編んだのと聞かれランバン毛糸帽
田中久美子
「知音」2021年2月号 窓下集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2021年2月号 窓下集 より
水引の点綴暮色はねのけて
ひとつづり水引草の気息凝り
木犀の香や門掃きの音につれ
終刊号追うて遺句集十三夜
初雁や持ち重りたる明日の糧
先達のたちかはりつつ雁渡る
撓みつつ遠ざかり消え雁の棹
ひと枝に六七八個榠樝の実
螢の夜生前葬のはなしなど
螢火や千夜一夜のひとよにて
明滅の滅を数へて螢の夜
秋の夜やダミアの淵に竿さして
葡萄に種みそつ歯の誰彼となく
完膚なきまでに踏みつけ煙茸
二十五時くるみわり人形と胡桃
大拙といふ石ひとつ笹子鳴く
秋晴の麻布のここも大使館
色羽をつんと頭に小鳥来る
長き夜やされば男の料理など
茸飯帰りの遅き娘待ち
スカートのごとく注連縄銀杏散る
渓風に山家の数の女郎蜘蛛
冬連れてくる双頭の竜の雲
騒乱の雀のごとく渓落葉
いつの間に更地となりし西日かな
井出野浩貴
今朝の秋補聴器置けば小貝めく
山田まや
通院の夫に購ふ黒日傘
前田沙羅
一粒の力を信じ青葡萄
林 良子
葛の花引けばくれなゐこぼしけり
鴨下千尋
駅員と話してをりぬ帰省の子
吉澤章子
東京にいまだ郡あり葛の花
帶屋七緒
鍼灸に身をまかせたる溽暑かな
黒須洋野
み吉野の降りみ降らずみ葛の花
川口呼鐘
秋口の役所の壁に市民の絵
笠原みわ子
ねこじやらしヘッドライトに騒ぎ出し
大橋有美子
払へども払へども汗喪主なれば
井出野浩貴
なまなかな風には媚びず萩の花
中田無麓
隙あらば絡み付きたり灸花
栃尾智子
白雲をぐんぐん潜り鷹渡る
前山真理
小望月雲の波間の浮かびけり
小倉京佳
茎太く蒟蒻育ち夏旺ん
金子笑子
絵日記の雲は怪獣蚊遣り焚く
石原佳津子
人の子を預かり吾子を預け夏
津野利行
好物のメロンどつかり据ゑ一人
山田まや
聴覚で捉えたものを、嗅覚で表現している。芭蕉が聴覚で捉えたものを視覚で表現した句は有名である。その点で、作者なりの挑戦が感じられる句だ。しかも梅雨どきの重たい南風を身に受けて、耳にした音が快適どころか異常な印象を受けたのである。季節の実感に支えられているという点でも、奇抜さを狙ったばかりの句ではないと言えよう。
鷹の渡りを私は見たことがないが、この句を読んで現実味を感じた。鷹の群れに気づいた時点では「見る」であるが、「目を凝らしたれば」ということは、注視したということだ。するといままで大雑把に数えた数よりも二羽多かった。「増え」と言っているが、現実には途中から加わったのではない。見る側の姿勢によって数が増えたという発見が面白いのである。
私達は俳句を作るとき、大まかに見るだけでなく、凝視しなければならない。「言葉が浮かんで来るまで見つめていなさい」とは清崎先生の教えである。
比較的新しい季語である「休暇明」を用いて、夏休み明けだということがすぐにわかる。講師という作者の職業によるものだろう。ながい休みが終わって、最初の授業に黒板の全幅を使い切ったとは、我ながら頑張ったとか、張り切っていると、改めて発見したのだ。休暇中、使われていなかった黒々とした黒板に、チョークの文字がくっきりとして見える。
事実は最近流行のホワイトボードにマーカーなのかもしれないが、鑑賞するときは黒板に白墨でありたい。板書する先生の力の込め方で、生徒は熱意と気迫を聞き取ったものである。
「知音」2021年2月号 知音集 より
「知音」2021年2月号 窓下集 より
「知音」2021年2月号 知音集 より
「知音」2021年2月号 知音集 より
「知音」2021年3月号 知音集 より
「知音」2021年3月号 知音集 より
「知音」2021年2月号 知音集 より
「知音」2021年3月号 知音集 より