日和下駄鬼灯市を通り抜け
竹見かぐや
「知音」2020年8月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2020年8月号 知音集 より
母の日の常より長き電話かな
小山良枝
【講評】お母さんは時々電話してくる。でも普段は娘も忙しいのだからとあまり長くは話さない。本当はできるだけ声を聴きたいのに。でも母の日はお互い遠慮なく長話をする。内容が複雑なわけではないのは言うまでもない。(中川純一)
噴水のためらひながら上がりけり
山田紳介
【講評】噴水に真向かう時の気分。今日はためらいながら上がっているように見える。それは心の反映だ。作者にもわだかまりがあるからそこに目が留まるのだ。若き恋のためらいなどではなくて、解決策のない中年のわだかまり。(中川純一)
からたちの棘しなしなと夏来る
牛島あき
【講評】生えたての枝のとげは柔らかいが、すぐに固くなって、誤って摑むと痛い目に合う。まだ若い、しなしなした緑の葉ととげ。これから夏が来る張りもある。(中川純一)
歓声を遠くこどもの日のベンチ
森山栄子
【講評】自分の関係者はいない。孫もコロナのために来てくれないのだ。引きこもっていても気鬱になるので、出かけた公園で子供の日の賑わいと若い親子を黙ってみている、ほのかな寂しさ。
上のように書いたところ、桃衣さんから森山栄子さんはまだ子育て中の若いお母さんで、お孫さんはいないとの注意をいただきました。
ただ、句に現れている文言だけですと、子供の日なのに、お母さんが離れてベンチにいて、「遠く声を聞いている」というのは何故なのだろう?というかんじ。これも特選に採った和子先生なら「子育てには、そんな時あるのよ!」ということがあるのかもしれないが、評者にはわからない。特に「遠く」という表現が自分と関係ないように聞こえるのだ。公園では、遊具で危ない真似をするかもしれないからそっぽを向いているのではないし。コロナ時代の昨今、くっつきあうのも気になるし。
栄子様失礼しました(中川純一)
衣更へて波止場に人を待つてをり
梅田実代
【講評】船が着くのを出迎える。会いたかった人を迎えに。今日は良い天気でもあるし、初夏の光がまぶしい。更衣した夏服の襟ぐりも大きくて、海風が胸にはいってくる。作者は若い女性だということがはっきりわかる句。(中川純一)
蛍の上がり切ることなかりけり
山田紳介
【講評】上の噴水の句と似ているが、作者は同じ。悩める世代。ふらふらと上がってゆく螢の光。空高く雌がいるわけではないから当然上がり下がりするのだが、それを見ていても、何か成し遂げられなかった運命みたいな気分になる。わかります~。と申し上げては失礼か?(中川純一)
子の声の響くトンネル夏来たる
稲畑とりこ
【講評】歩いて通るトンネル。鎌倉あたりにある。そこで共鳴する元気な子供たちの声。ああ夏が来た。そういう解放感。トンネルの向こうにはまぶしい光が小さく見えている。(中川純一)
キャンプ張る犬の相手をする係
梅田実代
【講評】キャンプを張る手順は大して込み入ってはいないけれど、要領の良くない人はいるものだ。慣れないところにきて、キャンキャンいっている犬でもなだめていて、そう言われて悪びれもしない、キャンプの楽しい風景。(中川純一)
額の花ちよいと持ち上げ勝手口
鏡味味千代
【講評】お勝手口の戸になだれかかるように額の花の枝が伸びている。それをちょいともたげてドアをあける小粋な姉さん。作者の姿を想像すると楽しい句になるのは、句のリズムがよいから。うっかりすると品位をそこねがちな「ちよいと」をうまく使った。(中川純一)
すき通るはなびら外れチューリップ
千明朋代
【講評】我が無粋を告白すると、「透き通る花びら」とは、どんなものなのか想像できない。チューリップの花びらは厚手で色も深いという表面的観察しかしてこないで馬齢を重ねた評者なのである。そこで和子先生にどうしてこの句が特選なのかお聞きしてみた。以下は回答。
若い頃、オフィスにチューリップを活けて毎日見ていた。するとチューリップの最後は「散る」とか「枯れる」とかではなくて、花びらが水分を失って薄くなって透けて、機械の部品のようにボトっと落ちることを観察した。これをじっと見ていた同僚の女性は悲しくなってきたと言った。彼女は画家志望で退社してスペインに絵を学びに行った。結婚祝いにスペインの木椅子を送ってくれてそれは現在でもリビングにある。
はじめは妙な句だと思ったが、よく読んでみると、その眼目は透き通って「外れる」という表現だと気づいた。採択するかどうか、選者を迷わせる句というのは、ほとんどないがこの句はそれにあたる。こういう句を投句の中に見るのは選者として嬉しいことなのだ。
というわけで、来年は自分でチューリップを活けて観察しなさいとの宿題までいただきました。それも黄色などではダメで、真っ赤なチューリップでなくてはと。(中川純一)
尖塔の空へ空へと聖五月
飯田 静
白薔薇を髪にスー・チー氏の瞳
(白薔薇を髪挿すスー・チー氏の瞳)
森山栄子
父似なる眉生え揃ひ初節句
松井洋子
母親は、生まれたばかりの赤ちゃんは自分に似ているほうがずっと嬉しいようである。男の子は特に。でも、初節句を迎えて、改めてまじまじと見ると、父親に眉毛が似ていて、それが揃っているというのは、なかなか凛々しいもので、喜びがわいてくる。「生え揃ひ」が生きている。
夏隣なんぢやもんぢやの木と吹かれ
千明朋代
花マロニエ空港の朝はじまりぬ
木邑 杏
憲法記念日鬱々として和巳の忌
(憲法記念の日鬱々として和巳の忌)
黒木康仁
薔薇の香や目を細めては素描して
藤江すみ江
薔薇は複雑な形をしていて、絵の題材に好まれる。ただ、色が鮮やかなので、どうしてもそこにひかれてしまう。しっかりそれぞれの花びらの形状と光の当たり具合と影のでき方を描写しないと、つまらない絵になる。秘訣は目を細めて明暗を際立たせることなのである。
新緑や門扉のペンキ塗りなほす
中村道子
牡丹の一弁崩れたる音か
佐藤清子
風出でて枝垂桜に妖気ふと
鈴木紫峰人
児には児の言ひ分のあり若楓
飯田 静
夏鴨の羽にぎつしり雨の粒
小山良枝
自転車の少年すいと夏に入る
田中優美子
育てたるミニトマト詰めお弁当
木邑 杏
家庭菜園の収穫物か、朝採のものはとても美味しいし、無農薬なので健康にも安心。子供の弁当にそのつやつやしたミニトマトを詰めると色合いも元気になるし、蓋を開けてにっこりするのが想像できる。
絆創膏指になじまぬ薄暑かな
梅田実代
病室へニコライの鐘聖五月
飯田 静
先生と呼ばれし翁松の芯
森山栄子
店先に戸板一枚芹を売る
箱守田鶴
花は葉に自転車通学にも慣れて
長谷川一枝
朝五時の海のきらきら光り夏
矢澤真徳
厨窓開け放つ日の花菖蒲
水田和代
卯の花腐し明かりの消えぬ厚労省
奥田眞二
天窓へ夏月かかる午前二時
小野雅子
ときどきはわれも弱気に吊忍
長谷川一枝
梅雨入りや一年生は雨合羽
黒木康仁
たかが苺つぶすに奥歯かみしめて
奥田眞二
右旋回して一望の麦の秋
松井洋子
麦の秋各駅停車カタンコトン
木邑 杏
母の好み娘の好み更衣
梅田実代
船底に揺られ上京昭和の日
穐吉洋子
瀬戸内海見晴らす天守五月来ぬ
三好康夫
新緑のうねり溢るる東山
辻 敦丸
夏帽子わが白髪にふさはしき
中村道子
籐椅子の出されしままの隣家かな
矢澤真徳
夏蝶の思ひもよらぬ速さかな
稲畑とりこ
8の字に雨垂れくぐる夏燕
(8の字にくぐる雨垂れ夏燕)
牛島あき
祖母のこと知らず仕舞や著莪の花
森山栄子
石積みの波止の古りたる浦うらら
巫 依子
若葉風たまには夫と連れ立つて
長谷川一枝
新しき木の階段も梅雨に入る
(新しき木の階段も梅雨にいる)
木邑 杏
夏料理切子の鉢をまづ冷やし
鎌田由布子
橋挟み聖堂二つ風薫る
飯田 静
老いたれどをのこの日なり柏餅
奥田眞二
ひらがなの手紙猫宛茗荷の子
小野雅子
髪の毛のうねる広がる梅雨に入る
藤江すみ江
ビール干す決めねばならぬこと数多
山田紳介
鈍色の空に日のありらいてう忌
緒方恵美
雨水をたたへ眩しき代田かな
吉田林檎
蔦茂る島の産業遺跡かな
巫 依子
桜蘂降るさよならもなく別れ
田中優美子
読んでいて泣いちゃう。
初夏やぱりぱりと剥ぐ包装紙
小山良枝
葉桜の騒ぐ夜なりポストまで
箱守田鶴
母の日や不揃ひパンケーキ美し
(母の日や不揃い美しパンケーキ)
鏡味味千代
風五月髪かきあげる指細き
木邑 杏
団子坂下にバス待つ薄暑かな
梅田実代
サングラスかけて大人の仲間入り
チボーしづ香
マネキンの横顔つんと夏帽子
緒方恵美
湖に写りて緑濃かりけり
佐藤清子
日の匂ひして連翹のまつさかり
鈴木紫峰人
せせらぎを遡りきて黴の宿
吉田林檎
長男のここぞと来たる田植かな
森山栄子
新築の家は真四角つばめ飛ぶ
松井洋子
名古屋城袈裟がけしたりつばくらめ
千明朋代
ほどほどの長さがよろし藤の花
長谷川一枝
紫陽花や布巾を吊るす給食室
梅田実代
各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。
■小山良枝 選
歓声を遠くこどもの日のベンチ | 栄子 |
祖母のこと知らず仕舞や著莪の花 | 栄子 |
老鶯や字体ゆかしき消火栓 | 林檎 |
新築の家は真四角つばめ飛ぶ | 洋子 |
☆ウイニングボールは母に聖五月 | 島野紀子 |
まさに、直球の中の直球ですね。このボールは、お母さんにとって何ものにも変え難い尊い贈り物だったと思います。季語を活かした清々しい作品でした。 |
■飯田静 選
新緑の島のあはひの水平線 | 依子 |
緑蔭に木椅子を並べカフェテラス | 亮成 |
文字のなき異国の絵本夏兆す | 実可子 |
床の間の軸掛け替へて夏座敷 | 由布子 |
☆万緑や水を生み継ぐ柿田川 | 有為子 |
水量が豊富で清らかな柿田川を思い出させる句です。生み継ぐ、という表現が巧みだと思います。 |
■鏡味味千代 選
頼家の面の話や余花の寺 | 飯田静 |
娘への要らぬ心配胡瓜揉む | 飯田静 |
万緑や水を生み継ぐ柿田川 | 有為子 |
一病に春を味はひ春惜しむ | 朋代 |
☆借景の富士の小さく夏座敷 | 由布子 |
小さいけれど富士が見えているということは、よく晴れ渡った気持ちの良い日なのでしょう。富士の見える座敷という矜持と、時節柄窓を開け放ちているのでしょうか、その清々しさを感じます。広重の絵のような一句です。 |
■千明朋代 選
尖塔の空へ空へと聖五月 | 飯田静 |
慶喜の楽水の書や松の花 | 清子 |
先生と呼ばれし翁松の芯 | 栄子 |
親鳥の来れば燕のさんざめく | 栄子 |
☆木漏れ日の緑の先にある未来 | 新芽 |
夢のある未来が見えてきました。 |
■辻 敦丸 選
自転車の少年すいと夏に入る | 優美子 |
ままごとの客なるママの夏帽子 | 穐吉洋子 |
ときどきはわれも弱気に吊忍 | 一枝 |
尻取のつづくバス停桐の花 | 松井洋子 |
☆右旋回して一望の麦の秋 | 松井洋子 |
セスナで飛んだ在りし日の米国生活を回想しました。 |
■三好康夫 選
自転車の少年すいと夏に入る | 優美子 |
噴水のためらひながら上がりけり | 紳介 |
花は葉に自転車通学にも慣れて | 一枝 |
高尾山新樹の香り解き放ち | 杏 |
☆母の日の常より長き電話かな | 良枝 |
情愛がある。 |
■森山栄子 選
尖塔の空へ空へと聖五月 | 飯田静 |
噴水のためらひながら上がりけり | 紳介 |
右旋回して一望の麦の秋 | 松井洋子 |
突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
☆額の花ちよいと持ち上げ勝手口 | 味千代 |
額の花の楚々とした美しさと日常のさりげない仕草が生き生きと調和している句だと思います。 |
■小野雅子 選
粽解く母と娘にまた戻り | 松井洋子 |
雪渓に触れきし蝶と思ひけり | 良枝 |
牡丹の一弁崩れたる音か | 清子 |
自転車の少年すいと夏に入る | 優美子 |
☆好きという呪い解かれず夏に入る | 優美子 |
切ない。人を好きになるのは理屈ではなく、まさに呪い。気が付けばもう夏。そんなこともあったなあと暫し感慨に浸る七十路の私でした。 |
■長谷川一枝 選
サングラスかけて大人の仲間入り | チボーしづ香 |
店先に戸板一枚芹を売る | 田鶴 |
老いたれどをのこの日なり柏餅 | 眞二 |
お休みを消して廃業夏に入る | 味千代 |
☆白日傘二つ分なる小径かな | 味千代 |
狭い路地を向こうから日傘をさして歩いてくる人、すれ違うときにお互いに日傘を傾ける。そんな光景が目に浮かびました。 |
■藤江すみ江 選
自転車の少年すいと夏に入る | 優美子 |
たかが苺つぶすに奥歯かみしめて | 眞二 |
逆転の人生学び山笑ふ | 深澤範子 |
玩具屋の明日で閉店子供の日 | 穐吉洋子 |
☆噴水のためらひながら上がりけり | 紳介 |
確かにそうだなあと読み手も納得する句です。素直さを感じます。 |
■箱守田鶴 選
鳥曇ワクチン接種一回目 | 深澤範子 |
鳥籠の鸚鵡争ふ愛鳥日 | 雅子 |
花は葉に自転車通学にも慣れて | 一枝 |
キャンプ張る犬の相手をする係 | 実代 |
☆団子坂下にバス亭薄暑かな | 実代 |
団子坂下 へ実際いったことがないのに目にうかび、薄暑を体感します。響きが良いのでしょうか。 |
■深澤範子 選
母の日の常より長き電話かな | 良枝 |
子は父に仕舞ひしままの武者人形 | 雅子 |
噴水のためらひながら上がりけり | 紳介 |
新築の家は真四角つばめ飛ぶ | 松井洋子 |
☆尻取のつづくバス停桐の花 | 松井洋子 |
おばあちゃんとお孫さんでしょうか?バスを待っている間に尻取を楽しんでいる情景が浮かんできます。 |
■中村道子 選
花茨シャツに残りし刺の痕 | 百合子 |
キャンプ張る犬の相手をする係 | 実代 |
ままごとの客なるママの夏帽子 | 穐吉洋子 |
老いたれどをのこの日なり柏餅 | 眞二 |
☆万緑や水を生み継ぐ柿田川 | 有為子 |
日本三大清流の一つと言われている柿田川湧水地に行ったのは三年前の六月でした。富士山や箱根山、愛鷹山などに降った雨や雪が地下水となり湧き出し河川をつくっていると説明がありました。たくさんの木々や植物に囲まれた柿田川の風景は万緑という季語がぴったりだと感動しました。 |
■山田紳介 選
青葡萄鳴りだしさうな朝なりけり | 良枝 |
太宰忌の変圧器より低き音 | 良枝 |
雪渓に触れきし蝶と思ひけり | 良枝 |
祖母のこと知らず仕舞や著莪の花 | 栄子 |
☆青き日の青き恋はも苺はも | 眞二 |
まさに宝塚調!(勿論誉め言葉です。)とはいえ中々ここまでは言えないです。「苺」の瑞々しさが際立つ。 |
■松井洋子 選
豆の花夫とは違ふ散歩道 | 道子 |
子の声の響くトンネル夏来たる | とりこ |
万緑や水を生み継ぐ柿田川 | 有為子 |
娘への要らぬ心配胡瓜揉む | 飯田静 |
☆店先に戸板一枚芹を売る | 田鶴 |
豊かな湧水の里の景色だろう。中七で店の構え等がよくわかる。瑞々しい芹の白い根っこまで見えてくるようだ。 |
■緒方恵美 選
芍薬の薄絹幾重ひらきそむ | 雅子 |
川風に押し戻さるる石鹸玉 | 飯田静 |
娘への要らぬ心配胡瓜揉む | 飯田静 |
日の匂ひして連翹のまつさかり | 紫峰人 |
☆芥子の花ひらくを待たず風に溶け | 優美子 |
芥子の花の繊細さを見事に表現し、詩に昇華させている。 |
■田中優美子 選
ぼうたんの花のひとつの破天荒 | 依子 |
噴水のためらひながら上がりけり | 紳介 |
ままごとの客なるママの夏帽子 | 穐吉洋子 |
夏料理切子の鉢をまづ冷やし | 由布子 |
☆髪の毛のはねて遊んで五月雨 | 宏実 |
天然パーマには辛い季節!起きるたびにあちこちへはねている髪にげんなりしていました。そんな癖っ毛を逆手にとった「はねて遊んで」の表現に楽しい気分になれました。切り取り方と表現次第で、何でも句材になる俳句の面白さを改めて感じました。 |
■長坂宏実 選
新しき木の階段も梅雨に入る | 杏 |
夏料理切子の鉢をまづ冷やし | 由布子 |
桜蘂降るさよならもなく別れ, | 優美子 |
サングラスかけて大人の仲間入り | チボーしづ香 |
☆ていねいに入れし新茶のみどりかな | 道子 |
新茶の香りや温かさが伝わってきます。 |
■チボーしづ香 選
青梅や大井戸涸れしニの曲輪 | 栄子 |
船底に揺られ上京昭和の日 | 穐吉洋子 |
橋挟み聖堂二つ風薫る | 飯田静 |
きざはしを百段登り花見かな | 深澤範子 |
☆突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
状況が見える句。 |
■黒木康仁 選
口への字天を仰ぎし武者人形 | 敦丸 |
ビール干す決めねばならぬこと数多 | 紳介 |
鈍色の空に日のありらいてう忌 | 恵美 |
万緑や水を生み継ぐ柿田川 | 有為子 |
☆蜥蜴の背蛍光一閃消え去りぬ | 百合子 |
蛍光一閃 この言葉にびっくりしました。ぴったりですね。蜥蜴の色だけでなく動きまであらわに。 |
■矢澤真徳 選
粽解く母と娘にまた戻り | 松井洋子 |
鳥の舞ふ空の奥まで夕焼かな | 新芽 |
初夏の空を湛へる田水かな | 優美子 |
カーネーション売りつつおのが母のこと | 田鶴 |
☆青葡萄鳴りだしさうな朝なりけり | 良枝 |
一読して八木重吉の『素朴な琴』を思ったが、『素朴な琴』は、秋の美しさに感動し、琴が鳴り出だすことを想像しながら、自らも琴のように鳴り出だしたいと願う、純粋さに憧れる詩であろう。この句には、透明感のただよう秋にはない、むんむんとした青い生命力を湛える季節への素直な驚きがあり、その後ろにはやはりその季節のすばらしさに共鳴し、憧れる作者がいるのだと思う。 |
■奥田眞二 選
老鶯や字体ゆかしき消火栓 | 林檎 |
カーネーション売りつつおのが母のこと | 田鶴 |
夏うぐひす忽那七島落暉中 | 松井洋子 |
草テニスまづは蚯蚓をつまみ出す | あき |
☆白薔薇を髪にスー・チー氏の瞳 | 栄子 |
先の大戦中ミュンヘンの学生達が反ナチスの白薔薇運動をおこし、ビラを撒いただけでギロチン刑になったことを思い出しました。おぞましいことのないよう願っています。 |
■中山亮成 選
青梅や大井戸涸れしニの曲輪 | 栄子 |
突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
蜥蜴の背螢光一閃消え去りぬ | 百合子 |
屈む子や雀隠れに宝箱 | 百花 |
☆出刃光る胸板厚き初鰹 | 百花 |
省略されている情景が浮かび殺気さえ感じます。 |
■髙野 新芽 選
ただごとで無きてふ記憶出水川 | 田鶴 |
暫し聴け篠突く雨のほととぎす | 敦丸 |
森を恋ふこころに添はぬ蝮草 | 有為子 |
寝の浅き旅の一日に汲む新茶 | 眞二 |
☆好きといふ呪ひ解かれず夏に入る | 優美子 |
甘酸っぱい思い出に連れていってくれました。 |
■巫 依子 選
子の声の響くトンネル夏来たる | とりこ |
緑陰のベンチに開く「赤毛のアン」 | 一枝 |
桜蘂降るさよならもなく別れ | 優美子 |
マネキンの横顔つんと夏帽子 | 恵美 |
☆葉桜や誰かに借りしままの傘 | 恵美 |
花の頃の華やいだ浮かれ気味の日々も過ぎ去り、いつもの日常に戻る時分でもある葉桜に変わる頃、ふと買った覚えのない・・・傘に目がいく。身に覚えのあるひとコマ。 |
■佐藤清子 選
ネモフィラの海のごとくにひたちなか | 深澤範子 |
娘への要らぬ心配胡瓜揉む | 飯田静 |
葱坊主それぞれひとりぼっちかな | 朋代 |
新緑や門扉のペンキ塗りなほす | 道子 |
☆豆の花夫とは違ふ散歩道 | 道子 |
一人散歩が良いとき寂し時があるように夫婦での散歩も気の合う時ばかりではないですね。ですが、年を重ねるごとに一緒に散歩できる人がいてくれるのは幸せなことです。 |
■水田和代 選
床の間の軸掛け替へて夏座敷 | 由布子 |
ベランダに打ち上げられし鯉のぼり | 味千代 |
草も木も息切れしさう穀雨まつ | 朋代 |
突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
☆父似なる眉生え揃ひ初節句 | 松井洋子 |
赤ちゃんの顔を見ては、誰々に似てると言って可愛がっていた様子が見えてきます。初節句の頃には眉が生え揃って父に似てきたのですね。愛情いっぱいの句で素敵です。 |
■稲畑とりこ 選
自転車の少年すいと夏に入る | 優美子 |
すぐ飽きて憲法記念日の映画 | 良枝 |
たかが苺つぶすに奥歯かみしめて | 眞二 |
夏帽子わが白髪にふさはしき | 道子 |
☆テーブルを拭き紫陽花の向き正す | 和代 |
紫陽花に正面はないけれど、美しく見える角度があるのですね。季節の中の生活を楽しんでいる作者に共感しました。 |
■稲畑実可子 選
噴水のためらひながら上がりけり | 紳介 |
牡丹の一弁崩れたる音か | 清子 |
玩具屋の明日で閉店子供の日 | 穐吉洋子 |
氷菓食ひインターネット不安定 | 林檎 |
☆麦飯を食ふただならぬ雨音に | 林檎 |
麦飯なので定食屋さんか何処かでしょうか。窓の外の激しい土砂降りに驚くも、慌てても仕方ないかと食事を続ける。流れる時間の豊かさを感じました。麦飯と雨音の取り合わせも妙味があってよいと思いました。 |
■梅田実代 選
歓声を遠くこどもの日のベンチ | 栄子 |
いにしへの覇府に葉桜そよぎけり | 眞二 |
もう一人産めばと言はれ西日濃く | 味千代 |
すぐ飽きて憲法記念日の映画 | 良枝 |
☆雪渓に触れきし蝶と思ひけり | 良枝 |
ふと見かけた蝶が雪渓を思わせる涼やかさだったのでしょう。詩を感じました。 |
■木邑杏 選
からたちの棘しなしなと夏来る | あき |
出刃光る胸板厚き初鰹 | 百花 |
薄衣白檀の香の開きをり | 味千代 |
サンダルの素足まぶしき雨上がり | 真徳 |
☆娘への要らぬ心配胡瓜揉む | 飯田静 |
もう娘も大人だからと思うのだけれど、胡瓜揉みをしているとやっぱり娘のことが心配になる。母親ですね、胡瓜揉みが効いている。 |
■鎌田由布子 選
突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
病室へニコライの鐘聖五月 | 飯田静 |
夏雲を映して田水さざめきぬ | 優美子 |
子の声の響くトンネル夏来たる | とりこ |
☆緑蔭に木椅子を並べカフェテラ ス | 亮成 |
緑蔭をぬける気持ち良い風を感じることができました。 |
■牛島あき 選
絆創膏指になじまぬ薄暑かな | 実代 |
子の声の響くトンネル夏来たる | とりこ |
ベランダに打ち上げられし鯉のぼり | 味千代 |
テーブルを拭き紫陽花の向き正す | 和代 |
☆海亀の深き轍を横切りぬ | 良枝 |
産卵場所を目指す海亀の姿を思いました。抑制のきいた写生表現で、命を繋ぐための渾身の足取りが熱く印象的です。 |
■荒木百合子 選
芍薬の薄絹幾重ひらきそむ | 雅子 |
子は父に仕舞ひしままの武者人形 | 雅子 |
鳥の舞ふ空の奥まで夕焼かな | 新芽 |
豆の花夫とは違ふ散歩道 | 道子 |
☆粽解く母と娘にまた戻り | 松井洋子 |
懐かしい光景。そして母亡き今の私にとってはほんのりと羨ましい景色です。 |
■宮内百花 選
破れ巣を繕ふ蜘蛛は身重なり | 康仁 |
夏の夜魔女の箒を納戸より | 雅子 |
突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
青楓とんぼのやうな赤き翅 | 亮成 |
☆一病に春を味わひ春惜しむ | 朋代 |
長い闘病生活にあっても、春を存分に味わい尽くす作者に共感を覚えます。 |
■穐吉洋子 選
夏うぐひす忽那七島落暉中 | 松井洋子 |
鍵盤を分かつ兄妹夏浅し | 実可子 |
夏料理切子の鉢をまづ冷やし | 由布子 |
雨上がり男を上げし松の芯 | 康仁 |
☆菜種梅雨マルコポーロを茶の友に | 朋代 |
コロナ禍と長雨で家籠り、お茶を片手にマルコポーロと共に世界一周、無事世界一周できましたか? |
■鈴木紫峰人 選
ぼうたんの花のひとつの破天荒 | 依子 |
汗となり子の乳となり我が血潮 | 百花 |
桜蘂降るさよならもなく別れ | 優美子 |
捕虫網持ちて遠くへ駆けにけり | 実可子 |
☆粽解く母と娘にまた戻り | 松井洋子 |
もう自分は子を持つ母となっているが、実家に帰り、母のそばで粽をほどいていると、昔の様に自分が娘となっている。母を亡くしたばかりなので、この句は、涙を誘います。 |
■吉田林檎 選
歓声を遠くこどもの日のベンチ | 栄子 |
長男のここぞと来たる田植かな | 栄子 |
初夏やぱりぱりと剥ぐ包装紙 | 良枝 |
母の忌や香水の香の仄として | 由布子 |
☆子の声の響くトンネル夏来たる | とりこ |
トンネルではどんな時にも声が響きますが、「子の声」「夏来たる」からそのトンネルを抜けると夏になるかのように感じられて言葉選びが効果的です。これからたくさん遊ぶぞ!とわくわくの止まらない子供達がトンネルに声を響かせて楽しむという経験は私にもありますが、それはやはり子供の頃の話。そういう楽しみ方を久しく忘れていました。 |
■小松有為子 選
破れ巣を繕ふ蜘蛛は身重なり | 康仁 |
万緑へ絵筆のうごき早まりて | すみ江 |
突風を胸で返して夏つばめ | 松井洋子 |
出刃光る胸板厚き初鰹 | 百花 |
☆借景の富士の小さく夏座敷 | 由布子 |
開け放たれた夏座敷に見える富士が小さいというところが良いですね。 |
「自分らしい表現を」
ネット句会の皆様、はじめまして、中川純一です。これから半年間講評担当となります。自他ともに認めるがんこ爺ですから、多少厳しいコメントが書き散らしてあっても気にしないでよいです。
初めて皆さんの句を拝見した印象は、程度の違いこそあれ、型にはまらない俳句を心がけているようだということです。いいことです。みんな持っている遺伝子も、性別、年齢、人生経験が異なっているのですから、それぞれ他の人とは違う個性があります。それを他人が納得するように短い俳句で表現するのには、表現という行為に集中する必要があります。ですから表現というのは、始めこそ有名な句とか、先輩を真似ることから学んでいくのですが、早いうちに自分らしい表現を目指しましょう。それは風景や風物の写生でも、心中の表現でもあてはまります。期待しています。
(中川純一)
「知音」2020年9月号 知音集 より
「知音」2020年11月号 窓下集 より
「知音」2020年9月号 知音集 より
「知音」2020年9月号 窓下集 より
「知音」2020年9月号 窓下集 より
「知音」2020年9月号 窓下集 より
「知音」2020年9月号 窓下集 より
沿道の泡立つ卯の花腐しかな
卯の花腐しあづま路の果までも
独りに倦み卯の花腐しにも倦みし
段なして横山誘ふ青嵐
鶯老を鳴く東京を出る気なく
過ぎてより気づく師の忌や若葉寒
疲れ目を養ふ新茶汲みにけり
黒日傘医者通ひに褪せにける
師の齢すぎし五月の木偶坊
足裏の五臓六腑や疫の五月
カラヤンの鬣なびく五月かな
コンクリート漬の大樹の緑かな
十薬あまた干して百年またたく間
赤蝮きりきりと毒突いてくる
ポケットに青大将のしんねりと
桑の実に舌そめてわが「ヰタ・セクスアリス」
午後からは土砂降りといふ梅雨入かな
尺獲にして美しき青纏ひ
母の日の酢漿草こんなにも咲いて
シャインマスカットほれぼれ袋掛
この道のなかんづくこの桐の花
更衣車掌のポニーテール揺れ
蚕豆の唇笑んでをるや否
稿未だ蚕豆は旬過ぎたれど
宵からの雨となりたる蜆汁
島田藤江
一処鱗をなせり花筏
前田沙羅
さへずりや池につき出し写経の間
永井はんな
月と日に照らされ涅槃したまへり
山田まや
花疲れ花に背を向け川を見て
竹中和恵
マカロンの箱にぎつしり春の色
中津麻美
身ふたつのうつらうつらと桜草
清水みのり
花市の競り勝ち五秒かすみ草
岡本尚子
糸桜風に応へて散らしけり
前田星子
掌を駆ける馬欲し四月馬鹿
帶屋七緒
全集もステレオも古り雛の家
井出野浩貴
許すとは認めることや春来たる
小林月子
本買ひに隣の町へ花菜風
井戸ちやわん
耕せり土が光を放つまで
中田無麓
子の役目親の責任鳥雲に
山崎茉莉花
耕人の舐めて今年の土計り
帶屋七緒
初蝶の思ひがけなき高さまで
前山真理
太陽の塔の裏側鳥の恋
中野のはら
春風やパレットに色ありつたけ
小塚美智子
草団子買うてビニール傘忘れ
中津麻美
新約聖書のマタイ伝の一節を思い出す。そこには、あわれみ深い人たち、心の純粋な人たち、平和を求める人たちを称えるとともに、嘆き悲しむ人たち、義に飢え乾いている人たち、義のために迫害されてきた人たちをも、さいわいであると称えている。それは何故かということを考えるとき、私達は神の心の広さ、人間の弱さを思い知るのである。
この句は明らかにその聖書の一節を意識した表現だ。卒業するにあたって、今までの歳月を悔やんでいる生徒を前にしたのであろう。もっと勉強すればよかったとか、友達をもっと作ればよかったとか、後悔は果てしがない。その生徒を前にして、悔いを知るということは今後の君の人生に大いなる糧が与えられたということだと、称え祝福しているのだ。
作者の教員という職業から生まれた心深い一句だ。
句の上では「亡き夫」とは言っていないが、想像力のある読み手なら過去形が語っている事情を読み取るだろう。梅が見頃だというので来てみたのだが、茶屋の床几に腰かけて温かい甘酒を飲もうということになった。その時かつて夫とここに来たときも、この茶屋で休んで甘酒を一緒に飲んだことを思い出したのだ。何も語っていないが、その折の夫との話題や二人の言葉が、梅の花の香とともに鮮明に甦ったことだろう。このように俳句では一番言いたいことを言わないでおいても、季語が語ってくれるのである。
しゃぼん玉を吹いている子供を描写した句だが、吹くたびに少しずつ前へ歩を進めていることに気付いた。ありがちなことだが、なんと可愛らしい動作だろう。子供がしゃぼん玉を吹いている光景を愛情を持って見つめていなければ、なかなか描けないことである。春の季語である「しゃぼん玉」からは、風の柔らかさや日射しの明るさ、子供たちが外で遊ぶ季節になった声なども伝わってくる