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◆特選句 西村 和子 選

あぢさゐの色のはじまるあしたかな
長谷川一枝
七変化とも言われる紫陽花は、土のP Hによっても、また時間が経つにつれても、色が変化することはよく知られている。
紫陽花ではまず、渡辺水巴の「紫陽花や白よりいでし浅みどり」という、紫陽花の毱に色が兆した時を詠んだ句が思い出される。
こちらの句はどのような色とは言っていない。しかし、色が付き初めるのは朝だという。鬱陶しい梅雨であっても、朝は万物にとって一日の始まり。新たな明るい気分で紫陽花を眺める作者である。(高橋桃衣)

 

あと何年しやがめるかしら草むしり
鈴木ひろか
70歳の壁、80歳の壁などという言葉をよく耳にするが、言われても人ごとのように思う。しかし階段を上がったり、買い物袋を提げて家まで歩いたりという時に、以前はこんなではなかったのに、と気づくことがある。
作者は草むしりしながらそれを感じた。しゃがむ格好は結構きつい。立ち上がる時も足腰に負担がかかる。痛みを感じる時もある。「あと何年」という引き算の考え方が出てくるのももっともだ。
そう言いつつも、目の前の雑草を取らずにはいられない、まだまだ元気な様子も伝わってくる。(高橋桃衣)

 

青楓六条院の庭うつし
千明朋代
光源氏の邸宅であった六条院は架空のもので、モデルと言われている河原院も、跡と記された碑があるのみ、源氏物語の文面や絵巻などから考証して作られたという模型を見たことがあるから、模して作った庭もあるに違いない。
光源氏を、光源氏をめぐる女性達を、当時の美意識を想い造られた庭とあれば、植えられている青楓の艶やかさも、細やかな葉の揺れ方も、いかにもと思えてくることだろう。
京都の楓は関東のものよりも、葉が小ぶりで優美であることも付け加えておきたい。(高橋桃衣)

 

 青蔦や島の神父の紙芝居
牛島あき
カソリックの教会がある島というと五島列島だろうか。教会を這う蔦の蒼さと、島を取り囲む海の碧さが見えてくる。子供も多そうで、過疎とは無縁なところのようだ。そして、教会で祈るばかりではなく、島に暮らす人々と積極的に交わり、島に溶け込んでいる神父さんの様子や人柄も伝わってくる。
「青蔦」が、この島の心身ともに健やかな暮らしを象徴しているようだ。(高橋桃衣)

 

子の服の記憶鮮やかグラジオラス
佐藤清子
江戸時代に日本にもたらされたグラジオラスは、南アフリカ原産といわれる鮮やかな夏の花である。ひと昔前の家の庭にはよく植えられていたので、この名前は懐かしさと共に、ちょっとした古さをも感じさせる。この服も、昨今のようなファッショナブルなものではないだろう。
作者の家にもグラジオラスが植えられていたに違いない。しかし今、グラジオラスを眺めて、はっきり思い出しているのは、子供の服の色や模様や形だけではない。庭で遊んでいる子供の仕草や声、グラジオラスの咲いている日向の明るさや匂い、即ち若くて充実していたあの日々なのだ。それを描くのに「子の服」だけに絞ったところが巧みである。(高橋桃衣)

 

香の薄くなりたる母の扇かな
矢澤真徳
扇といえば白檀の香がなんとも麗しく上品だが、香は徐々に薄れていき、しまっておいたものを取り出したり、広げた時にそこはかとなく香るほどになってゆく。
作者にとっては愛着の品なのだろう。香が薄くなっていく歳月をも愛おしむように手にしている。
そんな思いを嗅覚で捉えた句。(高橋桃衣)

 

青竹をさらさら出づる冷酒かな
小山良枝
熱燗は冬、温め酒は秋、冷し酒、冷酒(ひやざけ)、冷酒(れいしゅ)は夏などと、それぞれ季語となっている日本酒だが、冷酒(れいしゅ)は冷蔵の技術ができて以後のもの。
よく冷えた日本酒を青々とした竹の酒器で汲むのだから、想像するだけでも美味しそうだ。手に取った青竹は冷えて濡れているだろう。汲めばさらさらと音もして、涼やかだ。口に含めば青竹の香もするだろう。視覚、触覚、聴覚、嗅覚、そして味覚と、五感全てが満足するのは、酒好きだけだろうか。(高橋桃衣)

 

夕日ちりばめたる茅花流しかな
牛島あき

 

紫陽花も磴も濡れをり谷戸の朝
鈴木ひろか

 

グラジオラスつぎつぎ咲いて楽しさう
松井伸子

 

暮れきらぬうちより螢二つ三つ
巫 依子

 

朝な朝な涼しきうちの正信偈
三好康夫

 

茅の輪屑散らして車座の小昼
小野雅子

 

観音の細身におはす文字摺草
牛島あき

 

 

 

◆入選句 西村 和子 選

つば反らし横顔きりり夏帽子
荒木百合子

遠近の声の張り合ふ雨蛙
(遠近の声が張り合ふ雨蛙)
三好康夫

薔薇の名を諾ふイングリッドバーグマン
千明朋代

群青のゴジラ現る夕焼雲
田中優美子

夏萩のむらさき淡き摩崖佛
(夏萩のむらさき薄き摩崖佛)
辻 敦丸

幻のごとく消えたり梅雨夕焼
田中優美子

み仏の衣流麗緑さす
(み仏の衣裳流麗緑さす)
木邑 杏

青梅や仏に小さきたなごころ
小山良枝

どこまでも静寂初夏の日本海
五十嵐夏美

大沼を嵐気がおほひ青時雨
千明朋代

まだ知らぬ部屋のありけり夏館
山田紳介

万緑の山頂にして風の中
(万緑の山頂にをり風の中)
鈴木紫峰人

プール掃除年長組の賑やかな
(賑やかなプール掃除の年長組)
飯田 静

新緑の息漲れり峡の駅
(峡の駅新緑の息漲れり)
小松有為子

並走の小田急京王夏つばめ
牛島あき

時の日もペースメーカー順調に
穐吉洋子

緑蔭のベンチに座り石に坐し
藤江すみ江

あげパンの手書きの看板路地薄暑
(あげパン屋手書きの看板路地薄暑)
中山亮成

濡れてより卯の花の白清々し
佐藤清子

万緑やおいらと名乗る四年生
宮内百花

駆けて来る素足伸びやか女学生
深澤範子

行きに見し鷺のまだゐる植田かな
(行きに見し鷺ぽつねんとゐる植田)
小野雅子

耕運機静かに帰る夏至の夕
(夏至夕べ静かに帰る耕運機)
森山栄子

海峡のタンカー込み合ひ梅雨深し
鎌田由布子

神官の三人がかり茅の輪立つ
(神官の三人がかり茅の輪立て)
西山よしかず

西方の守護神白虎青嵐
木邑 杏

幼な児は涙をためて昼寝覚
(みどり児は涙をためて昼寝覚)
矢澤真徳

声出して「ドラえもん」読む夏の夜
宮内百花

里山の影おほいなる螢かな
牛島あき

足首を鞭打つて車前草の花
牛島あき

ほうたるのひとつに声をひそめたる
巫 依子

暗がりの白の際やか半夏生
飯田 静

梅雨の傘傾けながら古書店街
(梅雨の傘傾けつつ行く古書店街)
箱守田鶴

ボッティチェリの腰のうごきよサンドレス
(ボッティチェリの線のうごきよサンドレス)
松井伸子

真直ぐな雨脚泰山木の花
三好康夫

レコードはエディットピアフ夏館
田中優美子

一刷毛の白の際やか半夏生
五十嵐夏美

産屋めく月下美人の開く夜は
板垣もと子

取り出す句帳鹿の子を誘ひけり
奥田眞二

八橋をふうはり渡り梅雨の蝶
鈴木ひろか

七変化極める前の青が好き
鈴木ひろか

打ち寄する珊瑚を拾ひ沖縄忌
若狭いま子

初螢ふうはりと落ちふつと消え
松井洋子

漢ひとり鉄砲百合を担ぎ来る
小野雅子

十薬を咲かせエジプト大使館
松井伸子

梅雨寒し朝より暗き純喫茶
森山栄子

猫も人も外に出たがる夏至の夕
チボーしづ香

虫干の風に座りて母のこと
小野雅子

幼なき指ぽんと桔梗の蕾割り
(幼なの指ぽんと桔梗の蕾割り)
藤江すみ江

木道のまだまだ続く黄釣船
飯田 静

吾が妬心隠し通して単帯
小野雅子

梅雨の蝶白光らせて轢かれけり
(梅雨の蝶白光らせて轢かれにけり)
松井洋子

貝殻の埋まるピザ窯夏夕べ
宮内百花

はんざきの眼開いてたぢろがず
深澤範子

枇杷の実を滑り落ちたり雨雫
板垣源蔵

空青く富士なほ蒼く涼しけれ
鈴木ひろか

栗の花匂ふ山上駐車場
三好康夫

天平の手斧の跡や蝉の殻
奥田眞二

本塁打吸ひ込みにけり大夕焼
(本塁打ぐわと吸ひ込む大夕焼)
鈴木ひろか

噴水や起承転結くりかへし
若狭いま子

垂直に五臓六腑へ生ビール
牛島あき

紫陽花や美大の門の罅深き
(紫陽花や美大の門に深き罅)
小山良枝

白の浮き立つ暮れ方の山法師
若狭いま子

蛍狩存外空の明るかり
巫 依子

新しき傘を広げる梅雨の入り
(新しき傘ぱっと広げる梅雨の入り)
箱守田鶴

人声のしだいに消えて蛍沢
(人声のしだいに果てて蛍沢)
巫 依子

小さければ小さき水輪のあめんばう
小野雅子

焼酎呷るビニール越しの梅雨の空
(焼酎呷りビニール越しの梅雨の空)
中山亮成

噴水の剣のごとく上がりけり
(噴水の剣のごとく噴き上がり)
矢澤真徳

寝の浅き旅の朝の新茶かな
奥田眞二

夏草や道すぐ出来てすぐ消えて
緒方恵美

木立より一瞬涼気走りけり
松井伸子

爪皮に跳ねる五月雨先斗町
(爪皮の跳ねる五月雨先斗町)
辻 敦丸

リハビリの廊下を行き来梅雨籠
(リハビリに廊下を行き来梅雨籠)
若狭いま子

みどり児のみぢかき手足夏に入る
矢澤真徳

梔子の一花咲きては一花錆び
鎌田由布子

 

 

 

◆今月のワンポイント

「語順を変える」

同じことを言っていても、語順によって印象も余韻も違ってきます。今月の句で見てみましょう。

 

(原 句)賑やかなプール掃除の年長組
(添削句)プール掃除年長組の賑やかな

どちらも字余りですが、原句の下五の字余りは重たい感じになります。賑やかにしては年寄りくさい年長組です。
字余りは、上五ですとそれほど気になりません。また「賑やかな」で終わりますと、賑やかな情景が残ります。

 

(原 句)峡の駅新緑の息漲れり
(添削句)新緑の息漲れり峡の駅

「新緑の息/漲れり」より「息漲れり」と一気に言う方が、張り詰めた感じがより出ます。切れも心地よく響きます。
音読してみましょう。

 

(原 句)夏至夕べ静かに帰る耕運機
(添削句)耕運機静かに帰る夏至の夕

詠みたかったのは夏至の夕べの情緒でしょう。どちらが余韻が出るでしょうか。

 

(原 句)紫陽花や美大の門に深き罅
(添削句)紫陽花や美大の門の罅深き

「門に」ですと、その後に「ある」という言葉が省略されていて、 “美大の門に深い罅がある”という句になります。説明しているみたいですね。
せっかく「美大」→「門」とクローズアップしているのですから、この後は「深き」より「罅」と実景を詠み、最後に罅が深いと詠むことで、美大の歴史や通った学生達といったことを、読者に想像させる方が効果的です。

高橋桃衣

巴 里 祭  行方克巳

瞑りたる瞼火の色鑑真忌

膝送りしつつ拝み鑑真忌

くちなはの怒り全長強張らせ

今生のいまが過ぎゆくソーダ水

大首の団扇ぺかぺか鰻待つ

七月十四日来る彼の縊死以後も

パリの路地語り尽くして巴里祭

酔ひどれのタップ踏むなり巴里祭

 

涼 し  西村和子

駅頭の二輪車燦燦梅雨明けぬ

ペディキュアの粒色違ひ夏休

気象旗を襤褸と掲げ日々酷暑

日傘高く歩めば風に乗れさうな

鮎食ふや清談時に生臭き

弓なりに啼鳥迫り明易し

像涼し女人の祈り吸ひ上げて

夕焼や我が世のほかの人いかに

 

風の茅の輪  中川純一

麦青む一本道の果てしなく

漁師来て風の茅の輪をくぐりけり

粒揃ひ快気祝ひのさくらんぼ

竹落葉踏み観音に会ひにゆく

城山の蛇神様も代替り

蛇の子に稚の駆け寄る一大事

あられなき獣さながら蛇交る

青蜥蜴咥へ振り向きロシア猫

 

 

◆窓下集- 8月号同人作品 - 中川 純一 選

降りそめて彼方此方の夜の蛙
小野雅子

目まとひや愁ひ顔なる一羅漢
山田まや

片隅に風あるらしき代田水
津野利行

諭されて貰はれてゆく仔猫かな
前田沙羅

ぱつぱつの腿初夏のテニス女子
菊田和音

身のどこかいつも疼痛桐の花
島田藤江

丸窓の船窓めいて夏初め
小山良枝

母の日や花より団子てふ母の
染谷紀子

花海棠かつてこの家にあねいもと
黒須洋野

薄暑光エールを交す応援部
鴨下千尋

 

 

◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選

木香薔薇咲かせ何処にも行けぬ人
中野のはら

春手袋指先のはや薄汚れ
松枝真理子

劫を経てなほ疼くもの啄木忌
井出野浩貴

その根より低きに枝垂れ花吹雪
岩本隼人

滴りのちよと曲がりては落ちにけり
影山十二香

しやぼん玉追つて追はれて子の育つ
大橋有美子

転職の打明け話夏寒し
月野木若菜

ボタンかけずベルトも締めず春コート
三石知左子

目の前のことひとつづつ花は葉に
井戸ちやわん

釣釜の湯気の映ろふ春障子
山田まや

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

もう隠すものなどなくてチューリップ
中野のはら

チューリップの満開を過ぎた頃の姿。初めのうちは慎ましく蕾んで可愛らしく開き、赤白黄色と並んで子供達にも愛される花。子供が最初に描く花の絵でもある。しかし満開を過ぎると蕊を露わにして、慎みなどなくあっけらかんと開いている。そんな状態を「もう隠すものなどなくて」と描いたのは、わかりやすく本質をついている。無邪気といえば無邪気だが身も蓋もない。


変人と思はれ気楽亀の鳴く
松枝真理子

子育ても終わり、子供を通じた付き合いもなくなり、大人の交流が主になった、子供が成人した後の五十代の女性の句として注目した。周りからどうやら変人と思われているらしい。子育て最中は、それを取り繕ったり反省したり矯正したりしたものだが、一人の大人として付き合う分には、そう思われてかえって気楽だという気持に私は共感できる。
「亀鳴く」という季語は、聞こえる人にしか聞こえないやっかいなものだが、作者には聞こえるのだ。しかし俳句を作らない人達の中で、「こんな日は亀が鳴くのが聞こえそうね」などと口にしたら、周りの人は引いてしまうだろう。俳人にはそんなところがある。その自覚は喜ばしい。やっと自分が語れるようになったことも喜ばしい。

 

商談の相整ひて背ごし鮎
月野木若菜

「背ごし鮎」とは、釣ったばかりの鮎を船の上で刺身に料理したもので、新鮮な鮎が手に入らないと味わえない。京都の鮎の宿などでは食べたことがあるので、この商談はそうした場所か、あるいは東京でも高級料亭などでは最近は食することもできるのだろうか。
いずれにしても、この商談は数百万ではなく億を超えるものにちがいない。「相整ひて」という畏まった表現からもそれが想像できる。業界の第一線で働く女性として活躍中の作者ならではの作品。働く女性の現役中の作品を収めた句集『夜光貝』の延長上の句と言えよう。