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◆特選句 西村 和子 選

寅さんの声がしさうよ草紅葉
片山佐和子
寅さんとは、もちろん映画「男はつらいよ」の車寅次郎のことである。その寅さんの声がしそうだというのだ。場所は具体的には言っていないが、読者は自分の知っている寅さん像からイメージすることができる。また季語の「草紅葉」は、笑顔の中にもどこか哀愁のある寅さんの表情を思い出させる。(松枝真理子)

 

閉め切って座れば蜜柑欲しくなる
水田和代
障子や襖を閉め切った部屋ということで、和室に座っている姿を思い浮かべた。時期的に、炬燵が出してあるかもしれない。ひと仕事終えてほっとしたところに、急に喉の渇きを覚え、口寂しくなった。そんなとき、蜜柑は手軽に食べられて、水分もとれる果物である。この場面では、蜜柑以外の果物は考えられない。(松枝真理子)

 

色なき風わが身を抜けてゆきにけり
森山栄子
秋風は金風や素風、色なき風ともいう。あえて作者が「色なき風」を使い、そしてその風が「わが身」を抜けていったということで、何か心の中にあるわだかまりのようなものがすっと昇華したのだろう。具体的なことは言わず、読み手の想像力を信頼して詠んだ句。(松枝真理子)

 

流れ星祈りの言葉口にせず
小野雅子
流れ星が消える前に願い事を唱えるとその願いが叶うとはよく言われていることだが、作者はあえてそれをしなかったのである。叶えたいことが何もないわけではない。むしろ、切に願っていることがあるのだ。軽々しくその願いを口にはできない作者の想いが「祈りの言葉」という表現にもこめられている。(松枝真理子)

 

不意に来て零余子を引いて帰りたる
森山栄子
ふらっとやってきて、零余子を引く手伝いをして、とくに何をするわけでもなく帰っていった。不意にやってきたのは誰とは言っていないが、季語の「零余子」が作者との関係性を想像させる。(松枝真理子)

 

コスモスの丘を登れば大西洋
鎌田由布子
コスモスが一面に咲いた丘、その向こうに広がる海の景色を想像した。だが、この丘の場所はアメリカ大陸なのかヨーロッパなのかどこかはわからない。とはいうものの、大航海時代にコロンブスが新大陸を発見して以降、さまざまな史実に関わりのあった大西洋である。太平洋とは趣が異なる海に、作者はなんとも言えない詩情を覚えたのだろう。(松枝真理子)

 

眼裏にクリムトの絵や露しぐれ
鎌田由布子
一般的に、クリムトの絵は、金箔や銀箔を多用し装飾性の高い作品で知られる。だが、この句の季語は「露しぐれ」であるから、作者のイメージはいささか違うのである。華やかな絵を描く一方で、美と死の隣り合う世界を強く意識していたと言われるクリムト。感受性の高い作者は、そのような絵がずっと印象に残っているのだろう。(松枝真理子)

 

相寄りて歪となりぬ芋の露
小野雅子
芋の露は里芋の葉に宿った露であるが、大粒で光があたるととても美しい。葉が揺れると、露もぷるんと揺れたり、葉脈を伝って窪みに集まってきたりする。そんなとき、真ん丸の形のよい露同士が触れ合い、どちらも歪みを生じたのだ。よく観察していないとこのような句はできない。(松枝真理子)

 

指温め今日の診療始まりぬ
深澤範子

 

秋風やカーペンターズ口ずさみ
鏡味味千代

 

 

◆入選句 西村 和子 選

爽やかや革靴並べ磨く午後
鈴木ひろか

秋夕日十字架高くトラピスト
木邑杏

そぼ降るや盗人萩のうひうひし
千明朋代

新米を納めし蔵の古りにけり
佐藤清子

救急のサイレン重き夜寒かな
中山亮成

晩秋の筑波二峰もくっきりと
穐吉洋子

溢しつつ紫蘇の実こいでをりにけり
佐藤清子

小鳥来る籠の文鳥首傾げ
(小鳥啼き籠の文鳥首傾げ)
福島ひなた

さやけしや新図書館に椅子多く
平田恵美子

芒原賢治の声が聞こえ来る
深澤範子

枝に枝重ね千年銀杏黄葉
(枝に枝重ね千年銀杏紅葉)
飯田静

愛の羽根回覧板に挟まれ来
小野雅子

猫の腹しみじみ温し秋の暮
石橋一帆

敵味方帰りは同じ落葉踏む
福原康之

クレーンもけふは休日昼の虫
(クレーン車もきょうは休日昼の虫)
平田恵美子

雁渡し一両列車の釜石線
深澤範子

直角に曲がる参道薄紅葉
飯田静

露草を愛で一生を理科教師
松井洋子

鈍色にびいろの雲の重みや冬近し
福島ひなた

手のひらにもらひし栗の五粒ほど
石橋一帆

紅葉づりて頂白し岩木山
鈴木ひろか

歌碑を訪ふ木の実踏むこと許されよ
(歌碑訪ふと木の実踏むこと許されよ)
三好康夫

爽やかや村内放送朝を告ぐ
鏡味味千代

取り込みしタオル香りぬ金木犀
(取り込みしタヲル香りぬ金木犀)
鏡味味千代

秋雲を乗せてなだらか駒ヶ岳
木邑杏

修道院今も鉄柵冬の蝶
(冬の蝶今も鉄柵修道院)
福原康之

秋果積みさらに積み上げ里祭
鏡味味千代

秋高し待合室に老い自慢
小野雅子

ひっそりとネオンの灯る路地の秋
辻本喜代志

行きずりの人と旅して秋惜む
若狭いま子

荒神の灯ゆらゆら秋の雨
辻敦丸

鎌倉やどの谷戸行くも荻の風
奥田眞二

抜け道も袋小路も一葉忌
箱守田鶴

自転車に箒とバケツ秋彼岸
中山亮成

盆踊り口説くが如き老いの唄
奥田眞二

ポケットに小銭じゃらじゃら一葉忌
箱守田鶴

彼岸花一夜の雨に消えにけり
三好康夫

鬼の子の自問自答も宙ぶらりん
箱守田鶴

◆特選句 西村 和子 選

遺影より似顔絵親し秋彼岸
若狭いま子
最近はにこやかな表情の遺影が多くなったとはいえ、よそ行きの取り澄ました表情の遺影のほうが主流です。それよりも似顔絵のほうに親しみを感じたということから、生前の故人との関係が伝わります。いまは悲しみより懐かしさのほうがまさっているのでしょう。「秋彼岸」の明るくからっとした空気が似合います。(井出野浩貴)

 

誰も来ずどこへも行かず秋彼岸
片山佐和子
昔は、墓参りの帰りに親戚の家に寄ったり寄られたりということが多かったでしょうし、おはぎをつくって近所にお裾分けしたりということもあったでしょう。最近はそういうことがめっきり少なくなりました。静かな「秋彼岸」、作者はひとり亡き人と対話をしているようです。(井出野浩貴)

 

物の角はつきりしたる涼新た
鎌田由布子
秋になったことを実感した一瞬です。暑い夏はまぶしくてものがはっきり見えにくいという面もあるのですが、それよりも心理的なものが多く作用しているでしょう。「物」ではなく「物の角」とした点、説得力があります。すがすがしい心持を、季語「涼新た」が語っています。(井出野浩貴)

 

猫じやらし否否と揺れ諾とゆれ
小野雅子
いたるところに生える猫じゃらし、雑草と言われる草の中では親しみやすくどこかユーモラスです。こんなふうに詠まれると、たしかにそんな揺れ方をしているように感じられるから不思議です。コスモスや女郎花が揺れてもこんなふうには見えないでしょう。対象をよく見ておもしろい発想が生まれたのだと思います。(井出野浩貴)

 

海賊の潜みし小島いわし雲
小野雅子
どこで詠まれた句かはわかりませんし、どこであってもよいのですが、瀬戸内海にあまた浮かぶ小島が思い浮かびます。よく晴れた秋の穏やかな海に、かつては海賊の根城があったのです。その頃も秋には今のように鰯雲が広がっていたに違いありません。空と海と時間の広がりを感じます。(井出野浩貴)

 

桐一葉寺と見紛ふ門構へ
鈴木ひろか
新古今集のころより、桐の大きい葉が落ちるさまに、人は秋を感じ物思いにふけっていました。さらに元をたどれば唐詩の「一葉落ちて天下の秋を知る」の「一葉」は桐の葉のことだと言います。どんなに立派な門構えの家でも、それだけでは寺と見紛うことはないでしょう。「桐一葉」の負う伝統がそのように感じさせたのかもしれません。(井出野浩貴)

 

稲光明石大橋雲の中
平田恵美子
世界一の吊橋と言われる明石海峡大橋に、雷雲が覆いかぶさるように広がっています。そこを切り裂くように稲光が走り、遅れて雷鳴がとどろきます。この句は動詞を使わず、明石大橋という固有名詞を活かし、大きな情景を見せてくれます(井出野浩貴)

 

スカイツリー色なき風を突き抜けて
箱守田鶴
スカイツリーもまた世界一高い塔と言われ、竣工以来、多くの人が句に詠んでいます。類想に陥る危険が大いにあるのですが、この句は「色なき風を突き抜けて」が巧みで類想を抜け出しました。色なき風が吹きわたる下界と、スカイツリーが屹立する秋の高い空とのコントラストが鮮やかです。(井出野浩貴)

 

助手席の犬の目覚めし秋日和
森山栄子
いつも愛犬を助手席に乗せているのでしょう。気持よい眠りから覚め、飼い主である作者を見上げます。言葉は交わせなくても気持は通いあう、その静けさが季語「秋日和」から伝わってきます。もし犬ではなくわが子の目覚めであったら、この季語ではないでしょう。季語の機微を味わいたいものです。(井出野浩貴)

 

大絵馬の墨痕淋漓秋麗
森山栄子
地元の由緒ある神社でしょうか。新年に向けて奉納される大絵馬ができあがり、大筆で文字が書かれてゆきます。季語「秋麗」と「墨痕淋漓」という言葉が相俟って、雄渾な筆遣いや墨の匂い、澄み切った空気まで感じさせてくれます。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

爽やかやネクタイ揺るる女高生
(ネクタイの爽やかに揺れ女高生)
深澤範子

リハビリを終へて確かや虫の声
(リハビリを終へて確かに虫の声)
辻敦丸

足跡は消えて渚は秋の風
辻敦丸

薄紅葉寺の老犬愛想よき
松井洋子

桐一葉さらりとわれも生きむかな
鈴木ひろか

世に疎くなりし妹背の月見かな
奥田眞二

日おもてを伝ひてゆけり秋の蝶
(日のおもて伝ひてゆけり秋の蝶)
平田恵美子

台風の近づく雨の不気味なる
(台風の近づく細雨不気味なる)
三好康夫

星々の呼び交はすやう虫すだく
福島ひなた

爽やかやシンク拭き上げ夫出社
(爽やかにシンク拭き上げ夫出社)
宮内百花

声小さくなりたるは愚痴秋暑し
三好康夫

子等の声遠くに聞こえ薄原
鈴木ひろか

秋晴の赤松林かがやけり
松井伸子

新涼や朝一番の深呼吸
深澤範子

朝顔のしぼみて赤み差しにけり
福島ひなた

小海線一時間待ち秋桜
鈴木ひろか

戸を開けし腕へ夜風虫の声
(戸開くれば腕へ夜風虫の声)
板垣もと子

糸瓜ひとつ届かぬ高さにて太る
小野雅子

マジシャンにみんな騙され秋うらら
(マジックにみんな騙され秋うらら)
板垣もと子

図書館の閑けさ破る秋の雷
佐藤清子

人も木も草も水欲る残暑かな
板垣もと子

とことことこ塩辛蜻蛉したがへて
(をさな児とことこ塩辛蜻蛉したがへて)
小野雅子

秋茜ロープウェイとすれ違ひ
(秋茜ロープウェイのすれ違ひ)
千明朋代

朝露や熱き息吐き犬戻る
松井洋子

時計塔秋の夕日を背負ひたり
(時計塔秋の夕日を背負ひけり)
片山佐和子

虫の音の和して今宵は降るごとく
福原康之

秋風を部屋に満たして荷物待つ
(秋風を部屋に満たして待つ荷物)
福島ひなた

秋雨の包む木の香の音楽堂
鈴木ひろか

北海道両手広げて花野風
(北海道両手広げて花野かな)
深澤範子

水引の花を潜りて猫白し
(水引の花潜りをる猫白し)
宮内百花

馴れし道見失ひたり秋深し
(馴れし道ふと見失ひ秋深し)
箱守田鶴

覚むるたび独りと思ふ夜長かな
(目覚むたび独りと思ふ夜長かな)
平田恵美子

丹沢を遠見に秋を惜しみけり
松井伸子

秋ゆけり木石の声聞くとなく
(聞くとなく木石の声秋ゆけり)
奥田眞二

峡の田の案山子揶揄ふ鴉かな
穐吉洋子

冷やかや昨日と違ふ靴の音
靴の音昨日と違ふ冷やかさ)
辻本喜代志

豪商の白壁に沿ひ藤袴
鈴木ひろか

長き夜や遠きネオンの赤潤み
松井洋子

整備士の準備体操秋日和
森山栄子

指先のびつくりしたる秋の水
(指先をびくりとさせて秋の水)
五十嵐夏美

◆特選句 西村 和子 選

ゆがんでも細長くても踊りの輪
箱守田鶴
盆踊はたいてい円を描いている印象がありますが、人数が増えるとこの句のようになることもありそうです。踊りの名手ばかりでなく、都会から帰省した若者や幼い子供も加わってそうなるのでしょう。現代の盆踊の一景です。(井出野浩貴)

 

相槌を打つては摘む月見豆
森山栄子
「月見豆」とは「枝豆」のこと、十五夜の月に供えたことが由来です。歳時記には「月見豆」の例句はあまり見かけませんが、もっと詠まれていいでしょう。実際に月見をしているわけではないのでしょうが、秋の夜を静かに語り合う間柄が感じられます。(井出野浩貴)

 

秋簾畳に椅子の茶房かな
宮内百花
「秋簾」と「畳」から古びた店、もっと言えば寂れた店を連想しますが、「椅子の茶房」ということで、むしろ現代的な古民家カフェのようなものが想像されます。ちょっとした不調和、揺らぎがおいしそうな店の雰囲気を生み出します。俳句もまた同じことでしょう。(井出野浩貴)

 

自転車の頬に一すぢ秋気かな
石橋一帆
「一すぢ」という言葉から、残暑の中、ふと秋らしい空気を感じた瞬間のこととわかります。自転車は風を感じられる乗り物です。「自転車の頰」というさりげない省略が巧みです。(井出野浩貴)

 

葛の葉のわらわら迫る線路際
五十嵐夏美
葛の旺盛な生命力が描けました。このような光景は誰もが目にしているはずで、俳句にもよく詠まれるところですが、「わらわら迫る」は簡単そうに見えて、なかなか出てこない表現でしょう。俳句はちょっとした表現の妙で決まります。(井出野浩貴)

 

鬼やんま死して緑の光失せ
石橋一帆
風生の名句「こときれてなほ邯鄲のうすみどり」に通う句です。鬼やんまは迫力のある虫ですが、そんな虫でもついには骸をさらす、しかも見る見るうちに緑が褪せていく、生きるものの哀れというほかありません。「緑の光失せ」に工夫があります。(井出野浩貴)

 

輪の外のへんてこ踊四歳児
五十嵐夏美
見よう見まねで踊り出した子供の描写です。「へんてこ踊」というくだけた表現が効果的です。「四歳児」が絶妙です。なるほど三歳では踊れそうもないし、五歳ではもうちゃんと踊れる子もいるかもしれません。(井出野浩貴)

 

鳴き代りつつ熊蟬の雲払ふ
三好康夫
作者は香川県の人。近年、東京近辺でも熊蟬の声は珍しくなくなりましたが、やはり本場は西国。強烈な蟬時雨が雲を払うように感じられたのです。その熊蟬ですら成虫としての寿命はわずか。「鳴き代りつつ」とは「生きかはり死にかはりして」ということでしょう。(井出野浩貴)

 

迎鐘真一文字に曳きにけり
小野雅子
「迎鐘」は「六道参」の傍題です。盆の精霊迎えのために六道珍皇寺を訪れた参詣者は、先祖の霊を迎えるために梵鐘を撞きます。ただし鐘は見えないようになっており、参詣者は縄を引いて鐘を鳴らすのです。この句は「真一文字に」に精霊を迎える思いが込められています。(井出野浩貴)

 

シャンパンのきりりと冷えて夏の夕
鎌田由布子
説明を要しない、美味しそうで涼し気な句となりました。まだあかるい夏の夕刻の光にシャンパンの泡がきらめきます。「きりり」が効いています。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

秋の夜の寝息安らか四人部屋
松井伸子

坂上は六道の辻秋日濃し
小野雅子

手花火や明日帰京の長兄と
松井洋子

するすると木の洞に入る秋の蛇
松井伸子

幼児の手を引き寺へ迎へ盆
飯田静

生御魂大福の粉鼻につけ
片山佐和子

暴風雨去りていよいよ雲近し
福原康之

提灯の灯つづりて盆踊り
辻敦丸

スワンボート大きく揺れて初嵐
鈴木ひろか

ささくれし心をまろく虫の声
(ささくれる心をまろく虫の声)
福島ひなた

雉鳩の声くぐもれる茂みかな
箱守田鶴

みんみんに重なり聞こゆ法師蝉
(みんみんに重なり聞くや法師蝉)
石橋一帆

ひと夏のおほかたを寝て猫老いぬ
石橋一帆

宵山や提灯暗き路地静か
若狭いま子

伊予電の橙色の暑さかな
森山栄子

庭の草伸びたるままに秋暑し
鏡味味千代

伊予電に追抜かされて秋暑し
森山栄子

遠花火いびつな円も三角も
(遠花火いびつな円と三角と)
松井伸子

飛行機の吸ひ込まれたり大夕焼
(飛行機の吸ひ込まれをり大夕焼)
鎌田由布子

美術館出でて喧騒秋暑し
飯田静

どくだみの生き生き群れて駐輪場
箱守田鶴

迎鐘思ふほどには響かざる
小野雅子

廃線路一入寂し法師蝉
辻本喜代志

隅々を拭き清めたり盆用意
鈴木ひろか

古書店のビニールカーテン秋暑し
松井洋子

病院食存外美味し秋楽し
(秋楽し存外美味な病院食)
松井伸子

夏祭おもちゃ鉄砲火薬玉
中山亮成

供花絶えぬ腹切りやぐら蚯蚓鳴く
奥田眞二

終戦の夜の母と子に灯火眩し
(母と子に灯火の眩し終戦の夜)
若狭いま子

山の日の山を遠くに暮らしをり
片山佐和子

御所の砂利ぎしぎし踏んで秋暑し
片山佐和子

秋扇半分閉ぢて使ひたり
(秋扇半分閉じて使ひたり)
鏡味味千代

夢に会ふ弟若し盂蘭盆会
(夢で会ふ弟若し盂蘭盆会)
小野雅子

早朝の窓よりつづれさせの声
水田和代

秋暑し肩に食ひ込む荷のベルト
片山佐和子

夏の暁一息に飲む水美味し
(夏の暁一息に飲む水の美し)
石橋一帆

不燃ゴミ分けて大汗かきにけり
(不燃ゴミ分けて大汗かく日かな)
箱守田鶴

アイスクリームばかり売るると託ちをり
(アイスクリームばかり売るると託ちけり)
板垣もと子

◆特選句 西村 和子 選

アナベルの白一色の避暑の町
鈴木ひろか
アナベルは紫陽花の一品種、箱根の強羅公園のアナベルロードが知られています。作品としては場所はどこでもよいのですが、避暑地に咲くアナベルの清楚な白は、都会の猛暑を忘れさせてくれます。色で涼しさを表現した句です。(井出野浩貴)

 

夜濯や観覧車の灯消ゆる頃
(夜濯ぎや観覧車の灯消ゆる頃)
平田恵美子
夜濯をしながら遠くの観覧車を見やると、いつもより遅い刻限だったためか、観覧車の灯が消えるころに行きあったのでしょう。たとえば葛西臨海公園の観覧車などは、周辺の町からよく見えます。観覧車に乗っている人は、夜濯をしている人に眺められているとは夢にも思わないことでしょう。人の営みのもの悲しさがそこはかとなく漂います。(井出野浩貴)

 

鉾宿の薄暗がりの細面
板垣もと子
想像が広がる句です。祇園囃子が聞こえてくる「鉾宿の薄暗がり」は、千年前の暗がりにつながっているかのようです。その薄暗がりに浮かぶ「細面」は、あの世から祇園祭を見に戻ってきた人なのかもしれません。(井出野浩貴)

 

飾り山笠わいわい見つつ宇治金時
木邑杏
祭の句は、それぞれの特徴や雰囲気の違いが表現できるかどうかが大切です。この句は博多祇園山笠です。「わいわい見つつ」が豪快な祭の雰囲気に適っています。「宇治金時」がいかにもおいしそうです。(井出野浩貴)

 

親方は素手なり鉾の縄がらみ
小野雅子
縄絡みは、釘を使わず縄のみで鉾を組み立てる手法です。作業している親方の「素手」に焦点を当てたことで臨場感が出ました。鉾立には設計図がないと聞きます。長年の知恵は「素手」から「素手」へと伝承されていくのでしょう。(井出野浩貴)

 

鉾見んと錦市場を通り抜け
板垣もと子
「錦市場」という地名が効果的です。錦市場には旅行者も大勢来ていますが、人混みの中、「鉾見んと錦小路を通り抜け」ることは、京都の地理を熟知した地元の人でなければできないかもしれません。旅行者であれば、大路のどこかに陣取って目当ての鉾を待つしかないと思われます。(井出野浩貴)

 

対岸の雲も染まりし大夕焼
鏡味味千代
大河か大きな湖の対岸なのでしょう。「対岸の雲も」ということは、水面も見事に染まっているのです。原則として「夕焼」や「西日」に安易に「大」はつけないほうがいいと思いますが(季語の中にすでにその意味が含まれているので)、この句の場合はすっきりまとまっています。(井出野浩貴)

 

月見草散りて花びらもう透けず
松井洋子
夕日をかすかに透かしていた花びらが、ひとたび散ってしまえばもう光を透かすことがないことを目にとめ、作者は薄ら闇のなかたたずんでいます。季語「月見草」の力で、昼と夜がゆきあう頃のはかない心持が表現できました。(井出野浩貴)

 

大茅の輪くぐり明日を恃みをり
小野雅子
北野天満宮の大茅の輪でしょうか。関東では、俳句をやっていなければ茅の輪をくぐったことのない人のほうが多いことでしょう。わざわざくぐりに行っても、「明日を恃む」とまでは思わないかもしれません。この句には、毎年の節目として茅の輪くぐりをしている人の息づかいが感じられます。(井出野浩貴)

 

修道女日がな一日草を刈る
辻敦丸
修道院の菜園の草を刈っているのだと想像しました。黒い修道服を着ての作業は、いかに修道の柱が祈りと労働であるといえども、厳しいものでしょう。炎天下を黙々と働く修道女への畏れのようなものが感じられます。(井出野浩貴)

 

生垣を洩るる灯や盆休み
森山栄子
「生垣を洩るる」から旧家のことであろうと想像されます。この「灯」は盆提灯かもしれませんし、帰省した家族でにぎわう居間や厨の灯であるのかもしれません。なんとはなしに仏様の気配も感じられます。季語を「盂蘭盆会」ではなく「盆休み」としたのもよかったと思います。(井出野浩貴)

 

先頭はピンクの日傘登校班
松井洋子
ひと昔前は、日傘を差すのは大人だけでした。数年前からちらほら高校生が差しているのを見るようになりましたが、この句の場合は小学生、「先頭」ですから通学班長です。親に差すように言われた優等生タイプの女の子でしょうか。それとも大人の真似をしたいおしゃまな女の子でしょうか。今年のような猛暑が今後も続けば、学童の日傘もごく当たり前のものになっていくのでしょう。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

ドローン飛ぶ植田の上空二メートル
辻本喜代志

願ふこと無くても四万六千日
箱守田鶴

プールから引き抜く足の重さかな
中山亮成

乱吹く滝トロッコ列車現はるる
(吹雪く滝トロッコ列車現はるる)
千明朋代

献花台白の溢るる原爆忌
(献花台の白きに溢れ原爆忌)
宮内百花

夕焼雲待つこと多き老の旅
千明朋代

鉾宿に塩飴たんと盛りてあり
(鉾建や宿に塩飴たんと盛り)
小野雅子

短冊のくるくる回る鉄風鈴
石橋一帆

微睡みの昼の夏掛やはらかき
福島ひなた

日傘たたむ掌に日の火照りかな
五十嵐夏美

射干に雨の滴の残りたる
水田和代

水鉄砲思はぬ所までおよび
(水鉄砲思はぬ距離におよびけり)
片山佐和子

クレヨンの青と緑の暑中見舞
鈴木ひろか

滝音にしばし聞き惚れ佇める
飯田静

立ち尽し見送る母の日傘かな 
松井洋子

ハンガーのパキンと割れし極暑かな
森山栄子

水割りに胡瓜差したる安酒場
板垣源蔵

涼しさや葉末葉末の雨しずく
小野雅子

眼裏にいまも鮮やか遠花火
若狭いま子

一心に蜜吸ふ浅黄斑かな
飯田静

新婚の部屋は四階新松子
中山亮成

とげぬき地蔵お参りあとのかき氷
若狭いま子

世界地図太平洋のあを涼し
三好康夫

旅終はるソフトクリーム手に垂らし
小野雅子

朝焼へ出てゆく舟と帰る舟
小野雅子

サイレンの音夕凪を攪拌す
(サイレンの音の夕凪攪拌す)
鎌田由布子

蓮ひらく力か水面ゆれにけり
(蓮ひらく力か水面ゆられけり)
片山佐和子

はたた神六方踏みて去りにけり
奥田眞二

炎天に差し出す杖の一歩かな
片山佐和子

雲ひとつ無き暁へ蝉の声
松井洋子

千曲川大きく曲がる青田かな
石橋一帆

避暑の径なにか咥へて栗鼠過る
鈴木ひろか

睡蓮を揺らし真鯉のひるがへり
若狭いま子

鴉みな口開けしのぐ大暑かな
若狭いま子

サンダルの跡のくつきり日焼けして
鎌田由布子

風鈴のりんりんりんとやけっぱち
木邑杏

いく度も覚めて水飲む大暑の夜
若狭いま子

父の日やサイロの匂ひ蘇り
佐藤清子

夏深し眺めるのみの旅案内
小野雅子

切麻の玉砂利に舞ひ御禊かな
辻敦丸

立ち止まる君に日傘をさしかくる
鈴木ひろか

人居らぬ部屋に首振る扇風機
小野雅子

感嘆の声を掻き消し瀑布かな
(感嘆の声掻き消しぬ瀑布かな)
鏡味味千代

手作りの団扇両手にフェスティバル
深澤範子

麻暖簾くぐり人無きワンルーム
(麻暖簾くぐる人無きワンルーム)
平田恵美子

飛魚の羽七色に照る夕
鏡味味千代

凌霄花空家を守るやうに咲く
水田和代

昼寝覚しばらく富士を見下ろして
森山栄子

戦火生き花火嫌ひの姉妹
箱守田鶴

喪心を隠しおほすやサングラス
松井洋子

きりぎしに水音微か夏つばめ
辻敦丸

制服の一人はのつぽ大夕立
森山栄子

赤松に通奏低音のような蝉
石橋一帆

赤信号長く感ずる大暑かな
若狭いま子

梅雨晴間トロッコ列車またカーブ
(カーブ多きトロッコ列車梅雨晴間)
千明朋代

咲き満ちて梢の撓ふ百日紅
福島ひなた

新しき日傘くるくる何処へ行こ
(新しき日傘くるくる何処いこか)
鈴木ひろか

サングラス外し大聖堂に入る
片山佐和子

暮れなづみ子ら賑やかに蛍狩
石橋一帆

通勤の右も左も青田波
深澤範子

クロールの息継ぎ出来し日の記憶
奥田眞二

緑蔭の木椅子の脚のささくれて
(緑蔭の木の椅子足のささくれて)
千明朋代

◆特選句 西村 和子 選

額紫陽花一輪残る青の濃し
飯田静
額紫陽花の季節が過ぎようとする頃、残る一輪は萎れかけていると思いきや、意外にも鮮やかな青を見せてくれました。さりげない句ですが、もののあわれを感じさせてくれます。(井出野浩貴)

 

時の日や水あふれてはあふれては
小野雅子
「時の日」は、天智天皇の御代に初めて漏刻(水時計)が設置された日にちなむのだそうです。制定自体は大正時代ですが。由来からいっても水に大いに関係しています。梅雨に入って水がゆたかになる頃の季感を響きあいます。時も水も流れ還ってくることはありません。「あふれては」の繰返しにそうした思いがこめられているかもしれません。(井出野浩貴)

 

公園の樹々うつうつと五月雨
鈴木ひろか
富安風生に「草木のよろこぶ梅雨をよろこばん」という句があるように、植物にとって梅雨は歓迎すべきものです。ところが、この句の場合、作者が屈託を抱えているためか鬱々としているように見えたのです。梅雨で昼間も薄暗い公園での感慨でしょう。(井出野浩貴)

 

贅沢は何もせぬ日のさくらんぼ
小野雅子
贅沢はせぬと言いつつも、店頭で見かけたさくらんぼの美しさに心が躍り、小さな贅沢をしようと買い求めたのでしょう。これがメロンや完熟マンゴーやシャインマスカットでは句になりません。さくらんぼのかわいらしさが魅力です。(井出野浩貴)

 

水馬跳ねて真鯉を躱したり
三好康夫
「水馬」が跳ねる瞬間をとらえました。小さな「水馬」にとって真鯉は潜水艦のように見えることでしょう。それでも逃げるわけではなく、さっと身を躱す、その姿を作者の眼は逃しませんでした。よく見て写生したことで、臨場感のある句になりました。(井出野浩貴)

 

どこまでも行ける青芝やはらかき
小野雅子
「青芝」に足が跳ね返される心地よさだけではなく、初夏の気持よい風に吹かれていることが伝わります。声に出して読んでみるとわかりますが、リズムのよさが心の弾みを表現しています。(井出野浩貴)

 

選挙カー細き手を振り街薄暑
中山亮成
今年の参議院の選挙期間中は記録的な猛暑でしたが、作品は作品として味わいましょう。「細き手を振り」から、比較的若く清新な候補者が想像されます。飯田龍太に「満目の草木汚さず薄暑来る」という句がありますが、この句の「薄暑」のイメージはそのあたりにあるでしょう。「猛暑」では政局しか考えない薄汚れたイメージになってしまいます。(井出野浩貴)

 

海風の抜け豪商の夏座敷
鈴木ひろか
たとえば、北前船などで巨富をたくわえた商人の屋敷などが思い浮かびます。「海風」と「夏座敷」の取り合わせが効果的です。もしかしたら今でも商いを続けているのかもしれませんが、むしろ江戸時代の賑わいが見えるようです。(井出野浩貴)

 

あぢさゐを待たずに逝つてしまひけり
(あじさゐを待たずに逝つてしまひけり)
片山佐和子
実際に故人は紫陽花の好きな方だったのでしょう。とはいえ、故人の好きな花ならばなんでも句になるわけではなさそうです。七変化の異名があるように、咲いている間に色を変えてゆく紫陽花は、異界の象徴にも感じられます。(井出野浩貴)

 

高原の触れむばかりの星涼し
若狭いま子
秋の「星月夜」「流れ星」は美しいですし、「冬の星」も澄み切っています。対して、「夏の星」の傍題「星涼し」には、ほんとうに涼しそうな響きがあります。この句は「触れんばかりの」によって夜の高原の空気感が表現でき、いっそう涼しい句となりました。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

子の飼へる金魚日に日に逞しく
(子の飼ひし金魚日に日に逞しく)
森山栄子

足跡の斜めに渡る植田かな
(足跡の斜めへ渡る植田かな)
宮内百花

四条下ル小さき暖簾の鯖鮓屋
奥田眞二

飛石を守るや川鵜立ちつくし
松井洋子

緑さすトンネル抜けて遠野郷
深澤範子

安宿の朝のカフェオレ夏つばめ
(夏つばめ安宿の朝のカフェオレ)
石橋一帆

西口を出ればいつもの大西日
(西口を出ればいつもの歩道大西日)
深澤範子

抜き手切る佐渡島まで泳がんと
(抜き手切る佐渡島まで泳ぐぞと)
箱守田鶴

スプーンで食べるのが好き冷奴
(冷奴スプーンで食べるのが好きで)
箱守田鶴

電話してをり浅利飯炊けるまで
板垣もと子

Tシャツを九枚干すや梅雨あがる
(外干しのTシャツ九枚梅雨あがる)
小野雅子

炎昼の木橋渡るや照り返し
(炎昼の渡る木橋の照り返し)
石橋一帆

夏至の朝うっすら見へし筑波山
穐吉洋子

荘内の植田海まで広ごりて
辻本喜代志

冷素麺薬味を少し変へ今日も
鈴木ひろか

象潟に鳥海山に夏の雲
辻本喜代志

夏至の雲ゆつくり窓を過りゆく
若狭いま子

仕舞屋の軒に掛かりて枇杷たわわ
鎌田由布子

八十路なほ桑の実盗るを止められず
(我八十路桑の実盗るを止められず)
千明朋代

追憶の生家の門の夏椿
(追憶の生家の門に夏椿)
若狭いま子

卯の花腐し中尊寺まで坂登る
(卯の花腐し中尊寺までの坂登る)
深澤範子

青葉風学士会館いよよ古り
千明朋代

青梅雨や外堀の木々生き生きと
飯田静

地に落ちて白の増したり沙羅の花
(地に落ちて白さ増したり沙羅の花)
小野雅子

樟若葉神社を抜けて通学す
(樟若葉神社を抜けて通学路)
五十嵐夏美

◆特選句 西村 和子 選

丸盆の柾目の美しき昭和の日
森山栄子
ビュッフェスタイルの食事では、今も長方形のお盆は欠かせないが、家で客にお茶を出すのが主な「丸盆」は、使う人が少なくなってきた。
杉だろうか、欅だろうか。どちらにしても、本漆の、造りのよいものに違いない。柾目の美しいこの丸盆も、茶托も、茶碗も、作者は大切に使い続けて来たのだろう。嫁いでからの作者の歴史も、遠くなっていく作法も、「昭和の日」が語っている。(高橋桃衣)

 

都心より富士山消えて夏兆す
鎌田由布子
「夏兆す」は「夏めく」と同様、夏らしくなってきたなあという思いの初夏の季語。日差しが強くなってきた、木々が茂り出した、というのは如何にも夏の到来を感じさせるが、この句は、富士山が消えたという。
雲が富士山を隠したということだろうか。確かに寒い時期よりは雲は湧きやすい。朝は全貌を現していたのに、午後は全く見えなくなることもよくある。
しかし「都心」という少々曖昧で抽象的な言い回しから、高速道路、再開発の高層ビル、狭い敷地の三階建の家などで、今ではすっかり富士山が見えなくなってしまった東京を言いたいのではないか。
「炎暑」や「風死す」では絶望感が漂うが、季語は「夏兆す」。まだまだ東京に未来があると作者は思っているに違いない。(高橋桃衣)

 

紫に明けゆく那智の夏の海
若狭いま子
那智勝浦を訪れ、海を臨む宿に泊まり、朝早く目覚めた時の感動だろう。
水平線まで静かな夏の海が白んでいく様子を、「紫」と色で表現したことで、熊野那智大社を背にした海の神々しさをも感じさせる。
「那智」という固有名詞がよく効いている句。(高橋桃衣)

 

半日蔭蛍袋の好きな場所
水田和代
「蛍袋」は、山野草として好まれる花である。
うちの近くでは、道路との境の、日のよく当たるところに植えられて、毎年元気に咲くのだが、日が強すぎないだろうかと、見ている方が心配してしまうような可憐な花だ。
そのような花には「半日蔭」が好ましく、ほっとすると作者も思っているのだろう。(高橋桃衣)

 

夏野ゆく男言葉の娘どち
小野雅子
男の子に逞しさを、女の子にしとやかさを求めた時代から、男の子に優しさを、女の子に逞しさを願うようになり、そして男女ではなく、それぞれの個性に合わせて、と言われるようになってきた昨今だが、やはり娘盛りの子が男言葉を使うと、振り返ってしまう。
でも、ここは「夏野」。これから山を越えるのかもしれない。娘たちの、逞しい二の腕や日焼けした顔、健やかな汗まで目に浮かんでくる。(高橋桃衣)

 

房州に雲盛上がり夏来る
辻本喜代志
毎日房州を眺めて住んでいるのだろう。今まで、たなびくように山々にかかっていた雲が、入道雲のように盛り上がってきたという、雲の形、出方に、季節の変化を感じた句。(高橋桃衣)

 

日焼けして国籍不明男の子たち
鎌田由布子
昨今は、男子でも日焼け止めクリームを塗る割合が増えてきたようだが、やはり夏の海辺には、競うかのように日に焼けている男子がいる。皮膚の色で国籍がわかるという時代ではなくなりつつあるが、区別がつかないほど日焼けしている、ということなのだろう。(高橋桃衣)

 

クレソンの花や水音聴いてゐる
飯田静
クレソンは、ヨーロッパから持ち込み、養殖していたものだが、清流の中に自生するようになったものも見かける。夜より昼が長くなると、頭頂部に白い花を複数つけるそうだが、この句からは、その小さな白い花が、水の音を聴いていると言っただけで、辺りの静けさを描いている。(高橋桃衣)

 

粗悪品掴まされたる夏の夜
板垣源蔵
夏の夜に買い物をしたところ、買ったものが粗悪品だったという。「粗悪品」を「掴まされた」というのだから、冷房の効いたデパートや整然と物が並んでいる店ではなく、露店のような少々雑な売り方をしているところが想像される。
「夏の夜」は、「熱帯夜」のような寝苦しさ、息苦しさではなく、昼の異常な暑さが少し収まり、ほっとした気分の季語なのだが、それでも粗悪品を買わされてしまった、というのは、夏祭の夜の縁日でのことだったのかもしれない。(高橋桃衣)

 

春惜しむ煙突残し湯屋廃業
宮内百花
お風呂屋さんが廃業したことは、周りの人の口に乗っているので知っている。経営していた人はいなくなり、人気はない。しかし建物はまだ解体されていない。煙突もそのままで、今までのように煙を出しそうだ。そんな様子が「煙突残し」で、はっきりと伝わってくる。
「春惜しむ」は、廃業を惜しむ作者の心そのものだろう。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

聖五月愛の賛歌を原詞にて
(愛の賛歌原詞にて聴く聖五月)
石橋一帆

 

柚の花や丘の上なるカフェテラス
(柚の咲く丘の上なるカフェテラス)
板垣もと子

 

到来のおすそわけなる五加飯
(到来のおすそわけなる五加木飯)
若狭いま子

 

祭着の背中を叩き送り出す
箱守田鶴

 

青葉風飛行機雲の末の溶け 
木邑杏

 

夕暮の中洲に白し遅桜
(夕暮の中洲に白む遅桜)
若狭いま子

 

天蓋は楓若葉や露天の湯
木邑杏

 

讃岐富士仰ぎ一息溝浚へ
(讃岐富士仰ぐ一息溝浚へ)
三好康夫

 

しのびきて鴉すばやく枇杷さらふ
若狭いま子

やませ吹く村の外れに飢饉の碑
若狭いま子

 

マロニエの花の並木をピンヒール
(マロニエの並木に響くピンヒール)
千明朋代

 

夏蒲団ふんわり軽くたよりなき
若狭いま子

 

鈴蘭の鈴をふるはす風立ちぬ
松井洋子

 

色づきて蛍袋に気づきけり
水田和代

 

老練は水を濁さず溝浚へ
三好康夫

 

夏の霧高層ビルを二分して
鎌田由布子

 

鳳凰の濡れても揺れても夏祭
(鳳凰の濡れても揺れても夏祭り)
箱守田鶴

 

寝返りを打つや夏掛裏返り
(寝返りを打つ間に夏掛裏返り)
若狭いま子

 

足の爪切るにも難儀春寒し
(足の爪切るに難儀や春寒し)
穐吉洋子

 

晴れてきて車窓のプラタナス緑
板垣もと子

 

薔薇園のソフトクリーム買ふ列へ
(薔薇の園ソフトクリーム買ふ列へ)
松井洋子

 

姉真紅妹真白薔薇を選る
小野雅子

 

助っ人の多き神輿や揉みに揉む
箱守田鶴

 

美術館でて本物の初夏の空
片山佐和子

 

揚羽蝶気のある素振りして去りぬ
鏡味味千代

 

もそもそと蛍袋は会議中
松井伸子

 

通勤の右も左も懸り藤
(通勤路右も左も懸り藤)
深澤範子

 

桐の花五三五七と咲き揃ひ
佐藤清子

 

手拍子で囃せば神輿さらに揉む
若狭いま子

 

あそび場を見守つてゐる合歓の花
松井伸子

 

手作りの時計復活柿若葉
佐藤清子

 

投了の一礼深く青時雨
森山栄子

 

実家無く故郷も無く柿の花
飯田静

 

祖母の事母の事など梅漬ける
鎌田由布子

 

玄関に飾る冑の緒を締めぬ
(玄関に飾る冑の緒を締める)
平田恵美子

 

飛び石は亀の形よ夏の川
(飛び石は亀の形して夏の川)
小野雅子

 

一日はいつも雨なり三社祭
(一日はいつも雨なる三社祭)
箱守田鶴

 

景気よく母の草笛鳴つてをり
宮内百花

 

葉裏より覗いて落とす実梅かな
水田和代

 

唯我独尊泰山木は花掲げ
中山亮成

 

新緑の道を抜ければ背筋伸び
鏡味味千代

 

小満や老いを養ふ肉を食ふ
(小満や老いを養ふ肉を食み)
小野雅子

 

川幅を狭め新緑猛々し
(川幅を狭め新緑たけだけし)
小野雅子

 

マロニエの花中庭を明るうす
(中庭をマロニエの花明るうす)
五十嵐夏美

 

若楓枝うち広げ風を受け
松井洋子

◆特選句 西村 和子 選

初夏の渚へかかとふくらはぎ
福原康之
「初夏」という若々しい季語、「へ」という方向を示す助詞、「かかと」「ふくらはぎ」とひらがなで足の部位を言うだけで、渚へ子供が裸足で駆け出していく様子が見えてくる。
もう赤ん坊ではない子供の成長した足とその走りように、子供たちの夏がやってきた嬉しさも伝わってくる、省略の効いた句。(高橋桃衣)

 

藤棚の下白髪の映えにけり
五十嵐夏美
優雅な藤に佇めば、誰しもより綺麗に見えることだろうが、作者には白髪が際立っているように思えたという。
先日、藤の前で写真を撮ることに熱中しているコスプレーヤーを見かけたが、この白髪の女性の心ゆくまで藤を観賞している上品な物腰には敵わないだろう。(高橋桃衣)

 

対岸も菜の花ぽつんぽつんと人
小野雅子
「対岸も」とあるから、菜の花に両岸を縁取られている川なのだろう。そのところどころに人が見えるくらいで、他は大きな空があるばかり。そんな絵のような景色が思い浮かぶ句だ。(高橋桃衣)

 

帰るさの手に早蕨のくつたりと
森山栄子
「早蕨」は萌え出たばかりの蕨のこと。野山に採りに出かけるのは「蕨狩」と言い、山菜採りの象徴的な季語で、春の来た喜びを感じさせる。
作者は蕨を採りに出かけたが、袋か籠などではなく手で持っていたのだから、1日をかけてというほどではなかったのだろう。それでも、採った蕨が帰る頃にはもう張りがなくなってきている。結構長いこと蕨を採っていたんだなあ、と改めて感じたに違いない。(高橋桃衣)

 

白つつじ泡のごとくにあふれをり
箱守田鶴
つつじは枝先に花をつけるので、一株全てが花に包まれて見える。それはいかにも「あふれ」るようだ。派手なピンクや赤のつつじが多い中で、白いつつじはかえって目立つ。それが泡のように溢れて見えるというのは、実感だろう。(高橋桃衣)

 

たんぽぽや老いて垂れ目の豆柴犬
五十嵐夏美
犬も歳を取ると顔が弛んでくる。飼っていて毎日見ているとわかならいのだが、若い頃の写真と比べると如実だ。
それなのでこの犬は、作者が飼っている犬ではないように私には思えた。
たんぽぽが咲いている道端で、足取りが少々頼りなくなっているが、まだ可愛らしさは残っている垂れ目の豆柴に合ったのではないだろうか。
「たんぽぽ」の明るさからも、その犬の可愛がられて飼われてきた今までが感じられる。(高橋桃衣)

 

をさなごにポニーに山羊に風薫る
松井伸子
なんとか牧場といったところだろう。馬も小さい。山羊も元々大きくない。そしてそこに来ているのは、親に連れられた小さな子供たち。輝くような小さな命に、若葉のかおりをのせて心地よい風が吹いている。作者の心も、景色と一体となっているようだ。(高橋桃衣)

 

花水木一斉に飛び立たんとす
板垣もと子
「花水木」は北アメリカ原産だが、日本でも街路樹として盛んに植えられてきて、もうすっかりお馴染みになった種である。4枚の大きな花びら(正確には苞)がひらひら風に揺れるので、このように作者には見えたということを、ストレートに言ったところが成功した。(高橋桃衣)

 

SLの煙地を這ふ花の雨
千明朋代
花見に合わせてS Lを走らせるところがあるようだ。乗って花見をする人、桜を通り過ぎる蒸気機関車を撮影する人、それぞれに楽しめる企画である。しかしこの日は雨。でもそれも「花の雨」の風情だ。
蒸気が「地を這ふ」が具体的で、情景が浮かぶ。佳い写真が撮れた人もいるだろう。俳句もできた。(高橋桃衣)

 

雪解川滔滔吊り橋ゆらゆら
中山亮成
五八四となっているが、中七の区跨りで、吊り橋を渡り出したらゆらゆらし始めたということが感じられて、効果的だ。力強い雪解川に対して、なんとも頼りない吊り橋である。その対比が面白い。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

銀蘭の楚々と咲きたるなぞえかな
飯田静

行く春やスマートボール弾く音
宮内百花

藤の花散りて水輪のまた一つ
松井洋子

小島へと牛車瀬をゆく日永かな
若狭いま子

鶯やけふ穏やかな三河湾
千明朋代

掌をくすぐつてゆく寄居虫かな
森山栄子

白つつじ門より長き石畳
片山佐和子

山桜朝日に靄の立ち上がり
鈴木ひろか

浦風の抜ける径あり干若布
辻敦丸

引越しやチューリップともさやうなら
(引越しやチューリップへもさやうなら)
若狭いま子

石垣の高きに梅花卯木垂れ
水田和代

ほころびは激務の証し衣更
辻本喜代志

若葉風アンデルセンの銅像に
松井伸子

雨傘をさして御衣黄桜訪ふ
三好康夫

背守りの麻の葉紋や初節句
森山栄子

つつかれて目を覚ましたる花疲れ
福原康之

祠より湧水絶えず宝鐸草
飯田静

オレンジのキャップ配られ進級す
鎌田由布子

白藤のあるかなきかの風に揺れ
(白藤の有るか無きかの風に揺れ)
木邑杏

カーテンを開けばひなげしの光
松井伸子

夜桜に来て街灯を褒めにけり
片山佐和子

隣より軍歌の聞こえ花筵
松井洋子

葉桜の土手より聞こゆハーモニカ
若狭いま子

洋館の窓いつぱいの若葉かな
五十嵐夏美

昭和の日まだ耳にある軍歌かな
小松有為子

煌めきつつ吹き寄せられし花筏
松井洋子

パソコンの言ふ事きかぬ朧の夜
飯田静

酒瓶で押さへる四隅花むしろ
片山佐和子

早朝の桜の道を独り占め
片山佐和子

スーツの背に皺寄り始め新社員
松井洋子

◆特選句 西村 和子 選

いつ来てもひとりの墓所や春落葉
森山栄子
常緑樹は一年中緑の葉をつけているが、春に芽が生まれると、順繰りに落とす。紅葉が散るような華やかさもなく、目立たない。
春落葉が積もったままになっているこの墓所は、かつて功績をあげた人の墓所なのだろう。墓石も立派、周りに植えられた常盤木も年月を経て大きくなった。
栄華や功績を称えられた墓所が、今は訪れる人もなく春落葉に包まれているという静寂な情景を、この句から誰もが想像できる。(高橋桃衣)

 

悠長な島の言葉や春の昼
鎌田由布子
島の住民の喋り方が悠長だと気づいたのは、作者の耳慣れた都会の話し方は忙しないということだ。
「春の昼」は明るく穏やかで、眠気を誘われるほどのんびりとしている。電車や船を乗り継いで訪れた作者には、島の春の昼の時間の進み方が、別世界のように思われたことだろう。(高橋桃衣)

 

繋ぐ手を放しスキップ卒園す
鈴木ひろか
幼稚園か保育園を卒業する子供の、独立心、嬉しさ、そして子供の未来への作者の眼差しを感じさせる、省略の効いた作品。(高橋桃衣)

 

雛あられ桃色だけを選りにけり
深澤範子
白、桃色、緑、黄色とカラフルな雛あられを、幼い子は一粒ずつ摘まんで口に運ぶ。それも、この子は桃色ばかり選って摘まんでいるという。
大人は一度に何粒か摘まむし、桃色がいいなと思っても、それだけを選び続けることはしない。いかにも幼児らしい行動だ。
もちろんこの子は女の子。雛あられの向こうには、お雛様が飾られているだろう。子供の成長を喜んでいる作者の気持も感じられる。(高橋桃衣)

 

春光の湖渡りゆくトウシューズ
木邑杏
「春光」は本来は春の光景、景色ということだが、この句は春の光が満ち満ちている湖ということだろう。そのような湖を渡るかのようにバレリーナがつま先を立てて踊っている、あるいは春光の中の湖を眺めているうちにバレリーナが踊っている姿を想像したのかもしれない。どちらにしても、春の躍動感とトウシューズが響き合っている。また、「トウシューズ」と一点に絞って描いたことで、読者の想像は広がっていく。(高橋桃衣)

 

初燕仰ぐぽかんと口開けて
森山栄子
春になると飛来する燕。去年の巣に来ることも多く、人家や駅などの軒に巣を作るので、人に親しい鳥である。
初燕だ、と目で追いかけるが、燕は縦横無尽に飛ぶので、仰ぐほど見上げてしまう。だから気づくと口が空いているのだ。「ぽかんと口開けて」はリアルだし、おかしみもある。(高橋桃衣)

 

階段を上れば銀座春の雲
石橋一帆
銀座は地下鉄の街だ。地下鉄を降りて、階段を上っていくと、街が広がる。高いビルの上に空。そこには春の雲がふんわりと浮かんでいる。
「春の雲」というだけで、穏やかな光もショーウィンドウの春色も見えてくる。作者の心躍りも感じられる。(高橋桃衣)

 

検査着の丈は短し冴返る
板垣源蔵
「冴返る」は春になってぶり返す寒さをいうが、心の寒さ、不安も感じさせる。
検査着を着るだけでも不安な状況なのに、その検査着の丈は短く、包んでくれるような温かみはない。病院の廊下も待合室も、冬に戻ったように寒々としていて、落ち着かない。そんな作者の気持が伝わってくる。
「冴返る」は春の季語だ。だんだん春らしい日になっていく。検査の結果はわからないが、よい方に向かっていくだろう。(高橋桃衣)

 

楽しさをこらへきれずに囀れり
松井伸子
「こらへきれず」とためらわずに表現したことで、どのように囀っているのかがよく伝わってくる句になった。この表現に辿り着くまでに試行錯誤をした感じがしない。最初から作者にはそう思えたのかもしれない。(高橋桃衣)

 

宮邸の門の閉ざされ花万朶
板垣もと子
「宮邸」だから宮様の邸宅ということだろう。そのような邸宅は敷地も広く、塀や垣の木々も高く、門も普段閉められているから中の様子は窺えないが、門の近くに桜が今を盛りと咲いているのは、道路を行き交う人や車からも見える。
街騒と隣り合った静寂を感じさせる句である。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

花冷えや梅ヶ枝餅のほかほかと
宮内百花

我もまた人待つひとり駅の春
(我もまた人待つひとり春の駅)
片山佐和子

失恋をあざ笑ふ如朧月
板垣源蔵

春日差心の中も陽が差して
深澤範子

庭覆ひ歩道へ枝垂れ桜かな
(庭覆ひ歩道へ枝垂る桜かな)
板垣もと子

新社員出社階段駆け上る
(駆け上る階段新社員の出社)
辻本喜代志

小流れの飛び石隠し野芹生ふ
松井洋子

段もなく箪笥の上の立雛
辻本喜代志

満開の花上弦の昼の月
鈴木ひろか

霏々と降りはたと止みたり牡丹雪
若狭いま子

水温む足音に鯉寄り来たる
(水温み足音に鯉寄り来たる)
鎌田由布子

風光る商店街の特売日
板垣源蔵

春潮やタンカー短き水尾を曳き
松井洋子

かたかごや人の気配に花震へ
(かたかごの人の気配に花震へ)
飯田静

ほの暗き路地を明るく桜草
若狭いま子

末黒野の一本道へ出でにけり
水田和代

風光る洗濯物が空を舞ひ
松井伸子

風光るアウトレットに人溢れ
鎌田由布子

うつすらと髭らしきもの卒業子
五十嵐夏美

タクシーを遠回りさせ桜見に
(タクシーを遠回りして桜見ゆ)
穐吉洋子

卒業の朝の鏡へ直立す
(卒業や朝の鏡へ直立す)
平田恵美子

朝には雨に変はりぬ春の雪
鈴木ひろか

てんでんにおいでおいでと雪柳
五十嵐夏美

目の笑ふ馬形埴輪春深し
宮内百花

◆特選句 西村 和子 選

ゆるゆると夜へ流るる春の雲
松井洋子
伸びやかに浮かぶ春の雲を眺めていると、寒い間緊張していた体も心も緩む。
空が暮れていくのも、雲が流れるのもゆったりとして、他には動くものもないような遅日の夕暮を、「夜へ流るる」と表現したところがこの句の眼目。
穏やかで何事もなく終わろうとしている一日、作者の心の落ち着きも感じられる。(高橋桃衣)

 

シスターのひそひそ話春めけり
五十嵐夏美
水が温み、木々が芽吹き、万物が息を吹き返す頃、人も活動的になる。
作者は、シスターが仲間と内緒話をするかのように話している様子を見て、春らしくなったなあと感じた。修道生活を送り、一人静かに歩く姿が印象的なシスターだからこそ、より感じたことだろう。(高橋桃衣)

 

いつもよりゆっくり歩く春の宵
鎌田由布子
取り立てて急いで帰ることもない。大気も生暖かい。花の香もする。「春宵一刻値千金」と言われる春の宵だ。遠回りするほどではないけれども、少しゆっくり歩いて帰ろう、という心の華やぎが伝わってくる。(高橋桃衣)

 

雪残り富士の襞までつまびらか
鏡味味千代
「富士の雪解」は夏の季語だが、この句は、雪が解け始めて、ごつごつとした縦の筋と山肌がはっきり見え出す頃の富士山の様子だろう。「つまびらか」で、富士山の全容が眼前に浮かぶ(高橋桃衣)

 

浮かびたる言葉とけゆき春の雲
小野雅子
棚引くような春の雲はもちろん、ぽっかりと浮かんでいる雲も、冬のような硬さはなく、ほぐれては空にとけていく。
作者は句を案じて雲を見つめていたのだろう。そこでふと浮かんだ言葉は、春の雲のように空にとけていってしまったのだろうか。頭の中に浮かんで、消えていったのかもしれない。
長閑な春の、少々ぼうっとした気分を楽しんでいる作者である。(高橋桃衣)

 

トンネルを出で春の闇さらに濃く
鏡味味千代
トンネルの中は、街灯がついていても暗いが、トンネルを抜けたところは、街灯もない、月も出ていない本当の闇だ。しかし、木々の匂いがする。花の香りもして、瑞々しい感じがするという。
「春の闇」とはそういう闇である。ちなみに、「冬の闇」「夏の闇」「秋の闇」など、他の季節では使われない。(高橋桃衣)

 

風光る千本松のその先へ
福原康之
「千本松」とは、たくさんの松が綺麗に植えられているところ、あるいはその松の木をいうが、春の光に満ちた松林に、風が吹いているだけではなく、その松林の向こうまで風が渡っていくと描写したことで、広い、まばゆい光景が目に浮かんでくる。(高橋桃衣)

 

早梅の小枝を揺らす番かな
森山栄子
「早梅」は晩冬の季語で、「冬至梅」のような種類ではなく、冬のうちに早々咲き出した梅のことをいう。
春を待てずに咲き出した梅の木に、小鳥が二羽来ている。目白の番だろう。次々と梅の花の蜜を吸っている様子を、「小枝を揺らす」とポイントを絞って表現したことで、鳥の蜜を吸う姿も、鳥影も見えてくる。春はもうそこまで来ている、という明るさも感じる。(高橋桃衣)

 

転読の声天界へ節分会
三好康夫
節分会の読経が響き渡っている。それを「声天界へ」と言い切った表現が効果的。まるで天に届くかのように、などと遠慮っぽく言うと説明的になる。この表現で、声の強さも、辺りに満ちていることも伝わる。
読経が終わると、いよいよ豆撒きが始まる。(高橋桃衣)

 

氷瀑をくねらせ龍の滑りくる
佐藤清子
「氷瀑」は寒さで凍りついた瀧のこと。時間をかけて凍るため、何層にもなっていて、透き通った氷の塊というわけではない。作者が見ている氷瀑は、まるで龍がくねっているかのような模様になっているのだろう。時が止まったかのような氷瀑を、龍が体をくねらせながらつるつると滑り降りてくるとは、楽しい発想だ。
私にはこう見える、とはっきり表現することで、見たことのない読者は想像することができる。(高橋桃衣)

 

一握の藁に始まる野焼かな
奥田眞二
「野焼」は初春の季語で、野や土手や畑などの枯草を焼いて、土の栄養とし、新しい草の出をよくしようというもの。
一握りの藁に火をつけて、そこから次々と火が広がっていくということを、要領よく17音で描いた作品。
山火事が日本でも多かった今年、野焼が原因でないことを祈っている。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

節分の鬼より貰ふ菓子袋
(節分や鬼より貰ふ菓子袋)
片山佐和子

点滴を終へて見上ぐる春夕焼
松井伸子

不忍の池に一泊鳥帰る
石橋一帆

雉子の声遠くに聞こゆ春寒し
(春寒し遠くに聞こゆ雉子の声)
深澤範子

小流れは今も変はらず蕗の薹
松井洋子

下萌や向かうの畦も萌えそめし
小野雅子

水仙や幽き風に揺れ止まず
飯田静

探梅の山の向かうも空青し
松井洋子

春の雪センサーライトまた灯り
松井洋子

クロッカス黄色いきなり笑ひ出し
(クロッカス黄色いきなり笑い出し)
佐藤清子

囀りを聴くために来るカフェテラス
(囀りを聴くためにゐるカフェテラス)
片山佐和子

豆皿に遊ぶ唐子や春隣
森山栄子

鈍色の空を擽る欅の芽
中山亮成

焼き立てのキッシュ菠薐草の深緑
木邑杏

雛壇の小さき調度にひざまづき
(雛展小さき調度にひざまづき)
水田和代

顔に母のおもかげ雛飾る
片山佐和子

山巓へ料峭の雲ちぎれゆく
(山巓に料峭の雲ちぎれゆく)
若狭いま子

文机に朱の絹一枚雛飾る
(文机に朱の絹一枚雛飾り)
箱守田鶴

幾たびもカード占ひ春灯
鈴木ひろか

水草生ふところどころに泡浮かみ
(ところどころ泡の浮かみて水草生ふ)
板垣もと子

朧夜の誘導灯の見え隠れ
鎌田由布子

春耕の土ふかふかと甘さうな
松井伸子

まんまるにはなびら重ね梅つぼみ
(梅つぼみはなびらまんまるに重ね)
板垣もと子

留守番を雛に任せ入院す
松井伸子

探梅や獣道より人の声
松井洋子

台所夫に任せ春セーター
鏡味味千代

長閑けしや米つぶ撒けばすずめ来て
(長閑けしや米つぶ置けばすずめ来て)
石橋一帆

天神の梅より白し綿帽子
箱守田鶴

◆特選句 西村 和子 選

亡き母と同じことして年用意
千明朋代
「積極的に伝統を受け継いでゆく」のではなく、「気がついたら、そうなっていた」という小さな気づきを発見し、一句に仕立てあげられました。そこに俳句の味わいが感じられます。
ことさら吟行に出かけなくても、丁寧な日常を送っていると、句材や句想は自ずから湧いてくるものだと、改めて考えさせられました。(中田無麓)

 

寒戻る木造家屋築百年
水田和代
一句を読んで想像が直ちに立ち上がってきます。明治期の建築の堅牢な柱や梁、それらに囲まれた静謐な空間の佇まいが凛としていて、季題に相応しい空気感を醸し出しています。
韻律の面で特徴的なのが、「戻る」を除いたすべての語が、音読みになっていることです。その硬質な音感も季感に花を添えています。(中田無麓)

 

和布刈神事火の粉激しく渦を巻き
木邑杏
行事や観光地をエトランゼとして詠む際、ある種の句は「絵葉書俳句」と揶揄されることがあります。では、「絵葉書俳句」とは何でしょうか? 個人的には、その地、その行事の持つ既成概念や既成イメージから抜けきれない句、あるいは一句に情報を過多に詰め込んだ俳句かと思います。
作者がエトランゼか否かはさておき、掲句には「絵葉書俳句」の要素が見当たりません。その大きな理由の一つが、「自身の心が最も揺り動かされた点」に絞って、潔く詠み下していることにあると言えます。神事を取り巻くいくつもの情報、例えば厳寒、桶、神職の装束などには触れず、松明から舞い上がる火の粉のみに焦点を当てたことが鮮やかな印象につながり、凡百の説明を超えた訴求力になっているのです。(中田無麓)

 

結論のでるまで歩く枯野原
片山佐和子
「枯野」という季題の本意を、物理と心理の両面から鮮やかに切り取られた一句と言えましょう。結論の出ないうちは荒涼たる野面であるという把握は、即物的に描きながらも、心象をも大いに発露されています。仮に下五を大花野や芒原に置き換えたとしましょう。同じ5音でも、枯野原以外の季語の斡旋は考えられません。
今は孤愁の只中にいる作者ではありますが、結論が出さえすれば、植物の命は、草萌や芽吹きに向かいます。そんな希望も掲句からは読み取ることができます。(中田無麓)

 

朱鷺色に筑波嶺染まる初茜
穐吉洋子
大景が正面から悠揚迫らず描かれていて、気持ちの良い一句になりました。関東平野のそこかしこから望める独立峰の筑波山。横山大観の富士山絵のような趣きがあります。
加えて、掲句で注目したいのは、微妙な色彩の饗宴です。朱鷺色の峰の色と、稜線を隔てた茜色。とても繊細な日本の伝統色のアンサンブルが洗練されています。「紫峰」という筑波山の別名を知っていてもいなくても、名峰の形容に相応しい描出と言えるでしょう。(中田無麓)

 

堆き上に絵馬掛け初詣
五十嵐夏美
掲げられる絵馬の願いで多いのは、恋愛成就や合格祈願が通り相場です。京都の北野天満宮などが代表的でしょう。その絵馬が「堆く」奉納されているというのですから、その数は半端ではありません。
この「堆い」という形容詞の斡旋が掲句の大きなポイントになっています。語意は「もりあがって高い(広辞苑)」こと。つまり体積と量感にリアルな存在感があるのです。因みに上五を「数多き」や「嵩高き」に言い換えてみると、言葉の選択の的確さがわかると思います。
一句はモノに即して客観的な写生に徹しているのですが、読み手はただただ、祈りの熱量に圧倒されるばかりです。(中田無麓)

 

福笹をおしいただきて爺破顔
小野雅子
場面転換が鮮やかな一句です。上五中七に宿るのは厳粛な気分と敬虔な気持ち。言わば「静」の世界です。一方、下五はそこから一転して破顔という「動」の世界に移ります。静と動、聖と俗の同居が十日戎の特徴です。掲句は僅か17音の中に、行事の本質が鮮やかに詠み込まれています。「破顔」という言葉の中に関西人の十日戎への思いも色濃く滲み出ています。(中田無麓)

 

着ぶくれて自転車から転がりさう
石橋一帆
「着ぶくれ」という季題は、どちらかと言えば自虐気味でネガティブな心象の表象として用いられることが多いのですが、掲句はズバリ実景に即した物理的な印象を与えていてユニークです。オジサンかオバサンか? どんな自転車か? 用事か遊びか? 読み手の想像力を掻き立ててくれる面白い句でもあります。
とは言え、ただ面白いだけではなく、本気で心配している作者の心情も、言外に伝わってきます。このやさしさが救いになっています。中七から下五にかけての句またがりの不安定感がかえって功を奏し、不安や心配を増幅させていて巧みです。(中田無麓)

 

たちまちに雪呼ぶ雲となりにけり
片山佐和子
同様の空模様を指す季題に「雪催」がありますが、その静的なイメージとは裏腹に掲句は、スピード感を伴った動的な句姿が印象的です。にわかにかき曇った空の変容の速さと、その後の長い静寂が対比的に描かれているのもポイントです。「たちまち」で速さを、「なりにけり」で静寂の継続を、という使い分けも巧みです。
季題はそれ自体、洗練されながらも多くの含みを持つ、磨き抜かれた言葉ですが、ときには季題を「因数分解」することで、新しいイメージを獲得することもできます。(中田無麓)

 

寒鰤や怒濤といふは心にも
小野雅子
「寒鰤」という季題が極めて効果的に用いられています。読み手は冬の日本海沿岸の漁港、あるいはその周辺の漁師町や海岸で荒れた海を見ていることが想像できるのです。
それ以上に掲句の味わいは、心の中に荒ぶる怒涛を発見したことにあります。「心」を使った句は、写生から離れて一人よがりになりがちですが、一句の表現は抑制が効いていて、しかも写生から隔たることはありません。下五の「にも」という助詞の連語から、眼前の景と心象との並列であることで明らかです。心中の怒涛の訳は明らかではありませんが、実景の怒涛の激しさを描写する術としても巧みです。(中田無麓)

 

福笹を大魚のやうに掲げ来る
小野雅子
大魚という比喩が秀逸です。おそらく吉兆が鈴生りで、その重みにより福笹も撓みに撓んでいることでしょう。えべっさんの鯛からの連想も隠し味になっているようです。京都の宮川戎、大阪の今宮戎、兵庫の西宮戎など、人出の多い十日戎の景かと拝察しました。
掲句は簡単に見えて、実に奥行の深い句でもあります。句中の大魚は実際に得た実利ですが、大魚のように掲げる福笹やその飾り物である吉兆は願望や祈りと言った虚にすぎません。商売繁盛という実利が得られるかどうかは、定かでありません。言わば、反故になるかもしれない約束手形のようなものです。それにも関わらず、すでに約束されたものと疑わず、晴々と堂々と闊歩するというのです。ここに関西人ならではの気質やえべっさんへの信頼の深さが垣間見えます。(中田無麓)

 

山の音ごろりごろりと北颪
辻敦丸
「山の音」と言えば、地鳴りや風音と言った自然の音を指しますが、川端文学の題名を連想するケースが、大方の向きのようです。掲句も人間の暗い部分、不安や焦燥といった要素が多分に含まれていて、小説としての「山の音」を踏まえた作りになっていると勝手に想像しました。その所以は中七の「ごろりごろり」という擬音語。重厚ながら角張った語感、少し耳障りな響きが不気味であり、得体のしれない魑魅魍魎を思い起こさせます。
一方、川端を下敷きにしなくても、一句は充分な量感をもって成立します。モノトーンを背景に自然への畏怖が描き切れているのです。(中田無麓)

 

 

 

◆入選句 西村 和子 選

豚汁の味見をしつつ春を待つ
松井伸子

枝先の紅烟る梅蕾
水田和代

寒紅をさして一日の力とす
(寒紅をさして一日の力かな)
片山佐和子

年詰まる報道局の喫茶室
宮内百花

知らぬ間に声きつくなる小晦日
千明朋代

買初のおまもり緋色みどり色
三好康夫

朝日受け篝火草の一段と
鎌田由布子

熱々の鯛焼を待つ列無言
板垣もと子

花びら餅一人のための薄茶たて
小野雅子

雪白の富士にちからを貰ひけり
松井伸子

トロ箱の鮟鱇どろり目鼻口
木邑杏

空っ風もじゃらくじゃらの髪になり
辻本喜代志

閉店の知らせまたもや年の暮
宮内百花

笑ひては泣いては笑ひ初芝居
板垣もと子

冬の空うす紫に暮れゆけり
若狭いま子

一人欠け女正月集ひけり
箱守田鶴

サッカーの子らの声聞く散歩かな
平田恵美子

大寒や靴音硬き石畳
若狭いま子

春近し宵の明星雲を抜け
鏡味味千代

日射しある方へ方へと梅探る
佐藤清子

電車バス乗り継ぐ子らや冬うらら
宮内百花

冬の雲街はくもりて海光る
平田恵美子

鎌倉の路地より女礼者かな
奥田眞二

飛行機が窓を横切り風邪心地
(飛行機は窓を横切り風邪心地)
鏡味味千代

寒卵ですよと女将愛想よき
(寒卵ですよと愛想よき女将)
奥田眞二

庭先の沈丁蕾固きまま
水田和代

春隣烏ふはりと舞ひ下りぬ
松井洋子

土塊のやうな牡蠣蒸す一斗缶
(一斗缶で蒸す土塊のやうな牡蠣)
森山栄子

筑波山二峰くっきり寒の朝
穐吉洋子

白きもの眉にも見つけ初鏡
(白きもの眉にも有りぬ初鏡)
穐吉洋子

寒晴や楠公像の馬猛り
森山栄子

悉くすれ違ふ人息白く
深澤範子

元気かと添へて名無しの年賀状
松井伸子

藍染の冬のエプロン身になじみ
若狭いま子

寒の雨千年の楠煌ける
木邑杏

恋歌と解る年ごろ歌留多読む
佐藤清子

日当たりの良きところより水仙花
水田和代

冬晴やをさな子の絵に迷ひなく
松井伸子

推敲の一句の如何に初句会
(推敲の一句如何にや初句会)
奥田眞二

寒雷や潮鳴りに沿ふ五能線
小野雅子

鮪の頭どんと据ゑあり魚の棚
平田恵美子

行き先は未定の一日小六月
千明朋代

野の果ての讃岐山脈雪積もる
三好康夫