蕗の薹雪降ればまた雪のなか
矢澤真徳
「知音」2022年6月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2022年6月号 知音集 より
「知音」2022年6月号 知音集 より
「知音」2022年6月号 知音集 より
「知音」2022年2月号 歌仙集 より
「知音」2022年6月号 窓下集 より
「知音」2022年5月号 知音集 より
「知音」2022年6月号 窓下集 より
「知音」2022年7月号 知音集 より
「知音」2022年6月号 知音集 より
木登りのはじめ冬木にかぶりつき
少年に腹筋冬木に力瘤
冬晴やサッカー少年いづこにも
働けるかぎり働くちやんちやんこ
客捌きつつ鎌倉の年用意
数へ日のいつもの茶房常の席
年越の塵も埃も我が身より
子ら来るを待てば輝く初御空
どの畦に立ちても筑波颪かな
蓮根掘る常陸風土記の国中の
蓮根掘る泥の細波かき立てて
狸とも貉ともなく十二月
冬桜咲きの盛りのさびしらに
ぶくぶくと柚子が湯を噴く冬至かな
如何にせん冬至南瓜の四半分
おでん酒ふたりとももう若くない
紅天狗茸の観察這つて寄り
そつぽ向きをれば目に入り実南天
風呂吹に絵の具のやうな味噌のせて
居眠れる眉美しや暖房車
ときどきは水をたもれとシクラメン
退任の後の柚子湯にふかぶかと
黄落や出会ひがしらの手を振りて
山眠る瓦礫屍の街の果
松手入まづ空鋏唄はせて
池浦翔子
胸元をふつくら合はす菊師かな
影山十二香
変声期終はれば美声小鳥来る
杢本靖子
栗おこは買うて一日を締めくくる
黒須洋野
山茶花散る音なき音を聴きにけり
山田まや
昌平坂行きつ戻りつ秋惜しむ
村松甲代
嘘なんてつけないものね蜜柑むく
山本智恵
スリッパの冷たき東方正教会
米澤響子
石狩川河口十里の芒原
吉田しづ子
豊の秋里山暮し愉快なり
吉澤章子
学府に灯銀杏落葉を照らしつつ
井出野浩貴
塔婆書く僧はTシャツ萩の寺
國司正夫
潮風の匂ふわが町鳥渡る
井戸ちゃわん
言ひかけて言ひやめしことすがれ虫
山田まや
豊の秋動けないから腹減らぬ
中野のはら
石蕗咲くや昔小池のありし庭
中津麻美
秋うららぼうろかるめらかすていら
立川六珈
袖捲り泰山木の花仰ぐ
栗林圭魚
七五三父の最も美形なる
影山十二香
一景に花なき葉月吉野窓
藤田銀子
「畳む」という日本語には様々な意味がある。衣服を畳むという他に、まとめて始末するとか、胸に畳むとか、広辞苑を引くと物騒な意味も書かれている。この句の場合はいうまでもなく、「店を畳む」のように閉じて引き払うという意味に使われている。「始末する」などと言ってしまうと身も蓋もないが、「畳む」という言葉が選ばれている点に作者の思いが籠められていよう。
もう誰も住んでいない親の家、これから住む予定もない家だが、人生の大半の思い出がある家。そこを引き払ったり人手に渡したりしなければならない辛い体験は、五十代を過ぎると誰もが思い当たることだろう。「山茶花」という季題に、作者の愛着や淋しさが籠められている。さらに「家なれど」と言いさしている点に、理屈ではわかっているのだが、心情的にはそうしたくはないという心残りも表れている。
「芸術は爆発だ」という岡本太郎の激しい言葉を、誰もが思い浮かべるだろう。上野といえば美術館や博物館、芸大や音楽会場など、東京の代表的な芸術の町だ。この表現から、かなり前衛的でシュールな絵や彫刻などが見えて来る。芸術家の様々な生き方を、否定したり拒絶したりするのでなく、こういう世界もあるのだと楽しんでいる思いが伝わってくる。
澄んだ秋空の下、旅の思い出とともに、鞄を干している。これは誰もがすることであるが、「秋晴」という季語が大いに語っている、終えたばかりの旅も好天に恵まれて、秋の景色や味覚を存分に楽しんだであろうし、鞄には土産物も詰め込んだのだろう。それらを空っぽにして鞄を干したとき、旅が終わったと実感したのだ。心身ともにリフレッシュして、今日からは秋天の下で掃除、洗濯に励もう。そんな声も聞こえて来そうだ。