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◆特選句 西村 和子 選

コスモスの手入れしすぎてつまらなく
荒木百合子
コスモスは外来種でありながら日本の秋の風景に馴染んだ稀有な花です。可憐でありながら自由気儘に生い茂る点に魅力があると言えましょう。「手入れしすぎてつまらなく」は、なんでもない表現ですが、コスモスのたたずまいをよく表現しています。(井出野浩貴)

 

歌詠みの来れば群るる赤とんぼ
松井 洋子
歌詠みが来ても来なくても赤とんぼにはかかわりのないことですが、妙に納得させられる句です。
「殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あきつ) ゆけ」(水原紫苑)
(井出野浩貴)

 

ひと雨の上がりてよりの良夜かな
巫  依子
せっかくの十五夜なのに雨なのかとがっかりしていたら、雨が上がり月が出てくれたのです。雨上がりの夜の空気の清らかさを感じさせてくれます。(井出野浩貴)

 

椋鳥の千羽こぼるる大樹かな
緒方 恵美
椋鳥は留鳥ですが、秋の暮になるとやたらと群れる不思議な習性があります。数えようもありませんが、「千羽」と言い切って成功しました。「こぼるる」は大げさですが、大樹にすらも収まりきらぬ群れの大きさと姦しさを表現し得ています。(井出野浩貴)

 

刺されたり屋上に棲む秋の蚊に
若狭いま子
こんなところで刺されてしまったという意外さが、はからずも句になりました。「秋の蚊」は人間には迷惑なものには違いありませんが、まだ生き残っているものへの哀れみもこめられた季語でしょう。「蚊」では句になりませんが、「秋の蚊」だと味わいがあります。(井出野浩貴)

 

萩くくる一枝のこらず抱き寄せて
牛島 あき
際に萩をくくったときの実感が「抱き寄せて」というさりげない表現にこもっています。散りこぼれている萩の花も見えてきます。萩の花への愛情が感じられます。(井出野浩貴)

 

沿線に学校多し新松子
小山 良枝
郊外に伸びる鉄道の沿線が思われます。実際にはそのような地域もひたひたと高齢化が進んでいるのかもしれませんが、新松子のすがすがしさと、学校から聞こえる若者の声が響きあうようです。(井出野浩貴)

 

遮断機の上がり再び虫時雨
鈴木ひろか
踏切の警告音と通過する電車の音が消えた瞬間を、「遮断機の上がり」でうまく表現しました。なんとはなしに、人の営みのはかなさを感じさせます。(井出野浩貴)

 

讃美歌を口遊みつつ葡萄狩
木邑  杏
葡萄とキリスト教には親和性があります。
「弥撒のヴェール透して熟るる黒葡萄」(殿村菟絲子)
「黒葡萄祈ることばを口にせず」(井上弘美)
など。
この句は「口遊みつつ」と軽やかに詠んでいる点が魅力です。(井出野浩貴)

 

大いなる風を起こして猫じやらし
山田 紳介
風になぶられるまま無抵抗なのが猫じやらしですが、逆に「大いなる風を起こして」と詠んだ点がおもしろい句です。因果関係を詠んでも詩になりませんが、逆にありえないことを言い切ると詩になるという好例です。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

浴室の窓より金木犀の風
小野 雅子

キーボード打つ音止みて秋の雨
森山 栄子

星月夜つひに便りの途絶えたり
五十嵐夏美

月明の句を誦し子規の忌を修す
奥田 眞二

まづ舐めてより噛みしむる新酒かな
(まづ舐めてさて噛みしむる新酒かな)
牛島 あき

秋の夜うどんに香る鰹節
宮内 百花

アペリティフ楽しむ暇秋の宵
鎌田由布子

一枚をコスモスが占め貸畑
牛島 あき

露草や地図を片手に海を見に
飯田  静

山霧やところどころにかたまりて
岡崎 昭彦

畝畝のビニール鈍く照る無月
三好 康夫

新涼の絵本山積み神保町
飯田  静

秋蝶の惑ひ迷ひて飛び立てり
田中優美子

蓮の実の飛んで特選賜りぬ
小山 良枝

秋空やしなの鉄道二番線
岡崎 昭彦

京菓子に一点の紅露けしや
緒方 恵美

蜩や一灯もなく山暮るる
松井 洋子

投函を忘れしままに秋湿り
辻  敦丸

羽撃いてをり電灯の中の虫
板垣もと子

秋暑し押し戻さるる駐車券
小野 雅子

につぽん丸ゆつくり接岸秋日和
(につぽん丸接岸ゆつくり秋日和)
鈴木紫峰人

金木犀咲けばむくむく旅心
田中優美子

真つすぐに伸ばす指先運動会
水田 和代

秋灯の一灯赤き港口
辻  敦丸

秋日のせては水くぐるオールかな
牛島 あき

見送りをすませて後の今日の月
巫  依子

色褪せし弁柄格子そぞろ寒
緒方 恵美

ちよび髭の不屈の子規の忌なりけり
奥田 眞二

決められぬことも決断更衣
(決められぬことも決断後の更衣)
千明 朋代

新幹線開業まぢか梨齧る
宮内 百花

チェンマイと同じにほひの野分かな
板垣 源蔵

十六夜や魞の先なる竹生島
小野 雅子

即興で奏でるピアノ秋の風
藤江すみ江

竹の春嵯峨に生れしかかぐや姫
奥田 眞二

十階は野より淋しとちちろ鳴く
(十階は野より淋しと鳴くちちろ)
緒方 恵美

新涼の湖面に雲の流れけり
鈴木ひろか

天気予報はづれし空へ檸檬投ぐ
小山 良枝

手に取りし会津木綿や秋暑し
佐藤 清子

先生の腕に蜻蛉止まらせて
森山 栄子

ほろ酔ひの店を出づれば夏の月
藤江すみ江

護摩太鼓ずしんと腹へ秋うらら
田中 花苗

虫籠を下げて子の後追ひにけり
鈴木ひろか

月光に心の底を見透かされ
宮内 百花

手拍子に合はせ入場運動会
飯田  静

対岸のビルよりぬつと今日の月
若狭いま子

朗読に耳を傾け月今宵
巫  依子

秋簾斜めに浜の貝焼屋
小山 良枝

秋晴へ真言唱へ僧若き
田中 花苗

大池の芥吹き寄せ野分だつ
松井 洋子

秋澄むや若むらさきの浅間山
岡崎 昭彦

入線の線路の悲鳴秋高し
(入線す線路の悲鳴秋高し)
中山 亮成

豪快に外すシュートや秋渇き
板垣 源蔵

浦風に縺れて解けて秋の蝶
森山 栄子

島影を膨らませたる竹の春
松井 洋子

よろめきて穂草に縋る老爺かな
三好 康夫

花野来てマッターホルン目交ひに
奥田 眞二

蜻蛉のきよろりきよろりと偵察中
松井 伸子

コスモスの揺れて心は凪ぎゆけり
田中優美子

白萩や移り住みたる地になじみ
鏡味味千代

蟷螂の死して全てを晒したる
山田 紳介

実況の声昂れり雲の峰
藤江すみ江

今できることひたすらに秋高し
田中優美子

寝ころびてわが庭眺め獺祭忌
西山よしかず

自転車に浮力ふんはり野菊晴
松井 伸子

御詠歌の調べ真如の月澄めり
巫  依子

いわし雲久方ぶりの旅支度
岡崎 昭彦

涼新た都会の人のよく歩く
森山 栄子

長身の牧師の裾の秋桜
西山よしかず

 

 

◆今月のワンポイント

「 下二段活用の連体形について

今月の投句に<白風や音なく流る堀の水>がありました。一見正しいようですが、「流る」は下二段活用ですから、連体形は「流るる」となります。つまり、「音なく流るる堀の水」とすべきところなのです。ところがこれでは字余りになり間延びしますから、直さなければなりません(たとえば、<堀の水音なく流れ秋の風>ならば文法的に問題ありません。よりよい句になったかどうかは別問題として)。

文法を身につけるには、名句を覚えるのがいちばんです。

子の髪の風に流るる五月来ぬ(大野林火)

春寒やお蠟流るる苔の上(川端茅舎)

流るる方へながれて春の鴨(友岡子郷)

子郷の句は上六の字余りですが、六七五ならば定型感が保たれるので問題ありません。中八は極力避けましょう。

井出野浩貴

稲 雀  行方克巳

九十九里浜秋は薄刃のごと翳り

秋の浜座れば砂のあたたかく

稲雀憎く雀の憎からず

稲雀投網打つたり峡の空

一陣の返せば二陣稲雀

蛇笏忌や後ろ手の何考へる

蛇笏忌や酒のごとくに水銜み

段ボール抱へて何処へ秋の風

 

月よりの風  西村和子

かんばせに名月よりの風まとも

老松のかひなに乗りし今日の月

かへりみて我が月かげの淡かりき

いま一度月仰ぎたり鍵を手に

素揚げしてこれぞ茄子紺照りまさり

愕然と秋至りけり関八州

西国の塔乗口の葭簀褪せ

長州の気性鮮烈櫨紅葉

 

木 犀  中川純一

飛び出でて蝙蝠あてどなかりけり

野分雲そろそろ米も買ひ足さむ

蟷螂の夫恍然と齧らるる

蟷螂のすがる地蔵の涎掛

金風や光の粒は昨夜の星

木犀の香る七曜はじまりぬ

木犀や雨の匂ひの風立ちて

萩に触れ芒かはして蕎麦庵へ

 

 

◆窓下集- 11月号同人作品 - 中川 純一 選

夏休となりのトトロ抱つこして
山田まや

向き変り須磨の風来る風知草
前田星子

校長も家族を連れて踊の輪
島野紀子

蓋とれば細工物めく鱧尽し
小野雅子

目の合ひし蜥蜴と我の時止まる
吉田泰子

丸に金金毘羅さんの渋団扇
西山よしかず

島焼酎今宵は踊り明かさむと
下島瑠璃

老ひの背を伸ばせ伸ばせと雲の峰
村地八千穂

水引草風をなぞつてをりにけり
山本智恵

草叢の水引草は母の花
政木妙子

 

 

◆知音集- 11月号雑詠作品 - 西村和子 選

清張の男と女戻り梅雨
井出野浩貴

幾たびも五山の廻る盆燈籠
米澤響子

血脈の絶えて凌霄咲き続く
牧田ひとみ

雑踏に交じりて涼し京ことば
中津麻美

糸蜻蛉水面の影はさだかなり
吉田林檎

緑陰の一卓をわが城として
山田まや

祇園囃沸き立ち鉾の揺れに揺れ
佐貫亜美

桑の実やジャズのもれ来る蔵座敷
影山十二香

手真似して踊の輪には入らざる
成田守隆

さぼつちやえさぼつちまえと蟬の声
松枝真理子

 

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -西村和子

週末に辿りつきけり夜の秋
井出野浩貴

働き盛りの作者であることが一読してわかる。暑い最中も一週間汗をかきかき働いてきた。やっと週末になったという思いが「辿りつきけり」に現れている。「夜の秋」という季語は、立秋前に秋の気配を感じる夜の季節感を表すものだが、ここに安堵の気持ちを読み取ることができる。
現役で働いている人々、子育てに振り回されている人々には、こうした人生の夏の作品を大いに詠んでもらいたい。人生の今しかできない句を意識して作ってほしい。

 


向日葵を好みて笑顔至上主義
中津麻美

「笑顔至上主義」とは耳慣れない言葉だが、この句を読んであかんぼうの唯一の武器は笑顔である、ということを思い出した。悪人が危害を与えようとしても、無垢な笑顔に出会うと手を出せなくなるということは真実だ。どんな時も誰に対しても笑顔に勝るものはないと信じて生きている人をこう表現したのだろう。
向日葵という季語はつき過ぎのように思われるが、ではどの季語に語らせようかと考えても、これしか浮かんで来ない。その意味では多くを語っているのだ。

 

滝見茶屋客も主も耳遠く
影山十二香

滝見茶屋は滝の間近にあるので、ただでさえ人声は奪われやすい。その上、客も主も耳が遠いというのだから、どんな情景か想像するだにおかしい。しかしこうした場所でやりとりする言葉はだいたい決まっているのだから、聞き取りがたくても話は通じてしまうのだろう。本人たちは大まじめでも、傍から見ていると喜劇になる。そのいい例。