秋立つやコリドー街を風抜けて
前田いづみ
「知音」2021年12月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2021年12月号 知音集 より
瞑りたる瞼火の色鑑真忌
膝送りしつつ拝み鑑真忌
くちなはの怒り全長強張らせ
今生のいまが過ぎゆくソーダ水
大首の団扇ぺかぺか鰻待つ
七月十四日来る彼の縊死以後も
パリの路地語り尽くして巴里祭
酔ひどれのタップ踏むなり巴里祭
駅頭の二輪車燦燦梅雨明けぬ
ペディキュアの粒色違ひ夏休
気象旗を襤褸と掲げ日々酷暑
日傘高く歩めば風に乗れさうな
鮎食ふや清談時に生臭き
弓なりに啼鳥迫り明易し
像涼し女人の祈り吸ひ上げて
夕焼や我が世のほかの人いかに
麦青む一本道の果てしなく
漁師来て風の茅の輪をくぐりけり
粒揃ひ快気祝ひのさくらんぼ
竹落葉踏み観音に会ひにゆく
城山の蛇神様も代替り
蛇の子に稚の駆け寄る一大事
あられなき獣さながら蛇交る
青蜥蜴咥へ振り向きロシア猫
降りそめて彼方此方の夜の蛙
小野雅子
目まとひや愁ひ顔なる一羅漢
山田まや
片隅に風あるらしき代田水
津野利行
諭されて貰はれてゆく仔猫かな
前田沙羅
ぱつぱつの腿初夏のテニス女子
菊田和音
身のどこかいつも疼痛桐の花
島田藤江
丸窓の船窓めいて夏初め
小山良枝
母の日や花より団子てふ母の
染谷紀子
花海棠かつてこの家にあねいもと
黒須洋野
薄暑光エールを交す応援部
鴨下千尋
木香薔薇咲かせ何処にも行けぬ人
中野のはら
春手袋指先のはや薄汚れ
松枝真理子
劫を経てなほ疼くもの啄木忌
井出野浩貴
その根より低きに枝垂れ花吹雪
岩本隼人
滴りのちよと曲がりては落ちにけり
影山十二香
しやぼん玉追つて追はれて子の育つ
大橋有美子
転職の打明け話夏寒し
月野木若菜
ボタンかけずベルトも締めず春コート
三石知左子
目の前のことひとつづつ花は葉に
井戸ちやわん
釣釜の湯気の映ろふ春障子
山田まや
チューリップの満開を過ぎた頃の姿。初めのうちは慎ましく蕾んで可愛らしく開き、赤白黄色と並んで子供達にも愛される花。子供が最初に描く花の絵でもある。しかし満開を過ぎると蕊を露わにして、慎みなどなくあっけらかんと開いている。そんな状態を「もう隠すものなどなくて」と描いたのは、わかりやすく本質をついている。無邪気といえば無邪気だが身も蓋もない。
子育ても終わり、子供を通じた付き合いもなくなり、大人の交流が主になった、子供が成人した後の五十代の女性の句として注目した。周りからどうやら変人と思われているらしい。子育て最中は、それを取り繕ったり反省したり矯正したりしたものだが、一人の大人として付き合う分には、そう思われてかえって気楽だという気持に私は共感できる。
「亀鳴く」という季語は、聞こえる人にしか聞こえないやっかいなものだが、作者には聞こえるのだ。しかし俳句を作らない人達の中で、「こんな日は亀が鳴くのが聞こえそうね」などと口にしたら、周りの人は引いてしまうだろう。俳人にはそんなところがある。その自覚は喜ばしい。やっと自分が語れるようになったことも喜ばしい。
「背ごし鮎」とは、釣ったばかりの鮎を船の上で刺身に料理したもので、新鮮な鮎が手に入らないと味わえない。京都の鮎の宿などでは食べたことがあるので、この商談はそうした場所か、あるいは東京でも高級料亭などでは最近は食することもできるのだろうか。
いずれにしても、この商談は数百万ではなく億を超えるものにちがいない。「相整ひて」という畏まった表現からもそれが想像できる。業界の第一線で働く女性として活躍中の作者ならではの作品。働く女性の現役中の作品を収めた句集『夜光貝』の延長上の句と言えよう。
「知音」2021年11月号 窓下集 より
「知音」2021年11月号 窓下集 より
「知音」2021年11月号 窓下集 より
「知音」2021年12月号 知音集 より
「知音」2021年11月号 窓下集 より
「知音」2021年11月号 窓下集 より
「知音」2021年12月号 知音集 より
「知音」2021年12月号 知音集 より