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三石 知左子 句集
『小さきもの』
2024/3/1刊行
朔出版

産声をあげよ今宵は良夜なる

医学が大きく進んでいる現代でさえ、
出産は女性にとって命懸けであることに変わりない。
まさに満月の夜、さあ
呱々の声を聞かせておくれ――
それは生まれてくる新しい命への賛歌であり、
かつ作者の天職への強い自恃の表白でもあるだろう。
(帯より・行方克巳)

◆行方克巳十二句抄出
桜散るストレッチャーの子供にも
母の日やねぎらふよりもいたはられ
学会といふ暇得て十二月
青臭く薬臭くて鬼灯市
産声をあげよ今宵は良夜なる
秋の雲人智及ばぬことばかり
煮凝掬へず人間も救へない
鉛筆のやうに箱詰アスパラガス
十代の白シャツ無防備無鉄砲
不器用な彼に剥かせて梨甘し
翅畳むからくり不思議天道虫
風光る新病院の大玻璃戸

◆著者略歴
三石知左子(みついし ちさこ)
1955年 札幌市生まれ
1982年 札幌医科大学卒業、東京女子医科大学小児科入局
1986年 同大学母子総合医療センター配転
1999年 葛飾赤十字産院副院長
2006年 同産院院長
2009年 「知音」入会
2014年 「知音」同人
2021年 病院名改称し「東京かつしか赤十字母子医療センター」院長
医学博士、小児科専門医 、俳人協会会員

◆令和5年12月2日(土)梟の会の参加者の一句◆

包丁の切れ味悪し風邪心地
青木あき子

先触れの風ひとつなく木の葉雨
佐野すずめ

テーブルの木目の粗き雪もよひ
稲畑実可子

秋薔薇の色の深きに見入りけり
(秋薔薇に色の深きを教へられ)
北村季凛

訳もなく頭下げたりそぞろ寒
田中優美子

冬の月家族の眠る家静か
宮内百花

けふことに稜線近し冬菜畑
松枝真理子

着ぶくれの肩ぶつけあひ蕎麦啜る
井出野浩貴


なまこ的  行方克巳

鮟鱇の今生憂しとやさしとぞ

口噤むなまこ半分ほど凍り

先手必勝とは思へども海鼠かな

なまこ的処世訓垂れ海鼠食ふ

初夢のみぐるみ剥がれたればなまこ

初鏡父を憎みし日の遠く

老来の企みひとつ年酒くむ

わが追ひつめて凍蝶となりにけり

 

寒 威  西村和子

薬指強張るままの寒の入

寒威天に張りつめ四海真つ平

対岸に黄塵澱む寒日和

この窓の平和いつまで寒夕焼

寒禽の音符のやうなひとつづり

寒鴉ひと声発せずにはおけず

下草は腑抜け裸木気張りたり

マフラーに男の伊達や黒づくめ

 

甲辰の年始め  中川純一

揃はねど家族健在年酒くむ

おいしいと娘ひと言七草粥

熊谷市権田酒造の若夫婦
新妻も蔵の半纏初商ひ

振袖は風切る翼成人式

寒雀小学校の窓のぞく

給食に一皿足して鏡餅

網走時代を回顧しつつ二句
雪の中訪ねて飯鮨いずしもてなさる

流氷に乗りて来世の我は鷲

 

 

◆窓下集- 3月号同人作品 - 中川 純一 選

冬うらら明日には夫の退院と
金子笑子

光るものひとつ身につけクリスマス
橋田周子

伊良湖岬一機のごとく鷹去りぬ
吉田しづ子

プラタナス黄ばみそめたり惜命忌
黒須洋野

聖書めく句帳を卓にクリスマス
吉田林檎

菊坂の肉屋魚屋冬めける
井出野浩貴

秋思あり阿修羅の像の御目元に
村地八千穂

隠れ耶蘇のマリアに捧ぐ野水仙
田代重光

鷹の羽拾ひて茶事の座箒に
山田まや

紛れなく鷹よ翔けても止りても
小山良枝

 

 

◆知音集- 3月号雑詠作品 - 西村和子 選

とろろ汁真空が喉通過せり
吉田林檎

落葉踏む蛇笏龍太の如く踏まむ
井出野浩貴

落葉踏む道なき道を選りしより
松枝真理子

もう鳴らぬグランドピアノ冬館
佐瀬はま代

喪心に歳晩の街色の褪せ
牧田ひとみ

から松のてつぺんに月引つかかり
中野のはら

紅葉冷え覚えてベンチ立ちにけり
山田まや

嘗て餌をねだらず佇立冬の鷺
藤田銀子

たましひの抜ければ甘し吊し柿
高橋桃衣

星冴ゆる自分を許すこと覚え
田中優美子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

声かけず背を見送り駅の秋
吉田林檎

こうした経験は誰もが思い当たることだろう。知人を駅で見かけたが、声をかければ届くところにいたのに、声をかけずに見送った。それはその人との間に屈託があったからだ。季語がそれを語っている。
知り合いに偶然出会ったとき、声を掛けあうという間柄は明朗なものだ。しかし人間関係はそうしたものばかりではない。見送った後、その人とのあれこれを作者は思い出している。しかし相手は何も気づかない。立場が逆のことも人生のうちにはあるに違いない。

 

サンタクロースからの手紙を訝しみ
佐瀬はま代

サンタクロースの存在を疑い始めた年齢。小学校の低学年だろう。すでに事実を知っている友達や兄姉たちから聞いて、うすうすわかってはいるものの、まだ信じていたい。子供ながらに、そんな複雑な思いをしているのだ。サンタさんからの手紙と言われて素直に読んではいるものの、この字はパパに似ていると気づいたのかも知れない。この句は事柄がおもしろいのではなく、子供の年齢が語られている工夫が際立っているのだ。

 

かさと音して何かゐる枯かづら
中野のはら

音読してみると「か音」の効果に気づく。体験そのものはありふれたものだが、俳句は表現であることを思い出させてくれる句。ものみな全て枯れつくした世界では、わずかな音も耳に届く。何かがいるに違いないが、ごくごく小さな存在であろう。