忘草ひとつ明るく離れ咲き
松井伸子
「知音」2021年10月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2021年10月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
「知音」2021年10月号 知音集 より
「知音」2021年10月号 知音集 より
「知音」2021年10月号 知音集 より
「知音」2021年10月号 知音集 より
「知音」2021年10月号 知音集 より
「知音」2021年10月号 知音集 より
閑居して不善なすなり花は葉に
花大根泳ぐごとくに少女らは
潮干狩追ひ立てられしごとく散り
潮干狩父をはるかにしたりけり
豊饒と鬱の五月の来りけり
パレットの緑あまさず五月来る
ほのぼのと昏れて昭和の日なりけり
元寇の昔ありけり水馬
若葉跳ぶ横須賀線も久しぶり
沿線の若葉歓喜の声を上げ
雨霧のうすれきたりし懸り藤
切通しひとすぢ違へ懸り藤
展望の春山不変虚子御墓所
矢倉墓藤の散華の昨日今日
谷戸深き雫仰げば懸り藤
木下闇謎もろともに葬られ
すぐそこに父の享年昭和の日
還らざる鉄腕アトム昭和の日
今もなほ五時にはチャイム昭和の日
少年は何でも博士潮干狩
ちょい悪のパパも家族と潮干狩
うつけ者なるぞよ山の蠛蠓は
いやらしく舌ひんまがり蝮草
飛花落花峯の薬師の鐘撞ける
縫初や入歯となりし糸切歯
山田まや
母の雛子の雛飾り昼ひとり
高橋桃衣
露天湯の先は混浴山笑ふ
染谷紀子
焼べ足して話の続き春暖炉
森山淳子
峰々を結ぶ鉄塔山笑ふ
青木桐花
入日影鍬ふりあぐも春景色
吉田しづ子
鬼やらひ我が家に鬼は己のみ
折居慶子
山笑ふ孔雀は羽で息をする
影山十二香
駅弁の紐の薄紅春めけり
佐瀬はま代
早春や幼の三トン未だ取れず
村地八千穂
二個焼いて二個とも我の雑煮餅
吉田林檎
人づてに訃音のとどき春の雪
井出野浩貴
希ふ窓の明るさシクラメン
高橋桃衣
学帽の角のふつくら春の風
志磨 泉
みづうみに中洲を残し鳥帰る
井戸ちゃわん
冬深し眠ることふと恐ろしく
山田まや
しわくちやの解答用紙冴返る
菊池美星
待ち合はす文楽劇場春の雪
岡本尚子
春の野を転がり帽子楽しさう
亀山みか月
をさな子の声沈丁を驚かす
立川六珈
「しはぶき」は動詞だろう。職場を休む時、約束が果たせない時、締切に遅れる時、言い訳をしながら咳をすると、電話口でも説得力が増す。そこまではよくあることだが、この句の後半は現在の疫病の世界的感染拡大と多いに関わりがある。会議室など人前で咳が出たとき、感染症ではないということを慌てて言い訳しなければならない。ちょっと水が喉につかえてとか、温度差に気管支が反応してとか、新型コロナの症状ではありませんよという言い訳を私達はずいぶんしてきた。
言い訳するときに咳をする。咳をしても言い訳をする。そのおかしさに興じた句。こんなことも現代の世情なればこそ俳句になった。
この句は六十代最後の誕生日という点が物を言っている。一般的には六十代の終わりといえば子育てはとっくに終わり、子供のために朝食を作ってやる母親の仕事から解放される。両親もすでに見送っている人が多い。「子供が終わると親に手がかかる」とは、私達女性がよく口にしたり耳にしたりしたことだが、親を見送った後は自分に手がかかる。六十九歳はそれまでにはまだ間があるといったところか。
朝寝をしても家族の誰にも迷惑をかけない。そんな時期が来たことを多いに楽しんでいる句だ。
脚本に手擦れがあったり折癖がついていたりする、ということは演劇人のものだろう。季語から察するに、これから上演されるものではなく、過去のものと思われる。どこかに展示されていたものか、自分のかつての活動に関わるものか。
「鳥雲に入る」という季語は、冬鳥が春になって北へ帰って行くときの様子をいうものだが、実際の景よりは月日の流れや人生の感慨を託す季語として用いられることが多い。こんなにまで脚本を常に手にして覚えたり確認したりした日々を懐かしんでいるのか、遙かに思いやっているのか。
「知音」2021年10月号 窓下集 より