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◆特選句 西村 和子 選

額紫陽花一輪残る青の濃し
飯田静
額紫陽花の季節が過ぎようとする頃、残る一輪は萎れかけていると思いきや、意外にも鮮やかな青を見せてくれました。さりげない句ですが、もののあわれを感じさせてくれます。(井出野浩貴)

 

時の日や水あふれてはあふれては
小野雅子
「時の日」は、天智天皇の御代に初めて漏刻(水時計)が設置された日にちなむのだそうです。制定自体は大正時代ですが。由来からいっても水に大いに関係しています。梅雨に入って水がゆたかになる頃の季感を響きあいます。時も水も流れ還ってくることはありません。「あふれては」の繰返しにそうした思いがこめられているかもしれません。(井出野浩貴)

 

公園の樹々うつうつと五月雨
鈴木ひろか
富安風生に「草木のよろこぶ梅雨をよろこばん」という句があるように、植物にとって梅雨は歓迎すべきものです。ところが、この句の場合、作者が屈託を抱えているためか鬱々としているように見えたのです。梅雨で昼間も薄暗い公園での感慨でしょう。(井出野浩貴)

 

贅沢は何もせぬ日のさくらんぼ
小野雅子
贅沢はせぬと言いつつも、店頭で見かけたさくらんぼの美しさに心が躍り、小さな贅沢をしようと買い求めたのでしょう。これがメロンや完熟マンゴーやシャインマスカットでは句になりません。さくらんぼのかわいらしさが魅力です。(井出野浩貴)

 

水馬跳ねて真鯉を躱したり
三好康夫
「水馬」が跳ねる瞬間をとらえました。小さな「水馬」にとって真鯉は潜水艦のように見えることでしょう。それでも逃げるわけではなく、さっと身を躱す、その姿を作者の眼は逃しませんでした。よく見て写生したことで、臨場感のある句になりました。(井出野浩貴)

 

どこまでも行ける青芝やはらかき
小野雅子
「青芝」に足が跳ね返される心地よさだけではなく、初夏の気持よい風に吹かれていることが伝わります。声に出して読んでみるとわかりますが、リズムのよさが心の弾みを表現しています。(井出野浩貴)

 

選挙カー細き手を振り街薄暑
中山亮成
今年の参議院の選挙期間中は記録的な猛暑でしたが、作品は作品として味わいましょう。「細き手を振り」から、比較的若く清新な候補者が想像されます。飯田龍太に「満目の草木汚さず薄暑来る」という句がありますが、この句の「薄暑」のイメージはそのあたりにあるでしょう。「猛暑」では政局しか考えない薄汚れたイメージになってしまいます。(井出野浩貴)

 

海風の抜け豪商の夏座敷
鈴木ひろか
たとえば、北前船などで巨富をたくわえた商人の屋敷などが思い浮かびます。「海風」と「夏座敷」の取り合わせが効果的です。もしかしたら今でも商いを続けているのかもしれませんが、むしろ江戸時代の賑わいが見えるようです。(井出野浩貴)

 

あぢさゐを待たずに逝つてしまひけり
(あじさゐを待たずに逝つてしまひけり)
片山佐和子
実際に故人は紫陽花の好きな方だったのでしょう。とはいえ、故人の好きな花ならばなんでも句になるわけではなさそうです。七変化の異名があるように、咲いている間に色を変えてゆく紫陽花は、異界の象徴にも感じられます。(井出野浩貴)

 

高原の触れむばかりの星涼し
若狭いま子
秋の「星月夜」「流れ星」は美しいですし、「冬の星」も澄み切っています。対して、「夏の星」の傍題「星涼し」には、ほんとうに涼しそうな響きがあります。この句は「触れんばかりの」によって夜の高原の空気感が表現でき、いっそう涼しい句となりました。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

子の飼へる金魚日に日に逞しく
(子の飼ひし金魚日に日に逞しく)
森山栄子

足跡の斜めに渡る植田かな
(足跡の斜めへ渡る植田かな)
宮内百花

四条下ル小さき暖簾の鯖鮓屋
奥田眞二

飛石を守るや川鵜立ちつくし
松井洋子

緑さすトンネル抜けて遠野郷
深澤範子

安宿の朝のカフェオレ夏つばめ
(夏つばめ安宿の朝のカフェオレ)
石橋一帆

西口を出ればいつもの大西日
(西口を出ればいつもの歩道大西日)
深澤範子

抜き手切る佐渡島まで泳がんと
(抜き手切る佐渡島まで泳ぐぞと)
箱守田鶴

スプーンで食べるのが好き冷奴
(冷奴スプーンで食べるのが好きで)
箱守田鶴

電話してをり浅利飯炊けるまで
板垣もと子

Tシャツを九枚干すや梅雨あがる
(外干しのTシャツ九枚梅雨あがる)
小野雅子

炎昼の木橋渡るや照り返し
(炎昼の渡る木橋の照り返し)
石橋一帆

夏至の朝うっすら見へし筑波山
穐吉洋子

荘内の植田海まで広ごりて
辻本喜代志

冷素麺薬味を少し変へ今日も
鈴木ひろか

象潟に鳥海山に夏の雲
辻本喜代志

夏至の雲ゆつくり窓を過りゆく
若狭いま子

仕舞屋の軒に掛かりて枇杷たわわ
鎌田由布子

八十路なほ桑の実盗るを止められず
(我八十路桑の実盗るを止められず)
千明朋代

追憶の生家の門の夏椿
(追憶の生家の門に夏椿)
若狭いま子

卯の花腐し中尊寺まで坂登る
(卯の花腐し中尊寺までの坂登る)
深澤範子

青葉風学士会館いよよ古り
千明朋代

青梅雨や外堀の木々生き生きと
飯田静

地に落ちて白の増したり沙羅の花
(地に落ちて白さ増したり沙羅の花)
小野雅子

樟若葉神社を抜けて通学す
(樟若葉神社を抜けて通学路)
五十嵐夏美


明日句会    西村和子

入梅や呼びかけきたる故人の句

梅雨の蝶墓碑銘探しあぐねしや

青梅雨のあたりを払ふ豪華船

薔薇園の卓に師弟か恋人か

木下闇濃くなる日暮遅くなる

ハンカチにアイロンかけて明日句会

踏切を渡りおほせず梅雨の蝶

ボクシングジムすれすれに梅雨のバス

 

梅雨籠り  行方克巳

四月馬鹿五、六、七月馬鹿馬鹿馬鹿

横柄な出目金に遊ばれてゐる

だんまりの父子のひと日茄子の花

思ひ出の真帆や片帆や水芭蕉

金光明最勝王経梅雨滂沱

秋津島梅雨曼荼羅の濃絵なし

どつこいしよと立つて歩いて梅雨籠り

誰も知らぬ一日旅めく山法師

 

アマリリス 中川純一

天道虫弁当箱の縁歩く

青梅雨や気つけに一つチョコレート

尾のきれし守宮もたもたへなへなと

六月来ポールモーリア今も好き

駅頭に迎へくれをり白絣

調律の遅々と進まぬアマリリス

目もて追ふ蠅虎と歯を磨く

跳ねてみせ蠅虎の我に狎れ

 

 

◆窓下集- 9月号同人作品 - 中川 純一 選

朧夜や息するやうに嘘をつき
平手るい

ハイヒールかつかつ鳴らし新社員
中津麻美

薫風や糸切りばさみ音軽く
松枝真理子

えごの花散つて先師の一句あり
江口井子

理髪師に頭預けて目借時
田代重光

自販機の水をまた買ひ新社員
大橋有美子

風光る中折帽の母若く
松井伸子

田植時逆さに映る鳥海山
折居慶子

山笑ふ遺跡の下にまた遺跡
竹見かぐや

厚化粧して現れし新社員
茂呂美蝶

 

 

◆知音集- 8月号雑詠作品 - 西村和子 選

キャンパスの深閑として椎の花
井出野浩貴

虚子像になんじやもんじやの花盛り
影山十二香

フランスパン抱へ短パン美少年
佐貫亜美

眉の濃き男の子まぐはし若葉風
牧田ひとみ

ひとり来て石に坐るも花の客
高橋桃衣

青蔦や白い扉の雑貨店
井戸ちゃわん

煙草購ふやうに薔薇選るサングラス
石原佳津子

雛飾る一人娘の巣立ちても
松枝真理子

多摩川の浅瀬きらきら薄暑光
くにしちあき

同僚に出会す神田祭かな
塙 千晴

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

桜の一句教へて教師廃業す
井出野浩貴

六十を待たずして教職を退いた作者にしてみれば、「廃業」という一語に思いをこめたに違いない。定年退職の折の句であったなら、こうは言わないだろう。「退職」とか「定年」とかいう言葉には、人生の時が至って職を退いたという思いがこめられるが、「廃業」には自らの意思が感じられる。
桜の花が咲く前に、桜の一句を黒板に書いて教えたのだろう。その一句は誰の句だろうと、想像が広がっていく。芭蕉の句かもしれないし、自作かもしれない。いずれにしても生徒たちは桜の花が咲く頃になると、その句を思い出すだろう。それも何年か先のことかもしれない。
「教師とは、海に向かって石を投げ続けるようなものだ。」と、長い間教職にあった人に聞いたことがある。大方の石は戻ってこないが、時々忘れたころに波に乗って戻ってくることがあると、感慨深いものだそうだ。

 

むつつりと武蔵鐙の花擡げ
影山十二香

「武蔵鐙(あぶみ)の花」は歳時記には載っていないが、以前鎌倉の吟行で江口井子さんに教えていただいた。都から離れた、武蔵の国で作られた鐙に似ているということから、この名がついたのだろう。華奢とか華やかとかいうものからは程遠いに違いない。従って、この句の「むつつりと」「擡げ」は、その本質に迫っているといえよう。花は全てが「咲く」とか「ひらく」ものではないのだ。

 

こんな生き方もあるさと姫女菀
くにしちあき

姫女菀は初夏によく見かける雑草だが、名前は優雅だ。しかし、どこにでも見かけるせいか、貧相で俳人しか目に止めない花でもある。その花を見つめていたら、こんな声が聞こえてきたのだろう。ありふれた花ゆえに、誰も目を止めたり足を止めたりしないが、こんな生き方も気楽なものだ。対象に目を止め、足を止め、心を止めないと、本当の姿は見えてこない。そんなことを教えられた句。