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◆特選句 西村 和子 選

母の日の吾に届きし一句かな
板垣もと子
作者は京都の方ですが、東京に住む息子さんは今ボンボヤージュに在籍しています。だいたいにおいて、男は「母の日」にプレゼントを贈るようなことは好まない傾向がありますが、俳句を贈るというのは味わいがあります。この句は、さりげなく事実だけを詠み、余計な説明をしていないおかげで、読者も静かな喜びを味わうことができます。(井出野浩貴)

 

新緑やトンネル抜けて遠野郷
深澤範子
「遠野」という地名は、すぐさま河童や座敷童を連想させます。トンネルを抜けた途端に、殺風景な現代社会から豊かな民俗の世界にタイムスリップするかのような愉しい句です。「新緑」がひときわ美しいことでしょう。(井出野浩貴)

 

立葵友と会ふ日のいつも晴れ
森山栄子
「立葵」の咲くころは、雨が降ったり、真夏のように太陽が照りつけたりすることが多いと思いますが、「いつも晴れ」というすっきりした表現は、梅雨晴の日の心地よい風を感じさせてくれます。まっすぐに伸びた「立葵」の姿が重なります。(井出野浩貴)

 

夏来る手足の長き少年に
鎌田由布子
手も足も長い今風の少年が涼しげです。「夏来る」から十代の少年の躍動感が想像されます。近年の夏は猛暑と豪雨ばかりですが、このような風の吹き抜けるような句も詠みたいものです。(井出野浩貴)

 

普段着も混じりて子供神輿かな
小山良枝
大人たちは揃いの法被を着て神輿をかついでいるわけです。「子供神輿」が練り歩くうちに沿道で見ていた子供たちが引き寄せられ、だんだん担ぐ人、付き従う人が増えていったのでしょう。「普段着も混じりて」から雰囲気が自然に伝わってきます。(井出野浩貴)

 

名画座を出でて黄昏リラの花
穐吉洋子
名画座の闇を出れば外は薄闇につつまれていています。どこからか漂ってくる「リラの花」のにおいが、映画の余韻ともあいまって、異界に運んでくれるかのようです。ヨーロッパの古い映画を見たのでしょうか。(井出野浩貴)

 

青嵐ドクターヘリの発たんとす
小野雅子
ドクターヘリの出動ですから、命を救うために一刻を争うような事態です。深刻な状況ではあるけれども、「青嵐」を搔き消すようなヘリコプターの轟音には、たのもしさと躍動感があります。もし「青嵐」以外の季語だったらこうはいかないでしょう。(井出野浩貴)

 

芍薬の花びら幾重まだ開く
小野雅子
「芍薬」を詠んだ一物仕立ての句として、コロンブスの卵のような句です。下五の「まだ開く」に臨場感があります。リズムのよさが心地よく、花の美しさに見とれている感じが伝わってきます。(井出野浩貴)

 

カレンダーさつとめくりて五月来る
田中優美子
日常のなんでもないことを詠んでいます。二月から十二月まで、どの月でもカレンダーをめくって新しい月を実感するわけですが、一年でもっとも美しいイメージのある「五月」以外では句にならないでしょう。俳句はつくづく日常の詩なのだと思わされます。(井出野浩貴)

 

喧噪へ栴檀の花しんと散り
田中花苗
都会の街路樹の栴檀でしょう。初夏の明るさと街の喧噪の中を、淡い紫の花びらが静かに散っていくさまが美しく描かれました。上五と中七下五のコントラストが効果的です。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

ひと言を今も悔やめり桜桃忌
(ひと言を今も悔やみぬ桜桃忌)
田中優美子

幸せの口の形のチューリップ
(幸せのわの口の形チューリップ)
福原康之

化粧坂鶯老を鳴きにけり
(化粧坂鶯老いを鳴きにけり)
奥田眞二

青葉風玄界灘を吹き渡る
木邑杏

噺家の愛想笑ひの夏羽織
(噺家の愛想笑ひや夏羽織)
宮内百花

校庭の歓声消えて夏の暮
鎌田由布子

おにぎりの海苔ぱりぱりとこどもの日
田中優美子

老犬の歩めばポピー散りかかり
松井洋子

上がり上がり上がり切つたる雲雀消ゆ
(上がり上がり上がり切りたる雲雀消ゆ)
三好康夫

今様の破れジーパン夏に入る
(今様の破れジーパン夏始む)
穐吉洋子

軽暖やすぐばれる子の小さき嘘
飯田静

切り返す羽根すつきりと夏燕
田中花苗

薄衣古格を守る手振りかな
小原濤声

寝過したかとふためいて昼寝覚め
藤江すみ江

大学病院出て新緑のきはやかや
(大学病院出て新緑のきはやかさ)
荒木百合子

夏来たる赤銅色の漢どち
木邑杏

旅立ちの卯月ぐもりの車窓かな
巫依子

カンカン帽連ねて祭ふれ太鼓
箱守田鶴

芍薬へ夫呼び子呼び猫を呼び
小野雅子

手拍子のどつと起こりぬ神輿渡御
小山良枝

ぬばたまの闇ひびかせて牛蛙
平田恵美子

指でさし身振りで伝へ支那薄暑
福原康之

五月闇考へ続けること大事
田中優美子

髪を切る鋏軽やか薄暑かな
深澤範子

ラベンダー咲いて辺りを清めけり 
松井伸子

子雀の翅震はせて餌を欲る
(子雀の翅振るはせて餌を欲る)
中山亮成

細枝を啣へ忙しき河鵜かな
藤江すみ江

藤の花さ揺らぐ頃よ母逝きぬ
(藤の花さ揺らぐ頃に母の逝く)
中山亮成

幼子の好きなパプリカ夏来る
鎌田由布子

芍薬の開ききつたる軽さかな
小野雅子

新築の棟を凌ぐや鯉幟
三好康夫

蛍火や老いても姉妹手をつなぎ
(蛍火や老いても姉妹手をつなぐ)
平田恵美子

少女らは何でも楽し走り梅雨
松井伸子

薫風や船首彩る信号旗
鈴木ひろか

糸瓜忌や遺品に地球儀仕込み杖
(糸瓜忌の遺品に地球儀仕込み杖)
箱守田鶴

夕風に祭の垂のひるがへり
(夕風に祭の垂のひるがえり)
若狭いま子

十薬や学生はみな無表情
宮内百花

島一つ夕日に染り聖五月
木邑杏

卯の花腐し電線の鳩動かざる
松井洋子

突き出でしプラットホーム南吹く
森山栄子

大木の茂れる名主屋敷跡
五十嵐夏美

亡き夫の扇子や風の膨らみて
(亡き夫の扇子は風の膨らみて)
平田恵美子

子等の声空に響いて夏近し
深澤範子

お茶好きな母でありけり新茶汲む
箱守田鶴

けふもまた通るこの道花樗
水田和代

昼顔の色淡くして寂しげな
松井伸子

もう一段脚立を上がりみどり摘む
三好康夫

古寺巡礼夏うぐひすを友として
(古寺巡礼夏うぐひすを友にして)
辻本喜代志

荒神輿角を大きくまはりけり
小山良枝

畦焼きの煙揺らして一両車
辻敦丸

山滴る伊予見峠と言ふ峠
三好康夫

紺青に白き航跡夏来る
(紺青に白き航跡夏はじめ)
辻敦丸

◆特選句 西村 和子 選

アネモネや少女は顔を二つ持つ
小山良枝
思春期の少女、子供と大人の両方の顔を持つ年齢の少女でしょう。季語が効いています。「アネモネ」はギリシャ語で「風の娘」を意味するそうですが、まさに風のように自在に顔を変えることが想像されます。「アネモネ」という音韻にも惹かれます。(井出野浩貴)

 

ミルキーの包みも交じり花の塵
松井洋子
だれでも知っているロングセラーのミルキーは、その包み紙の色も花びらのようです。どこかの花筵から風に運ばれてきたのでしょうか。なんでもないことですが、家族の平和な花見の一景色が描けました。(井出野浩貴)

 

春田打つ境界線まで日暮れまで
辻本喜代志
「境界線まで」は空間、「日暮れまで」は時間のことですが、リズムよく繰り返されています。田打は重労働なのでしょうが、春を迎えた喜びと働くことの充実感が、調べのよさからおのずと感じられます。(井出野浩貴)

 

兄弟と見ゆる三人チューリップ
藤江すみ江
いまどき珍しくなった三人兄弟の雰囲気が季語から感じられます。童謡の一節「なーらんだ なーらんだ 赤白黄色」がすぐに連想され、子供たちの年齢や、似ているようで微妙に性格の違うことなども想像されます。(井出野浩貴)

 

梅散るや袂ふくよか孔子像
千明朋代
早春のまだ寒い頃に咲く梅の清冽で凛としたたたずまいは、孔子のような徳の高い君子を思わせます。この句の「袂ふくよか」は、孔子の悠揚迫らぬ知性の深さの象徴でしょう。上五の「梅散るや」と響きあっています。(井出野浩貴)

 

老人と赤子早起き山笑ふ
小山良枝
老人も赤子も世間の時間の流れからすこし離れた時間を生きているということでしょう。春になって山に緑が兆すように赤子は成長し、老人はせわしない生産の時間からやや距離をおいて、赤子の成長や自然の運行をゆったり見ることができるのです。季語「山笑ふ」が効いています。(井出野浩貴)

 

春雷のずしんずしんと近づけり
辻本喜代志
「雷様」と言い慣わしてきたように、人は雷に天の意思を読み取ってきました。雷は夏のものというイメージがあるだけに、「春雷」には不穏なものを感じることもあるかもしれません。この句は「ずしんとずしんと」というオノマトペに心理状態が表されています。(井出野浩貴)

 

花時計植ゑ替へられて夏近し
鎌田由布子
花時計の花の植え替えられたことに気づくことはあまりないかもしれません。ところが作者は春の花が初夏の花へ植え替えられた瞬間に気づいたのです。何気ない光景に感じた季節の移り変わりを詠み、晩春の光のまぶしさを感じさせます。(井出野浩貴)

 

さよならの声こだまする春夕焼
松井洋子
山に囲まれた町で、学校帰りの子供たちが元気な声でさよならを言いあっているのでしょうか。「春夕焼」には、「夕焼」「夏夕焼」「冬夕焼」とは異なる、郷愁を誘うのどかなイメージがあります。すこやかな明日への願いが感じられます。(井出野浩貴)

 

大いなる野望を抱き入社式
深澤範子
季語の本意に忠実に詠まれた句です。現代ではこの句のような青雲の志をいだく新入社員は少ないかもしれません。遅かれ早かれ壁にぶつかり挫折する若者も多いことでしょうが、心を病まない程度にがんばってもらいたものです。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

江の島の路地うら猫と春の蝿
奥田眞二

車窓より三条四条春の暮
鈴木ひろか

船笛に活気づく島桜散る
(船笛に活気づく島散る桜)
宮内百花

雨雫堪へて花の蕾かな
藤江すみ江

花の雨大橋とほく灯り初む
(花の雨とほく大橋灯り初む)
巫依子

花筏船尾の渦に崩れたる
(船尾渦に崩れゆきたる花筏)
板垣源蔵

閉ざされしままの空き家に花の雨
穐吉洋子

雲ひかり山はればれと牧開き
松井伸子

花ふぶき川へ石畳へ髪へ
小野雅子

遅桜一葉住みしこのあたり
(遅桜一葉住まひしこのあたり)
箱守田鶴

対岸の山並やはら養花天
小野雅子

関門の渦の大きく先帝祭
鎌田由布子

見上げゐる亀の鼻先藤の花
福原康之

踏切の先の駄菓子屋陽炎へり
森山栄子

永き日や磯にささやくささら波
奥田眞二

石鹸玉ひとりが好きな幼かな
鈴木ひろか

桜餅ほほばる川風心地よく
箱守田鶴

夢に見し町に暮らすや桐の花
巫依子

山櫻文字のかすれし道しるべ
辻敦丸

風光る色取り取りのランドセル
鎌田由布子

はなびらに埋もれ蝶のまどろめる
小野雅子

羊の毛刈る小さき手に手を添へて
福原康之

通勤は島から島へ豆の花
宮内百花

耕耘機春泥こぼしつつ帰る
若狭いま子

富士見ゆる方へ巣箱を掛けにけり
小山良枝

茉莉花の甘たるき香に目覚めたり
(茉莉花の甘つたるきに目覚めたり)
五十嵐夏美

はね橋を抜けて海へと春疾風
小野雅子

糸柳釣人たれも背を曲げて
(糸柳釣師たれもが背を曲げて)
千明朋代

暖かや文字の大きな時刻表
飯田静

自治会に相次ぐ訃報春寒き
三好康夫

肩上げの娘が運ぶ桜餅
(肩上げの娘お運び桜餅)
千明朋代

雨傘を忘れて帰る花月夜
(雨の傘忘れて帰る花月夜)
巫依子

失ひし物を数へて明け易し
(失ひし物数へゐて明け易し)
福原康之

口数の少なきふたり花の雨
巫依子

春暁や真下に止まる救急車
穐吉洋子

春の野にゆつくり溶けてゆく心地
松井伸子

パンジーの花壇を跨ぎ郵便夫
松井洋子

花の雲ベンチに句帳スケッチ帳
平田恵美子

天守へと吹き上りたる花吹雪
松井洋子

池の面をゆるり回遊花筏
松井伸子

花楓水面に枝を差し伸ばし
飯田静

うららかや子が父を待つ赤信号
小野雅子

川底の影もひとひら桜散る
小野雅子

鎌首をもたげ日陰の蝮草
松井伸子

花筏向かうの橋にも人が立ち
小野雅子

桜貝少女小説読みしころ
箱守田鶴

円窓の遠くに庭師花楓
鈴木ひろか

ウィンドにカナリア色の春コート
(ウィンドーにカナリア色の春コート)
鎌田由布子

踏み出せば押し返しくる春の土
田中優美子

巣燕に車庫を取られてしまひけり
松井洋子

紫木蓮見知らぬ人に会釈され
松井洋子

荒川に飛び込むが如鯉幟
板垣源蔵

スピードを上げし車窓へ若葉触れ
板垣もと子

囀や園児の声に重なりて
五十嵐夏美

糸桜裏参道は山の中
鈴木ひろか

 

◆特選句 西村 和子 選

お涅槃の法螺貝島に鳴り渡り
巫依子
作者は尾道の人。法螺貝は密教僧が唐より伝え、真言宗や天台宗などの法要で使われるそうです。「島に鳴り渡り」というのですから、瀬戸内の小さな島が思われます。釈迦の遺徳によって、凡俗の煩悩も清められそうです。(井出野浩貴)

 

春めくや路面電車のたまご色
飯田静
白でも茶でもなく「たまご色」という色のやわらかさが、季語「春めく」と、また「路面電車」ののどかさと響きあいます。殻の色のことだと思いますが、卵黄の色もそこはかとなく想像されます。これから生まれるものというイメージも重なります。(井出野浩貴)

 

予備校の窓にぽつりと春ともし
奥田眞二
これは2月か3月でしょうか。「ぽつり」というのですから、受験日直前、自習室でひとり勉強をしているのか、少人数で特別講習を受けているかといったところでしょう。「春ともし」に作者のやさしい視線を感じます。(井出野浩貴)

 

野遊やいつのまにやら死の話
千明朋代
「野遊」と「死の話」の落差に一瞬虚を突かれます。けれども、自然の中に身を置けば、生きることも死ぬことも同列のことなのかもしれません。力みなく軽やかに詠んだことで成功しています。(井出野浩貴)

 

自転車を下りて仰ぐや今日の花
森山栄子
自転車で桜の下をゆくのは気持がよいことでしょう。自転車を停めてゆっくり花を仰げば、ひときわ心に沁みることでしょう。句では「下りて仰ぐ」しか言っていないのですが、またこれから花の下を走ってゆくのだろうと想像されます。(井出野浩貴)

 

ルービックキューブ軽やか水温む
宮内百花
ルービックキューブの面をどうしたらささっと揃えられるのか不思議です。その軽やかさはたしかに春めいています。その内容と「水温む」とは関係ありませんが、その取り合わせの飛躍がルービックキューブの名人の手つきのようです。(井出野浩貴)

 

新しき自転車春風よ続け
田中優美子
新年度、新しい自転車で通勤するようになったのか、それとも休日にサイクリングを楽しんでいるのか、いずれにしても気持のよい季節です。「春風よ続け」のリズムが心の弾みを伝えます。命令形の妙味です。(井出野浩貴)

 

掌を開くやうなはくれん昼の月
(手を開くやうなはくれん昼の月)
奥田眞二
「はくれん」(白木蓮)の色と、うっすらと見える「昼の月」の色と、雲の色、微妙に異なる白が重なり、三月の空の色が見えてきます。「掌を開くやうな」もまた、春という命の始まりの季節を象徴しているようです。(井出野浩貴)

 

母妙にやさしくなりて春寒し
藤江すみ江
高齢の御母堂なのでしょう。「妙に」というのですから、かつてははっきりものをおっしゃる方だったのだろうと想像されます。「やさしくなりて」は体が衰えてきたからなのでしょうか。季語「春寒し」に作者の心情が託されています。(井出野浩貴)

 

春の風ハシビロコウの羽ふはり
鈴木ひろか
ハシビロコウは置物のように何時間もじっと動かず獲物を待ち続けることで知られています。おかしみのある鳥です。その動かぬ鳥の羽が「ふはり」となびいた瞬間をとらえました。「春の風」のいたずらのようです。「秋の風」では句になりませんね。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

枝垂れ枝をなぞるごとくに春の雪
(淡雪の枝垂れ枝なぞるごと降りぬ)
荒木百合子

手作りの竹笛鳴らす梅日和
(手作りの鳥笛鳴らす梅日和)
藤江すみ江

来ては去り去ればまた来る百千鳥
田中花苗

春浅しハーブティー赤透きとほる
(春浅し赤のハーブティー透きとほる)
深澤範子

初蝶は生垣離れずに飛べる
三好康夫

ご詠歌の調べのせたる涅槃西風
巫依子

水温む川鵜なかなか浮いて来ぬ
(水温み川鵜なかなか浮いて来ぬ)
小松有為子

観音に詣でしよりの春ひと日
(観音さま詣でしよりの春ひと日)
箱守田鶴

引越しや春を載せては降ろしては
松井伸子

ハイヤーで立寄る涅槃桜かな
三好康夫

一番に猫が見つけて初蝶来
小野雅子

富士山の頂小さく花杏
飯田静

春耕やこれより月日早くなり
辻本喜代志

誇りとは驕らぬことよ紫木蓮
田中優美子

咲き初めしはくれん早も散りそむる
松井洋子

レストラン女ばかりよ山笑ふ
(レストランは女ばかりよ山笑ふ)
平田恵美子

鉄つくる煙突高し鳥曇
福原康之

野遊びや思ひ出話聴きながら
深澤範子

煙突の煙どこまで春の雲
福原康之

紫木蓮我に囁き返しけり
(我だけに囁き返し紫木蓮)
田中優美子

冴返る肩に背筋に力込め
鎌田由布子

窓越しの海越しの富士冬茜
藤江すみ江

片栗の花の散らばるなぞへかな
(片栗の花の散らばるなぞえかな)
飯田静

春北風気を引き締めて踏み出しぬ
五十嵐夏美

冴返る東京タワー指呼のうち
鎌田由布子

病院を囲む木蓮仄白き
穐吉洋子

髪ほどくやうに吹かるる花ミモザ
田中花苗

残る鴨胸光らせて水を切り
田中花苗

涅槃桜築地の外の町寂れ
(涅槃桜築地の外は寂れ町)
三好康夫

花街の塀を辿れば白椿
(花街の黒塀辿れば白椿)
中山亮成

冴返るサイレンの音遠くより
(サイレンの音の遠くに冴返る)
鎌田由布子

子どもらの買ひ物買ひ食ひ春休
(子らだけで買ひ物買ひ食ひ春休)
宮内百花

歩道橋揺れおさまらず春北風
(歩道橋の揺れおさまらず春北風)
松井洋子

さわさわと水膨らみぬ春の川
千明朋代

かばかりの風を抱き込み糸柳
五十嵐夏美

連翹の咲いて八人家族かな
水田和代

静かなる湾の逆巻き冴返る
鎌田由布子

春北風や軍馬の去りし水飲場
福原康之

いぬふぐり何か聞きたく話したく
松井伸子

大名の庭に枝垂るる濃紅梅
福原康之

柔らかくご飯炊き上げ菜種梅雨
箱守田鶴

初蝶の黄のじぐざぐに追ひ抜かれ
(初蝶の黄のじぐざぐに追い抜かれ)
小野雅子

初蝶のフロントガラス掠めけり
穐吉洋子

この道は何処まで続く春浅し
深澤範子

隅田川逆波立てて春疾風
若狭いま子

砂浜に拾ふひとひら桜貝
(砂浜にひとひら拾ふ桜貝)
木邑杏

明日へはちきれんばかりや桜の芽
(桜の芽明日へとはちきれんばかり)
小山良枝

夜明け前こゑを残して鳥帰る
小松有為子

いつせいに色踊りだすチューリップ
(いつせいに踊りだす色チューリップ)
平田恵美子

 

 

◆特選句 西村 和子 選

踏切に貨車が零せし氷雪
辻本喜代志
踏切のあたりに氷雪が落ちているのを見て首を傾げたのでしょう。通り過ぎた列車を見ると貨物車で、きっと北国から荷物を運ぶ途中、屋根から氷雪を落としたのだと思い当たったのです。アンテナを張っていれば、踏切を待つあいだにも句材を拾うことができるのですね。(井出野浩貴)

 

献燈は落語協会梅まつり
小山良枝
見たままをはからいなく詠んだ自然体の句です。季語「梅」が生き生きしていて、早春の喜びを伝えてくれます。けれども、これがもし「桜」だったら、ややうるさい感じがするかもしれません。自然体とはいえ、無意識のうちにセンサーが働いている句です。(井出野浩貴)

 

沈丁花やオフイス街は三連休
箱守田鶴
こちらも自然体です。連休でひっそりしたオフィス街を通りかかったとき、「沈丁花」の香りに驚いたのです。人通りの多い平日は、なかなか花に立ち止まる余裕もないことでしょう。(井出野浩貴)

 

春風や紙飛行機を遠くまで
松井伸子
おだやかなあたたかい「春風」に紙飛行機が似合います。ほんわかとした幸福感を感じればよいのですが、そこには春愁の気配もあります。「紙飛行機を遠くまで」飛ばすとき、遠く過ぎた子供の頃、父も母も若かった頃も思い出されるかもしれません。(井出野浩貴)

 

住職は二十七代梅の花
鈴木ひろか
戦乱などで系譜がたどり切れない寺も多いようですから、二十七代とはっきりわかるのは稀有なことでしょう。この「梅の花」も何度か植え替えられたものでしょうが、寺の伝統を受け継いでいるかのようです。季語の清らかさが寺のたたずまいを語ります。(井出野浩貴)

 

北上川曇りのち晴れにはか雪
辻本喜代志
岩手県から宮城県を流れる北上川、その地名が効いています。実際の天気予報のフレーズだったかどうかはわかりませんが、土地柄が伝わってきます。何よりもリズムのよさが魅力的です。(井出野浩貴)

 

春時雨橋を渡りて下鴨へ
小野雅子
この句も下鴨という地名が効いています。町名でもありますが、おのずと古都を代表する下鴨神社が思い浮かびます。橋の下を流れる賀茂川の水、通り過ぎてゆく「春時雨」、いずれもしっとりと古都を包み込んでいます。(井出野浩貴)

 

福寿草ひとつが咲いて百咲いて
佐藤清子
「ひとつ」の次がいきなり「百」というのが表現の妙です。リズムがよく、いかにも春を呼ぶ花という感じがします。「たんぽぽ」でもよさそうですが、それではいささか庶民的すぎるでしょう。この句は新年の季語「福寿草」が効いています。(井出野浩貴)

 

東京の夜景煌めき冴え返る
鎌田由布子
「冴返る」は立春を過ぎたあとにぶり返した寒気のことですから、両義的です。この句についていえば、ふるえるような寒さの中に煌めく夜景でもあり、ようやく訪れた春を喜ぶように煌めく夜景でもあります。東京そのものが明暗、善悪と常に両義的な顔を見せる街ということかもしれません。(井出野浩貴)

 

空き部屋の真夜のもの音冴返る
若狭いま子
「冴返る」には、五感が研ぎ澄まされる感じがあります。かすかな「真夜のもの音」をとらえたのも、冷え切った空気があればこそです。詠んでいる内容は異なりますが、加藤楸邨の「冴えかへるもののひとつに夜の鼻」を連想しました。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

芽柳や浮御堂まで橋二つ
木邑杏

春雨の長崎の街窓の下
水田和代

古看板半分剥がし春疾風
若狭いま子

朽葉もたげ萱草の芽のうすみどり
田中花苗

雨風に打たれし夜も冬牡丹
(雨風に打たれし夜あり冬牡丹)
藤江すみ江

紅に染まりて一人梅の道
三好康夫

誰よりも深々と礼初稽古
(誰よりも深く礼する初稽古)
田中優美子

堰越ゆる飛沫らららら暖かし
小野雅子

土を持ちあげ片隅の蕗の薹
(土を持ちあげ庭の片隅蕗の薹)
若狭いま子

菜の花や山の斜面の滑り台
鈴木ひろか

永き日や待合室に手話弾み
松井伸子

東雲の色ほのかなり冬牡丹
藤江すみ江

駅までを歩きて別れ春の雨
(駅までを歩くと別れ春の雨)
小野雅子

石段に弁当つかひ春の雲
小野雅子

栗鼠跳んで椿零るる切通し
田中花苗

福寿草竹ひごをもて囲ひたる
(竹ひごをもて囲ひたる福寿草)
福原康之

春風や嵐電暇さうに走り
荒木百合子

梅林を鳥の泳いでをりにけり
小山良枝

おつとりとゆつくりと咲くうちの梅
荒木百合子

針箱に母の手紙や春浅し
森山栄子

ゆふぐれの紅梅色を深めたり
小山良枝

老幹を嬉しがらせよ梅真白
巫依子

菜の花や声の明るく保育園
飯田静

若緑三百年の松雄々し
中山亮成

春立つや奥の細道書写始む
千明朋代

梅散るや作務僧会釈して去りぬ
(梅散るや作務僧会釈して去れる)
田中花苗

残る鴨一直線に水脈を引く
(残る鴨湖一直線に水脈を引く)
木邑杏

自転車をドミノ倒しに春一番
(自転車をドミノのごとく春一番)
福原康之

心許なき傘を手に雪風巻
福原康之

潮風の渡る離宮の花菜かな
飯田静

春来る何も打ち明けられぬまま
田中優美子

春兆す駆けまはる子の耳真つ赤
松井洋子

外套も着ず忘れ物届けくれ
藤江すみ江

うららかやあひるめんどり飼はれゐる
(うららかやあひるめんどり飼はれゐて)
松井伸子

梅まつり何処から来たと問はれけり
鈴木ひろか

春の雪バロックギター音厚き
(音の厚きバロックギター春の雪)
宮内百花

上機嫌なる人声や春立てり
藤江すみ江

 

◆特選句 西村 和子 選

無造作といふ巻き方も春ショール
箱守田鶴
防寒具で寒さを凌いでいた冬とは違い、春はショールのあしらい方も人それぞれ。ふわっと軽く、おしゃれに、あるいは何ということもなく肩に。
朝晩は冷えても昼間は暖かくなった頃の軽快な気分が、よく伝わってきます。(高橋桃衣)

 

衣も食もごつたに並べ果大師
藤江すみ江
弘法大師の忌日の21日に毎月開かれる縁日の中で、12月は年末ということもあり、骨董、雑貨、衣類などに加え正月用品も売られ、多くの人が訪れて最も賑わいます。
その商品の並べようを、「衣」「食」という大まかな表現で描いています。
普通は具体的に一つのものに絞って詠むことで、詠まないところまで想像させるものなのですが、売られているものが「衣」か「食」かという程度にしか見分けられないほどの無秩序な並べ方なのです。カオスのような市が眼前に広がります。(高橋桃衣)

 

寒昴熱き拳を握りしめ
田中優美子
「拳を握る」は、緊張したり、残念がったりする時の様子に使われますが、「熱き」から、また「寒昴」という季語からも、怒りを抑えるより決意のようなものを感じます。
凍空に青く光る昴を見上げる作者には、思うところがあるのでしょう。自分の中の熱い血潮に気づいたのではないでしょうか。(高橋桃衣)

 

推敲に夜の更けにけり膝毛布
平田恵美子
俳句の推敲をしているうちに、夜が更けてしまったのでしょう。暖房はつけていても、じっと座っていると足は寒くなりますから、膝毛布は必需品。ちょっと手を伸ばして何かを取ろうとすると落ちそうになったりして、膝毛布の温かさに気づくものです。
そんな日常の一コマですが、実感があります。(高橋桃衣)

 

気力十分体力半分小正月
小野雅子
お正月が終わって半月。女正月なのだから何か自分へのご褒美のようなことをしようとあれこれ考えて、さてやろう、出かけようとして、体が気持ほどついていけないことに気づいたということでしょう。「気力十分」「体力半分」と対句でリズムがよく、おかしみもあり、字余りは気になりません。体力が衰えているのではなく、気力の方が十分過ぎたのかもしれませんね。(高橋桃衣)

 

母たのし着ぶくれし子を肩ぐるま
松井伸子
お父さんでしたら見かけることもありますが、お母さんが肩ぐるましているというのですから、とても行動的なお母さんを想像します。それが「母たのし」という表現になったのでしょう。冬の寒い外を、子供よりも楽しんでいるお母さんの顔も動きも目に浮かびます。(高橋桃衣)

 

絵馬と絵馬触れ合ふ音の春近し
飯田静
冬の間、重なり合って風ににぶつかり合い、カラカラと鳴っていた絵馬が、徐々に「触れ合ふ」ほどの柔らかい音になってきたという、聴覚で春の到来を感じ取った句です。(高橋桃衣)

 

龍うねるごとくどんどの煙かな
小山良枝
燃え上がるどんどの火の先は煙。どんどの火について詠む人が多いなか、うねりながら龍のように空に昇っていく煙に注目したのは、実際に見に出かけたからこそです。足で稼いで発見した句といえるでしょう。(高橋桃衣)

 

読み札が足らぬ騒ぎや歌留多取
(読み札が足らぬ騒ぎや歌留多取り)
佐藤清子
歌留多を取り合って、最後に1枚余ってしまった絵札。そこで初めて読み札が足りないことに気づいて、さあどこに行ったかと、あちこち探し始めた様子が伝わってきます。もしかしたら、去年のお正月に無くなってしまったのかもしれません。賑やかなお正月の光景が感じられます。(高橋桃衣)

 

雲もなく音もなく明け初御空
松井洋子

 

前髪をふわっと仕立て初鏡
佐藤清子

 

金粉の躍る年酒を酌みにけり
鈴木ひろか

 

 

◆入選句 西村 和子 選

あかときの先触れとして初鴉
千明朋代

主査主任主事と並びて事務始
森山栄子

菰ぬちに霊気こもれり寒牡丹
小山良枝

ライブフェス果てていつそう息白し
田中優美子

口出しはせぬと決めたり朱欒剥く
(口出しはせぬと決めし夜朱欒剥く)
宮内百花

青空へ寒紅梅の浮きたてり
(青空へ寒紅梅の浮きてをり)
水田和代

止むと見せまた初雪のしまきけり
松井洋子

いさぎよく雨の上がりて年あらた
(いさぎよく雨の上がりて年はじめ)
奥田眞二

着膨れし人波わけて三番街
松井洋子

カーテンの隙間一条初明り
鎌田由布子

いちめんにかがやく墓石松の内
三好康夫

大寒の風に音消ゆ発車ベル
穐吉洋子

地に触れて初雪すぐに消えにけり
田中花苗

マスカラを少し濃い目に初鏡
(マスカラを少し濃い目に初化粧)
深澤範子

ままごとの如し独りの節料理
(ままごとの様や独りの節料理)
小松有為子

読経終ふ宿坊の朝深雪晴
板垣源蔵

日脚伸ぶ園児の遊びきりもなく
水田和代

初明りペルシャ絨毯浮き立たせ
鎌田由布子

花小袖賽銭放る腕白き
辻本喜代志

照れ臭き本音添へたる初便
田中優美子

目覚めたる街の匂ひや春近し
(目覚めだす街の匂ひや春近し)
五十嵐夏美

青空へ柏手響き残り福
小野雅子

塵ひとつ留めぬ禅寺初参
(塵一本留めぬ禅寺初参)
荒木百合子

長良川大きく蛇行して小春
藤江すみ江

二十回縄跳びできて春隣
水田和代

初景色船の行方を見届けし
(初景色船の行方を見届けり)
巫依子

所在なく帰る鴉も大晦日
松井洋子

ああ雪と声に出でたり朝の窓
小野雅子

大寒のやさしき雨になりにけり
五十嵐夏美

ぽん菓子の弾ける音も果大師
藤江すみ江

玄関にすらりと立ちて春ショール
箱守田鶴

すれ違ふ人や破魔矢の鈴鳴らし
田中花苗

新春の風をはらみて日章旗
辻敦丸

諦めるなかれと光る寒昴
田中優美子

百合鴎日射しを得たる胸ゆたか
藤江すみ江

吟行のついでに開く初みくじ
(吟行のついでと開く初みくじ)
辻本喜代志

ハミングとスープの匂ひ春隣
松井伸子

寒晴れの首都高遥か川光る
中山亮成

買初と言へど古本二三冊
小山良枝

目標の日に七千歩日脚伸ぶ
飯田静

髪切つて背筋のばして春近し
五十嵐夏美

寒晴やクレヨンの凧ピカソ風
木邑杏

洋風の卓に戻りて四日かな
(洋風な卓に戻りて四日かな)
鎌田由布子

念入りに車を洗ひ初出勤
深澤範子

風冴ゆる皆黙したる乗合船
板垣源蔵

あはあはと空に溶けゆく冬桜
若狭いま子

終点は吾が町寒の月天心
森山栄子

青空へ鳴り出しさうな氷柱かな
小山良枝

大根の煮もの酢のものお漬物
平田恵美子

べた凪が隔つ初島初景色
福原康之

窓一面冬枯ばかり汽笛鳴る
辻本喜代志

枯蔦や白壁あみだくじ模様
鈴木ひろか

投句期限書き込みにけり初こよみ
(投句期限印書き込み初こよみ)
荒木百合子

サンドイッチの色の取りどり街小春
飯田静

梁高き宮司の座敷実千両
水田和代

寒月に襟を立てたる刑事かな
板垣源蔵

枯れきつてゑのころ草の機嫌よく
小山良枝

雑巾をかくるが日課ちやんちやんこ
小山良枝

波がしら仄かに染めて初日の出
小松有為子

小春日やまだあたたかき人形焼
福原康之

添削で俳句入門読始
千明朋代

寒菊の倒れしままに咲きゐたり
若狭いま子

寛解の足取強く四温晴
五十嵐夏美

初富士や一の鳥居は海に立ち
田中花苗

盃の双魚よ泳げ年酒注ぐ
荒木百合子

◆特選句 西村 和子 選

安政の天守令和の煤払ふ
松井洋子
江戸時代には多くの城に作られていた天守ですが、現存しているのは十あまり。これは安政に再建された伊予松山城の天守でしょう。
この句の工夫は、「安政」「令和」という元号で天守の最初と今を、そしてその間を見てきた天守と1年分の埃を、対句の形で描いたことです。
「安政の大獄」など、幕末の動乱からもう170年。近代化後の日本の様々な歩みを思わせます。(高橋桃衣)

 

軋みつつ傾く車窓冬の濤
松井洋子
電車が「軋」む時のキーキーした音が、「軋み」「傾く」の「K」音からも湧き上がってきます。カーブを曲がる窓の向こうには激しい冬の濤。厳しく荒涼とした海辺も見えてきます。多くを言わないことで、読み手に想像させる句。(高橋桃衣)

 

失敗も悔いも句材や年歩む
田中優美子
小さな感動を書き留めましょうとよく言われますが、辛いことはパスしてしまいたいもの。でもあえてそれを句にしようと思うとは、自分を客観的に見ることができ、俳句という表現手段を自分のものにした証拠です。
本音で作った句は、読み手の心に刺さります。読み手を振り向かせます。
背筋を伸ばして新しい年に進みましょう。(高橋桃衣)

 

しぐるるや比叡みるみる遠ざかり
荒木百合子
しぐれてきて比叡山が見えなくなったことを、「みるみる遠ざかり」と表現したことで、今まで眼前にはっきりと見えていた比叡山がはるかになっていく、という時雨の降り様が想像できます。時雨といえば京都、その情緒を感じさせる句です。(高橋桃衣)

 

高々と晴れて伊吹の雪いまだ
藤江すみ江
私のように関東に住んでいる者には、新幹線で関ヶ原を越える車窓から覗く伊吹山ですが、名古屋や濃尾平野の人々にとっては「伊吹おろし」という寒風の源、身近な山でしょう。
今日の晴れあがった空の向こうにくっきりと見える伊吹山に、まだ雪はありません。でもそろそろ白くなるのだろうなと思うような風が吹き抜け、日差しは明るくても冬の到来を感じる頃なのだろうと想像されます。(高橋桃衣)

 

腕時計ちらと見る人暮早し
鈴木ひろか
すっと暮れていく冬の夕方は、急に寒くなり、淋しく、なんとも落ち着かない一時です。腕時計をちらと見た人も、辺りの急激な変化にはっとし、心許なさも覚えたのではないでしょうか。そんな気持が、腕時計をちょっと見るという具体的な仕草から、浮かび上がってきます。(高橋桃衣)

 

降り立てば初雪見上ぐれば美空
板垣もと子
電車を降りた時に、初めて辺りに敷いている雪に気づいたのでしょう。この雪は作者にとっては今年初めての雪。なんてきれいなんだろうと感じた作者の心が出ています。晴れわたった青空と、雪の清浄な白さの対比が印象的な句。(高橋桃衣)

 

四つ角に台車ぶつかる節季かな
小山良枝
「節気」は季語では歳末のこと。正月用品を買う人の波が毎年テレビで紹介されるアメヤ横丁のようなところを想像しました。客もすごい数ですが、店の人も次々と商品を運び込んでいるのでしょう。賑う様子を具体的に一つ描くことで、全体の熱気まで伝わってきます。(高橋桃衣)

 

鼻歌は六甲颪ねぎ刻む
鏡味味千代
38年振りに2度目の日本一に輝いた阪神タイガーズ。作者はファンなのか、それとも調子が良く覚えやすいので、テレビに溢れて耳に焼き付いてしまったのかもしれません。
葱を刻むのもリズムよく、料理も、へい、お待ち!と出来上がったようです。(高橋桃衣)

 

サキソフォン深く静かに十二月
田中花苗
今年中にせねばと気持も忙しくなる「師走」ではなく「十二月」としたことで、この一年をゆっくり顧みる作者が想像されます。
公園で練習しているテナーサキソフォンでしょうか。あるいはCDやコンサートなのかもしれませんが、静かに独奏しているサキソフォンの低音が辺りを震わせ、作者の心に語りかけてくるかのようです。(高橋桃衣)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

介護士の一心にチェロクリスマス
(一心にチェロ弾く介護士クリスマス)
若狭いま子

一夜にて白一色や初景色
(一夜にて白一色に初景色)
深澤範子

病室も電灯消してクリスマス
三好康夫

暖簾潜る時枇杷の花ふと香り
(暖簾を潜る枇杷の花ふと香り)
木邑杏

水占の文字じわじわと野菊晴
藤江すみ江

親友とハグして別れ大晦日
田中優美子

煤払掛け声揃ふ大手門
三好康夫

不景気と云へど賑はふ街師走
(不景気と云えど賑はふ街師走)
穐吉洋子

投票を済ませ入院年の暮
五十嵐夏美

数へ日や何か忘れてゐるやうな
鈴木ひろか

冬薔薇魔女の一撃食らひけり
奥田眞二

なだらかな富士の稜線冬夕焼
鎌田由布子

社会鍋現る銀座四丁目
小山良枝

末枯や遠くに選挙カーの声
五十嵐夏美

初雪のスキポール空港旅一人
(初雪のスキポール空港一人旅)
鎌田由布子

寒波来る盛塩固く尖りけり
小山良枝

朝まだき生きよ生きよと寒鴉
(朝まだき生きろ生きろと寒鴉)
小野雅子

珈琲を豆から挽いて霜の朝
巫依子

大空の半分は晴小雪舞ふ
(大空の半分は碧小雪舞ふ)
平田恵美子

厄払ふごとくに布団たたきけり
鏡味味千代

褒められて色深めけり冬の薔薇
箱守田鶴

公園に広がり銀杏落葉の黃
板垣もと子

一様に軍服古りし社会鍋
鈴木ひろか

逢魔が時椋の乱舞の魔界めく
(魔界めく椋の乱舞や逢魔が時)
中山亮成

雨音に目覚め大つごもりの朝
(雨音に目覚むる大つごもりの朝)
巫依子

羽子板市五重塔に月かかり
箱守田鶴

聴き上手榾を継ぎつつ返しつつ
松井伸子

冬の雷仔犬の耳の不意に立ち
(仔犬の耳不意に立ちたる冬の雷)
松井洋子

冬晴の市より望む本願寺
飯田静

犬同伴茶房満員クリスマス
(犬同伴の茶房満員クリスマス)
若狭いま子

冬麗や日矢の一条浮御堂
(冬麗や一条の日矢浮御堂)
木邑杏

青空を透かし銀杏の冬木の芽
飯田静

水洟を拭いて宮司の立ち上がる
水田和代

木箱はみ出る新巻の尾鰭かな
(新巻の木箱はみ出る尾鰭かな)
中山亮成

冬の星寄せ来るマウナ・ケア山頂
奥田眞二

冬の夜の止まりしままの置時計
鎌田由布子

早々と投句出揃ひ初句会
森山栄子

ケバブ売る男怪しげ年の市
中山亮成

遠富士のくっきり浮かみ冬落暉
田中花苗

大将の自慢の魚拓燗熱く
巫依子

時雨傘さすほどもなく南座へ
小松有為子

髪を切り染めて心の年用意
箱守田鶴

新年句会ブラインドかつと開け
森山栄子

母からの土鍋健在冬至粥
飯田静

凩や古木は仙人の化身
松井伸子

赤信号突つ切る車年詰まる
鏡味味千代

玻璃越しの日をたつぷりとシクラメン
穐吉洋子

屋上に聖夜の夜景一望す
(屋上より聖夜の夜景一望す)
若狭いま子

◆特選句 西村 和子 選

ハッサム邸鏡のなかの冬帽子
藤江すみ江
「ハッサム邸」は神戸の異人館の一つ、重要文化財に指定されているのでご存知の方も多いと思いますが、知らなくてもこの名前から居留地などに建てられた西洋館だろうと想像できます。
館の中には、暖炉や飾り棚とともに大きな鏡が残されています。商談やパーティに訪れた人々を華やかに暖かく映していた鏡が、今は寒い外から入って冬帽子を被ったまま見学している人を映しています。「冬帽子」という季語が、この西洋館の昔と今を巧みに描き出しています。(高橋桃衣)

 

手袋をまづ放り込み旅支度
田中優美子
支度の最初に手袋が頭に浮かんだというのですから、今住んでいるところはまだ手袋をするほどの寒さではないけれども、旅行先はとても寒いところなのでしょう。もう雪が積もっているところかも知れません。手袋を忘れては楽しい旅も台無しと手袋をまずはバッグに入れ、後はそこでしたいこと、見たいところを思い浮かべながら、あれこれ支度するのも旅の楽しみです。(高橋桃衣)

 

底冷の事務所に一人外は雨
辻本喜代志
エアコンをかけても事務所の床は冷たいものです。一人でいればなおさら。スチールの机もロッカーも冷え冷えとして寒さが這い上がって来ます。しかも外は雨。早く切り上げたいけれども仕事はなかなか終わらない、そんな作者の嘆きが聞こえてくる句です。(高橋桃衣)

 

銃眼を覗けば肥後の山眠る
森山栄子
「銃眼」とは、敵が攻めてきた時に内側から鉄砲を打つための穴。そこから肥後の山が覗けるというのですから、熊本城のことでしょう。2016年の地震で甚大な被害を被った熊本城ですが、幾年もかけて復旧したようです。今、銃眼から見る肥後の山々は、静かに冬を迎えています。熊本城も落ち着きを取り戻し、厳かに佇んでいることでしょう。(高橋桃衣)

 

研ぎ出せる月超然と応天門
荒木百合子
「応天門」は平安京大内裏、朝堂院の南の正門。国宝の絵巻物「伴大納言絵詞」は、この門が焼かれた「応天門の変」を描いたものです。その後再建された応天門はまた消失し、現在は明治に入って模して作られた平安神宮の門を指します。
「月」は秋の季語ですが、「研ぎ出せる」から、もう秋も終わりの頃の冷やかな月を感じさせます。昔から絶えない権力争いを、月は超然と眺めているのでしょう。(高橋桃衣)

 

欅より高く吹かれし木の葉かな
板垣もと子
欅の梢の上まで舞い上がる木の葉。これだけを描いて、欅の高さ、木の葉の軽さ、北風の強さ、空の広さ、辺りの寒さまでが見えてきます。どこの欅であるとか、どうしてそこにいるのかというような説明を省き、焦点を絞ることで、逆に読者の想像は広がります。(高橋桃衣)

 

頭下げまた頭下げ冬の暮
田中優美子
「頭下げ」は、感謝や挨拶のお辞儀をしているとも、謝っているともとれますが、この句は嬉しく何度もお辞儀をしているとは感じられません。それは「冬の暮」という季語が、日が暮れた途端の寒さ、寂しさ、頼り無さを感じさせるからです。この寒さは、何度も頭を下げなければならなかったという心の中の寒さでもあるでしょう。読み手にひしひしと迫ってくる実感の句です。(高橋桃衣)

 

鼻歌や金柑甘く煮含めて
小野雅子
金柑の甘露煮を上手に作り、満足し悦んでいる様子が「鼻歌」から見えてきます。甘くつややかに、ふっくらできあがったことも伝わってきます。「煮詰めて」ではなく「煮含めて」であることがポイントです。(高橋桃衣)

 

あららぎの十一月の影を踏む
辻敦丸

 

夕空をかき混ぜてをり鷹柱
森山栄子

 

頷いて時に酌して年忘れ
森山栄子

 

 

◆入選句 西村 和子 選

初時雨マトリョーシカが駆けてゆく
松井伸子

松手入れ一樹に四人掛りなる
鈴木ひろか

初紅葉隣の赤子よく育ち
(初紅葉隣の赤子良く育ち)
鈴木ひろか

凩や夫の背中を見失ひ
飯田静

新品のシャツの手触り小六月
(新品のシャツの手触り小春かな)
岡崎昭彦

展示して一層手入れ菊花展
三好康夫

立冬や大楠は地を鷲づかみ
松井伸子

寒昴涙見せぬと誓ひけり
田中優美子

大川をめぐりて群れて百合鷗
(大川を群れてめぐりて百合鷗)
若狭いま子

養生のさくらに微かなる冬芽
松井伸子

日当たりて窓一面の照紅葉
板垣もと子

旅ごころ皸薬塗りながら
小山良枝

神おはす如くに銀杏黄葉す
板垣もと子

ロボットの動きめくなり着ぶくれて
(ロボットの動きなりけり着ぶくれて)
鎌田由布子

一点の雲なかりけり七五三
(七五三一点の雲なかりけり)
千明朋代

園小春手作りショップ点点と
(小春の園手作りショップ点点と)
五十嵐夏美

人ごみに紛れ別れの冬帽子
小野雅子

御手洗の手拭きまつさら花八手
(御手洗の手拭き真つさら花八手)
森山栄子

水煙や秋天なほも広くなり
(水煙や秋天なほも広く見せ)
荒木百合子

陸橋を渡れば東京冬ぬくし
穐吉洋子

晴れわたる水面や空や鳥渡る
(晴れわたる水面の空や鳥渡る)
松井洋子

園服の子も御正忌に集ひをり
水田和代

引く鴨の水脈美しく絡み合ひ
(美しく引く鴨の水脈絡み合ひ)
藤江すみ江

虚空より降りて来たりし冬の鷺
(虚空より降り来たりたる冬の鷺)
千明朋代

握力の弱りし右手冬ざるる
(握力の弱るる右手冬ざるる)
穐吉洋子

暮早し銀座開店準備中
(暮早し開店準備の銀座かな)
鏡味味千代

佇めば広沢の池時雨けり
若狭いま子

副賞に二つ添へられ亥の子餅
(副賞に二つ添へらる亥の子餅)
辻敦丸

霜けぶりをり大原の朝の木々
(霜はけむりに大原の朝の木々)
板垣もと子

陣羽織衿より咲きぬ菊人形
(陣羽織の衿より咲きぬ菊人形)
松井洋子

首かくと曲げて乾びぬ鵙の贄
田中花苗

諸手上げ銀杏黄葉を仰ぎけり
(諸手上げ銀杏黄葉を見上げけり)
板垣もと子

先頭はねじり鉢巻き川普請
福原康之

マフラーの巻き方図解ややこしや
荒木百合子

音軽く一輌車過ぐ紅葉山
松井洋子

着ぶくれてぶつかつて謝りもせず
小山良枝

密やかに目覚めて気づく冬の雨
岡崎昭彦

珠算塾ありし辺りや酉の市
(珠算塾ありし辺りや酉の町)
箱守田鶴

改築の校舎いよいよ冬休み
(改築の校舎いよよと冬休み)
鎌田由布子

秋夕焼イーゼル古りし絵画塾
(秋夕焼古イーゼルの絵画塾)
荒木百合子

セーターの紅よりも落暉濃き
(セーターの紅よりも濃き落暉)
鎌田由布子

悴みてひと文字ひと文字を刻む
小野雅子

名残り惜しみ茶房出づれば小夜時雨
若狭いま子

地下鉄を出で凩の只中へ
飯田静

冠木門雪吊の縄ふと香り
(冠木門雪釣の縄ふと香り)
木邑杏

無職の身恥ぢず勤労感謝の日
(無職の身恥じず勤労感謝の日)
中山亮成

あるなしの風に散りたる紅葉かな
飯田静

登呂遺跡前のバス停冬麗
宮内百花

番らし後に先へと浮寝鳥
(番かな後に先へと浮寝鳥)
深澤範子

水鳥を芯に置きたる水輪かな
小山良枝

名取川渡り切らざる時雨かな
辻本喜代志

子等の声遠ざかりゆく落葉径
飯田静

寒禽の声の超えゆく雑木林
(雑木林寒禽の声頭上超ゆ)
中山亮成

初紅葉朝日まづ差す丘の家
鈴木ひろか

海上に一条の道秋落暉
鎌田由布子

酉の市出でて夜空を取り戻す
小山良枝

初時雨切岸を負ふ海人の墓
(初時雨切岸負ふや海人の墓)
奥田眞二

木枯や打ち上げられしガラス瓶
岡崎昭彦

タンカーの明石大門を冬の靄
平田恵美子

行き過ぎて花柊と気づきけり
小山良枝

「あの頃」と言ふことやめむ星冴ゆる
田中優美子

満月の明るく寒さ忘れをり
水田和代

コスモスのかくも群れゐてなほ寂し
荒木百合子

直政の兜は血色菊人形
千明朋代

玄関の奥まで射しぬ秋夕日
(秋夕日玄関までも射しにけり)
穐吉洋子

桜島の灰をかぶりし蜜柑もらふ
若狭いま子

 

 

◆今月のワンポイント

切れを作ろう

「や」「かな」「けり」といった切字を使わなくても、五七五の韻律を生かすことで「切れ」を作ることができます。「切れ」や「間」があることで、散文的な言い方からメリハリのある句になり、感動がどこにあるかがよくわかる句になります。余韻も生まれます。
今回の入選句で学んでみましょう。

原句:副賞に二つ添へらる亥の子餅
添削句:副賞に二つ添へられ亥の子餅
原句の「添へらる」は終止形ですのでここで切れてはいますが、「副賞に二つ添えられる。/亥の子餅」では不自然です。作者は「添えられている」と表現したかったのだと思いますが、それでしたら正しくは「添へらるる」です。
これを添削句のように「添へられ」としますと、ここで一旦切れができ、読者は何が添えられているのだろうと考え、一呼吸あって、ああ「亥の子餅」なのかと合点することになります。

原句:小春の園手作りショップ点点と
添削句:園小春手作りショップ点点と
意味は全く同じですが、「小春の園」はリズムがなく、ぼんやりした印象になります。「園小春」と五音で言い切り、間を作ると、情景が鮮やかに立ち上がってきます。

高橋桃衣

◆特選句 西村 和子 選

まだ土の乾ききらざる刈田かな
小山良枝
「刈田」は稲を刈った後の田んぼのこと。枯れ色になった切株が並んでいる風景は写真などでもよく見かけますが、この句の眼目は、まだ土が乾ききっていないという点。
稲刈の前に田の水を落としても、稲を刈った直後はまだ湿っているでしょう。稲刈りをして間もない田であることに、作者は実際に見て気づいたのです。
細やかな観察眼によって、刈田がこれから徐々に乾き、雨に濡れてはまた乾いて冬田になっていくまでの時間が、読者に想像させることができます。(高橋桃衣)

 

吸呑みの真水きらきら秋澄めり
松井伸子
川や池や身の回りのいろいろな水が透き通って見える秋ですが、この句は「吸呑み」の水が澄んでいるというのです。この一語で、作者か、あるいは家族か、病んで臥している人が見えてきます。その枕元の吸呑みに入れた新鮮な水が、透けて、きらきら輝いているというのですから、枕辺も部屋も爽やかで、病状も回復に向かっているように思われます。(高橋桃衣)

 

冬めくや雨連れて来し風の音
板垣もと子
作者は先程まで聞こえていた乾いた風音に、雨音が混じってきたことに気づいたのでしょう。晩秋ともなると、風の強い日は寂しく寒くなってきます。雨が降ればなおさらのこと。冬がそこまで来ていることを聴覚で捉えた句です。(高橋桃衣)

 

道路標識むなしく立てり秋出水
奥田眞二
台風でしょうか、昨今は大雨の被害が尋常でなくなってきています。
この句は、「道路標識」という物で、そこが本来は道路であるはず、ということを描いています。どこが道路だかすらわからなくなっている洪水の情況が、眼前に広がります。(高橋桃衣)

 

漆黒の松の影より月の客
松井洋子
満月の光はとても明るいので、木々は地に黒々と影を落とします。名月を見ようと歩いている人が、松が落としている影を横切った、その瞬間を切り取った句で、とても印象的で、美しい光景です。松の木が影を落としているようなところですから、庭園など由緒あるところでしょう。影の暗さを言うことで、月の明るさも感じます。「月の客」という季語も情趣に富んでいます。(高橋桃衣)

 

大粒も小粒も甘し里の栗
小野雅子
観光農園の栗は元より大粒ですが、故郷の山になる栗は大粒のものもあれば小粒のものもあるでしょう。特に山栗は小粒ですがとても甘いもの。手間はかかっても、剥いた後の喜びは一入です。
「里」は、人里ともとれますが、この句は故郷と鑑賞する方が、作者の思いがより感じられます。
味覚による郷愁の句。(高橋桃衣)

 

ほめられて近所に配る百目柿
若狭いま子
百匁はあるからという「百目柿」は、釣鐘のような形をした立派な柿。甲州の初冬の日差しに干されている吊し柿の景色はつとに有名ですが、これは作者の庭になっている百目柿であることがわかります。このように言われると、柿の立派ななりようから、ご近所のつき合い方まで見えてきます。百目柿は渋柿ですから、渋の抜き方や干柿の作り方など話が続いたことでしょう。(高橋桃衣)

 

玉川上水存外速し蔦紅葉
五十嵐夏美
江戸地代に東京西部の羽村から江戸市中まで引いた玉川上水。距離はフルマラソンほどあります。
「存外速し」ということは、もっとゆっくり流れていると作者は思っていたということです。確かに高低差がないことが上水を作る時の困難の一つだったことを、教科書で読んだ方もいるでしょうし、太宰治が入水した三鷹辺りも辺りはなだらかです。
そのようなところで蔦紅葉にふと足を止め、覗いてみた上水の足早で澄んだ流れに、作者は深秋を感じたことでしょう。(高橋桃衣)

 

大川のさざ波光る十三夜
若狭いま子

 

大阪の夕空高く遠く雁
平田恵美子

 

手探りで掴むドアノブ残る虫
小野雅子

 

校庭の金木犀を教卓に
板垣もと子

 

 

◆入選句 西村 和子 選

運動会空を引つ張るソーラン節
五十嵐夏美

一番星揚げておしろい咲き揃ふ
三好康夫

紅葉は遅れ観光客早々
荒木百合子

島人の夜更けは早し蚯蚓鳴く
(島人の夜更けは早く蚯蚓鳴く)
巫依子

ピアニカの音揃ひたり糸瓜棚
(糸瓜棚ピアニカの音揃ひたり)
鏡味味千代

新松子二人の話聞いてゐる
(新松子二人の話を聞いてゐる)
深澤範子

稲架掛けの少し傾く学習田
(稲架掛けの少し斜めや学習田)
飯田静

遠く海眺めて一人なめこ汁
(遠くに海眺めて一人なめこ汁)
平田恵美子

地下を出で秋夕焼に足止まる
板垣もと子

湖畔まで迫る山々薄紅葉
飯田静

白秋や仙人住まふ奥の院
福原康之

閉園を知らせるやうに赤蜻蛉
(蜻蛉の閉園を知らせるやうに)
小山良枝

木の実降るひとり遊びの少年に
松井伸子

瀬の音に蟬の声のせ峡の道
千明朋代

流鏑馬の宗家ひときは馬肥ゆる
福原康之

凋みゆく花に隣りて酔芙蓉
藤江すみ江

朝寒や碗のポタージュ吹きくぼめ
小野雅子

口笛を吹いてゐるやう秋の雲
長谷川一枝

話し声絶えぬ家なり柿簾
宮内百花

神木の根方あかるし曼珠沙華
松井洋子

秋暑しバイク爆音これでもか
(これでもかとバイク爆音秋暑し)
藤江すみ江

駅ごとに木犀の香のローカル線
(駅ごとに木犀香るローカル線)
若狭いま子

重陽や暗赤色の月上り
(重陽や暗赤色の月登り)
穐吉洋子

献杯のあとの一曲秋深し
(献杯のあとの一曲秋深み)
巫依子

どこからか煮炊きの匂ひ秋の暮
(どこからか煮炊きの香り秋の暮)
鎌田由布子

運動会敬老席を勧められ
鎌田由布子

うろくづの影のさ走る水の秋
田中花苗

病室を覗く蜻蛉に励まされ
松井伸子

寝転んで窓いつぱいの鰯雲
平田恵美子

朝寒や誰かが猫と話しをる
(朝寒や誰かが猫と話してる)
箱守田鶴

濯ぎもの金木犀の香へ広ぐ
小野雅子

月渡る将軍ゆかりの堂伽藍
(月渡る将軍ゆかりの伽藍堂)
福原康之

曼珠沙華溶けしごとくに枯れゐたり
小山良枝

旅の荷の存外軽し秋さびし
森山栄子

秋暁の筑波に二本雲白き
(秋暁の筑波に二本白き雲)
穐吉洋子

夕空を流るるやうに秋茜
長谷川一枝

硝子戸の磨きぬかれし秋気かな
小山良枝

虫の音も虫の知らせも宵の闇
福原康之

蚯蚓鳴く眠りの浅き母へ鳴く
小野雅子

ぶかぶかの学ラン着たる案山子かな
小山良枝

溝蕎麦や湧水濁るひとところ
飯田静

人生の午後は長しと生御霊
鏡味味千代

わが庭の草花も供花秋彼岸
鈴木ひろか

黄葉や偕楽園に二人きり
(黄葉や偕楽園は二人きり)
深澤範子

木犀の香に振り返る夜道かな
飯田静

蜻蛉や龍の根城のこの辺り
福原康之

雨に摘みし庭の秋草仏前へ
千明朋代

あっ流れ星父と同時に声発し
(あっ流れ星と父と同時に声発し)
若狭いま子

ぬばたまの闇木犀の香の満てり
巫依子

デパートに十字路幾つ秋の暮
三好康夫

深みゆく秋レコードに針置かむ
巫依子

散りきらぬ萩揺れてをり泣いてをり
田中優美子

ペンダント少し重たき冬隣
森山栄子

躱しつつ吹かれてゆきぬ秋の蝶
松井洋子

嬰抱き月見てをれば乳張り来
(やや抱き月見てをれば乳張り来)
箱守田鶴

子どもとは愛想なきもの山粧ふ
宮内百花

秋桜娘が来れば夫饒舌
(娘が来れば夫饒舌に秋桜)
鈴木ひろか

今年酒たつぷり注ぎ江戸切子
(江戸切子にたつぷり注ぎ今年酒)
深澤範子

菊日和母へ購ふ串団子
田中優美子

松茸の在り処祖父のみ知つてをり
若狭いま子

破蓮日差し明るき水の底
中山亮成

 

 

 

◆今月のワンポイント

「定型を身につけよう

今回、字余りの句で、助詞を取っても情景が伝わる句、語順を変えれば字余りにならない句が幾つもありました。

字余りが全ていけない、ということはありません。字余りの名句もたくさんあります。
でも、まずは定型に収めるよう工夫をしましょう。語順を変えてみるのも一案です。

皆さんお持ちのテキスト『添削で俳句入門』の181ページのコラム「定型の魅力」、第21章「字余り、字足らず」を是非お読みください。

高橋桃衣

◆特選句 西村 和子 選

曼珠沙華薬に作用副作用
飯田静
曼珠沙華の句は、凡そ二つの傾向に大別されるようです。一つは、観念や想像上の世界に遊ぶもので、【曼珠沙華われに火の性水の性 西嶋あさ子】が典型例。今一つは曼珠沙華そのもの、あるいはその延長線上にあるものを描写したもので、【つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子】が典型例と言えそうです。どちらが優れているかという問題ではなく、夥しい句が作られている曼珠沙華にあって、予定調和に傾きがちなのも一面の事実です。
掲句が独創的なのは、そのいずれでもない中道な振れ幅で一句が構成されていることです。これは簡単なようで案外難しく、絶妙のバランス感覚が必要とされます。現に例句も少なく【曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太】ぐらいしか筆者には思いつきません。
掲句の中七下五には、季題の本意が鋭く詠み込まれています。絢爛華麗でありながら禍々しさも多分に含有している花の様子が「薬の作用副作用」と、きっぱり詠みこなされています。有毒植物でありながら、薬効にもなるという曼珠沙華の性質と、とてもバランスよく、響き合っています。(中田無麓)

 

秋天や向かひの山を引き寄せて
水田和代
道具立てはいたってシンプル。山と空だけですが、この潔さが一句の身上です。それでいてとてもパワフル。向かいの山ですから、決して著名な山塊ではありません。むしろどこにでもある里山でしょう。しかしながら、この里山には抜群の存在感があります。
理由の一つは下五の動詞の斡旋が巧みなことです。【引き寄せる】という、大きな熱量を感じさせる言葉を用いているからです。因みにほかの動詞に置き換えてみましょう。たとえば、【近づけて】、【手繰り寄せ】、【呼び寄せて】…etc. どれもしっくりきません。【引き寄せる】とは、誰しもが分かる、使える言葉ですが、その言葉を選び出すことは存外難しいものなのです。(中田無麓)

 

秋簾三味線の音二階より
鏡味味千代
何とも粋で風情のある一句でしょう。忍び漏れる三味線の音は、お稽古でしょうか? 「二階より」とある下五が存外効いています。一句の空間構成が立体的になりました。重ねてプライベートな空間である二階からということで、日常的な稽古の音色も想像できます。
秋簾の季題も効果的に用いられています。日に褪せた簾は、アンニュイなニュアンスに満ちています。できれば、弾き手は、竹久夢二の描く女性のようであってほしい…。極めて個人的な見解ながらそう思います。(中田無麓)

 

朝顔や鉢もたつぷり濡らしたる
小山良枝
仮に散文を「伝達することを使命とする文章」と定義づければ、掲句の場合「朝顔に多めに水を遣る」と言えば事足りてしまいますが、それでは詩性は宿りません。では、掲句の詩性はどこに潜んでいるのでしょうか? 一つは「水」という言葉を一切使わないで、それとわかることです。「濡らす」という縁語を用いることで、スマートに表現できているからです。今一つは、「たっぷり」という副詞を用いたことです。むしろこちらの方がより重要かもしれません。この副詞から伝わってくるのはまず量感です。読み手はその豊かさに安らぎを覚えます。それだけではなく、作者の花への思いやりも滲みわたってきます。そして、水を遣ってもすぐ乾くほどの天候など、一句をとりまく背景にまで想像が広がります。ひとつの副詞を適切に選ぶことで、大げさに言えば一句の世界観まで構築できるのです。(中田無麓)

 

秋の蝉小さく鳴いてそれっきり
深澤範子
秋の蝉の句には大なり小なり滅びを感じさせるものが多く見受けられるようです。季題の本意に迫っているからです。掲句もその王道を踏み外していませんが、ウェットな情感に傾きすぎることなく、事実を客観的に詠んでいるところに、やや冷涼な秋の季感がより強く漂っているように思います。
深い余韻があるのも掲句の良さの一つです。下五の収め方にその一端が見て取れます。句姿は端正に五七五で収められていますが、実は下五は単に五音で収まらず、休符のような沈黙の音が継続しています。残響と言ってよいかもしれません。文法的、あるいは音韻的に明確な理由があるわけではありませんが、個人的な印象としてはそのように感じられました。この残響感覚が、行合の季節感と見事に符合しています。(中田無麓)

 

鰯雲道突き当る城下町
辻敦丸
元来、城下町防衛の観点から設けられた鉤の手や丁字路、袋小路などが、令和の今でも結構残っていたりします。その迷宮を辿ることもまた、旅の楽しみの一つでありましょう。平明な写生の中に豊かな旅情を湛えた一句になりました。
鰯雲の句は、時間・空間を問わず「遥けき思い」を詠んだ句が多いことが特徴の一つと言えます。掲句もその王道をしっかりと踏まえながら、旅の醍醐味と愁いの双方を季題に託しているところが巧みです。(中田無麓)

 

捥ぎたてのかぼすをぎゆつと搾りけり
水田和代
句材はたった一つ、かぼすのみ、脇役として手首から先が見え隠れする程度。これ以上そぎ落とせないほど、一句の構造はいたってシンプルです。それでいて、鮮度はもちろん、ある種の野性味まで、感じられるところが、掲句の長所です。
理由の一つが、捥ぐ、搾るという動作にあります。どちらも行為としては、力技の部類です。ワイルドなニュアンスを醸し出す言葉です。
今一つの理由は、かぼすの量感です。テニスボールほどの大きさのかぼすなら、捥ぐ、搾る対象として、異存はないでしょう。酢橘ならこうはいきません。
言葉とモノが如何に洗練されているかがよくわかる一句です。(中田無麓)

 

朝顔の留守の間の暴れやう
佐藤清子
おそらく数日程度の短い留守期間でしょう。さもないと下五のような大きな驚きにはつながってきません。その短い間に精一杯繁茂する植物の生命力への驚きが、一句に素直に表現されています。
掲句のポイントは、下五の暴れるという動詞。この意味は「乱暴したり、暴力をふるう」と言ったネガティブで忌避したくなるような振舞ではありません。転じた意味の「大胆に振る舞う」に近いでしょう。さらに言えば、「赤子が暴れる」に見られるような慈愛の念がこの一つの動詞に含まれています。
些細な日常の出来事を淡々と描写しながら、どこかしら温かみが感じられるのも、この慈愛が読み手に伝わってくるからでしょう。(中田無麓)

 

秋風の抜ける仲見世裏通り
中山亮成
仲見世を詠んだ句は江戸時代から枚挙に暇がありませんが、その裏通りを主題にした句は、案外少ないのではないかと思います。一部が石畳になるなど、小洒落たエリアになりつつあるようですが、喧噪ぶりでは仲見世通りには遠く及びません。
掲句の素材は、その街路の名前と季題の秋風のみです。これ以上ないというほどシンプルな句ながら、含まれるものは豊かです。一句の表現上は、裏通りだけの叙述ですが、それと対になる仲見世通りを読み手は必ず意識します。句の虚実はともかく、人でごった返す大路から、通行客も疎らな裏通りに径路を代えることでもたらされる開放感を追体験することになります。この感覚の変化を象徴しているのが、季題の秋風というわけです。作為に溺れず、「シンプルでいて含意は豊か」とは好句の条件の一つです。(中田無麓)

 

爽やかや胸ポケットにハーモニカ
鈴木ひろか
一句を通じてノスタルジックな印象を受ける理由は、ハーモニカという楽器の音色とその歴史にあるでしょう。音楽の教材にハーモニカが用いられ、子どもは誰でも1台持っていた年代は、現在では50歳代後半以上の方にほぼ相当するでしょう。
一句の主役は性別も年代も明らかにされていませんが、シニア世代の男性とイメージしました。演奏する楽曲もフォークやジャズかもしれません。一定の年齢を重ねた方だからこそ爽やかさも際立ってきます。(中田無麓)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

モルモットにも余生あり秋日和
田中花苗

かなしめばなほ美しき草の花
松井伸子

秋出水大木の根の仰向けに
深澤範子

さねかづら縁切寺の袖垣に
田中花苗

入寮の手続きを終へ鰯雲
宮内百花

冠木門くぐりて仰ぐ新松子
木邑杏

梳る男と鏡秋暑し
森山栄子

秋水や風切羽の青一閃
(水の秋風切羽の青一閃)
木邑杏

紺褪せし麻の袖無しワンピース
(紺褪めし麻の袖無しワンピース)
板垣もと子

猛暑日の始まる水面真つ平ら
藤江すみ江

湧水の谷にびつしり釣船草
田中花苗

青空へ百本の枝百日紅
(青空に百本の枝百日紅)
深澤範子

かまつかの火の鳥生まれさうな朱よ
田中花苗

イヤフォンを外せばあたり虫集く
鈴木ひろか

くねくねと自転車の列秋を行く
(くねくねと自転車列が秋を行く)
釼持忠夫

寮生となる日も近く白粉花
宮内百花

秋の蝶子の膝丈を越ゆるなく
(秋の蝶子の膝丈を超ゆるなく)
飯田静

雲水の気配消えたり秋の風
(雲水の気配消えをり秋の風)
松井伸子

同窓会空席ひとつ秋寒し
田中優美子

山霧の迫り大沼隠れたり
(山霧の迫り大沼見え隠れ)
千明朋代

バナナすぐ黒くなりたる残暑かな
藤江すみ江

翅打ちては風に流され秋の蝶
小野雅子

風の色変はり鴨川浮寝鳥
(風の色変はりて鴨川浮寝鳥)
荒木百合子

秋晴や衝動買ひのスニーカー
小野雅子

夏痩せやお座布にあたる尾骶骨
(夏痩せやお座布にあたる尾てい骨)
荒木百合子

草の穂も首垂れたり遭難碑
辻本喜代志

糸瓜忌や路面電車で温泉へ
(糸瓜忌や路面電車で行く温泉)
福原康之

かなかなや湖になだるる森の影
辻敦丸

夏休み明けの縦笛揃はざる
鈴木ひろか

療養の夫の喜ぶ早生蜜柑
五十嵐夏美

さわやかや拳を握り眠る嬰
飯田静

朝顔の小さくなりぬ蔓の先
若狭いま子

秋うらら娘と樹木葬のこと
小野雅子

月の舟赤子は深々と眠る
松井伸子

洋館の高窓暗し青蜻蛉
森山栄子

定まらぬ旅の計画鰯雲
鈴木ひろか

目標は日に七千歩草の花
(目標の日に七千歩草の花)
飯田静

投函はいつもゆふぐれ実むらさき
小山良枝

カーテンを焦がすばかりの西日かな
若狭いま子

 

 

 

◆今月のワンポイント

「時にはシズル感を意識してみる

「シズル感」とは耳慣れないかもしれませんが、みずみずしさを意味する言葉です。広告写真や動画の撮影で主に用いられます。野菜や果物に水滴をつけて撮影するといった具合です。元々の英語のスペルは「sizzule」で、肉を焼くときに出るジュージューという音を意味します。広告業界では「ステーキを売るな、シズルを売れ」というフレーズが非常に有名です。
この「シズル感」をどう取り入れるかは、作句の上でもポイントになります。言葉による「シズル感」の代表例は上質なオノマトペでしょう。今月の特選句には、「シズル感」にあふれた佳句がいくつか見受けられました。たとえば、

朝顔や鉢もたつぷり濡らしたる 小山良枝

「たつぷり」という擬態語が効果的に用いられ、量感と涼感の双方から読み手に訴えかけてきます。

捥ぎたてのかぼすをぎゆつと搾りけり 水田和代

捥ぐ、搾るという力のある動詞と「ぎゆつ」という擬声語・擬態語の合わせ技で、リアルで臨場感あふれる描写が実現できています。
もちろん、安易にオノマトペを用いることは、稚拙に見えることも多いので、戒めが必要ですが、一句の「シズル感」は場合によっては詩と散文を分ける重要なポイントになることも少なくありません。

中田無麓

◆特選句 西村 和子 選

明易や病衣の腕のバーコード
宮内百花
投薬管理のために、腕に巻く形状のものと拝察いたしました。一句、即物的に詠まれていますが、17音のなかに、様々で複雑な感情が織り込まれています。バーコードを付与されたことで、自身が管理される対象になったことへの嘆きと自虐。病衣に象徴される拭いきれない不安と愁い。淡々とモノに語らせることで却って深い感情が描出されています。
「明易し」という季題の斡旋も極めて巧みです。夜の短さへの嘆きであり、眠れない夜への恨みも込められているように思えます。(中田無麓)

 

蜩や時折動く鹿の耳
鈴木ひろか
シャッターチャンスを逃さない写真家のような、観察の眼が行き届いている一句になり
ました。捉えどころが確かです。
一句のポイントは、緩急の場面転換の一瞬を鮮やかに切り取られたところにあります。
通奏低音のように流れる蜩の声は、安寧の時間であり、そこには緩和が生まれます。一方、鹿の耳が動くときは、往々にして、物の気配がしたとき、即ち、危険を察知した時です。にわかに緊張感が走り、一瞬にして場の空気は張り詰まります。
この緩急の繰り返しこそが生き物の営みであり、命終を迎えようとする蜩と相まって、
命をつなぐシーンに立ち会えた…。そんなことまで考えさせてくれます。(中田無麓)

 

筑波二峰彼方に青く稲の花
長谷川一枝
空間の広がりに何とも言えぬ爽快感が満ちている一句になりました。筑波嶺の双耳峰ま
で続く平野の広がりを悠揚迫らぬ呼吸で詠まれています。大景を詠む句が少ない現在において、こういった句づくりは貴重です。
かといって決して大柄な粗削りではなく、繊細に詠みこまれているのも掲句の特徴。
一つは、山塊のマクロコスモスから稲の花というミクロコスモスへの視点移動です。これにより季題の存在感が際立ったものになりました。今ひとつは色彩の対比です。山の青と稲の花のほのかな黄色が色相の際立った映像美を生み出しています。
(中田無麓)

 

地蔵会や文化四年の道しるべ
辻敦丸
おそらく関西の地蔵盆を詠んだものと見ました。有名な京都の地蔵盆では、地面に筵
などを敷いて場を設けます。そこに正座した時の視線のレベルが、ちょうど石の道標の高さになります。ふだんの目線では、存在さえ忘れてしまうような道しるべが、この位置からだと存在感を持って迫ってきます。
偶然だとは思いますが、文化四年という年号もポイントです。西暦では1807年。江戸
時代後期です。地蔵盆は、江戸時代に地域のコミュニティとして大いに賑わったと言います。そして明治になると廃仏毀釈の嵐の中、地蔵盆も一時廃れてゆきます。そんな時代のピークを道しるべの年号がモニュメンタルに語っています。掲句が時空の奥行に富んだ一句になった所以の一つでもあります。(中田無麓)

 

御席主の心尽くしの水団扇
千明朋代
一読して明らかなように、道具立てがとてもシンプル、眼前に存在しているのは水団扇
だけです。席主もその場にいるかいないか、明確ではありません。それでいて、一句には高潔な気品があります。水団扇という季題の斡旋が、実に当を得ているからです。
薄い雁皮紙にニスを塗った水団扇は透明感があり、いかにも涼しげです。昔は、水をく
ぐらせてから仰いだとも。
そんなに気を張らない茶会における席主のもてなしは心憎いばかりです。(中田無麓)

 

見はるかす関東平野夏霞
田中花苗
見はるかすとは「遙かに見渡す」ですから、関東平野の中ではなく、縁辺のどこかの
高みから詠んだものでしょう。気宇壮大、大景を詠んで間然しません。季題の斡旋が実に巧みで、薄青いベールのような夏霞ほど、関東平野の修飾に相応しいものはないでしょう。
日本では並ぶものなく広大な関東平野は、多くの俳人に詠まれています。その多くは、
広い平野とその中の点景によって一句が構成されています。人口に膾炙したところでは、【暗黒や関東平野火事一つ 金子兜太】が典型例でしょう。配合による句の構成は、王道の一つですが、掲句は季題自体が関東平野そのものの形容であり、そこに直球の清々しさを覚えます。(中田無麓)

 

ひと匙のゼリーの繋ぐ命かな
宮内百花
高栄養のゼリー状食品は、病人食・介護食ひいては、災害時の非常食としても、一般的
なものになりました。いずれのシーンを取っても「命を繋ぐ」と形容するに相応しい重みのある食品であることは間違いありません。
掲句に切実なリアリティを与えているのが上五の「ひと匙」という措辞です。看護ある
いは介護の切実な1シーンが想起され、読み手の胸に迫ってきます。(中田無麓)

 

秋蝉のかの一声は嘆きかな
福原康之
「かの一声」から、複数の種の多くが一斉に鳴いているさまが思い浮かびます。作
者はかなりの集中力を持って聴き分けていることがわかります。さもなければ、「かの一声」という措辞は思いつきません。言葉が思い浮かぶまで、五感を働かせる…。精進の成果と言えましょう。
一般的に秋の蟬は「儚さ」というイメージと対になっている印象があります。蜩はこと
にそのイメージが濃厚です。掲句ではそのラインを少し飛び越え「嘆き」とまで、強く表現されました。この言葉の踏み込み方こそが却ってリアリティにつながっています。
(中田無麓)

 

陸奥の旅の冥加や秋鰹
奥田眞二
旅先で出会った味覚の喜びを素直に平明に詠まれています。何のケレン味もなく、技巧
もこらさず詠み下しているところに、却って作者の心躍りが読み手に伝わってきます。
「冥加」という言葉が一句のポイントです。広辞苑に拠れば冥加とは「知らず知らずの
うちに神仏の加護をこうむること」とあります。些か古風で、大げさな叙法ですが、力のある言葉です。因みに「余禄」や「幸せ」と言い換えて見れば、その力の様がわかります。
あえて誇張気味な言葉を用いてはじめて、三陸沖産の脂の乗った秋鰹の味覚が、自ずから読み手に伝わってきます。(中田無麓)

 

蛍草抜かむとすればまたたきぬ
箱守田鶴
一句一章の詠み下しスタイルで、露草という季題の本意が描かれている一句になりまし
た。と同時に、可憐な花の佇まいと反する繁殖力の強さに戸惑いも拭えない、複雑な心の内も表現されていて、豊かなニュアンスを醸し出しています。
「またたく」という意思表示が一句の鍵。露草の諦念なのか、精一杯の抵抗なのか、い
ずれにしても作者と露草の間にはコミュニケーションが成立しています。花の意思を感じ取れることはやさしさでもあります。抜くことによるほのかな罪悪感を、童話のように描くことで、詩として昇華させることができました。(中田無麓)

 

秋暑しフルーツティーが甘すぎる
松井伸子
感受性豊かな一句になりました。この感覚が理解できるかどうかで一句の評価は異なっ
てくるでしょうが、怒りや糾弾ではなく、少し憂鬱でアンニュイなニュアンスの漂う中七下五は、季題の秋暑しを独創的に描いていると言え、その挑戦は大いに評価されるべきだと個人的には思います。
ことに下五。「甘すぎる」ときっぱり言い切ったところが潔く、若さを感じます。これがたとえば「甘くして」などと遠回しに言えば、秋暑しの形容としての力は弱くなり、一句の魅力は半減してしまいます。(中田無麓)

 

消息を聞くをためらふ残暑かな
松井伸子
一句の字面上には、わからない言葉は一つとしてありませんが、意味の上ではとても重
層。微妙なニュアンスが幾層にも重なり合っていて、そこが一句の魅力になっています。
ことに注目したいのは中七。「ためらふ」の主語が作者自身であることは明快ですが、その理由は複数考えられます。まず、自身の体力や健康上の問題で、もし悪い消息であれば、(精神的に)耐えきれるか自信がない。別のニュアンスとしては聞く相手に忖度が働き、対応に苦慮する。いずれにしても少しネガティブな感情なのですが、その匙加減が残暑という季題に呼応しています。そしてこの気分は読み手をしてウンウンと頷かせるに足る共感力を備えています。(中田無麓)

 

◆入選句 西村 和子 選

旅先の目覚めは早し糸繰草
(旅先の目覚めの早し糸繰草)
小山良枝

鈴懸の木陰に佇てば処暑の風
若狭いま子

帰省子のまづ愛犬に捕まりぬ
松井洋子

枝豆や母の口癖「そうだすけ」
長谷川一枝

新涼の遺影となりて笑み給ふ
水田和代

付添ひのベッドの固く秋の夜
木邑杏

磁力かな熊蝉ぴたと樹に帰る
(磁力かな熊蝉ピタと樹に帰る)
小松有為子

傘と句帳持ちて飛び出す二重虹
松井洋子

中ほどに雲をひと刷毛夏の山
松井洋子

念入りにかいつくろひて鶲翔つ
(念入りにかひつくろひて鶲翔つ)
田中花苗

空ばかり秋の気配の昨日今日
(空のみぞ秋の気配の昨日今日)
長谷川一枝

電線の垂れさがりたる野分あと
西山よしかず

夕月夜ロサンゼルスは今何時
田中優美子

新涼や猫の瞳の碧く濃く
(新涼や猫は瞳を碧く濃く)
長谷川一枝

畳屋の戸を開け放ち蚊遣香
五十嵐夏美

大文字点火の頃よ卓を拭く
(大文字は点火の頃よ卓拭きて)
小野雅子

閑散と涼し正午の百貨店
中山亮成

真夜中に遊ぶプールのぬるきかな
(真夜中に遊ぶプールのぬるさかな)
鏡味味千代

カレンダーめくってもまだ猛暑かな
釼持忠夫

端居して頂き仰ぐ山の家
深澤範子

朝風呂にかなぶん溺れゐたりけり
(朝風呂にかなぶん溺れてゐたりけり)
田中花苗

朝まだき虫の音ほそき草間かな
小野雅子

運河べり抜きつ抜かれつ赤蜻蛉
板垣源蔵

鬼百合や火の山眠る流人島
辻敦丸

夏の雲うつすらと紅帯びてゆく
藤江すみ江

バッグから出したり入れたり秋扇
(バッグから出入りはげしき秋扇)
平田恵美子

舟人と交はす挨拶今朝の秋
森山栄子

青年の髪の毛とがり花火の夜
福原康之

知己の減り係累の減り千日草
中山亮成

炎天をものともせずに子等走る
(炎天をものともせずに走る子等)
鎌田由布子

語り部の皺の深さや原爆忌
(語り部の皴の深さや原爆忌)
釼持忠夫

何処からも見ゆる天守や星月夜
飯田静

殿のねぶた一際撥猛る
福原康之

手術創また疼きだす秋の雨
田中優美子

秋草や草津白根は指呼の間
西山よしかず

淡海の小舟が散らす夏の月
(近江の湖小舟が散らす夏の月)
辻敦丸

ひもすがら病床に雲の峰見て
(ひねもすを雲の峰見て病床に)
藤江すみ江

秋の波足裏の砂を引いてゆく
板垣もと子

炎天やはせをの道をわが辿り
辻本喜代志

土用波立ちて波打ち際静か
箱守田鶴

子供らに近道尋ね秋遍路
(子供らに近道尋ぬ秋遍路)
西山よしかず

町なかの小さき公園百日紅
飯田静

もてなしの浴衣揃への茶会かな
千明朋代

蜻蛉の一歩踏み出すごとに増え
田中花苗

ポストから封書はみ出し秋暑し
鈴木ひろか

炎天下打って走って泥まみれ
鎌田由布子

いなびかり夫と宇宙の話など
長谷川一枝

誰にでも尾を振る犬や秋暑し
森山栄子

天高しジーンズ突つ張つて乾く
(天高しジーンズ突つ張りて乾き)
箱守田鶴

池巡る間にも睡蓮開きたる
飯田静

新馬鈴薯や北の大地の風運ぶ
中山亮成

アスファルト白く乾きて風は秋
板垣もと子

七夕茶会竹の菓子器に竹の箸
千明朋代

四方よりぐんぐん迫り雲の峰
(ぐんぐんと四方より迫り雲の峰)
田中花苗

送りまぜビルに大蛇のごとき雲
佐藤清子

くっきりと海より立てり秋の虹
平田恵美子

一匹の蟻さへも見ぬ秋暑かな
巫依子

てんでんに揺れ夾竹桃の鬱陶し
五十嵐夏美

秋の灯の流るる祇園巽橋
奥田眞二

バス待つや逃るすべなき大西日
(バス待つや逃るべくなき大西日)
田中花苗

蜩や人恋しさのいや増して
田中花苗

思ひっきり振つて三振夏了る
深澤範子

大花火パバロッティの歌にのせ
鈴木ひろか

花氷子の手のとどくところ痩せ
箱守田鶴

立秋の雲ぐんぐんと筑波山
穐吉洋子

看護師の声やはらかき夜の秋
田中優美子

好物の餡パンひとつ盆供かな
巫依子

帰るさの船を待つ間のかき氷
巫依子

 

 

◆今月のワンポイント

「遠近法を取り入れる

遠近法とは言うまでもなく、絵画などで遠近感や立体感を表現する技法のことですが、
俳句空間においても言葉の力で、奥行を持たせることは有効な作句技術です。俳句に比較的近い写真を例に挙げれば手前と奥の被写体の位置関係を意識することとほぼ同意です。
有名な例句としては、

貝こきと噛めば朧の安房の国 飯田龍太

などが、遠近法を意識した句の好例と言えるでしょう。
今月の特選句の中では、

筑波二峰彼方に青く稲の花 長谷川一枝

が典型例と言えます。筑波嶺という大景が稲の花を配することで、より細やかな表現に結実しました。
遠近は空間だけではありません。時間軸に遠近を設けても、奥行のある一句を成すこと
は可能です。

地蔵会や文化四年の道しるべ 辻敦丸

で明白なように、現代の景に過去を配することで一句の深みが増しています。
作句の際には遠近法を意識に入れておいて損はないと思います。
中田無麓