小春日を勿体なくも家居かな
松井秋尚
「知音」2022年2月号 窓下集 より
客観写生にそれぞれの個性を
「知音」2022年2月号 窓下集 より
「知音」2022年2月号 知音集 より
「知音」2022年2月号 知音集 より
九十九里浜秋は薄刃のごと翳り
秋の浜座れば砂のあたたかく
稲雀憎く雀の憎からず
稲雀投網打つたり峡の空
一陣の返せば二陣稲雀
蛇笏忌や後ろ手の何考へる
蛇笏忌や酒のごとくに水銜み
段ボール抱へて何処へ秋の風
かんばせに名月よりの風まとも
老松の腕に乗りし今日の月
かへりみて我が月かげの淡かりき
いま一度月仰ぎたり鍵を手に
素揚げしてこれぞ茄子紺照りまさり
愕然と秋至りけり関八州
西国の塔乗口の葭簀褪せ
長州の気性鮮烈櫨紅葉
飛び出でて蝙蝠あてどなかりけり
野分雲そろそろ米も買ひ足さむ
蟷螂の夫恍然と齧らるる
蟷螂のすがる地蔵の涎掛
金風や光の粒は昨夜の星
木犀の香る七曜はじまりぬ
木犀や雨の匂ひの風立ちて
萩に触れ芒かはして蕎麦庵へ
夏休となりのトトロ抱つこして
山田まや
向き変り須磨の風来る風知草
前田星子
校長も家族を連れて踊の輪
島野紀子
蓋とれば細工物めく鱧尽し
小野雅子
目の合ひし蜥蜴と我の時止まる
吉田泰子
丸に金金毘羅さんの渋団扇
西山よしかず
島焼酎今宵は踊り明かさむと
下島瑠璃
老ひの背を伸ばせ伸ばせと雲の峰
村地八千穂
水引草風をなぞつてをりにけり
山本智恵
草叢の水引草は母の花
政木妙子
清張の男と女戻り梅雨
井出野浩貴
幾たびも五山の廻る盆燈籠
米澤響子
血脈の絶えて凌霄咲き続く
牧田ひとみ
雑踏に交じりて涼し京ことば
中津麻美
糸蜻蛉水面の影はさだかなり
吉田林檎
緑陰の一卓をわが城として
山田まや
祇園囃沸き立ち鉾の揺れに揺れ
佐貫亜美
桑の実やジャズのもれ来る蔵座敷
影山十二香
手真似して踊の輪には入らざる
成田守隆
さぼつちやえさぼつちまえと蟬の声
松枝真理子
働き盛りの作者であることが一読してわかる。暑い最中も一週間汗をかきかき働いてきた。やっと週末になったという思いが「辿りつきけり」に現れている。「夜の秋」という季語は、立秋前に秋の気配を感じる夜の季節感を表すものだが、ここに安堵の気持ちを読み取ることができる。
現役で働いている人々、子育てに振り回されている人々には、こうした人生の夏の作品を大いに詠んでもらいたい。人生の今しかできない句を意識して作ってほしい。
「笑顔至上主義」とは耳慣れない言葉だが、この句を読んであかんぼうの唯一の武器は笑顔である、ということを思い出した。悪人が危害を与えようとしても、無垢な笑顔に出会うと手を出せなくなるということは真実だ。どんな時も誰に対しても笑顔に勝るものはないと信じて生きている人をこう表現したのだろう。
向日葵という季語はつき過ぎのように思われるが、ではどの季語に語らせようかと考えても、これしか浮かんで来ない。その意味では多くを語っているのだ。
滝見茶屋は滝の間近にあるので、ただでさえ人声は奪われやすい。その上、客も主も耳が遠いというのだから、どんな情景か想像するだにおかしい。しかしこうした場所でやりとりする言葉はだいたい決まっているのだから、聞き取りがたくても話は通じてしまうのだろう。本人たちは大まじめでも、傍から見ていると喜劇になる。そのいい例。
「知音」2022年2月号 窓下集 より
「知音」2022年2月号 窓下集 より
「知音」2022年2月号 窓下集 より
「知音」2022年2月号 窓下集 より
「知音」2022年2月号 知音集 より
「知音」2022年1月号 知音集 より