コンテンツへスキップ

◆特選句 西村 和子 選

ゆがんでも細長くても踊りの輪
箱守田鶴
盆踊はたいてい円を描いている印象がありますが、人数が増えるとこの句のようになることもありそうです。踊りの名手ばかりでなく、都会から帰省した若者や幼い子供も加わってそうなるのでしょう。現代の盆踊の一景です。(井出野浩貴)

 

相槌を打つては摘む月見豆
森山栄子
「月見豆」とは「枝豆」のこと、十五夜の月に供えたことが由来です。歳時記には「月見豆」の例句はあまり見かけませんが、もっと詠まれていいでしょう。実際に月見をしているわけではないのでしょうが、秋の夜を静かに語り合う間柄が感じられます。(井出野浩貴)

 

秋簾畳に椅子の茶房かな
宮内百花
「秋簾」と「畳」から古びた店、もっと言えば寂れた店を連想しますが、「椅子の茶房」ということで、むしろ現代的な古民家カフェのようなものが想像されます。ちょっとした不調和、揺らぎがおいしそうな店の雰囲気を生み出します。俳句もまた同じことでしょう。(井出野浩貴)

 

自転車の頬に一すぢ秋気かな
石橋一帆
「一すぢ」という言葉から、残暑の中、ふと秋らしい空気を感じた瞬間のこととわかります。自転車は風を感じられる乗り物です。「自転車の頰」というさりげない省略が巧みです。(井出野浩貴)

 

葛の葉のわらわら迫る線路際
五十嵐夏美
葛の旺盛な生命力が描けました。このような光景は誰もが目にしているはずで、俳句にもよく詠まれるところですが、「わらわら迫る」は簡単そうに見えて、なかなか出てこない表現でしょう。俳句はちょっとした表現の妙で決まります。(井出野浩貴)

 

鬼やんま死して緑の光失せ
石橋一帆
風生の名句「こときれてなほ邯鄲のうすみどり」に通う句です。鬼やんまは迫力のある虫ですが、そんな虫でもついには骸をさらす、しかも見る見るうちに緑が褪せていく、生きるものの哀れというほかありません。「緑の光失せ」に工夫があります。(井出野浩貴)

 

輪の外のへんてこ踊四歳児
五十嵐夏美
見よう見まねで踊り出した子供の描写です。「へんてこ踊」というくだけた表現が効果的です。「四歳児」が絶妙です。なるほど三歳では踊れそうもないし、五歳ではもうちゃんと踊れる子もいるかもしれません。(井出野浩貴)

 

鳴き代りつつ熊蟬の雲払ふ
三好康夫
作者は香川県の人。近年、東京近辺でも熊蟬の声は珍しくなくなりましたが、やはり本場は西国。強烈な蟬時雨が雲を払うように感じられたのです。その熊蟬ですら成虫としての寿命はわずか。「鳴き代りつつ」とは「生きかはり死にかはりして」ということでしょう。(井出野浩貴)

 

迎鐘真一文字に曳きにけり
小野雅子
「迎鐘」は「六道参」の傍題です。盆の精霊迎えのために六道珍皇寺を訪れた参詣者は、先祖の霊を迎えるために梵鐘を撞きます。ただし鐘は見えないようになっており、参詣者は縄を引いて鐘を鳴らすのです。この句は「真一文字に」に精霊を迎える思いが込められています。(井出野浩貴)

 

シャンパンのきりりと冷えて夏の夕
鎌田由布子
説明を要しない、美味しそうで涼し気な句となりました。まだあかるい夏の夕刻の光にシャンパンの泡がきらめきます。「きりり」が効いています。(井出野浩貴)

 

◆入選句 西村 和子 選

秋の夜の寝息安らか四人部屋
松井伸子

坂上は六道の辻秋日濃し
小野雅子

手花火や明日帰京の長兄と
松井洋子

するすると木の洞に入る秋の蛇
松井伸子

幼児の手を引き寺へ迎へ盆
飯田静

生御魂大福の粉鼻につけ
片山佐和子

暴風雨去りていよいよ雲近し
福原康之

提灯の灯つづりて盆踊り
辻敦丸

スワンボート大きく揺れて初嵐
鈴木ひろか

ささくれし心をまろく虫の声
(ささくれる心をまろく虫の声)
福島ひなた

雉鳩の声くぐもれる茂みかな
箱守田鶴

みんみんに重なり聞こゆ法師蝉
(みんみんに重なり聞くや法師蝉)
石橋一帆

ひと夏のおほかたを寝て猫老いぬ
石橋一帆

宵山や提灯暗き路地静か
若狭いま子

伊予電の橙色の暑さかな
森山栄子

庭の草伸びたるままに秋暑し
鏡味味千代

伊予電に追抜かされて秋暑し
森山栄子

遠花火いびつな円も三角も
(遠花火いびつな円と三角と)
松井伸子

飛行機の吸ひ込まれたり大夕焼
(飛行機の吸ひ込まれをり大夕焼)
鎌田由布子

美術館出でて喧騒秋暑し
飯田静

どくだみの生き生き群れて駐輪場
箱守田鶴

迎鐘思ふほどには響かざる
小野雅子

廃線路一入寂し法師蝉
辻本喜代志

隅々を拭き清めたり盆用意
鈴木ひろか

古書店のビニールカーテン秋暑し
松井洋子

病院食存外美味し秋楽し
(秋楽し存外美味な病院食)
松井伸子

夏祭おもちゃ鉄砲火薬玉
中山亮成

供花絶えぬ腹切りやぐら蚯蚓鳴く
奥田眞二

終戦の夜の母と子に灯火眩し
(母と子に灯火の眩し終戦の夜)
若狭いま子

山の日の山を遠くに暮らしをり
片山佐和子

御所の砂利ぎしぎし踏んで秋暑し
片山佐和子

秋扇半分閉ぢて使ひたり
(秋扇半分閉じて使ひたり)
鏡味味千代

夢に会ふ弟若し盂蘭盆会
(夢で会ふ弟若し盂蘭盆会)
小野雅子

早朝の窓よりつづれさせの声
水田和代

秋暑し肩に食ひ込む荷のベルト
片山佐和子

夏の暁一息に飲む水美味し
(夏の暁一息に飲む水の美し)
石橋一帆

不燃ゴミ分けて大汗かきにけり
(不燃ゴミ分けて大汗かく日かな)
箱守田鶴

アイスクリームばかり売るると託ちをり
(アイスクリームばかり売るると託ちけり)
板垣もと子


アンダンテ    西村和子

トテ馬車の鞭は荒縄草紅葉

虻払ひトテ馬車を曳く尻立派

赤とんぼ連れトテ馬車はアンダンテ

オルゴールひかり鏤め星月夜

秋水や夢二の女声ほそき

さみしさを糧と生きけむ草の花

露草の露の干ぬ間に訪ねばや

草の根に邯鄲ひそみをらざるや

 

戦なき空  行方克巳

三伏や五欲のほかの物思ひ

今朝の秋無伴奏チェロいづくより

あの頃といふ頃ありし草の花

大谷石ほろほろ欠くる展墓かな

夕蜩一善も一も一悪もなく

戦なき空のありけり赤とんぼ

月光をからころ踏んで踊りけり

踊り唄はてなく踊りはてしなく

 

墓参り 中川純一

みんみんも我もいささか鼻づまり

並び来る女児の背高き夏帽子

思ひ出のやうに病葉降つてくる

墓参りして母に告ぐ父に問ふ

初秋のフランス詩集袋綴じ

肘枕して蜩に溶け入りぬ

初嵐小田急線を平手打ち

行く秋の船医の旧き顕微鏡

 

 

◆窓下集- 10月号同人作品 - 中川 純一 選

百日のはじまる今日のさるすべり
山田まや

鰻食ぶ運転免許返納日
田代重光

麦秋や黒猫ほどのリュック負ひ
米澤響子

蜘蛛ぶつけ女教師を泣かせけり
𠮷澤章子

巴里祭シャツから覗く胸毛濃し
影山十二香

梅雨明や手の鳴る方へ鯉寄り来
佐瀬はま代

夏祓洗ひたてなる巫女の髪
前田沙羅

ケバブ削ぐ刃ぎらぎら不死男の忌
井出野浩貴

吸ひ了へて揚羽は吻を巻きなほす
稲畑航平

雲を踏むやうに蜘蛛ゆく石の上
小山良枝

 

 

◆知音集- 10月号雑詠作品 - 西村和子 選

見回りのナイチンゲール灯涼し
三石知左子

世辞ひとつ言へずビールを持て余す
井出野浩貴

泰山木天に還りし人へ咲き
中野のはら

船降りてより夏潮の匂ひけり
牧田ひとみ

白南風や駅のホームは川の上
辰巳淑子

大阪の街夏の灯を惜しみなく
立川六珈

景気のいい話をしよう初鰹
藤田銀子

山滴る耳を澄ませば虚子の声
松枝真理子

声やがて言の葉となり昼寝覚
吉田林檎

診察の取り調べめく夕立かな
稲畑未可子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

議論白熱冷房を強にせむ
三石知左子

現代の社会で、現役で働いている作者の作品。会議が最高潮になって、室内も熱気に満ち溢れてきたのだろう。「冷房を強に」しようというのは、現代人の知恵である。
議論が盛り上がってくると、脳や体の熱も上がる。しばらく頭を冷やそうとか、客観的に議題を考え直そうということになったのだろう。こうした働き盛りの俳句が、もっと見たいものだ。

 

詰込んで破裂しさうや冷蔵庫
中野のはら

夏休みの家庭風景。育ち盛りの子供がいる家庭は夏休みになると、三度三度の食事の支度が大仕事になる。普段は整然としている冷蔵庫の中が、あれもこれも詰め込んでパンクしそうなのだ。たった十七音で夏休みであること、家族構成までもがわかるのは、冷蔵庫という「もの」に即して描写がなされているからだ。
ひっきりなしに扉が開け閉めされ、麦茶や西瓜や昨日の残り物などが出し入れされていることも想像がつく、活気のある句。

 

橋桁は未だかからず草いきれ
辰巳淑子

「工事中」などという言葉に、安易に頼っていない点がいい。草ぼうぼうの河原に橋が架けられることになったのだが、その工事の進み具合はまだこんな段階なのだ。河原には立派な完成予想図が掲げられているのだろう。しかしまだ橋桁さえもかかっていない。「草いきれ」に自然の勢いが、あるがまま描かれている。