される拭いきれない不安と愁い。淡々とモノに語らせることで却って深い感情が描出されています。
「明易し」という季題の斡旋も極めて巧みです。夜の短さへの嘆きであり、眠れない夜への恨みも込められているように思えます。(中田無麓)
蜩や時折動く鹿の耳
鈴木ひろか
シャッターチャンスを逃さない写真家のような、観察の眼が行き届いている一句になり
ました。捉えどころが確かです。
一句のポイントは、緩急の場面転換の一瞬を鮮やかに切り取られたところにあります。
通奏低音のように流れる蜩の声は、安寧の時間であり、そこには緩和が生まれます。一方、鹿の耳が動くときは、往々にして、物の気配がしたとき、即ち、危険を察知した時です。にわかに緊張感が走り、一瞬にして場の空気は張り詰まります。
この緩急の繰り返しこそが生き物の営みであり、命終を迎えようとする蜩と相まって、
命をつなぐシーンに立ち会えた…。そんなことまで考えさせてくれます。(中田無麓)
筑波二峰彼方に青く稲の花
長谷川一枝
空間の広がりに何とも言えぬ爽快感が満ちている一句になりました。筑波嶺の双耳峰ま
で続く平野の広がりを悠揚迫らぬ呼吸で詠まれています。大景を詠む句が少ない現在において、こういった句づくりは貴重です。
かといって決して大柄な粗削りではなく、繊細に詠みこまれているのも掲句の特徴。
一つは、山塊のマクロコスモスから稲の花というミクロコスモスへの視点移動です。これにより季題の存在感が際立ったものになりました。今ひとつは色彩の対比です。山の青と稲の花のほのかな黄色が色相の際立った映像美を生み出しています。
(中田無麓)
地蔵会や文化四年の道しるべ
辻敦丸
おそらく関西の地蔵盆を詠んだものと見ました。有名な京都の地蔵盆では、地面に筵
などを敷いて場を設けます。そこに正座した時の視線のレベルが、ちょうど石の道標の高さになります。ふだんの目線では、存在さえ忘れてしまうような道しるべが、この位置からだと存在感を持って迫ってきます。
偶然だとは思いますが、文化四年という年号もポイントです。西暦では1807年。江戸
時代後期です。地蔵盆は、江戸時代に地域のコミュニティとして大いに賑わったと言います。そして明治になると廃仏毀釈の嵐の中、地蔵盆も一時廃れてゆきます。そんな時代のピークを道しるべの年号がモニュメンタルに語っています。掲句が時空の奥行に富んだ一句になった所以の一つでもあります。(中田無麓)
御席主の心尽くしの水団扇
千明朋代
一読して明らかなように、道具立てがとてもシンプル、眼前に存在しているのは水団扇
だけです。席主もその場にいるかいないか、明確ではありません。それでいて、一句には高潔な気品があります。水団扇という季題の斡旋が、実に当を得ているからです。
薄い雁皮紙にニスを塗った水団扇は透明感があり、いかにも涼しげです。昔は、水をく
ぐらせてから仰いだとも。
そんなに気を張らない茶会における席主のもてなしは心憎いばかりです。(中田無麓)
見はるかす関東平野夏霞
田中花苗
見はるかすとは「遙かに見渡す」ですから、関東平野の中ではなく、縁辺のどこかの
高みから詠んだものでしょう。気宇壮大、大景を詠んで間然しません。季題の斡旋が実に巧みで、薄青いベールのような夏霞ほど、関東平野の修飾に相応しいものはないでしょう。
日本では並ぶものなく広大な関東平野は、多くの俳人に詠まれています。その多くは、
広い平野とその中の点景によって一句が構成されています。人口に膾炙したところでは、【暗黒や関東平野火事一つ 金子兜太】が典型例でしょう。配合による句の構成は、王道の一つですが、掲句は季題自体が関東平野そのものの形容であり、そこに直球の清々しさを覚えます。(中田無麓)
ひと匙のゼリーの繋ぐ命かな
宮内百花
高栄養のゼリー状食品は、病人食・介護食ひいては、災害時の非常食としても、一般的
なものになりました。いずれのシーンを取っても「命を繋ぐ」と形容するに相応しい重みのある食品であることは間違いありません。
掲句に切実なリアリティを与えているのが上五の「ひと匙」という措辞です。看護ある
いは介護の切実な1シーンが想起され、読み手の胸に迫ってきます。(中田無麓)
秋蝉のかの一声は嘆きかな
福原康之
「かの一声」から、複数の種の多くが一斉に鳴いているさまが思い浮かびます。作
者はかなりの集中力を持って聴き分けていることがわかります。さもなければ、「かの一声」という措辞は思いつきません。言葉が思い浮かぶまで、五感を働かせる…。精進の成果と言えましょう。
一般的に秋の蟬は「儚さ」というイメージと対になっている印象があります。蜩はこと
にそのイメージが濃厚です。掲句ではそのラインを少し飛び越え「嘆き」とまで、強く表現されました。この言葉の踏み込み方こそが却ってリアリティにつながっています。
(中田無麓)
陸奥の旅の冥加や秋鰹
奥田眞二
旅先で出会った味覚の喜びを素直に平明に詠まれています。何のケレン味もなく、技巧
もこらさず詠み下しているところに、却って作者の心躍りが読み手に伝わってきます。
「冥加」という言葉が一句のポイントです。広辞苑に拠れば冥加とは「知らず知らずの
うちに神仏の加護をこうむること」とあります。些か古風で、大げさな叙法ですが、力のある言葉です。因みに「余禄」や「幸せ」と言い換えて見れば、その力の様がわかります。
あえて誇張気味な言葉を用いてはじめて、三陸沖産の脂の乗った秋鰹の味覚が、自ずから読み手に伝わってきます。(中田無麓)
蛍草抜かむとすればまたたきぬ
箱守田鶴
一句一章の詠み下しスタイルで、露草という季題の本意が描かれている一句になりまし
た。と同時に、可憐な花の佇まいと反する繁殖力の強さに戸惑いも拭えない、複雑な心の内も表現されていて、豊かなニュアンスを醸し出しています。
「またたく」という意思表示が一句の鍵。露草の諦念なのか、精一杯の抵抗なのか、い
ずれにしても作者と露草の間にはコミュニケーションが成立しています。花の意思を感じ取れることはやさしさでもあります。抜くことによるほのかな罪悪感を、童話のように描くことで、詩として昇華させることができました。(中田無麓)
秋暑しフルーツティーが甘すぎる
松井伸子
感受性豊かな一句になりました。この感覚が理解できるかどうかで一句の評価は異なっ
てくるでしょうが、怒りや糾弾ではなく、少し憂鬱でアンニュイなニュアンスの漂う中七下五は、季題の秋暑しを独創的に描いていると言え、その挑戦は大いに評価されるべきだと個人的には思います。
ことに下五。「甘すぎる」ときっぱり言い切ったところが潔く、若さを感じます。これがたとえば「甘くして」などと遠回しに言えば、秋暑しの形容としての力は弱くなり、一句の魅力は半減してしまいます。(中田無麓)
消息を聞くをためらふ残暑かな
松井伸子
一句の字面上には、わからない言葉は一つとしてありませんが、意味の上ではとても重
層。微妙なニュアンスが幾層にも重なり合っていて、そこが一句の魅力になっています。
ことに注目したいのは中七。「ためらふ」の主語が作者自身であることは明快ですが、その理由は複数考えられます。まず、自身の体力や健康上の問題で、もし悪い消息であれば、(精神的に)耐えきれるか自信がない。別のニュアンスとしては聞く相手に忖度が働き、対応に苦慮する。いずれにしても少しネガティブな感情なのですが、その匙加減が残暑という季題に呼応しています。そしてこの気分は読み手をしてウンウンと頷かせるに足る共感力を備えています。(中田無麓)
◆入選句 西村 和子 選
旅先の目覚めは早し糸繰草
(旅先の目覚めの早し糸繰草)
小山良枝
鈴懸の木陰に佇てば処暑の風
若狭いま子
帰省子のまづ愛犬に捕まりぬ
松井洋子
枝豆や母の口癖「そうだすけ」
長谷川一枝
新涼の遺影となりて笑み給ふ
水田和代
付添ひのベッドの固く秋の夜
木邑杏
磁力かな熊蝉ぴたと樹に帰る
(磁力かな熊蝉ピタと樹に帰る)
小松有為子
傘と句帳持ちて飛び出す二重虹
松井洋子
中ほどに雲をひと刷毛夏の山
松井洋子
念入りにかいつくろひて鶲翔つ
(念入りにかひつくろひて鶲翔つ)
田中花苗
空ばかり秋の気配の昨日今日
(空のみぞ秋の気配の昨日今日)
長谷川一枝
電線の垂れさがりたる野分あと
西山よしかず
夕月夜ロサンゼルスは今何時
田中優美子
新涼や猫の瞳の碧く濃く
(新涼や猫は瞳を碧く濃く)
長谷川一枝
畳屋の戸を開け放ち蚊遣香
五十嵐夏美
大文字点火の頃よ卓を拭く
(大文字は点火の頃よ卓拭きて)
小野雅子
閑散と涼し正午の百貨店
中山亮成
真夜中に遊ぶプールのぬるきかな
(真夜中に遊ぶプールのぬるさかな)
鏡味味千代
カレンダーめくってもまだ猛暑かな
釼持忠夫
端居して頂き仰ぐ山の家
深澤範子
朝風呂にかなぶん溺れゐたりけり
(朝風呂にかなぶん溺れてゐたりけり)
田中花苗
朝まだき虫の音ほそき草間かな
小野雅子
運河べり抜きつ抜かれつ赤蜻蛉
板垣源蔵
鬼百合や火の山眠る流人島
辻敦丸
夏の雲うつすらと紅帯びてゆく
藤江すみ江
バッグから出したり入れたり秋扇
(バッグから出入りはげしき秋扇)
平田恵美子
舟人と交はす挨拶今朝の秋
森山栄子
青年の髪の毛とがり花火の夜
福原康之
知己の減り係累の減り千日草
中山亮成
炎天をものともせずに子等走る
(炎天をものともせずに走る子等)
鎌田由布子
語り部の皺の深さや原爆忌
(語り部の皴の深さや原爆忌)
釼持忠夫
何処からも見ゆる天守や星月夜
飯田静
殿のねぶた一際撥猛る
福原康之
手術創また疼きだす秋の雨
田中優美子
秋草や草津白根は指呼の間
西山よしかず
淡海の小舟が散らす夏の月
(近江の湖小舟が散らす夏の月)
辻敦丸
ひもすがら病床に雲の峰見て
(ひねもすを雲の峰見て病床に)
藤江すみ江
秋の波足裏の砂を引いてゆく
板垣もと子
炎天やはせをの道をわが辿り
辻本喜代志
土用波立ちて波打ち際静か
箱守田鶴
子供らに近道尋ね秋遍路
(子供らに近道尋ぬ秋遍路)
西山よしかず
町なかの小さき公園百日紅
飯田静
もてなしの浴衣揃への茶会かな
千明朋代
蜻蛉の一歩踏み出すごとに増え
田中花苗
ポストから封書はみ出し秋暑し
鈴木ひろか
炎天下打って走って泥まみれ
鎌田由布子
いなびかり夫と宇宙の話など
長谷川一枝
誰にでも尾を振る犬や秋暑し
森山栄子
天高しジーンズ突つ張つて乾く
(天高しジーンズ突つ張りて乾き)
箱守田鶴
池巡る間にも睡蓮開きたる
飯田静
新馬鈴薯や北の大地の風運ぶ
中山亮成
アスファルト白く乾きて風は秋
板垣もと子
七夕茶会竹の菓子器に竹の箸
千明朋代
四方よりぐんぐん迫り雲の峰
(ぐんぐんと四方より迫り雲の峰)
田中花苗
送りまぜビルに大蛇のごとき雲
佐藤清子
くっきりと海より立てり秋の虹
平田恵美子
一匹の蟻さへも見ぬ秋暑かな
巫依子
てんでんに揺れ夾竹桃の鬱陶し
五十嵐夏美
秋の灯の流るる祇園巽橋
奥田眞二
バス待つや逃るすべなき大西日
(バス待つや逃るべくなき大西日)
田中花苗
蜩や人恋しさのいや増して
田中花苗
思ひっきり振つて三振夏了る
深澤範子
大花火パバロッティの歌にのせ
鈴木ひろか
花氷子の手のとどくところ痩せ
箱守田鶴
立秋の雲ぐんぐんと筑波山
穐吉洋子
看護師の声やはらかき夜の秋
田中優美子
好物の餡パンひとつ盆供かな
巫依子
帰るさの船を待つ間のかき氷
巫依子
◆今月のワンポイント
「遠近法を取り入れる」
遠近法とは言うまでもなく、絵画などで遠近感や立体感を表現する技法のことですが、
俳句空間においても言葉の力で、奥行を持たせることは有効な作句技術です。俳句に比較的近い写真を例に挙げれば手前と奥の被写体の位置関係を意識することとほぼ同意です。
有名な例句としては、
貝こきと噛めば朧の安房の国 飯田龍太
などが、遠近法を意識した句の好例と言えるでしょう。
今月の特選句の中では、
筑波二峰彼方に青く稲の花 長谷川一枝
が典型例と言えます。筑波嶺という大景が稲の花を配することで、より細やかな表現に結実しました。
遠近は空間だけではありません。時間軸に遠近を設けても、奥行のある一句を成すこと
は可能です。
地蔵会や文化四年の道しるべ 辻敦丸
で明白なように、現代の景に過去を配することで一句の深みが増しています。
作句の際には遠近法を意識に入れておいて損はないと思います。
中田無麓