まだ何か包めさうな葉柏餅
國領麻美
「知音」2021年8月号 知音集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2021年8月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
「知音」2021年8月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
「知音」2021年9月号 知音集 より
書家でもあった最愛の妻との別れをきっかけに六十代で俳句に取り組み始める。俳句を魂の棲家とし、ただ前を向いて新しい世界へ踏み出す十年間の日々を詠んだ第一句集。
名を呼べばほうたるひとつついて来る
恋は思うひとの魂を乞うことーーー。
ほのかに口にしたその人の名にあまたの螢火の中のひとつがすうっと近付き、
彼の一歩一歩につき従う。
魂乞に応えたのは勿論いまはあの世にあるいとしき妻である。
作者の為人にはどこか能の夢幻にも通じる憑依性があると私は思う。
(帯・行方克巳)
◆行方克巳選十句
マフラーをミラノ巻きして青山へ
啓蟄や港の船も心せく
ほほづゑの先は荒梅雨人を待つ
先達の二人欠けたり能始
遠き日の修羅を思へり夕牡丹
亡き妻の帯をベストに冬ぬくし
薄氷の綾なす風のかたちかな
剪定の小枝ばかりの堆く
名を呼べばほうたるひとつついて来る
金泥のすこし錆びたり秋扇
春泥の頃となりけり深轍
そつぽ向く子の頬つぺたの春の泥
創業の遺訓棒読み新社員
起こさるることなく覚めし朝寝かな
アスパラガスまた茹ですぎてしまひけり
まんさくや見ての通りの為人
クレヨンのみどりさみどり山笑ふ
蓬餅冷たし遠き野に砲火
ゆきずりの傘さしかけて初桜
咲きかかり時を止めたる桜かな
遠目には源平桃の緋が勝てり
駅に待つ少年ふたり春休
辷る跳ぶ這ふ影交叉水温む
惜しみなき初音にペンを擱きにけり
大粒の雨が来さうよ犬ふぐり
いちめんの落花踏みしむ門出かな
雄鳩のきよとんと振られをりにけり
水温むどこか何かが揺れてゐて
啓蟄やアダムの肋イブを生み
春昼の何も懸からぬ壁の鋲
なるほどと姫踊り子の花に寄り
鈴つけてよその猫来る蝶の昼
残りゐる命をしめと山笑ふ
野田 亮 博士
梅東風や同期の学徒師と仰ぎ
名のみ知る父の異母妹石蕗の花
井出野浩貴
案の定餅熱すぎて利かん坊
井内俊二
雪晴れの樹影すつくと立ち上がる
折居慶子
賓頭盧様黒黒在す春障子
永井はんな
胃カメラの胃の泡立てる余寒かな
小倉京佳
人体の骨の二百個春を待つ
前田沙羅
薄雪をきりりと纏ひ初比叡
野垣三千代
早春や海の鼓動に波光り
牧田ひとみ
女正月銀座の稲荷に待ち合はせ
前田いづみ
寒晴の空き缶蹴れば音高き
中津麻美
ユダヤ人墓地誰が踏みし霜柱
井出野浩貴
セーターは真つ赤聖夜のジャズライブ
中野のはら
紀ノ川を渡れば生家冬霞
志磨 泉
初仕事上程ひとつ通したる
月野木若菜
地吹雪や助手席の子も眼を凝らし
石原佳津子
蝦夷の空ひたすら蒼し花さびた
栗林圭魚
混迷の世を受験子のよく眠る
栃尾智子
餅花や土間の高きに明り取り
野垣三千代
気の長き息子が一人五万米炒る
岡本尚子
雪だるま肩まで雪をかぶりをり
菊池美星
冬の水と言えば、中村草田男の、
冬の水一枝の影も欺かず
が思い浮かぶが、この句も同じような光景を目にして詠んだのだろう。枯れ切った枝の先まで克明に映している水面を見て、映すということは受容することとは違うのだということに気付いた。確かに全てをあるがまま映す水面であっても、それはものの表面だけで、全てを受け入れるという訳ではないのだ。
同じ冬の水を見つめて至り着いた考えであろう。寒気が張り詰めた緊張感、厳しさが伝わってくる。
プレートには様々な意味があるが、地球の表層部を覆う板状のブロックと受け取った。地球の表面には数十個の大陸プレートと海洋プレートがあって、日本の地下深くには四つのプレートが重なり合っているそうだ。そこに歪みが起きると、地震や津波に襲われるというわけだ。「椎間板」は脊柱に連なる椎骨と椎骨との間にある円盤状の組織。これに歪みや損傷があると、椎間板ヘルニアが起きたり坐骨神経痛が起きたりする。地球上の歪みと人体の歪みとを思い合わせて人生の冬を実感した句。
最近は大きな地震や津波が多く、私達も地球の地層の動きに影響を受けていることを実感している。また、若い時には滑らかで頑健だった体の節々に、軋みを覚えたり痛みを感じたりすることが多くなった。体の衰えを嘆くのではなく、気宇壮大に地球のプレートに思いを馳せ、そこで生かされている生物である自分の肉体を並列して詠む気概は、俳句ならではのものだ。
春になれば花菜漬を添えるという季節感は日本料理の常識だが、この句は料亭や割烹といった店ではなく、サラリーマンが昼食に利用する「新橋の定食屋」である点が面白い。私も五十年前新橋に勤めて、昼食は定食屋によく行ったので覚えがあるが、その頃は五百円のメニューで満足したものだった。そんな庶民的な店でも、季節の香のものがちょっとつくという点に日本の味覚の文化をみる思いがする、と言ったら大げさだろうか。