山門に振り返りたる春日傘
大橋有美子
「知音」2018年7月号 窓下集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2018年7月号 窓下集 より
「知音」2018年7月号 窓下集 より
「知音」2018年7月号 窓下集 より
到来の酒は「死神」寒明くる
躓きし石ころ一つ春立てる
立春大吉而して生死去り難く
うすら氷の端をみしりと持ち上ぐる
春の猫老いらくの恋またよきか
しちめんどくさい恋より春の猫
少年のどんぐりまなこ山火燃ゆ
叩かれて炎立つなり野火の舌
七福神巡るは時を溯る
先達は雨もいとはず福詣
検疫を待つ船あまた春寒し
春寒の空掻き乱し取材ヘリ
語り寄るごと紅梅に佇める
膝掛や知る人ぞ知る喫茶店
盛り過ぎたりといへども谷戸の梅
俗塵を退けたりし梅の谷
漱石は知命を知らず冬すみれ
井出野浩貴
大槻の影のつばらか冬の水
前山真理
落葉踏む音われのみと気付くとき
山田まや
船笛を耳朶に残して納め句座
藤田銀子
マティスの赤ゴッホの黄色落葉踏む
小池博美
小春日や隣席の児に見詰められ
植田とよき
秋惜しむ古本市をさまよひて
磯貝由佳子
なにを待つ母の明け暮れ枇杷の花
竹中和恵
いつの間に釣舟消えて小春凪
中野のはら
尻餅をつくも平静初蹴鞠
野垣三千代
男手の小松菜洗ふ冬の水
小野桂之介
噴水の後ろの正面冬来たる
津田ひびき
顔役の茣蓙に居流れ潮神楽
帶屋七緒
死も生もことのなり行き冬木立
原田章代
悴める手を香煙の擦り抜けて
谷川邦廣
雨となり霰となりしひと日かな
高橋桃衣
初御空歩ける処まで歩く
志磨 泉
ひとり寝の起きても一人初昔
橋田周子
水底はこちらなのかも冬の水
吉田林檎
あの頃はフランス映画落葉踏む
藤田銀子
「気を付け」は直立不動の姿勢をとらせる時の号令であるが、もともと軍隊用語か何かだろう。おじいちゃんに新年のご挨拶をなさい、と言われた子供が、ぴんと背筋を伸ばして立ったまま「おめでとうございます」と言ったのである。その緊張した面持ちがおかしく、また可愛いいので居合わせた人の笑いを誘ったのだ。
緊張と言えば今から30年以上も前に中等部で教えたS子ちゃんのことが思い出される。卒業式で一人一人卒業証書を受けるとき、いつになく緊張していた彼女に式のあとでそれを言ったところ、「緊張すべき所では緊張しなければいけないってお父さんに言われた」という返事。まことに「負うたる子に教えられる」である。Sちゃんがおとなになったら一緒にお酒を飲もうネと約束したのだが、彼女はとっくに忘れてしまっただろう。
津山と言えば西東三鬼の生まれた町である。津山城址の桜を見に行ったことが思い出される。<花のうへに人またひとの上に花 克巳>というのがその時の句である。作者のところにその津山から一人の男がやって来た。そしてその男は雪の匂いのする男だというのである。読者は、これだけでその男のすべてを想像すればよいのだ。俳句は寡黙であるのがいい。
潮神楽は鎌倉材木座海岸で行われる神事。潮神楽の名の通り祭の庭は海に向かって設けられる。ゆえに神主は海へ向かって幣を振るというわけだ。今年は正月の11日に行われた。単調な儀式が長々と続き、神楽舞も行われるのであるがきわめて省略的で、女舞などもなく淋しいものである。しかし、このような儀式が農漁村の様々なところではるか昔より営まれ続けていることに意義があるのだろう。
「知音」2019年6月号 知音集 より
「知音」2019年6月号 知音集 より
「知音」2019年6月号 知音集 より
◆第一句集[させはまよ(1954〜)]
序:西村和子
題簽:佐瀬康志
装画:佐瀬浩史
挿画:大塚友佳子
装丁:和兎
四六判フレキシブルバックカバー装
198頁
少年は一塊の熱七月来
十年一日の如し、と言うがはま代さんにとっての十年は
さまざまなことを経験し、学び
風のように走り抜けた歳月だった
これからの十年は
ゆっくりと自分の一歩一歩を確かめながら
はま代さんらしい表現を身につけてゆく、
そういう時代になってゆくだろう
(帯・行方克巳)
◆自選十句
白シャツの一群に夫見失ふ
まつ青な空へ捨てたる榠樝の実
老鶯の声みづうみを辷り来る
流氷や旅のベッドの軋みたる
木の実踏むわざと踏む悉く踏む
雪といふことばを教ふ抱きあげて
フリージア光のごとき水に挿し
首手首心もとなし走り梅雨
物乞ひの少女膝抱く片かげり
蝶ふつと消えて背高泡立草
『句集 夏帽子』 牧羊社 1983年刊 より
『句集 知音』 卯辰山文庫 1987年刊 より