蟬つかむこつを覚えて夏了る
柊原淑子
「知音」2022年11月号 窓下集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2022年11月号 窓下集 より
三階の窓覗けさう時計草
強まらず卯の花腐し止みもせず
覚めぎはの夢にも卯の花腐しかな
夏霧や甲斐の山襞削りつつ
渓声も梅花卯木も生まれたて
全貌を見せずかがよふ皐月富士
訃音到るや東京梅雨に入る
麗しき五月に忌日加へたり
新しきパスポートはや梅雨じめり
どこへ飛ぶあてなき梅雨のパスポート
夏の惨劇おまへらはみな外来種
ひゆんひゆんと青大将を振り回す
雪残る利尻富士てふ剽げもん
夏雲の戴冠見よと利尻富士
網戸青々灯して逃げも隠れもせず
白南風や毎日カレー曜日でも
恐竜は忘れて兜虫に夢中
画廊夏花束抱いて男来て
失恋を忘れてかぶりつく西瓜
夏ドレス透けて青山大通り
大銀杏青葉たぎらむばかりかな
頰寄せて目高のぞいて姉弟
じたばたと砂浴二秒雀の子
カウンター越しにとんかつ屋の金魚
青鰻や女将を口説くふりばかり
藤田銀子
砂丘から海を見ている春日傘
山田まや
汽水湖の風の尖れる氷下魚釣
佐藤寿子
魚籠揺らし水撥ねとばし大山女魚
帶屋七緒
住み馴れし我が庭眺め春惜しむ
村松甲代
初夏のオールの零す湖の青
佐貫亜美
異邦人われか新大久保の朱夏
三石知左子
靴振れば小石ぱちりと日永し
森山栄子
一列に釣銭並べ草餅屋
中津麻美
ひざぐりの間中めし屋のさより刺し
田代重光
食ふ寝るに困らず諸葛菜の庭
藤田銀子
余花に遇ふ旅に余白のあればこそ
井出野浩貴
跡取りのおつとり見上ぐ武者人形
牧田ひとみ
階段を飛び降りてみせ子供の日
影山十二香
花明りあへて歩調を合はせざる
𠮷田林檎
ソックスは白く三つ折り夏に入る
三石知左子
涅槃図へ割り込むやうに拝しけり
山田まや
白黒白白白雨の夏燕
小山良枝
少女らは前髪大事若葉風
森山栄子
田を返す石州瓦輝かせ
高橋桃衣
主語はあきらかにされていないが、「おやぢ」という言葉から息子であることが想像される。若布を干すという作業は、若布が採れる間のわずかな期間なので、家族総出で浜辺で茹でたものをすぐさま干すという、天候を見ながらの仕事となる。手伝わない訳にはいかないのはわかっているのだが、最近父親と折り合いがよくない。そんな仏頂面の息子の姿が見えてくる。
そういった家族関係の経緯を、わずか十七音で表現するのは案外難しいものだ。「おやぢ」という呼び名を効果的に用いた作品。
「軽暖」は薄暑の傍題だが、なかなか使いこなすのは難しい。薄暑の頃、こちらへ向かって手を振っている若い女性のてのひらの殊更なる白さに、季節感と美を感じ取ったのだろう。音読してみると軽やかな動きが見えてくるようだ。てのひらを「たなごころ」と表現しているのも成功している。川端康成に「掌の小説」というのがあるが、こうした文学的な言葉も使いこなしている。
作者の産院の医師という職業が、この句の鑑賞の手助けになる。今まさに出産しようとしている女性が柏餅を食べているのではなく、その場に立ち会っている医師や看護師が食べているのだと解釈したい。
初産の場合、陣痛が起きてからすぐに出産となるわけではなく、何時間も痛みに耐えて全力を尽くさねばならない大仕事である。医師や看護師は経験上すぐに出産という事態になるわけではないことを、知り尽くしているのだろう。だからこそ、陣痛の波が引いている間に、柏餅を食べようという発想も行動もありうるのだ。「柏餅」である点に、あんぱんやケーキとは違って、生まれてくる赤ん坊への祝福の意味もこめられていよう。
「知音」2022年11月号 知音集 より
「知音」2022年11月号 窓下集 より
「知音」2022年11月号 窓下集 より
「知音」2022年11月号 窓下集 より
「知音」2022年11月号 窓下集 より
◆令和5年5月6日(土)梟の会の参加者の一句◆
土踏まずもて大干潟掴みけり
佐野すずめ
右中間好捕球せり草若葉
板垣源蔵
忘れ物とどけに行くや花海棠
稲畑実可子
妹とたんぽぽ百まで数へけり
(妹と百のたんぽぽ数へた日)
北村季凛
袖通すことなき形見昭和の日
田中優美子
かの競泳選手がコーチ夏来る
(元競泳選手のコーチ夏来る)
宮内百花
声張りて一日車掌子供の日
松枝真理子
荒川の風に吹かれて荷風の忌
井出野浩貴
「知音」2022年11月号 知音集 より
「知音」2022年11月号 窓下集 より