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◆特選句 西村 和子 選

ゆるゆると夜へ流るる春の雲
松井洋子
伸びやかに浮かぶ春の雲を眺めていると、寒い間緊張していた体も心も緩む。
空が暮れていくのも、雲が流れるのもゆったりとして、他には動くものもないような遅日の夕暮を、「夜へ流るる」と表現したところがこの句の眼目。
穏やかで何事もなく終わろうとしている一日、作者の心の落ち着きも感じられる。(高橋桃衣)

 

シスターのひそひそ話春めけり
五十嵐夏美
水が温み、木々が芽吹き、万物が息を吹き返す頃、人も活動的になる。
作者は、シスターが仲間と内緒話をするかのように話している様子を見て、春らしくなったなあと感じた。修道生活を送り、一人静かに歩く姿が印象的なシスターだからこそ、より感じたことだろう。(高橋桃衣)

 

いつもよりゆっくり歩く春の宵
鎌田由布子
取り立てて急いで帰ることもない。大気も生暖かい。花の香もする。「春宵一刻値千金」と言われる春の宵だ。遠回りするほどではないけれども、少しゆっくり歩いて帰ろう、という心の華やぎが伝わってくる。(高橋桃衣)

 

雪残り富士の襞までつまびらか
鏡味味千代
「富士の雪解」は夏の季語だが、この句は、雪が解け始めて、ごつごつとした縦の筋と山肌がはっきり見え出す頃の富士山の様子だろう。「つまびらか」で、富士山の全容が眼前に浮かぶ(高橋桃衣)

 

浮かびたる言葉とけゆき春の雲
小野雅子
棚引くような春の雲はもちろん、ぽっかりと浮かんでいる雲も、冬のような硬さはなく、ほぐれては空にとけていく。
作者は句を案じて雲を見つめていたのだろう。そこでふと浮かんだ言葉は、春の雲のように空にとけていってしまったのだろうか。頭の中に浮かんで、消えていったのかもしれない。
長閑な春の、少々ぼうっとした気分を楽しんでいる作者である。(高橋桃衣)

 

トンネルを出で春の闇さらに濃く
鏡味味千代
トンネルの中は、街灯がついていても暗いが、トンネルを抜けたところは、街灯もない、月も出ていない本当の闇だ。しかし、木々の匂いがする。花の香りもして、瑞々しい感じがするという。
「春の闇」とはそういう闇である。ちなみに、「冬の闇」「夏の闇」「秋の闇」など、他の季節では使われない。(高橋桃衣)

 

風光る千本松のその先へ
福原康之
「千本松」とは、たくさんの松が綺麗に植えられているところ、あるいはその松の木をいうが、春の光に満ちた松林に、風が吹いているだけではなく、その松林の向こうまで風が渡っていくと描写したことで、広い、まばゆい光景が目に浮かんでくる。(高橋桃衣)

 

早梅の小枝を揺らす番かな
森山栄子
「早梅」は晩冬の季語で、「冬至梅」のような種類ではなく、冬のうちに早々咲き出した梅のことをいう。
春を待てずに咲き出した梅の木に、小鳥が二羽来ている。目白の番だろう。次々と梅の花の蜜を吸っている様子を、「小枝を揺らす」とポイントを絞って表現したことで、鳥の蜜を吸う姿も、鳥影も見えてくる。春はもうそこまで来ている、という明るさも感じる。(高橋桃衣)

 

転読の声天界へ節分会
三好康夫
節分会の読経が響き渡っている。それを「声天界へ」と言い切った表現が効果的。まるで天に届くかのように、などと遠慮っぽく言うと説明的になる。この表現で、声の強さも、辺りに満ちていることも伝わる。
読経が終わると、いよいよ豆撒きが始まる。(高橋桃衣)

 

氷瀑をくねらせ龍の滑りくる
佐藤清子
「氷瀑」は寒さで凍りついた瀧のこと。時間をかけて凍るため、何層にもなっていて、透き通った氷の塊というわけではない。作者が見ている氷瀑は、まるで龍がくねっているかのような模様になっているのだろう。時が止まったかのような氷瀑を、龍が体をくねらせながらつるつると滑り降りてくるとは、楽しい発想だ。
私にはこう見える、とはっきり表現することで、見たことのない読者は想像することができる。(高橋桃衣)

 

一握の藁に始まる野焼かな
奥田眞二
「野焼」は初春の季語で、野や土手や畑などの枯草を焼いて、土の栄養とし、新しい草の出をよくしようというもの。
一握りの藁に火をつけて、そこから次々と火が広がっていくということを、要領よく17音で描いた作品。
山火事が日本でも多かった今年、野焼が原因でないことを祈っている。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

節分の鬼より貰ふ菓子袋
(節分や鬼より貰ふ菓子袋)
片山佐和子

点滴を終へて見上ぐる春夕焼
松井伸子

不忍の池に一泊鳥帰る
石橋一帆

雉子の声遠くに聞こゆ春寒し
(春寒し遠くに聞こゆ雉子の声)
深澤範子

小流れは今も変はらず蕗の薹
松井洋子

下萌や向かうの畦も萌えそめし
小野雅子

水仙や幽き風に揺れ止まず
飯田静

探梅の山の向かうも空青し
松井洋子

春の雪センサーライトまた灯り
松井洋子

クロッカス黄色いきなり笑ひ出し
(クロッカス黄色いきなり笑い出し)
佐藤清子

囀りを聴くために来るカフェテラス
(囀りを聴くためにゐるカフェテラス)
片山佐和子

豆皿に遊ぶ唐子や春隣
森山栄子

鈍色の空を擽る欅の芽
中山亮成

焼き立てのキッシュ菠薐草の深緑
木邑杏

雛壇の小さき調度にひざまづき
(雛展小さき調度にひざまづき)
水田和代

顔に母のおもかげ雛飾る
片山佐和子

山巓へ料峭の雲ちぎれゆく
(山巓に料峭の雲ちぎれゆく)
若狭いま子

文机に朱の絹一枚雛飾る
(文机に朱の絹一枚雛飾り)
箱守田鶴

幾たびもカード占ひ春灯
鈴木ひろか

水草生ふところどころに泡浮かみ
(ところどころ泡の浮かみて水草生ふ)
板垣もと子

朧夜の誘導灯の見え隠れ
鎌田由布子

春耕の土ふかふかと甘さうな
松井伸子

まんまるにはなびら重ね梅つぼみ
(梅つぼみはなびらまんまるに重ね)
板垣もと子

留守番を雛に任せ入院す
松井伸子

探梅や獣道より人の声
松井洋子

台所夫に任せ春セーター
鏡味味千代

長閑けしや米つぶ撒けばすずめ来て
(長閑けしや米つぶ置けばすずめ来て)
石橋一帆

天神の梅より白し綿帽子
箱守田鶴


北 海  西村和子

朝まだき乗継空港春いまだ

いちはやく春風察知管制塔

地平まで田園霞む離陸かな

拳上げ意気軒昂や大枯木

飛行機雲縦横斜め春浅き

春遠からじ北海の潮境

寒風はぶつかり潮目混りあふ

窓競ふ右岸左岸の冬館

 

旅ひとり  行方克巳

料峭やことばさがしの旅ひとり

日めくりのあつけらかんと二月尽く

若布刈舟息つぐごとく傾ぎけり

文庫本忘れな草を栞りけり

雛あられむさぼるごとし老いぬれば

てのひらの残像として雛あられ

ガラスペンもて描く未来卒業期

梯子一つ一つ外され卒業す

 

巣 箱  中川純一

出展の油彩仕上がり春立ちぬ

バレンタインデーのパンプス鳴らし来

東京を吹き飛ばしたる春一番

弁当に輝く卵春立ちぬ

囀の八連音符小止みなく

白梅に目白の逆さ縋りかな

まだ覗かれずあり新しき巣箱

霜柱扇びらきに倒れたる

 

◆窓下集- 4月号同人作品 - 中川 純一 選

初鏡背ナより妻に覗かれて
小野桂之介

遺伝子のつくづく不思議初鏡
松枝真理子

二階まで行つたり来たり小晦日
佐瀬はま代

初鏡かの世の人の声のして
佐貫亜美

松過ぎのほこりしづめの雨となり
影山十二香

簪のくれなゐ仄と初鏡
清水みのり

幼子の声よくとほり三が日
大塚次郎

チアリーダーどつと乗り来る七日かな
小塚美智子

鉋屑くるくる日脚伸びにけり
井出野浩貴

振り子めく自問自答の冬ざるる
岩本隼人

 

 

◆知音集- 4月号雑詠作品 - 西村和子 選

枯蓮たふるることもあたはざる
井出野浩貴

蒼穹を引つ掻き鵙の去りにけり
藤田銀子

鳥海山静かに在す小春凪
石田梨葡

しばらくの閑話に炉火の蘇る
山田まや

寒禽のしぼり切つたる声放つ
米澤響子

神の留守電話の声のしよぼくれて
𠮷田泰子

にほどりにむつかしき顔見られけり
立川六珈

試みの一句も投じ初句会
松枝真理子

夜半の冬初学のノート読み返し
田中優美子

花壇には入れてもらへず石蕗の花
三石知佐子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

亡びしか亡ぼされしか冬の月
井出野浩貴

廃墟を冬の月が寒々と照らしている光景を想像した。国の内外を問わず、かなり文明や文化が発達した痕跡のある場所が、今は廃墟になっていることがよくある。何らかの理由で自ら亡びたのか、外敵に亡ぼされたのか、歴史の奥へ思いを馳せている句と読んだ。
数年前の疫病の世界的流行の折、ウイリアム・マクニールの「疫病と世界史」を読んだ時、今までの世界史観が覆された思いがした。文明や武器が発達した国が、未開の民族を亡ぼしたと思っていたものが、実は免疫のない国へ疫病を持ち込んだことで、民族が亡びてしまったという歴史があったことに、それまで気づかなかった。
この句はかなり抽象的なことを言っているようだが、冬の月に照らし出された廃墟を思い浮かべることができる、深い作品だと思う

  

たま風や逃げ足早き波頭
石田梨葡

「たま風」とは、日本海沿岸に西北から吹く季節風。「たま」とは、西北に集まって住む「亡魂」のことで、柳田国男の説によると、この悪霊が吹く風の意味、と歳時記にある。「たま風六時間」と言われ、それほど長続きしないそうだ。山形県在住の作者ならではの作品。
「雪迎へ」とか「白鳥」とか「地吹雪」などとともに、地元の人しか体験できない季語を、もっと積極的に詠んでもらいたい。この句の勢いと速さは、長続きしない季節風を実に的確に描写している。

 

ポップコーン匂ひスケートリンク開く
𠮷田泰子

子供たちが集まる、冬場だけ開かれる臨時のスケート場であろう。私の住む二子玉川にもあるので、この光景は非常によくわかる。ポップコーンといえど、最近はキャラメル味やチョコレート味が人気らしく、休日の昼間はその香りが満ち満ちている。スケートと言っても、上手な子たちが幅を利かせているわけではなく、全くの初心者が楽しんでいる場所であろう。そうした場所柄を嗅覚によって描いた点が、この句のポイント。