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◆令和6年1月6日(土)梟の会の参加者の一句◆

弾初や半音階を駆けのぼり
青木あき子

散るさまも競ひ双子の大銀杏
佐野すずめ

初稽古掛け声合はせ並びけり
布川礼美

お台場を縫ふモノレール冬夕焼
稲畑実可子

ふるさとを此処と定めむ初景色
田中優美子

ふれ合はず離れずひと日浮寝鳥
松枝真理子

船宿の賑はひも絶えゆりかもめ
井出野浩貴

◆特選句 西村 和子 選

踏切に貨車が零せし氷雪
辻本喜代志
踏切のあたりに氷雪が落ちているのを見て首を傾げたのでしょう。通り過ぎた列車を見ると貨物車で、きっと北国から荷物を運ぶ途中、屋根から氷雪を落としたのだと思い当たったのです。アンテナを張っていれば、踏切を待つあいだにも句材を拾うことができるのですね。(井出野浩貴)

 

献燈は落語協会梅まつり
小山良枝
見たままをはからいなく詠んだ自然体の句です。季語「梅」が生き生きしていて、早春の喜びを伝えてくれます。けれども、これがもし「桜」だったら、ややうるさい感じがするかもしれません。自然体とはいえ、無意識のうちにセンサーが働いている句です。(井出野浩貴)

 

沈丁花やオフイス街は三連休
箱守田鶴
こちらも自然体です。連休でひっそりしたオフィス街を通りかかったとき、「沈丁花」の香りに驚いたのです。人通りの多い平日は、なかなか花に立ち止まる余裕もないことでしょう。(井出野浩貴)

 

春風や紙飛行機を遠くまで
松井伸子
おだやかなあたたかい「春風」に紙飛行機が似合います。ほんわかとした幸福感を感じればよいのですが、そこには春愁の気配もあります。「紙飛行機を遠くまで」飛ばすとき、遠く過ぎた子供の頃、父も母も若かった頃も思い出されるかもしれません。(井出野浩貴)

 

住職は二十七代梅の花
鈴木ひろか
戦乱などで系譜がたどり切れない寺も多いようですから、二十七代とはっきりわかるのは稀有なことでしょう。この「梅の花」も何度か植え替えられたものでしょうが、寺の伝統を受け継いでいるかのようです。季語の清らかさが寺のたたずまいを語ります。(井出野浩貴)

 

北上川曇りのち晴れにはか雪
辻本喜代志
岩手県から宮城県を流れる北上川、その地名が効いています。実際の天気予報のフレーズだったかどうかはわかりませんが、土地柄が伝わってきます。何よりもリズムのよさが魅力的です。(井出野浩貴)

 

春時雨橋を渡りて下鴨へ
小野雅子
この句も下鴨という地名が効いています。町名でもありますが、おのずと古都を代表する下鴨神社が思い浮かびます。橋の下を流れる賀茂川の水、通り過ぎてゆく「春時雨」、いずれもしっとりと古都を包み込んでいます。(井出野浩貴)

 

福寿草ひとつが咲いて百咲いて
佐藤清子
「ひとつ」の次がいきなり「百」というのが表現の妙です。リズムがよく、いかにも春を呼ぶ花という感じがします。「たんぽぽ」でもよさそうですが、それではいささか庶民的すぎるでしょう。この句は新年の季語「福寿草」が効いています。(井出野浩貴)

 

東京の夜景煌めき冴え返る
鎌田由布子
「冴返る」は立春を過ぎたあとにぶり返した寒気のことですから、両義的です。この句についていえば、ふるえるような寒さの中に煌めく夜景でもあり、ようやく訪れた春を喜ぶように煌めく夜景でもあります。東京そのものが明暗、善悪と常に両義的な顔を見せる街ということかもしれません。(井出野浩貴)

 

空き部屋の真夜のもの音冴返る
若狭いま子
「冴返る」には、五感が研ぎ澄まされる感じがあります。かすかな「真夜のもの音」をとらえたのも、冷え切った空気があればこそです。詠んでいる内容は異なりますが、加藤楸邨の「冴えかへるもののひとつに夜の鼻」を連想しました。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

芽柳や浮御堂まで橋二つ
木邑杏

春雨の長崎の街窓の下
水田和代

古看板半分剥がし春疾風
若狭いま子

朽葉もたげ萱草の芽のうすみどり
田中花苗

雨風に打たれし夜も冬牡丹
(雨風に打たれし夜あり冬牡丹)
藤江すみ江

紅に染まりて一人梅の道
三好康夫

誰よりも深々と礼初稽古
(誰よりも深く礼する初稽古)
田中優美子

堰越ゆる飛沫らららら暖かし
小野雅子

土を持ちあげ片隅の蕗の薹
(土を持ちあげ庭の片隅蕗の薹)
若狭いま子

菜の花や山の斜面の滑り台
鈴木ひろか

永き日や待合室に手話弾み
松井伸子

東雲の色ほのかなり冬牡丹
藤江すみ江

駅までを歩きて別れ春の雨
(駅までを歩くと別れ春の雨)
小野雅子

石段に弁当つかひ春の雲
小野雅子

栗鼠跳んで椿零るる切通し
田中花苗

福寿草竹ひごをもて囲ひたる
(竹ひごをもて囲ひたる福寿草)
福原康之

春風や嵐電暇さうに走り
荒木百合子

梅林を鳥の泳いでをりにけり
小山良枝

おつとりとゆつくりと咲くうちの梅
荒木百合子

針箱に母の手紙や春浅し
森山栄子

ゆふぐれの紅梅色を深めたり
小山良枝

老幹を嬉しがらせよ梅真白
巫依子

菜の花や声の明るく保育園
飯田静

若緑三百年の松雄々し
中山亮成

春立つや奥の細道書写始む
千明朋代

梅散るや作務僧会釈して去りぬ
(梅散るや作務僧会釈して去れる)
田中花苗

残る鴨一直線に水脈を引く
(残る鴨湖一直線に水脈を引く)
木邑杏

自転車をドミノ倒しに春一番
(自転車をドミノのごとく春一番)
福原康之

心許なき傘を手に雪風巻
福原康之

潮風の渡る離宮の花菜かな
飯田静

春来る何も打ち明けられぬまま
田中優美子

春兆す駆けまはる子の耳真つ赤
松井洋子

外套も着ず忘れ物届けくれ
藤江すみ江

うららかやあひるめんどり飼はれゐる
(うららかやあひるめんどり飼はれゐて)
松井伸子

梅まつり何処から来たと問はれけり
鈴木ひろか

春の雪バロックギター音厚き
(音の厚きバロックギター春の雪)
宮内百花

上機嫌なる人声や春立てり
藤江すみ江

 


浅 春  行方克巳

孫弟子のわれも傘寿や風生忌

死出の旅も三日の旅も春浅き

菜の花に泛きぬ沈みぬしてふたり

春の闇ひとりつきりぢゃないつてこと

この半畳踏めば奈落か春の闇

勿とわれ倶利迦羅紋々春の夢

一蓮托生とはぼう/\と火の目刺

愚に近く大愚はるけし目刺焼く

 

乾 坤  西村和子

夜逃の荷嗅ぎまはりをり冬の蠅

冬の蠅鬼の獅子鼻舐りをり

冬の蠅博物館の死臭恋ひ

冬の蠅動かず定説覆る

春聯の乾坤の二字淋漓たり

ターミナル春装旅装入り乱れ

表彰の舞台へ雪沓の少女

スカートに靴に春色いちはやき

 

風生忌  中川純一

自転車の鍵に鈴つけ春隣

玄米の炊くる香りも春立ちぬ

枝垂梅目白を呼んで人呼んで

長閑けしや犬が寝言でキャンと吠え

我いまだ古稀のひよつこ風生忌

その顔施がんせいまも心に風生忌

且つて我をとみかう見せし風生忌

さうかねと目が笑ひをり風生忌

 

 

◆窓下集- 4月号同人作品 - 中川 純一 選

墨の香に満ちゆく朝初硯
佐瀬はま代

無為と言ふひと日よかりし十二月
福地 聰

杯洗の所作美しき年酒かな
藤田銀子

寒紅をさしてひとりの今日始まる
山田まや

母の事やうやく泣けて年の酒
山本智恵

夫在さばと四代のクリスマス
村地八千穂

初日の出額真つ直ぐに射抜かるる
小野雅子

三日はやいつものハノン聞こえ来る
佐藤二葉

店番のやかん湯気立て築地市場
茂呂美蝶

うたた寝の間に初雪の降りて消え
佐竹凛凛子

 

 

◆知音集- 4月号雑詠作品 - 西村和子 選

群青の海の広ごり初句会
前山真理

流行歌如きに泣けて室の花
井出野浩貴

名優の衰へまざと初芝居
佐貫亜美

綿虫の滝音に吸ひ込まれゆく
影山十二香

簡潔に言書き換へ除夜の鐘
折居慶子

極月の駅にランプを売る男
中津麻美

日に透けて蔭を孕みて寒牡丹
牧田ひとみ

雛選ぶ兜の似合ひさうな子へ
高橋桃衣

神頼みしてより向かふ初句会
藤田銀子

御慶そこそこ問診の始まりぬ
廣岡あかね

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

日の差して絹の輝き寒牡丹
前山真理

写生の基本を踏まえた句。ものを描こうと思って寒牡丹に取り組むとき、何句も作ってみることが大切。第一印象の句が成功する場合もあるし、九句目、十句目に何かを発見する場合もある。
この句の場合は、最初に見たときには日が翳っていたのだろう。同じ花の前に腰を据えていたところ、日が差して来た。その時、花の色が鮮やかに輝いた。まるで絹織物のようだと思った時、この句ができたに違いない。「絹の輝き」は見ていない人にも色艶が伝わる美しい比喩だ。絹のようだとか、絹みたいだと直喩になっていない点も学びたい。

 

 

眼裏に焼きつくは白寒牡丹
佐貫亜美

同じ寒牡丹を詠んでいるが、これは眼前のものではなく、少し前に見た印象を詠んだもの。色とりどりの寒牡丹が、まさに妍を競うように咲き誇っていたが、最も瞼に残った、つまり心に残ったのは白であったという点がポイント。科学的に見たら、鮮やかな赤や牡丹色が目裏には残るのだろうが、この句はそういった現象を言っているのではない。寒牡丹の美に触れた後でも心に残ったのは、清潔で儚げな白である。

 

春近し宇宙基地とは段ボール
影山十二香

子供の遊びを描いた句。宇宙基地から発進するとか、宇宙基地に戻れとか言っているので覗いてみたら、それは段ボールのことだった。季語から察するに、おそらく家の中で遊んでいるのだろう。幼い子供というものは、こうした小さな入れ物を、宇宙基地とか秘密基地とか船などの乗り物に見立てて遊ぶのが大好きだ。春になったら外で遊ぶにちがいない子供の空想力と生命力が感じられる。