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◆特選句 西村 和子 選

ハンカチをぱんと叩いて明日へ干す
小山良枝

【講評】「ぱんと叩いて」ですから、縁をレースで飾ったおしゃれ用のものではないでしょう。一日の 汗を吸ったハンカチではあるまいかと想像されます。「ハンカチ」と「ぱんと」で韻を踏みリズムよ く詠まれています。「明日へ干す」に生活の手応えがあります。「明日へ」の「へ」は<運動会午後へ 白線引き直す>(西村和子)の「へ」と同じ使い方です。このように、助詞の使い方を名句から学び たいものです(井出野浩貴)

 

少年の静脈透けて衣更
小野雅子

【講評】中学生でしょうか。季語から白の半袖ワイシャツから出る細い腕が想像されます。この年頃 には、同世代の少女よりも華奢で繊細な少年がいるものです。幼虫が蛹を経て成虫となるように、十 年後にはまったく違う青年となっているかもしれません。そこにもののあわれがあります。現代では、「衣更」よりも「更衣」の表記のほうが一般的でしょう。(井出野浩貴)

 

裸ん坊羽交ひ締めして爪を切る
鏡味味千代
【講評】 臨場感のある句です。親の覚悟のようなものを感じます。「羽交ひ締め」という言葉に一瞬ぎょっとし ますが、怪我をさせないように利かん坊の爪を切るのは、たいへんなことでしょう。いま「利かん 坊」という言葉を使いましたが、この句は「裸の子」ではなく「裸ん坊」という少し突き放した言葉 を使った点が効果的です。押しつけがましくなく愛情がにじみ出ています。(井出野浩貴)

 

野遊びや俳句初心者引き連れて
山内雪

【講評】「野遊び」という、世の中から距離を置いたゆったりした季語が生きています。「俳句初心 者」が初々しい気持で草花や野鳥の名を覚え、句帳に認めている様子が見えてきます。「引き連れて」 ですから、作者はこのグループのリーダーなのでしょう。リーダーだからといって肩肘張ることなく、 この句のように自然体で詠みづづけるとよいでしょう。(井出野浩貴)

 

風薫る音楽室に忘れ物
山田紳介
【講評】音楽室はたいてい校舎の最上階の奥にあり、見晴しがよいものです。忘れ物は筆箱かリコー ダーか。すぐに取りに来ないところを見ると、貴重品ではないのでしょう。その忘れ物も、窓から 入ってくる薫風に吹かれています。この句はたいしたことを言おうとしていないのですが、季語と物と が響きあって、ひとつの世界を作っています。だいたいにおいて、俳句ではたいしたことを言おうとし ないほうがよいようです。(井出野浩貴)

 

 

◆入選句 西村 和子 選

( )内は原句
紫陽花の埋め尽くさんと遊女の碑
箱守田鶴

自らの花粉に汚れ百合の花
小山良枝

一段と色濃く掲げ山桜
深澤範子

青嵐メタセコイアの毛振りかな
黒木康仁

母の日の母の願ひのたわいなく
山田紳介

姫女苑ほめられもせず咲きにけり
緒方恵美

本に身の入らぬ卯の花腐しかな
小山良枝

本棚の隅に聖書や月朧
飯田 静

ガレージを無断借用水鉄砲
島野紀子

礼状に御の字いくつ柿の花
緒方恵美

京ことば新茶ゆるゆる注ぎ分けて
小野雅子

さざなみのひろがるやうに貌佳草
小山良枝

魂の話などして粽解く
奥田眞二

オーデコロン犬にそつぽを向かれをり
小野雅子

麦秋の中へ単線消えゆけり
松井洋子

墨の香の心地良きかな朧の夜
飯田 静

風薫る父の癖字のなつかしき
山田紳介

スケボーの子ら飛び上がる蝶の昼
中村道子

その影も群を曳きゆく目高かな
森山栄子

はつなつの碧を深めて潮満つ
松井洋子

入学式まづ讃美歌を歌ひけり
鏡味味千代

この辻はいつも風ある夏柳
緒方恵美

かはほりや空に余光の熱りなほ
小野雅子

ソーダ水飲むたび顔をしかめたり
鏡味味千代

夕闇のもの言ひたげな額の花
小山良枝

ひととせの早きを嘆じ新茶汲む
奥田眞二

この森の王の如くに黒揚羽
山田紳介

飛びさうな蒲公英の絮チャイム鳴る
中村道子

飲み干して最後の甘きレモン水
長坂宏実

山鳩のこゑひとしきり余花の谷
緒方恵美

子らに声掛けて串打つ初鰹
松井洋子

老鶯や朝の水面の乱反射
小山良枝

乗客の眼鏡曇らす梅雨湿り
(乗客みな眼鏡曇らす梅雨湿り)
長坂宏実
字余りにしてまで「みな」を言う必要があるかどうか。眼鏡をかけていない乗客もいるはず。

素手濡らしつつ紫陽花を剪りにけり
(紫陽花を剪る素手を濡らしつつ)
箱守田鶴
原句は五五五の字足らずです。できた句は一度声に出して読んでみましょう。 リズムがおかしいときはすぐにわかります。

老桜芭蕉句碑ある豆腐店
(老桜芭蕉碑のある豆腐店)
千明朋代
「芭蕉碑」はいささか無理な省略です。

疫病を知らぬごとくに耕せり
(疫病を知らぬかのごと耕せり)
山内 雪
声に出して読めば、どちらが調べがよいかわかります。

気の早き蛙鳴き初む日照雨かな
(気の早き蛙鳴き初む日照雨して)
松井洋子
虚子の<遠山に日の当りたる枯野かな>の型です。「15音の名詞節+かな」と いう型を活用しましょう。なお、「鳴き初むる」と連体形にすべきところです が、音数を重視して終止形「鳴き初む」で代用しています。

祭笛聞こえず風の音ばかり
(祭り笛聞こえず風の音ばかり)
箱守田鶴

祭果つ待つてゐたかに父逝きぬ
(祭り果つ待つてゐたかに父逝きぬ)
千明朋代
送り仮名の問題です。「神田祭り」「葵祭り」ならば、ちょっとおかしいなと 感じますね。

児の熱を払はむ団扇ゆるゆると
(児の熱を払ふ団扇のゆるゆると)
箱守田鶴
「払はむ」と意志の「む」を入れることによって、親の願いが伝わります。

草の棘木の棘怖し夏はじめ
(草の棘木の棘怖や夏はじめ)
三好康夫
終止形「怖し」で切れますから、無理に「や」を使う必要はありません。

夏立つやいささか重き旅衣
(夏立つやいささか重し旅衣)
辻 敦丸
立つや/いささか重き旅衣」と上五で一度切ります。終止形「重し」のまま だと、「夏立つや/いささか重し/旅衣」と三段切れになってしまいます。

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■山内雪 選
魂の話などして粽解く       眞二
麦の秋ショッピングモール囲ひけり  洋子
信号のあふれ渋谷の薄暑かな    良枝
その影も群を曳きゆく目高かな   栄子
☆老桜芭蕉句碑ある豆腐店     朋代
芭蕉碑のある豆腐店に一気に引き込まれた。老桜が句を包み込んでいると思う。

■鏡味味千代 選
自らの花粉に汚れ百合の花     良枝
江戸風鈴造りて佐竹通りなる    田鶴
寝転べば空の降りくる清和かな   栄子
この辻はいつも風ある夏柳     恵美
☆麦秋や一人高ぶる心の音     康夫
昔の思い出か、いつけ読んだ物語の風景か。金色になった麦の風景に、何かを思い出して心を熱くする。
私は特に麦の畑には縁遠く、麦畑はなんだか西洋の風景のように思えて、この句に共鳴した。

■三好康夫 選
落つる日のひと時座する植田かな  敦丸
紫陽花の埋め尽くさんと遊女の碑  田鶴
ソーダ水飲むたび顔をしかめたり  味千代
陽炎の坂帰らねば帰らねば     栄子
☆茶畑の畝ふかぶかと暮れゆけり  栄子
かたじけなさに涙こぼるる。

■小野雅子 選
母の日の母の願ひのたわいなく   伸介
母の日の母正論を吐きにけり    伸介
自らの花粉に汚れ百合の花     良枝
小でまりに花びらほどの虫とまる  道子
☆茶畑の畝ふかぶかと暮れゆけり  栄子
茶畑は整然と刈りこまれ、畝の間は人ひとり通れる程の幅しかない。暮れかかると、まず畝が黒々と沈んでゆく。景が見えてきます。

■小山良枝 選
茶畑の畝ふかぶかと暮れゆけり   栄子
校章の臙脂きはだち更衣      洋子
礼状に御の字いくつ柿の花     恵美
山鳩のこゑひとしきり余花の谷   恵美
☆風薫る音楽室に忘れ物      伸介
学生時代の一場面を思い出しているのでしょうか。音楽室に忘れものを取りに戻ったところ、皆の歌声やピアノの音の余韻が残っていたのかもしれません。爽やかな風が感じられる作品でした。

■奥田眞二 選
荒れ果てし庭の片隅松の芯     静
京ことば新茶ゆるゆる注ぎ分けて  雅子
柿若葉口とがらせて文句言ひ    一枝
ふらここや姉より妹高く振れ    範子
☆朝な朝な花と戯れ夏に入る    静
手塩にかけて育てられているさまを、戯れとは素敵です。
疎ましいこと多き昨今ほのぼのとした気持ちを頂きました。

■中村道子 選
裸ん坊羽交ひ締めして爪を切る   味千代
児の熱を払はむ団扇ゆるゆると   田鶴
その影も群を曳きゆく目高かな   栄子
山鳩のこゑひとしきり余花の谷   恵美
☆落つる日のひと時座する植田かな  敦丸
まだ植えて間もない細い苗が並ぶ田。水面に斜めに映る夕日の色と静寂。情景が目に見えるようです。
「ひと時座する」の表現が気に入りました。その田植えをした方ならば、安堵の思いを抱いて眺めているのかも知れません。

■山田紳介 選
魂の話などして粽解く       眞二
芍薬の危きほどにゆるびけり    良枝
その影も群を曳きゆく目高かな   栄子
かはほりや空に余光の熱りなほ   雅子
☆この辻はいつも風ある夏柳    恵美
さらに堀があり、白壁があり、そしてそこに行けば懐かしい人達に会えそうな気がする。私は倉敷のとある辻のことを思い出してしまった。  

■辻 敦丸 選
小でまりに花びらほどの虫とまる  道子
茶畑の畝ふかぶかと暮れゆけり   栄子
一瞥が縁の始まり金魚玉      康夫
この辻はいつも風ある夏柳     恵美
☆芍薬の危きほどにゆるびけり   良枝
見事に開いた芍薬、落ちる時は潔い。その寸前を詠んでいる。

■黒木康仁 選
革命のエチュード街は青嵐     雅子
かはほりや空に余光の熱りなほ   雅子
この森の王の如くに黒揚羽     伸介
子らに声掛けて串打つ初鰹     洋子
☆麦秋の中へ単線消えゆけり    洋子
麦畑の中ローカル線の単線がどこまでも一直線に… 

■森山栄子 選
落つる日のひと時座する植田かな  敦丸
小橋古り袂最も緑濃し       すみ江
ソーダ水飲むたび顔をしかめたり  味千代
飛びさうな蒲公英の絮チャイム鳴る  道子
☆魂の話などして粽解く      眞二
粽解くという季語の斡旋に惹かれた。
転生という言葉が脳裏に浮かんだが、詠みぶりが飄々としているのも魅力。

■松井洋子 選
母の日の母の願ひのたわいなく   伸介
スケボーの子ら飛び上がる蝶の昼  道子
入学式まづ讃美歌を歌ひけり    味千代
忘れゐし出会ひと別れ余花の雨   一枝
☆この辻はいつも風ある夏柳    恵美
 一読して爽やかな初夏の風が感じられた。美しい葉柳も眩しいばかりである。

■箱守田鶴 選
母の日の花束笑顔の配達員     雅子
かはほりや空に余光の熱り顔    雅子
B29飛行機雲や麦の秋        眞二
囀りや鞍掛山の大合唱       範子
☆入学式まず讃美歌を歌ひけり   味千代
中学高校一貫のミッションスクール、希望して入学を果たしたとはいえ、入学式に讃美歌をまず歌うのにびっくりしている様子がうかがえる。これから新しい体験を沢山することだろう。       

■藤江 すみ江 選
墨の香の心地良きかな朧の夜    静  
信号のあふれ渋谷の薄暑かな    良枝  
この辻はいつも風ある夏柳     恵美  
この森の王の如くに黒揚羽     伸介  
☆茶畑の畝ふかぶかと暮れゆけり  栄子
夕暮に続く茶畑の景色が ありありと浮かんできて好きな句です。

■チボーしづ香 選
夏の虫網戸の穴をすり抜けて    宏実  
祭笛聞こえず風の音ばかり     田鶴  
風薫る音楽室に忘れ物       伸介  
よちよちの吹き飛ばされし夏帽子  すみ江  
☆落つる日のひと時座する植田かな  敦丸
庭仕事が好きで没頭している間にふと気づくと日が落ち始め一息つく一瞬に自然の壮大さや美しさに心身共に包み込まれる。そんな感じが出ている。

■緒方恵美 選
落つる日のひと時座する植田かな  敦丸  
茶畑の畝ふかぶかと暮れゆけり   栄子  
芍薬の危きほどにゆるびけり    良枝  
かはほりや空に余光の熱りなほ   雅子  
☆小橋古り袂最も緑濃し      すみ江
平明でリズムの良い句である。「小橋古り」の措辞により、橋に覆い被さるような新緑の景が浮かぶ。
毎年見られる光景ではあるが、自然の尊さを改めて実感させられる。

■深澤範子 選
京ことば新茶ゆるゆる注ぎ分けて  雅子  
本棚の隅に聖書や月朧       静  
この森の王の如くに黒揚羽     伸介  
夫に子に小満の夜の静かなり    栄子  
☆寝ころべば空の降りくる清和かな  栄子
のどかな清和の様子が伝わってきました。

■島野紀子 選
紫陽花の埋め尽くさんと遊女の碑  田鶴  
ふらここや姉より妹高く振れ    範子  
箱庭の浜に貝殻増えゆけり     良枝  
本に身の入らぬ卯の花腐しかな   良枝  
☆信号のあふれ渋谷の薄暑かな   良枝
夏の暑さと、重なり合う信号の暑苦しさ。
それも町の賑わい・熱気とした気持ちが季語に生かされている。

■長谷川一枝 選
母の日の花束笑顔の配達員     雅子
紫陽花の埋め尽くさんと遊女の碑  田鶴
山門へ新種をならべ牡丹寺     洋子
風薫る音楽室に忘れ物       伸介
☆この森の王の如くに黒揚羽    伸介

日盛りでも薄暗き森の中をゆうゆうと過ぎる大きな蝶を思い浮かべました。

■長坂 宏実 選
スプリンクラー箱庭ほどの虹架かり  味千代  
ごめんねと言ひつつ今日も冷奴   雅子  
おのがこと鯉と思ひゐる金魚    田鶴  
子らに声掛けて串打つ初鰹     洋子  
☆信号のあふれ渋谷の薄暑かな   良枝
車や人が多い渋谷の様子が浮かんできます。信号を待つときの人混みの中の暑さを思い出しました。

■飯田静 選
スプリンクラー箱庭ほどの虹架かり  味千代
ごめんねと言ひつつ今日も冷奴   雅子
おのがこと鯉と思ひゐる金魚    田鶴
子らに声掛けて串打つ初鰹     洋子
☆信号のあふれ渋谷の薄暑かな   良枝
車や人が多い渋谷の様子が浮かんできます。信号を待つときの人混みの中の暑さを思い出しました。

 

◆今月のワンポイント

「ひとつまみのスパイスを」

たとえば、
<春宵の夫婦たまには手をつなぎ>
という句があるとします。それは結構なのですが、 作品としては善人すぎてあまりおもしろくないようです。
<春宵の夫の莨を盗み吸ふ>(西村和子)
と 比べてみてください。
今回の特選句
<裸ん坊羽交ひ締めして爪を切る>
に注目しました。「羽交ひ締め」などという、すわ虐待かと誤解されそうな表現が、親の必死な形相を想像させ、巧まざるユーモアを生んでいます。か わいい、かわいいとは言っていないのに、愛情が伝わってきます。
(井出野浩貴)


加藤 爽 句集
『白鳥』
2020/3/25刊行
角川文化振興財団

◆第一句集
序:西村和子
装丁:大武尚貴

生きるべき土地と
愛しい家族への深い思いーー。
詩的情念はときに熱き血のごとくほとばしる。
(帯・行方克巳)

◆行方克巳選 十二句抄
風止めば雪道のほの温きかな
製材所うなり入道雲光る
村眠る羽二重餅のやうな雪
地吹雪の明るく何も見えない日
みかん箱ほどに切り分け雪下ろす
ががんぼの己追い詰めゐるばかり
大氷柱象牙のやうに反りたがる
少し血を分けてください曼珠沙華
カルメンと名付けし薔薇を放任す
別れとは永久に待つこと二つ星
言へぬこと言はぬこと増え日記買ふ
どろんこの靴散らばつて春近し

ダービー  行方克巳

見極めて新茶の緑すすりけり

ゆゆしげに古びたるなり古茶の壺

青芝の青のかぎりを返し馬

青芝の起伏耀ひファンファーレ

ダービーの穀象に鞭打つごとく

ダービーのスローモーションより抜け出す

ダービーに騎乗の昔吶々と

ダービーの夜の負犬になってゐる

 

金魚鉢  西村和子

走り茶の色佳し選句捗りし

注ぎ分けて新茶の滴仏にも

散り浮きてよりえごの木と気づきたり

人通り旧に復さず若葉冷

花了へし藤棚鬱をかたどれり

金魚雅び緊急事態など知らず

忘れられ時々愛され夜の金魚

飼ひ殺しとは罪深し金魚鉢

 

◆窓下集- 7月号同人作品 - 西村 和子 選

春マスク同士一瞥かはすのみ
中川純一

淋しさはうりざね顔の官女雛
井出野浩貴

校門のまだ開いてゐる夕桜
島田藤江

春の鴨どれも一癖ありさうな
井内俊二

砂の塔砂場に残り春の夕
植田とよき

男らは腰まで浸かり浅蜊採る
大橋有美子

春の雪夢二の墓の肩丸し
影山十二香

手秤の重み十全秋茄子
栗林圭魚

交番のここより銀座春の風
國司正夫

何もかも干してあるなり団地春
𠮷田林檎

 

◆知音集- 7月号雑詠作品 - 行方 克巳 選

氷解く国家瓦解の音を立て
田村明日香

芽起こしの風届かざる棺かな
志磨 泉

ふるさとに顔突き合はせ春炬燵
植田とよき

チューリップ赤いワンピースは嫌ひ
相場恵理子

目を一寸合はせそれきり卒業す
國領麻美

豆の花あなどりがたくあでやかに
中川純一

校舎より洩るるオルガンヒヤシンス
井川伸造

夜桜やこの世あの夜の裏返し
原田章代

パグ犬の鼻のちんくしや桜咲く
津田ひびき

節くれし手より楤の芽五つ六つ
染谷紀子

 

◆紅茶の後で- 知音集選後評 -行方 克巳

医学書に未完の頁フリージア
田村明日香

どのような分野の医学書か分らぬが、その最終章ははっきりと結論付けず、後考を俟つ形で終わっているというのである。
自然科学の歴史には、それまで揺るがし難い真理とされていた事象がいとも簡単に覆されてしまうということがままある。医学なども日進月歩である現在、そういうことも多かろうと思う。この句は、今世界に様々な影響を及ぼしているウイルス禍から発想された句であろう。その事を心に留めて読むと、一句の心は通じ易いが、そういう事実と切り離してみても理解できる作である。フリージアという季語が、重過ぎずに軽過ぎないペーパーウェイトのように働いている。
ところで、最近の投句の中で最も多いのは新型ウイルスに関する句である。俳人とて社会一般と人々と何ら変わるところはあり得ないので、コロナ禍は最も気に掛かることであるのは間違いない。しかし、それが即俳句になるかというと問題である。私は常日頃、「何を詠まなけばならないのか」ではなく、「何をどう詠めばいいのか」であると言い続けてきた。当面する疫病も、どう詠むか、大いに工夫を必要とするテーマなのである。

春水の溢るるやうに父逝きぬ
志磨 泉

天寿を全うする、ということが言われる。作者の父君もそうであったのだろう。それが「春水の溢るるやうに」という美しい表現になった。遺された者にとって死は辛いものである。敏郎先生の長男、星野直彦さんは三十五歳でこの世を去った。慶応中等部での私の同僚であった。私の愛する古今亭志ん生の息子志ん朝は、まさにこれから脂が乗り、志ん生の芸風に拮抗してゆくだろうという時に病魔が襲った。中村勘三郎の芸は名人に近付きつつあった。彼は、踊りも芝居も「ウマすぎる」という苦言すらあった程だ。〈花道といふ道半ば冬の月 克巳〉。私も父母や祖父母の死を見送ってきた。「春水の溢るるやうに」とは本当に心が浄化される思いである。

古物商けふは居るらし春の雨
植田とよき

いつ覗いても留守の日が多いのだけど、今日はめずらしく居るらしい。店の奥に灯が点っている。そこに座っている主人公の人となりが、これだけで何となく理解できる。俳句の魅力の一つ。