夕薄暑歩けば歩くほど悲し
山田紳介
「知音」2022年9月号 窓下集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2022年9月号 窓下集 より
「知音」2022年9月号 知音集 より
「知音」2022年9月号 知音集 より
「知音」2022年9月号 知音集 より
「知音」2022年9月号 知音集 より
「知音」2022年9月号 知音集 より
「知音」2022年8月号 窓下集 より
「知音」2022年9月号 知音集 より

第一句集『驢馬つれて』以降、2014年から2021年までの8年間の句を収めた待望の第二句集。
<著者略歴>
井出野浩貴(いでの・ひろたか)
1965年 埼玉県生まれ
2007年 「知音」入会
2013年 青炎賞(知音新人賞)受賞
2014年 句集『驢馬つれて』上梓
2015年 第38回俳人協会新人賞受賞・川口市芸術奨励賞受賞
2021年 知音賞受賞
現在 「知音」同人 俳人協会幹事
翻訳書 『ミシシッピ=アメリカを生んだ大河』(ジェームス・M・バーダマン著、講談社)ほか
◆帯より
虫の夜の孤島めきたる机かな
宇宙的空想から共に生きる者たちへの共感まで幅広い世界へ読み手をいざなう。
鋭敏な五感で生活者の実感をこまやかに詠じた作品は寡黙だが季語が多くを語っている。
俳人協会新人賞受賞から八年 人生経験は創作者を鍛えた。(西村和子)
◆自選 12句
つばめ来る東京いまだ普請中
春燈や微恙の床に唐詩選
花の影とどめて水のとどまらず
くるぶしにかひなに茅花流しかな
祭鱧逢ふときいつも雨もよひ
草笛の鳴るも鳴らぬも捨てらるる
太陽系第三惑星星祭
ルビを振ることに始まる夜学かな
また来てと母に言はれて秋の暮
小春日の龍太の留守を訪ひにけり
あのころは実学蔑し冬木立
湯豆腐や父逝き母逝き戦後逝き
◆あとがきより
八年は生涯の十分の一ほどでしょうか。この間に、父を見送り、母を見送りました。つい最近生まれたような気がする息子は、学校を卒え社会人となりました。私自身の仕事も引き時が近づいています。「時は過ぎてく瞬く間に」と、一九七八年に浜田省吾が歌ったとおりです。(井出野浩貴)
吊橋の彼方は鉄都春動く
つちふるやかつて石炭積出し港
西国の山々まろし春夕焼
料峭の篁を攻む山気かな
手水鉢紅白梅の影沈め
籠れるは怒気か怖気か袋角
袋角どつくんどつくん血の通ふ
鶯に普請の音の活気づく
花の雨飲食厭になりにけり
花冷の補聴器とれしまま眠る
しんちやんこつち/\と杏子花の昼
断末魔ありしともなく花の昼
湯上りのやうな死顔花の昼
雛壇に齋藤愼爾もう居ない
喪ごころのこの一椀の蜆汁
さくら咲きさくら散りわれ老いにけり
うららかやパンの角からジャムこぼれ
思ひ出し笑ひに応へ水温む
雛流すセーラー服の膝ついて
花ミモザ老嬢ジャンヌひとり棲む
花の雨ポニーテイルの裸像濡れ
楓の芽窓探し当て触れもする
芽吹きをり上皇后の名の薔薇も
寝姿の羅漢の仰ぐ木の芽かな
通されて小声になりぬ冬座敷
大橋有美子
二千年前より愚かクリスマス
井出野浩貴
歌かるた坊主の歌をまづ覚え
山近由起子
微笑みの自づとこぼれ大熊手
谷川邦廣
立春の空に消ぬべく夕烟
中田無麓
帯結ぶ鏡の中の余寒かな
山田まや
甘え寄る馬の睫毛に春の雪
池浦翔子
初糶の片手に持てぬ出世魚
前田星子
間取図のパステルカラー春隣
中津麻美
いくばくの余命頂く寒卵
折居慶子
三門に上れば近し春の山
松枝真理子
人混みにをりて一人の師走かな
山田まや
春浅しこの道やがて岐れ道
小倉京佳
大寒やぴつと人差指を切る
高橋桃衣
縁側へ声かけて買ふ寒卵
小池博美
生涯の後半戦へ初日差す
吉田林檎
三方も撒く勢ひや福は内
三石知佐子
ふるさとの丸餅焼飛魚届きけり
大野まりな
日脚伸ぶ里より来たる箒売
吉澤章子
家事室の遺影の母へまづ御慶
石原佳津子
上五の切字が効果的な句。この切字によって「難しいこと考えず」との間に大きな断層があることを示している。表面的にはこう言っているが、実は直前まで難しいことを考えていたのではないか。しかし焼いもを食べるときぐらい眉間に皺を寄せず、このおいしさと温かさを単純に楽しもうという思いを読み取った。
冬の季語である焼いもは、江戸時代に現れたという。だいたい女子供の好物と思われてきたが、歳時記には男性の例句が多い。現代は焼いもばかりでなく、スウィーツ好きの男性も恥ずかしい思いをしない時代になったが、焼いもが大好きな女性こそ、実際に食べてこそ、いい句ができるに違いないと、男性たちの例句を読むにつけて思う。
湯気を立てているほくほくの焼いもを食べてこそできる、こういう句を、女性たちよ、目指そう。
枯蓮にもいろいろな段階があって、冷たい風に吹かれて寒そうだとか、心許なさそうだとか思ううちは、まだ感覚が残っているように思える。しかし、枯れ切ってしまって風に抗ったり跳ね返したりする力も無くなったような枯蓮は、何も感じていないようだ。それを「もう風を感じてをらず」と表現した点に、きめ細かな描写力が出ている。大雑把に枯蓮を眺めていては、こうした句は詠めないだろう。大いに学ぶべき写生句。
「はつたり」とは「実情よりも誇大に言ったり、ふるまったりすること」と広辞苑にある。「鷽替」は天神様の境内で、過去の嘘を取り替える行事だ。小さな木彫の鷽という鳥を、宮司や巫女さんまで巻き込んで、「替えましょう、替えましょう、うそ替えましょう」と唱えながら見知らぬ人たちと取り替える行事に、私も大阪の天神さんで加わったことがある。
はったりを利かすとは、自分を鼓舞する場合にも必要だし、嘘というわけではない。しかし心のうちにやましいものが残る。「鷽替」という季語に託して、心中を明かした句として注目した。このような本音を託す句を、この作者には期待している。