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◆特選句 西村 和子 選

盆の月奥の部屋まで差しにけり
穐吉洋子
「盆」は本来陰暦7月15日であるから、この月は満月である。奥の部屋まで光が差し込んできたということは、満月が東の空に上ってきた時なのかもしれないが、窓のある部屋から奥の部屋までという距離より、月光が奥の方に入ってくるまでの時の長さを感じる。
亡き人を想いつつ月を眺める作者の心の「奥の部屋」にも、月光が差し込んで来るような静謐な「盆の月」である。(高橋桃衣)

 

走馬灯みんな帰つてしまひけり
緒方恵美
思い出が去来することの代名詞のように使われる走馬灯は、回り灯籠とも言われる玩具だが、今はお盆の飾りとして見かける。
夏休みか、お盆か、子供とその家族が集まり、賑やかな時を過ごし、そしてそれぞれの家に帰って行った後の寂しさを、「走馬灯」と「しまひけり」という詠嘆で描いた。
人気のなくなった部屋の壁を、走馬灯の影絵が音もなく巡っている。(高橋桃衣)

 

山々に湖面に響む花火かな
森山栄子
湖での花火大会は、空に大輪の花を咲かせる打上花火だけでなく、湖面に映り込むことを計算した水上花火、水中花火などさまざまな仕掛けがあり、大変に豪華である。山に囲まれている湖であるなら、炸裂した音も山々にこだまして大迫力だろう。
花火が消えた時の、辺りの暗さと夜気の湿り気、肌寒いほどの涼しさも感じられる。(高橋桃衣)

 

踊り場の混み合つてをり休暇明
小山良枝
昨今の建物はエレベーターが普及しているので、踊り場を多くの人が利用するのは、せいぜい3階建て、二学期が始まった学校か、お盆休みが終わった工場といったところか。
描いているのは、踊り場が混み合っている、というだけのことなのだが、久しぶりに会った仲間と屯している様子とも、人を避けて階段を上り下りする感覚がまだ戻っていない様子とも取れる。
この句の眼目は、今の様子を描くことで、普段のがらんとした踊り場が見えてくることだ。(高橋桃衣)

 

うたげ果て大皿小皿夜の秋
岡崎昭彦
宴会が終わり、先ほどまで盛大で賑やかだったのが嘘のように、熱気が消え鎮まりかえり、さまざまな皿が置き去りにされたかのようにテーブルに残っている。
「夜の秋」は、どこかに秋の気配を感じるような夏の夜のことだが、人が去った後の空虚さとも響き合う。宴会の後の皿だけに焦点を当て、季語に語らせている句。(高橋桃衣)

 

鳴くたびに声細りゆき夜の蝉
松井洋子

 

つむり寄せ子らにぎやかに門火焚く
松井洋子

 

向日葵の枯れゆく時も一斉に
山田紳介

 

山滴る顔若き不動尊
森山栄子

 

かまきりの翅のかがやき雨あがり
松井伸子

 

 

◆入選句 西村 和子 選

流灯や生者の顔を照らし出す
(流灯の生者の顔を照らし出す)
小山良枝

母の待つ家の小暗し花木槿
松井洋子

朝顔の今朝は一輪藍深し
(朝顔の今朝は一輪藍深く)
木邑杏

変哲も無き浅き箱蓴舟
藤江すみ江

風音が水面を削ぎて秋の夕
(風の音水面を削ぎて秋の夕)
板垣源蔵

墓参白髪ひとり山に入る
(白髪がひとり山入る墓参り)
黒木康仁

谷底へ風のまにまに夏の蝶
鈴木紫峰人

鉱山の賑はひ遠く滴れり
森山栄子

駅弁を開き杉の香秋の風
岡崎昭彦

夏蝶を見遣れば迫る摩崖仏
中山亮成

跳ね返りテトラポッドに残暑の日
(テトラポッドに残暑の日差し跳ね返り)
奥田眞二

草市を煙ひとすぢ通りけり
小山良枝

なすきうり採つてくれろと曲がりだす
小松有為子

炎天下象の眼何を訴ふや
荒木百合子

ひとしきり扇いで飽きし団扇かな
森山栄子

身を低く岩根を掴む下山かな
(身を低く岩根掴める下山かな)
鈴木紫峰人

隅田川とろりとしたる残暑かな
若狭いま子

源泉のとんぼう低く飛びにけり
鏡味味千代

蛇口より湯のほとばしる暑さかな
藤江すみ江

水引草父の画室はそのままに
松井洋子

子らの声急に大きく遠花火
鏡味味千代

無言館へ秋明菊の径たどり
(無言館へ秋明菊の径たどる)
長谷川一枝

葛切や八坂詣での道すがら
辻敦丸

八合目リュックに蜻蛉ついて来る
深澤範子

犬の舌しまひ忘るる極暑かな
森山栄子

夏萩のさはさは雫落としけり
鈴木ひろか

秋高し返信メール即了解
(秋高し返信メールは即「了解」)
奥田眞二

立秋や掌に包みこむ輪島塗
小山良枝

をなもみや夕餉に帰る家出の子
松井伸子

花野まで来れば涙も乾きけり
山田紳介

いとけなき十指を合はせ魂送り
牛島あき

洗ひ立てカーテンふはり空は秋
木邑杏

米櫃の米に熱ある暑さかな
藤江すみ江

中庭にチェロの音響く秋の夜
鎌田由布子

八月の油のやうな大西洋
チボーしづ香

朝顔の紫紺にひと日始まりぬ
松井伸子

爽やかに足かけ回り逆上がり
松井伸子

去りがてのもう一掬ひ山清水
西山よしかず

秋風やふいに見つかる探し物
水田和代

虫すだく間違ひ探しあと二つ
牛島あき

日焼けして小枝のやうな腕と足
鎌田由布子

丸に金金毘羅さんの渋団扇
西山よしかず

去る者は追はずと云へど夜の長き
小野雅子

龍鳴かせ来て眩しさのうろこ雲
牛島あき

木道を駆ける足音黄釣船
飯田 静

幼児の眠りの深し鉦叩
飯田 静

百日紅散りぬ紅白うちまざり
(百日紅散りぬ紅白色まざり)
穐吉洋子

三伏の闇の大樹の息づかひ
森山栄子

はにかみて菓子貰ひけり地蔵盆
(はにかみて地蔵会の菓子貰ひけり)
鎌田由布子

妹に付き添ひし夜の虫の声
板垣もと子

一山(いっさん)の景奪ひけり大夕立
(大夕立一山(いっさん)の景奪ひけり)
巫依子

花びらをふはりはらりと蓮の秋
(花びらをふはりはらりと蓮に秋)
黒木康仁

翻る鯉の金色秋曇
田中花苗

敗戦忌讃美歌覚え帰還せり
荒木百合子

雲の峰岩手山より湧き上がる
深澤範子

秋霖の音を吸ひこみ大茅屋
小野雅子

聴診器かけし遺影や星月夜
千明朋代

終盤の速く激しき踊かな
松井伸子

校正を終へて涼しき机上かな
長谷川一枝

虫たちも飛び込んできしプールかな
チボーしづ香

蟷螂の風に向かひて翅広ぐ
水田和代

握りめし秋暑の塩をきかせたる
牛島あき

大文字いつしか他はかき消えて
(大文字と吾いつしか他はかき消えて)
荒木百合子

登山靴出して磨いてまた仕舞ふ
長谷川一枝

 

 

◆今月のワンポイント

「 字足らずについて

今回、字足らずの句が散見されました。俳句は定型詩ですから、できる限り定型に収める工夫をしたいものです。そのためにも、作った時は必ず音読してみましょう。字足らずは、リズム感がなく不自然なので、気付きやすいものです。

ただ、このような句があります。

と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな 虚子

これは上の句が四音しかありませんが、不自然さを感じません。それは、「…、と言ひて」と冒頭に無音の一拍があるからです。これも音読してみるとよくわかるでしょう。

作った後に、どちらがいいか迷った時に、投句する前に、必ず声に出して読んでみましょう。

高橋桃衣

西馬音内盆踊り  行方克巳

立てかけしごとをちの滝こちの滝

山清水くねりつつ行く葛の花

爪に火を点す浮世を踊りけり

やさしうてごつうて男踊りかな

きはめつき男踊りの女かな

帰るさの彦左頭巾をはね上げて

暗がりに踊り崩れの二三人

踊り笠たたみて立てば蹴転けころめく

 

真葛原  西村和子

真葛原一刀両断単線路

突兀と顕れ上州の霧の山

朝霧の香を部屋深く肺深く

霧飛ぶやヒマラヤ杉は翼垂れ

蹂躙を咎めず許さず螢草

おほかたの事は赦され夢二の忌

草々の露踏み分けて画室訪ふ

邯鄲や風のささめきさへ怖れ

 

不 眠  中川純一

八月の芝を突つ切り三塁打

盆花を選りつつ頼りなき視力

蟬しぐれ浴びつつ句碑の女文字

句碑の文字判じて腕の蚊を叩く

おやこんなところに萩とふれてみる

新涼の手ごたへ画布の空色に

嬉しさの不眠もありて明易し

水引草咲いて血圧正常値

 

 

◆窓下集- 10月号同人作品 - 中川 純一 選

探幽の龍と翔びゆく昼寝かな
佐瀬はま代

湯引きして一瞬鱧の花開く
黒木豊子

帯きゅつと締め炎天に立ちむかふ
小野雅子

膝折りてこの鈴蘭を賞でし日も
村地八千穂

狛犬の背に傾ぎて濃紫陽花
村松甲代

朝顔の大輪風に浮き上り
山田まや

仲見世の裏手に購ひし団扇かな
黒須洋野

見せる人無き黒髪を洗ひけり
松井洋子

浅草の雑踏にゐて青鬼灯
島田藤江

たまさかは夫婦気の合ひ冷奴
川口呼鐘

 

 

◆知音集- 10月号雑詠作品 - 西村和子 選

鉾建の縄屑もまた匂ひ立ち
米澤響子

化粧室涼しゲランの瓶の青
牧田ひとみ

海芋咲く町のどこにも水の音
吉田泰子

十薬をきれいに残し寺男
大橋有美子

新橋をポンヌフと呼び巴里祭
吉田林檎

夏雲やキッチンカーは翼持ち
志磨 泉

ざら紙のやうな思ひ出梅雨じめり
中野のはら

涼しさや石の館に木の調度
井出野浩貴

一滴のすでに大粒大夕立
磯貝由佳子

遺失届書く首筋に額に汗
井戸ちゃわん

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

しんがりの大船鉾のもう見えず
米澤響子

祇園祭の後祭あとまつりのしんがりである。京都の祇園祭は元来前祭さきまつりと後祭の二回に分けて巡行が行われていたらしいが、このところ七月十七日に全ての山と鉾が巡行を行っていた。数年前に元の形に戻そうというので、後祭の巡行が復活した。私も久しぶりに後祭の巡行を見に行ったが、最後に登場する大船鉾の堂々たる歩みは感動的だった。
この句は「もう見えず」と言っていながら、祇園祭の全ての巡行の様子が眼裏に蘇ってくる。特に今年は三年ぶりに実施された巡行を、京都の人々はもちろん、全国の人々が心待ちにしていた。無事に巡行が終わったのを目の当たりにして、もう見えなくなった大船鉾の名残を惜しんでいる。

 


小児科の二階に眼科花うばら
𠮷田泰子

町医者の情景だろう。父親か母親が小児科医院を開業し、その二階に息子か娘が眼科を担当しているのだろう。大病院でないことを語っているのは「花うばら」の季語である。なんでもない郊外の光景だが、一読住宅街の個人医院だなということがわかる。そこが名医だとか、自分の世話になっているというわけではなく、見かけたままを詠んだ俳句。こんなことは俳句でなければ作品にはならないだろう。

 

春寒し対話の顔に口のなく
大橋有美子

疫病の流行で人と会うときはマスクを掛ける習慣が身について三年目となる。本来冬の季語であるマスクが無季のもののように詠まれ始めて久しい。この句は「マスク」という季語は使わず、そんな疫病禍の暮らしぶりと心情を詠んだもの。
対話するとき、目を見て声が聞こえれば不自由はなさそうに思えるが、口元の表情が見えないということは、考えてみれば心許ないものだ。同じ言葉でも、微笑みながら話しているのか、口を皮肉そうに曲げながら話しているのかわからない。その寒々しい心境を託しているのが季語である。