修司忌のかもめブーケのごとく泛き
行方克巳
『句集 晩緑』 朔出版 2019年刊 より
客観写生にそれぞれの個性を
『句集 晩緑』 朔出版 2019年刊 より
『句集 わが桜』 角川書店 2020年刊 より
「知音」2020年8月号 知音集 より
『句集 わが桜』 角川書店 2020年刊 より
「知音」2020年8月号 知音集 より
桃活けて離れ住む子の誕生日
山茱萸を挿頭し古墳の主や誰
紫木蓮ひとひら裏を覗かせし
春の風邪心地ふしぶしぎこちなく
亀鳴くや練塀長き綾小路
駒返る草に自転車乗り捨てて
ひもすがら鳴り響動むなり木の芽山
ゆくほどに耳朶こそばゆし芽吹山
寒牡丹まひるまの閨覗かるる
水影の声かうかうと鶴帰る
燕返し一太刀にしてやられたる
夏蜜柑内緒の話たのしくて
日月をつまぐるごとく彼岸婆
向島よりお持たせの桜餅
桜餅むけば冷たき夜のかをり
黒板に恋ほのめくや卒業期
さきがけの辛夷に風のすさびけり
風船に吊り下げられしピエロかな
地虫出てすぐ草色にまぎれんと
春の出湯息子の軀分溢れ
ドアノブに大家さんより干若布
供へるとなく雛壇の若布汁
一摑みほどの花束卒業す
来年を約して共に浴びし花
竹馬や行くあてもなくただ闊歩
吉田しづ子
我が内にジギルとハイド去年今年
菊池美星
わが影をひたひた濡らす春渚
大村公美
明王の存外小さし初不動
大塚次郎
生涯を茶道に徹し足袋真白
山田まや
ちよつかいはいつも妹今朝の春
若原圭子
悴むやキャンセル通知捌きつつ
金子笑子
雪の香のはつかに兆し寒椿
島田藤江
夫の背のまろしと思ふ今朝の冬
池浦翔子
飛ぶ夢を見しより続く四温晴
竹見かぐや
あたたかき日の続きをり寒の入り
島田藤江
志とげたる朝梅真白
米澤響子
枯蘆の枯芒よりかろき音
井出野浩貴
月凍つる醜き我を窓へ嵌め
田中久美子
社への六十六段淑気満つ
井内俊二
マンションの下まで遠し冬籠
大橋有美子
参道のここも閉店春寒し
影山十二香
一投に一打に声援冬うらら
前山真理
寒肥や明日は雨の降るらしく
山﨑茉莉花
表札に旧き町の名鳥総松
藤田銀子
雪がしんしんと降っている。天候も一日もこのまま暮れてしまうのか、それだけのことを言っている句だが、この句からは人生の淋しさが伝わってくる。疫病流行という昨今の世の中の状況や、作者の八十代という年齢を考え合わせると、雪がしんしんと降り積もる一日の淋しさは想像に余りある。
「このまま暮れてしまふのか」という心の呟きは、このまま終わりを迎えるのかという人生の感慨にも及ぶような気がする。寒く静かな世の中の底で、人は人生を深く掘り下げて思うことがある。表向きはあくまでも一日の天候と時間を詠んでいる点がこの句の魅力を深めている。
自画像であろう。理財すなわち金儲けにも、メカすなわち先進機械の操作にも疎い、そんな自分を認めながら、蕪汁をおいしいと啜っている。まだ五十代半ばの作者にしてみれば、努力次第で理財にもメカにも強くなるとは言わないまでも、一般の水準ぐらいにはなれるだろう。しかしこの季語が語っているのはそんなことではない。そんな自分の生き方や価値観をこれでいいのだと自嘲ぎみに諾っているふしがある。
「蕪汁」はけっして贅沢なものではない。しかし作ったこのある人はわかるだろうが、熱を入れすぎると柔らかくなりすぎ、蕪の甘みが損なわれやすい。本当においしく食べるのはひと冬でも数回である。歳時記によると、蕪は株が上がるようにと商売繁盛の縁起物としても好まれたようだ。そう考えて読み直すと、どことなくおかしみが湧いてくる。
「寝正月」とは怠けて寝て過ごしているわけではなく、元来は病気で寝ていることを縁起を担いで表現した季語である。作者は今年まさにそのような新年を迎えた。夫は手術の後、自分は看病疲れが出て何もしないで正月を過ごしたのだろう。「我故障中」という表現に俳諧味があり救いもある。長い人生のうちにはこんなこともある。こんな時でもこうした佳句を詠みうることを称賛したい。
「知音」2020年8月号 知音集 より
「知音」2020年8月号 知音集 より
「知音」2020年8月号 窓下集 より
「知音」2020年8月号 知音集 より