マフラーの少女の意外なる話
山田まや
「知音」2025年4月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2025年4月号 知音集 より
「知音」2025年4月号 知音集 より
「知音」2025年3月号 知音集 より
「知音」2025年3月号 知音集 より
「知音」2025年3月号 知音集 より
寅さんの声がしさうよ草紅葉
片山佐和子
寅さんとは、もちろん映画「男はつらいよ」の車寅次郎のことである。その寅さんの声がしそうだというのだ。場所は具体的には言っていないが、読者は自分の知っている寅さん像からイメージすることができる。また季語の「草紅葉」は、笑顔の中にもどこか哀愁のある寅さんの表情を思い出させる。(松枝真理子)
閉め切って座れば蜜柑欲しくなる
水田和代
障子や襖を閉め切った部屋ということで、和室に座っている姿を思い浮かべた。時期的に、炬燵が出してあるかもしれない。ひと仕事終えてほっとしたところに、急に喉の渇きを覚え、口寂しくなった。そんなとき、蜜柑は手軽に食べられて、水分もとれる果物である。この場面では、蜜柑以外の果物は考えられない。(松枝真理子)
色なき風わが身を抜けてゆきにけり
森山栄子
秋風は金風や素風、色なき風ともいう。あえて作者が「色なき風」を使い、そしてその風が「わが身」を抜けていったということで、何か心の中にあるわだかまりのようなものがすっと昇華したのだろう。具体的なことは言わず、読み手の想像力を信頼して詠んだ句。(松枝真理子)
流れ星祈りの言葉口にせず
小野雅子
流れ星が消える前に願い事を唱えるとその願いが叶うとはよく言われていることだが、作者はあえてそれをしなかったのである。叶えたいことが何もないわけではない。むしろ、切に願っていることがあるのだ。軽々しくその願いを口にはできない作者の想いが「祈りの言葉」という表現にもこめられている。(松枝真理子)
不意に来て零余子を引いて帰りたる
森山栄子
ふらっとやってきて、零余子を引く手伝いをして、とくに何をするわけでもなく帰っていった。不意にやってきたのは誰とは言っていないが、季語の「零余子」が作者との関係性を想像させる。(松枝真理子)
コスモスの丘を登れば大西洋
鎌田由布子
コスモスが一面に咲いた丘、その向こうに広がる海の景色を想像した。だが、この丘の場所はアメリカ大陸なのかヨーロッパなのかどこかはわからない。とはいうものの、大航海時代にコロンブスが新大陸を発見して以降、さまざまな史実に関わりのあった大西洋である。太平洋とは趣が異なる海に、作者はなんとも言えない詩情を覚えたのだろう。(松枝真理子)
眼裏にクリムトの絵や露しぐれ
鎌田由布子
一般的に、クリムトの絵は、金箔や銀箔を多用し装飾性の高い作品で知られる。だが、この句の季語は「露しぐれ」であるから、作者のイメージはいささか違うのである。華やかな絵を描く一方で、美と死の隣り合う世界を強く意識していたと言われるクリムト。感受性の高い作者は、そのような絵がずっと印象に残っているのだろう。(松枝真理子)
相寄りて歪となりぬ芋の露
小野雅子
芋の露は里芋の葉に宿った露であるが、大粒で光があたるととても美しい。葉が揺れると、露もぷるんと揺れたり、葉脈を伝って窪みに集まってきたりする。そんなとき、真ん丸の形のよい露同士が触れ合い、どちらも歪みを生じたのだ。よく観察していないとこのような句はできない。(松枝真理子)
指温め今日の診療始まりぬ
深澤範子
秋風やカーペンターズ口ずさみ
鏡味味千代
爽やかや革靴並べ磨く午後
鈴木ひろか
秋夕日十字架高くトラピスト
木邑杏
そぼ降るや盗人萩のうひうひし
千明朋代
新米を納めし蔵の古りにけり
佐藤清子
救急のサイレン重き夜寒かな
中山亮成
晩秋の筑波二峰もくっきりと
穐吉洋子
溢しつつ紫蘇の実こいでをりにけり
佐藤清子
小鳥来る籠の文鳥首傾げ
(小鳥啼き籠の文鳥首傾げ)
福島ひなた
さやけしや新図書館に椅子多く
平田恵美子
芒原賢治の声が聞こえ来る
深澤範子
枝に枝重ね千年銀杏黄葉
(枝に枝重ね千年銀杏紅葉)
飯田静
愛の羽根回覧板に挟まれ来
小野雅子
猫の腹しみじみ温し秋の暮
石橋一帆
敵味方帰りは同じ落葉踏む
福原康之
クレーンもけふは休日昼の虫
(クレーン車もきょうは休日昼の虫)
平田恵美子
雁渡し一両列車の釜石線
深澤範子
直角に曲がる参道薄紅葉
飯田静
露草を愛で一生を理科教師
松井洋子
鈍色にびいろの雲の重みや冬近し
福島ひなた
手のひらにもらひし栗の五粒ほど
石橋一帆
紅葉づりて頂白し岩木山
鈴木ひろか
歌碑を訪ふ木の実踏むこと許されよ
(歌碑訪ふと木の実踏むこと許されよ)
三好康夫
爽やかや村内放送朝を告ぐ
鏡味味千代
取り込みしタオル香りぬ金木犀
(取り込みしタヲル香りぬ金木犀)
鏡味味千代
秋雲を乗せてなだらか駒ヶ岳
木邑杏
修道院今も鉄柵冬の蝶
(冬の蝶今も鉄柵修道院)
福原康之
秋果積みさらに積み上げ里祭
鏡味味千代
秋高し待合室に老い自慢
小野雅子
ひっそりとネオンの灯る路地の秋
辻本喜代志
行きずりの人と旅して秋惜む
若狭いま子
荒神の灯ゆらゆら秋の雨
辻敦丸
鎌倉やどの谷戸行くも荻の風
奥田眞二
抜け道も袋小路も一葉忌
箱守田鶴
自転車に箒とバケツ秋彼岸
中山亮成
盆踊り口説くが如き老いの唄
奥田眞二
ポケットに小銭じゃらじゃら一葉忌
箱守田鶴
彼岸花一夜の雨に消えにけり
三好康夫
鬼の子の自問自答も宙ぶらりん
箱守田鶴
「知音」2025年3月号 知音集 より
「知音」2025年3月号 知音集 より
台風の来るぞ来るぞと逸れにけり
宮士に風ありとも見えず雁渡し
良しくれ七堂伽藍浮くばかり
撥捌き三者三様月の宴
手筒花火ほてりしづめの山の雨
金然きの小鉢も遺作菊膾
鎌倉の秋を惜しまんスニーカー
門川の水澄む町に深入りす
どぶろくや切つた張つたのなき世にて
とぶろくが目当てなるべし二三人
だめもとの話どぶろく糸をひき
どぶろくや割に合はざる世を渡り
どぶろくや三日 天下をそしるなく
どぶろくの茶碗の闕けのえも言はず
どぶろくの酔ひのにはかにかけめぐり
名水の此はどぶろくの酔ひざまし
阿弥陀堂色なき風へ明けはなち
露草の青も百花のそのひとつ
藪蘭の盛りは数をたのみかな
瓢箪のくびれみめよくぶらさがり
白無垢の裾を憚り秋時雨
七代目継ぎし偉丈夫今年酒
預かりし猫の甘噛み秋日和
人生のノートまつさら天高し
今生の花火病室のテレビより
小池博美
舞ふよりも吹かれて来たり秋の蝶
山田まや
木槿咲く旧家に山羊の鳴いてゐし
吉田しづ子
漣に揺れてゐるかに黄釣舩
佐瀬はま代
言ひ残すことあり流灯岸に寄る
小林月子
白木槿薄化粧して逢ひに行く
影山十二香
虫の音のかさなりそむる家路かな
井出野浩貴
雨雲を散らし水掛祭かな
小山良枝
夜業終ふ墨汁のごと神田川
田代重光
一列の海水帽に道譲る
國領麻実
工場の閉鎖の噂大西日
井戸ちゃわん
子規の庭に生まれ一生蜆蝶
田中久美子
東京音頭ふたたびみたび盆踊
廣岡あかね
歌姫のその後を知らず罌粟の花
松枝真理子
ガラス戸を磨き上げたり獺祭忌
影山十二香
祇園会やはぐれて酒舗に待ち合はす
藤田銀子
盤石を分けてたばしり水の秋
前田沙羅
汗ばむやややこしき字を書き写し
立川六珈
山百合や壊すほかなき家なれど
本田良智
かまきりの抜け殻風に葬られ
辰巳淑子
祭に参加する立場ではなく、家庭でその人らを支える側の俳句である。祭の句というと、加勢したり見に行ったりする句が多いが、その点でも類想のない作品。
祭太鼓が聞こえてきて、そろそろ神輿や山車が出る時間になったのだろう。神輿を担ぐ若者や、山車を曳く子供達の腹ごしらえをしなければならない。そんな家庭の主婦の発想だ。単に、見物に行く家族を送り出すにしても、まず「昼餉の支度」というわけだ。いろいろな支度に手を貸したり、後片付けをしたり、家の中も祭の日は結構忙しい。作者は見物にさえ行かないのかもしれない。
九十九回目のみちの会で、向島百花園に行った折の作。園内には曼珠沙華が目立った。それをこのように描写したことで、句碑や歌碑がたくさんある場所柄を描いており、「添ひ」と「傾き」の使い分けに、具体的な描写が工夫された作品。
大雑把な写生句では、こうはいかない。一つ一つに目を止め、足を止め、心を止めてこそできた作品である。
自転車に空気を入れむ雲の峰
磯貝由佳子
句会にもよく自転車で来る作者らしい句。自転車に空気を入れようと思うのは、これからでかけようとする意志の表れ。折しも入道雲がむくむくと育っている暑い日。こんな日は私なら日傘を差してバス停まで、という思いになるのは年齢のせいだ。まだ六十代前半の作者は、どんなに暑くても夏帽子を被って、自転車で出かける方が手っ取り早いのだろう。そんな若さを感じ取った俳句。
「知音」2025年3月号 知音集 より