高台のここにも空き家鰯雲
山﨑茉莉花
「知音」2024年12月号 窓下集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2024年12月号 窓下集 より
「知音」2025年1月号 知音集 より
「知音」2024年12月号 知音集 より
「知音」2024年12月号 知音集 より
鰻食ふためだけに会ふ宵の口
川風を招くうなぎののれんかな
鰻肝食ふや主治医に勧められ
家移りの委細は問はず鰻食ふ
連山の幾層倍の雲の峯
分水嶺越ゆや白雨に迎へられ
虹を呼ぶ嬬恋村の通り雨
バルコニー鳥のおしやべりひとしきり
炎昼や虫けらと虫けら同然と
ゲレンデのみどり夏山切り分けて
万緑の中や小人閑居して
ぢり/\と飛蝗とわれの至近距離
睡蓮の此者まひるまの宵つ張り
四半世紀すぐ半世紀夏炉焚く
不機嫌な焼け木杭や夏炉焚く
二枚舌からみ合ふなり夏炉燃ゆ
いぼいぼの殊に元気な胡瓜選る
巫女に振り衆生に振りて夏祓
くるくると木漏日まはし藍日傘
熊蜂の少しオジさん臭く飛ぶ
花虻の飛びざまのさも小市民
マドンナのまとふブーゲンビリアかな
夜目きかぬ人間籠めてキャンプ更け
追ふ夢も去りし平穏蚊遣豚
透け透けのらせん階段夏館
中津麻美
若葉冷誰かのぬくみ残る椅子
佐瀬はま代
春風や女将こつそり再婚す
田代重光
青梅雨や灯して暗き御本殿
影山十二香
誰も来ぬ暮れて寂しき山法師
山田まや
指先にその冷たさのなめくぢり
小野雅子
階段の手摺に木彫夏館
井内俊二
停めてある車に昨夜の柿の花
片桐啓之
トマトまづ器量問はれてをりにけり
島野紀子
引越しの挨拶トマト一袋
佐藤二葉
おのおのに板宛がはれ燕の巣
大塚次郎
せつかちな手締めも三社祭かな
松枝真理子
一羽欠け二羽欠け軽鳧の子の育つ
井出野浩貴
白日の風に悩める牡丹かな
山田まや
しだらなく揺るる泰山木の花
前山真理
鉄扉抜けタイルを辷り瑠璃蜥蜴
牧田ひとみ
眠剤の残りを数へ春夫の忌
本田良智
繙読を心しづめに花の下
藤田銀子
祭りの子声から先に駆けてゆく
田代重光
野茨の棘にスカート引つ張られ
くにしちあき
筒鳥は、夏の山林でポポッ、ポポッと鳴くカッコウ科の鳥。郭公や時鳥などよりも地味な鳴き声だし、聞き取りにくいので、あまり注意を引かない。長年理科の教師だった作者は、観察力が鋭く声の太さが気になったのだろう。聴覚で描かれた作品だが、句の後半に至って、森の深いところに生息する森の主のような筒鳥が想像される。
柿若葉のてらてらした葉の表面を描くのに、「濡ればみたりし日差し」と表現した点がポイント。「濡ればむ」とは、濡れたように見えるという意味だが、日常ではあまり使われない。こうした表現に出会うと、日本語の豊かさは、使ってこそ生かされると思う。九十歳を越えても、表現の工夫を怠らない作者を、見習いたいものだ。
眠剤の残りを数へ春夫の忌
本田良智
「春夫の忌」とは佐藤春夫の忌日で、五月六日。忌日の句は、たまたま今日が誰々の忌日だからといって、安易に取り合わせる人がいるが、句会で忌日の句が出ると、その人の作品の何が好きかを聞くことがある。言葉に詰まるようでは、季語として十全な働きをしているとは思えないからだ。
昭和三十九年に亡くなった佐藤春夫は、偉大な詩人だったので、その頃文学に目覚めた私達の年代は、その詩を愛読したものだ。手元に岩波文庫の『春夫詩抄』があるが、短詩が多く、今も暗唱している作品が多い。定型の短詩は、俳句に通ずるものがある。
そんな佐藤春夫の忌日と、「眠剤の残りを数へ」の関係を問われると、明解な答えは出せないのだが、青春時代に春夫の詩を愛唱したであろう作者が、七十代になって眠れない夜などには、あの「しぐれに寄する抒情」などを思い出していたのではないかと思う。
「知音」2024年12月号 窓下集 より
「知音」2024年12月号 窓下集 より
「知音」2024年12月号 窓下集 より
「知音」2025年1月号 窓下集 より
「知音」2025年12月号 知音集 より