落椿赤い蝋燭灯すごと
田中久美子
「知音」2020年6月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2020年6月号 知音集 より
「知音」2020年6月号 知音集 より
揺り椅子の軋みに抱かれ冬籠
読みさしも詠みさしも愛し冬籠
こま切れの時間大切日短か
寒鴉松の威を借り月を負ひ
その声の凄み帯びたり寒鴉
寒鴉うつて変はりし愛の声
寒鴉色艶増して人も無げ
寒禽のこゑの華やぎきたりけり
秣ほども薬出されて十二月
薬喰みんな地獄へ行きたがる
疫病の師走の疑心暗鬼かな
疫病の棒線グラフ去年今年
初湯して七十齢のおゐどかな
追羽子やパンデミックは音のなく
かまくらは千五百の産屋燭ゆらぎ
竹梯子富士に懸けたり出初式
(「ウエップ俳句通信」120号と重複あり)
熟睡してテレビ体操忘れ初め
雑煮椀膨れかかりの餅が立ち
着物着て羽子板市にパリ娘
むつかしきことを易しく講始
パルティータ恍惚ポインセチア燃え
八千歩あるき寒椿へ戻る
ポストまで二百五十歩春隣
イーゼルに白きキャンバス春を待つ
鶴折ればどれも傾き憂国忌
米澤響子
店員の藍の前掛け新酒買ふ
𠮷澤章子
黒葡萄魔女の吐息に曇りけり
井出野浩貴
ときをりの日矢に零れて冬桜
中田無麓
湯豆腐や京に木綿は白と呼ぶ
島野紀子
曙の水面染めたり浮寝鳥
江口井子
掌にぬくめてホットレモンの香
吉田しづ子
マフラーやわが彷徨の欅坂
黒須洋野
枯菊の枯れに枯れたる軽さかな
福地 聰
話すことなくても愉し暖炉燃ゆ
前田星子
切干のほとびて母のゆふまどひ
井出野浩貴
手をひかれハロウィンの子の口あかく
吉田林檎
紅玉の今日焼林檎明日はジャム
山崎茉莉花
近所にも名所十景黄落期
井内俊二
抽斗に無効の旅券鳥渡る
藤田銀子
二の酉の空に星なく月のなく
栃尾智子
愚痴つてもおもろい男おでん酒
影山十二香
飴色の日に猫じやらしこくりこくり
田中久美子
木の実独楽せうことなしに廻りをり
米澤響子
創刊号準備大詰日短か
月野木若菜
「今は」がどういう状況を示しているのか、この句からはわからないが、同じ時期を生きている私たちには、新型コロナウィルスの世界的感染の今であることがわかる。こういう句は前書きがあったほうがわかりやすかもしれないが、句集を編むとき、令和二年の冬の作として収めれば、おのずからこの背景はわかる。今の過ごし方の偽りない本音である。旅行はしたいけれど、今はそれを押さえて、家に籠って毛糸を編んでいるのである。
作者は五十代後半、子育ても終わって、体力のあるうちに夫婦で旅行でもしたい時期なのであろう。人生の今にしてできた句といえよう。
この句も今の世界情勢をふまえた作である。新型のウィルスが正体不明のものである以上、今の私たちに何ができるだろう。特効薬やワクチンの開発が急がれているが、これで疫病退散とはいかない現状である。何ができるだろうと突き詰めて考えた結果、神仏に祈るしかない人間のはかない存在に思い至ったのだ。「神の留守」という季語は、この句の場合かなり象徴的に用いられている。神社に行って手を合わせても神様は出雲に旅立っているのである。ひいては神の存在さえ疑っているかもしれない。「人間に」と一般的に表現していることが、全世界の人間存在を意味しているとも受け取れる。祈る対象の神は宗教によってそれぞれ異なるが、祈れば通じるという信じる力があってこそ、明日への希望が湧いてくるのだ。
七五三の句は七歳の女の子か、五歳の腕白か、三歳の幼子か、読んですぐ目に浮かばなければならないと私は思っている。この句は疑いもなく五歳の男の子だ。記念写真を撮ろうにも一瞬たりともじっとしていない。祖父母か両親が「気を付け」と号令をかけたのだろう。素直に従ったが明らかに右に傾いでいる。男の子の可愛さが描かれていて微笑ましい。
「知音」2020年7月号 知音集 より
「知音」2020年7月号 窓下集 より
「知音」2020年7月号 窓下集 より
「知音」2020年6月号 知音集 より
「知音」2020年6月号 窓下集 より
「知音」2020年6月号 知音集 より
「知音」2020年6月号 窓下集 より