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◆令和5年11月11日(土)梟の会の参加者の一句◆

鳰潜り水の輪岸に届きけり
(鳰潜り水の輪岸に届きたり)
青木あき子

走り根に沿ひて湧きたる茸かな
佐野すずめ

夜空へと消えゆくけむり秋深し
(夜景へと消えゆくけむり秋の夜)
稲畑実可子

枝豆や七回裏で帰らうか
北村季凛

秋の日が美しすぎて大嫌ひ
田中優美子

黒胡麻をたつぷりかけぬ冬はじめ
(黒胡麻をたつぷりかけて冬に入る)
宮内百花

冬隣礼拝堂の椅子かたき
松枝真理子

うそ寒や見てもわからぬ心電図
井出野浩貴

◆特選句 西村 和子 選

安政の天守令和の煤払ふ
松井洋子
江戸時代には多くの城に作られていた天守ですが、現存しているのは十あまり。これは安政に再建された伊予松山城の天守でしょう。
この句の工夫は、「安政」「令和」という元号で天守の最初と今を、そしてその間を見てきた天守と1年分の埃を、対句の形で描いたことです。
「安政の大獄」など、幕末の動乱からもう170年。近代化後の日本の様々な歩みを思わせます。(高橋桃衣)

 

軋みつつ傾く車窓冬の濤
松井洋子
電車が「軋」む時のキーキーした音が、「軋み」「傾く」の「K」音からも湧き上がってきます。カーブを曲がる窓の向こうには激しい冬の濤。厳しく荒涼とした海辺も見えてきます。多くを言わないことで、読み手に想像させる句。(高橋桃衣)

 

失敗も悔いも句材や年歩む
田中優美子
小さな感動を書き留めましょうとよく言われますが、辛いことはパスしてしまいたいもの。でもあえてそれを句にしようと思うとは、自分を客観的に見ることができ、俳句という表現手段を自分のものにした証拠です。
本音で作った句は、読み手の心に刺さります。読み手を振り向かせます。
背筋を伸ばして新しい年に進みましょう。(高橋桃衣)

 

しぐるるや比叡みるみる遠ざかり
荒木百合子
しぐれてきて比叡山が見えなくなったことを、「みるみる遠ざかり」と表現したことで、今まで眼前にはっきりと見えていた比叡山がはるかになっていく、という時雨の降り様が想像できます。時雨といえば京都、その情緒を感じさせる句です。(高橋桃衣)

 

高々と晴れて伊吹の雪いまだ
藤江すみ江
私のように関東に住んでいる者には、新幹線で関ヶ原を越える車窓から覗く伊吹山ですが、名古屋や濃尾平野の人々にとっては「伊吹おろし」という寒風の源、身近な山でしょう。
今日の晴れあがった空の向こうにくっきりと見える伊吹山に、まだ雪はありません。でもそろそろ白くなるのだろうなと思うような風が吹き抜け、日差しは明るくても冬の到来を感じる頃なのだろうと想像されます。(高橋桃衣)

 

腕時計ちらと見る人暮早し
鈴木ひろか
すっと暮れていく冬の夕方は、急に寒くなり、淋しく、なんとも落ち着かない一時です。腕時計をちらと見た人も、辺りの急激な変化にはっとし、心許なさも覚えたのではないでしょうか。そんな気持が、腕時計をちょっと見るという具体的な仕草から、浮かび上がってきます。(高橋桃衣)

 

降り立てば初雪見上ぐれば美空
板垣もと子
電車を降りた時に、初めて辺りに敷いている雪に気づいたのでしょう。この雪は作者にとっては今年初めての雪。なんてきれいなんだろうと感じた作者の心が出ています。晴れわたった青空と、雪の清浄な白さの対比が印象的な句。(高橋桃衣)

 

四つ角に台車ぶつかる節季かな
小山良枝
「節気」は季語では歳末のこと。正月用品を買う人の波が毎年テレビで紹介されるアメヤ横丁のようなところを想像しました。客もすごい数ですが、店の人も次々と商品を運び込んでいるのでしょう。賑う様子を具体的に一つ描くことで、全体の熱気まで伝わってきます。(高橋桃衣)

 

鼻歌は六甲颪ねぎ刻む
鏡味味千代
38年振りに2度目の日本一に輝いた阪神タイガーズ。作者はファンなのか、それとも調子が良く覚えやすいので、テレビに溢れて耳に焼き付いてしまったのかもしれません。
葱を刻むのもリズムよく、料理も、へい、お待ち!と出来上がったようです。(高橋桃衣)

 

サキソフォン深く静かに十二月
田中花苗
今年中にせねばと気持も忙しくなる「師走」ではなく「十二月」としたことで、この一年をゆっくり顧みる作者が想像されます。
公園で練習しているテナーサキソフォンでしょうか。あるいはCDやコンサートなのかもしれませんが、静かに独奏しているサキソフォンの低音が辺りを震わせ、作者の心に語りかけてくるかのようです。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

介護士の一心にチェロクリスマス
(一心にチェロ弾く介護士クリスマス)
若狭いま子

一夜にて白一色や初景色
(一夜にて白一色に初景色)
深澤範子

病室も電灯消してクリスマス
三好康夫

暖簾潜る時枇杷の花ふと香り
(暖簾を潜る枇杷の花ふと香り)
木邑杏

水占の文字じわじわと野菊晴
藤江すみ江

親友とハグして別れ大晦日
田中優美子

煤払掛け声揃ふ大手門
三好康夫

不景気と云へど賑はふ街師走
(不景気と云えど賑はふ街師走)
穐吉洋子

投票を済ませ入院年の暮
五十嵐夏美

数へ日や何か忘れてゐるやうな
鈴木ひろか

冬薔薇魔女の一撃食らひけり
奥田眞二

なだらかな富士の稜線冬夕焼
鎌田由布子

社会鍋現る銀座四丁目
小山良枝

末枯や遠くに選挙カーの声
五十嵐夏美

初雪のスキポール空港旅一人
(初雪のスキポール空港一人旅)
鎌田由布子

寒波来る盛塩固く尖りけり
小山良枝

朝まだき生きよ生きよと寒鴉
(朝まだき生きろ生きろと寒鴉)
小野雅子

珈琲を豆から挽いて霜の朝
巫依子

大空の半分は晴小雪舞ふ
(大空の半分は碧小雪舞ふ)
平田恵美子

厄払ふごとくに布団たたきけり
鏡味味千代

褒められて色深めけり冬の薔薇
箱守田鶴

公園に広がり銀杏落葉の黃
板垣もと子

一様に軍服古りし社会鍋
鈴木ひろか

逢魔が時椋の乱舞の魔界めく
(魔界めく椋の乱舞や逢魔が時)
中山亮成

雨音に目覚め大つごもりの朝
(雨音に目覚むる大つごもりの朝)
巫依子

羽子板市五重塔に月かかり
箱守田鶴

聴き上手榾を継ぎつつ返しつつ
松井伸子

冬の雷仔犬の耳の不意に立ち
(仔犬の耳不意に立ちたる冬の雷)
松井洋子

冬晴の市より望む本願寺
飯田静

犬同伴茶房満員クリスマス
(犬同伴の茶房満員クリスマス)
若狭いま子

冬麗や日矢の一条浮御堂
(冬麗や一条の日矢浮御堂)
木邑杏

青空を透かし銀杏の冬木の芽
飯田静

水洟を拭いて宮司の立ち上がる
水田和代

木箱はみ出る新巻の尾鰭かな
(新巻の木箱はみ出る尾鰭かな)
中山亮成

冬の星寄せ来るマウナ・ケア山頂
奥田眞二

冬の夜の止まりしままの置時計
鎌田由布子

早々と投句出揃ひ初句会
森山栄子

ケバブ売る男怪しげ年の市
中山亮成

遠富士のくっきり浮かみ冬落暉
田中花苗

大将の自慢の魚拓燗熱く
巫依子

時雨傘さすほどもなく南座へ
小松有為子

髪を切り染めて心の年用意
箱守田鶴

新年句会ブラインドかつと開け
森山栄子

母からの土鍋健在冬至粥
飯田静

凩や古木は仙人の化身
松井伸子

赤信号突つ切る車年詰まる
鏡味味千代

玻璃越しの日をたつぷりとシクラメン
穐吉洋子

屋上に聖夜の夜景一望す
(屋上より聖夜の夜景一望す)
若狭いま子


負けまじく  行方克巳

気力体力財力いづれ十二月

海鼠のどこ突つついても海鼠

負けまじく極月のわが食ひ力

熊どうと倒れ一山ゆるぎけり

山眠る令和のゴジラ目覚めつつ

虚にあそび実に迷ひて近松忌

抜けがけの小才もあらず近松忌

年つまる百聞も一見もなく

 

箴    言  西村和子

冬に入る弓場の鏡濁り無し

大鏡磨ぐも弓場の冬支度

白足袋の足の運びも弓師範

凩に怯まず一矢番へたり

箴言は詩言に似たり落葉の碑

枯蔓の刻印あらた墓誌うすれ

日時計に遅るる冬の標準時

男の子らは絶叫疾走冬日向

 

目入り達磨  中川純一

紅葉且つ散るパン屋に寄りてシュトーレン

菊坂の風のすさびて近松忌

闇汁に女加はり煮えこぼれ

底抜けの冬青空の来世まで

山茶花や見慣れぬ鳥のよく鳴いて

薬局のしづかに混んでクリスマス

師の電話ぎつくり腰と小晦日

  第二句集完成
大年の目入り達磨と向きあひぬ

 

 

◆窓下集- 2月号同人作品 - 中川 純一 選

束の間の小春賜り旅三日
佐藤寿子

「太陽」は女性名詞よ天高し
吉澤章子

星月夜来世は羊飼たらむ
井出野浩貴

峻烈な追慕今なほ多喜二の忌
米澤響子

見の限り潮目くつきり雁渡る
影山十二香

病室の良き香秋果もあかんぼも
佐瀬はま代

炭坑の町の消え去り紅葉山
大橋有美子

魁けて桜紅葉のためらはず
山田まや

トナカイの鼻息涎そぞろ寒
大野まりな

駅名にアイヌの響き草の花
小山良枝

 

 

◆知音集- 2月号雑詠作品 - 西村和子 選

手配写真おほかた若し秋の暮
井出野浩貴

松手入鋏持たぬ手よく動き
松枝真理子

ヴァイオリン奏で木犀ふくらませ
藤田銀子

澱みたるところ華やぎ散紅葉
牧田ひとみ

落葉踏むひとりごころを忘るまじ
前山真理

石段を下りるも遊び木の実散る
林 良子

またひとり消え逆光の芒原
中野のはら

この道をパウロ歩みき秋暑し
江口井子

表札は龍太のままに柿簾
成田守隆

六人が六人注文酢橘蕎麦
小池博美

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

変はらざるものこの町の冬夕焼
井出野浩貴

この町もずいぶん変わったなあという感慨は、何十年もこの町を見てきた人ならではのものだろう。句の表面では変わっていないものを詠んでいるが、景色も人々も変わってしまったことを実は表しているのだ。
「夕焼」という季語は夏のものだが、「春夕焼」「秋夕焼」「寒夕焼」のように、四季を通じて詠める季語の一つである。「冬夕焼」は西空の果に残照のように一時は燃え上がるがすぐに消えてしまう寂しい現象だ。この季語は一つの時代の終わりをも象徴しているだろう。

 

秋うらら江ノ電我も動かせさう
松枝真理子

こんなことを言ったら江ノ電の運転手さんに叱られそうだ。しかし、秋のうららかな一日、一輛電車の江ノ電の一番前から覗いていると、おもちゃのような電車をいとも単純に軽やかにゆっくりと運転している。なんだか私にも運転できそうという句である。単線電車の両側から、芒や萩や芙蓉の花が微笑みかけているようだ。
「江ノ電」や京都の「嵐電」といった町なかをゆっくり走る電車は俳人好みの題材だが、この句の発想は群を抜いている。

 

冬麗や祈祷に終はる弓稽古
牧田ひとみ

普通の弓道場ではなく、祈祷に始まり祈祷に終わる宗教にかかわる場所であろう。確か鎌倉の窓の会で出た句だから、円覚寺の境内の弓場であろう。「冬麗」という季語から、風もなく晴れ渡り、しかも空気がぴんと張り詰めた空間が想像される。稽古の終わりに仏像に手を合わせるとは、心身ともに静かな心境の持続を願ったものだろう。読み手の心もしんとしてくる。

 

 

2024年1月31日をもって「クロネコDM便」が廃止されました。そのため、2024年2月号より、知音誌は、クロネコゆうメールでの配送となります。それに伴い、封筒の形状が変更になりました。また、郵便管轄となるために平日のみの配達となります。
何卒ご了承ください。