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2021年10月のネット句会の結果を公開しました。

◆特選句 西村 和子 選

尾を立てて犬も潜れる茅の輪かな
松井洋子
【講評】ご主人と一緒について茅の輪くぐりのワンちゃん。嬉しくて尾が立っている。周りの皆が笑ってみている、そんな光景。(中川純一)

 

灯して過ごす一日秋黴雨
飯田 静
【講評】秋という言葉の印象は、秋晴れの高い空、澄んだ空気。でも今年は長雨の秋であった。その上、新型コロナウィルスの流行で外出できず、家にいる時間が長い。薄暗い中でずっと本を読むと目に悪い、そう親から言われたのは今でも気になる。でもそんな日が毎日続いて慣れてしまったような穏やかな響きがこの句にはある。(中川純一)

 

鳳梨切るその細腕の勇ましき
長坂宏実
【講評】鳳梨はほうり、普通そうは言わず、パイナップルのこと。皮がとても固い。実は私も毎日ヨーグルトと一緒にパイナップルを食べている。切り身になったのを買うのではなくて、丸ごと一つ買ってきて自分でさばいている。かぼちゃほどではないけれど、難しいのは皮をどのくらいの厚さに切るかということ。薄いと、茶色い縁が残るが切りすぎるともったいない。芯をどのくらい切り捨てるかも同様に大切。大ざっぱに縦に4つ切込みをいれるのが、まあスリルのあるところである。それをなんなくこなすエレガントな女性。見ている方が怖い、ということ。私が見ていると口を出して嫌がられそうに思える。(中川純一)

 

無邪気とも無神経ともカンナの黄
梅田実代
【講評】カンナの黄色。あけらかんと明るい。翳りというものが感じられない。第一印象は無邪気。でもなんだか無神経な気もしてきた。作者の脳裏に何をいっても動じないような人の顔が一瞬浮かび上がったのかも。(中川純一)

 

地蔵盆知らぬ子一人混じりをり
小山良枝
【講評】村の子は皆小さいころからお爺ちゃんに連れられて地蔵盆に来ていた。そこへ都会から来た子が今年は混じっていて、いちいち目を見張っている。でも周りの子供は、これはこういう意味なんだとか、色々教えてやっている様子が見える。(中川純一)

 

落蟬のいまだ眼光失はず
松井洋子
【講評】これを書いている机の上のパソコンの横にも、拾ってきた落蟬がいる。それは仰向けで足を閉じて死んでいるのではなくて、生きたままのような形でいたので、興味を持ったのだ。そう、眼光を失っていない。(中川純一)

 

そこここに団扇残され考の書庫
松井洋子
【講評】 浅学にして「考の書庫」というのがどういう意味なのかわからないと、ずいぶん悩みました。でもある方が、それは「かう」と読んで、「亡き父」という意味の言葉なのだと親切に教えてくださいました。そうすると、とてもよくわかります。つまりお父様は生前本が好きなインテリで、書庫に沢山の立派な本が残されている。しかも、ところどころに団扇が残されている。冷房などない時代だから、読みたい本があるとそこで座って団扇で仰ぎながら読んでいて、終わるとそのまま団扇を置いて書庫を出たお父様だったのでしょう。夢中で読んでいたということもわかる。とても懐かしい、そしてお父様のお人柄と時代背景が、まるで日本映画のように彷彿とされるのでした。聞き慣れない言葉ですが、この場合はお父様の人柄を言い表しているのでしょう。この場合はぴったりですが、あまり一般的でない言葉は注意して使うべきだとは思います。(中川純一)

 

名人は短く速く捕虫網
矢澤真徳
【講評】虫取りに慣れている人は、無駄に網を振り回したりせず、最短距離、つまり最短時間で狙った昆虫をとらえる。それも獲物には傷をつけないように。「昆虫すごいぜ」の香川照之のみならず、子供でも練達の子はそういう動作をする。(中川純一)

 

秋の初風乗りこなし一輪車
牛島あき
【講評】「あきのはつかぜ」という7文字が上に来ている。そのあとは5+5という構成になっている。そのリズムの危なっかしさで一輪車を表現しようという野心的な試みと見えます。きっと乗っているのは子供か若い女性なのでしょう。筋肉男子とは思えません。この句会にはなかなかの冒険句があります。(中川純一)

 

マジックで爪を塗りをり夏休
梅田実代
【講評】小さな女の子。夏休みでお母さんの真似をして、マニキュアごっこの時間。マジックインクを使うところが子供。だが、洗い落とすのは大変でお母さんの仕事になってしまう。けれども、成長を嬉しそうに見ている若いお母さんである。(中川純一)

 

真夜中のサイレン遠き秋出水
小野雅子
【講評】今年は、というよりも最近数年間、気象庁の予想をはるかに越える大雨が発生して、被害がでている。真夜中のサイレン。真っ暗なのにどうやって避難するのであろうか。ただ、その音は幸い、かなり遠い。しかし相手は洪水である。不安な夜。(中川純一)

 

 

◆入選句 西村 和子 選
( )内は原句

おほかたの家事を済ませて月涼し
飯田 静
きっとよい奥様なのだろう。次から次に何かの家事があって片づけないとならない。まあ、今日のところはここまで、として差支えないという時刻になってお月さまがきれいな夜空を見上げる。

バスの中通り抜けゆく秋の風
髙野新芽
バスは新型コロナウィルスの流行で、窓を開けていることが多い。冷房とは違う自然な秋風が通ってくるのは気持ちがよい。

銀輪の駆け抜けたるや蟬しぐれ
岡崎昭彦

豪雨去り庭にさやかな虫の声
小野雅子

秋の夜の酔客の歌もの悲し
(秋の夜酔客の歌物悲し)
 鏡味味千代
悲恋の歌であろうか。酔って歌っているというのは、決して沈み込んでいるお客さんではない。けれども歌っているのは、何やらわびしい歌。加山雄三みたいな歌ではない。石川さゆりあたりか

秋暑し三分間を待ち切れず
山田紳介
即席ラーメンではなかろう。何かの検査キットであろうか。

終電の遠ざかりゆく夜の秋
(終電の遠ざかるなり夜の秋)
森山栄子

梨を剥く住めば都と思ひつつ
(住めば都と思ひつつ梨を剥く)
木邑 杏
梨が旨い地方に移り住んだ作者なのだろう。知音集でお名前を探すと東京在住のようだが。ということは忙しなくて人の住む所ではないとは思えないような東京暮らしだけれども、日本中の食べ物が集まっているのも事実ということか。私の家族の一人は、わざわざ網走から魚を取り寄せても、東京で売っている魚が一番新鮮で旨いといって歯牙にかけない。

杉の根の香りもろとも岩清水
森山栄子
旨そうな水である。私は北海道に住んだので、河や山の水を飲まない方がよいと叩きこまれているけれど、なんといっても本来清水は長い地層を通るうちにろ過されていて、きれいな上に、ミネラルもあるし、それに森の香まであるのが自然で極上。ちなみに網走の水道の水はとても旨い。その源泉を見学したけれど、それこそ山清水であった。

青空の膜剥がれたる今朝の秋
田中優美子
青空の膜が剥がれる、とは、大胆な表現。心の膜もはがれたような気がしたのであろう。

台風の近づく街の雲速し
穐吉洋子

浜晩夏足裏の砂さらはるる
(浜晩夏足裏の砂のさらはるる)
箱守田鶴

葉脈に茎に血の筋槍鶏頭
三好康夫
槍鶏頭の花というのは鶏冠のような形ではなくて槍の穂先のような形。種類が沢山あるようだが、ものによっては茎も真っ赤、そして葉の葉脈は毒々しいまでに真っ赤に走っている。それを血の筋と言ったわけであるが、まさにその通りの種類の槍鶏頭がある。

螺旋階段にて秋風とすれ違ふ
長谷川一枝
言うまでもないけれど、避難階段のらせんではなかろう。由緒正しい屋敷だろうか。秋風とすれ違うというのは、そこを歩いた貴族とすれ違っている気分を感じさせる。そう取りたい私なのでした。

キッチンの床軋みをる残暑かな
小野雅子

チョコレートぱきんと割りて涼新た
田中優美子

姥捨の眼下に諏訪湖水の秋
木邑 杏

空蟬の風にからころ石畳
中山亮成

山麓の風のまにまに青芒
鈴木紫峰人

舌垂るる犬と目の合ふ残暑かな
(舌垂るる犬と目合はす残暑かな)
奥田眞二

犬は気孔がないからいつもはあはあしている。それでも暑いと涎をたらして哀れである。そんな犬がこちらを見上げた時に目が合った。添削された形のほうが無意識なしぐさがかえって生生しい

猪肉を買ひどら焼きも持たさるる
梅田実代

朝霧に触れて曇れる庭鋏
矢澤真徳
早起きして庭木の手入れか、はたまた何かの秋の花枝を切っているのか。鋏自体も外にあったので冷たくなっていて曇りやすいような季節感。

判定はアウト秋暑の土煙
牛島あき
夏の甲子園とは言うけれど、暦の上で秋となっても野球試合は行われている。果敢な滑り込みだがアウトと審判の拳が伸ばされた。

木々よりも草に鳴くもの増えて秋
緒方恵美
この句を頭に近所を歩いてみると、実は木の上で鳴く虫のなんと多いことか、気づかされた。

オルゴールの中に仕舞へり鍬形虫
(オルゴールの箱に仕舞へり鍬形虫)
宮内百花
子供にとって、クワガタムシは宝物。オルゴールの箱といっても音を出す部分と何かを容れる部分が分かれている高級オルゴールである。クワガタが眠る箱から、どんな音楽が流れるのであろうか?想像すると楽しい。

夏の月ゆつくり出でて遠野郷
深澤範子

カフェの椅子避暑の腕を軽く乗せ
森山栄子

かき氷爆心地より戻り来て
宮内百花
重い。爆弾が落ちたというのは、原爆のことだとすぐに想像できる。

強情を隠しおほせし単帯
(強情を隠しおほして単帯)
森山栄子

手ぬぐひに堂々と紋秋祭
(手ぬぐひに紋の堂々秋祭)
鏡味味千代

終戦日父の戦死も知らぬまま
中村道子

存分に鳴いて身の透く法師蝉
緒方恵美

釣り人は何を見つむる秋の波
(釣り人は何見つむるか秋の波)
髙野新芽

側溝の水音高く今朝の秋
長谷川一枝

無言館出れば現し世蝉時雨
(無言館出れば現し身蝉時雨)
黒木康仁

ぐんぐんと海から丘へ野分雲
鎌田由布子

レース終へ涙まじりの汗ぬぐふ
長谷川一枝
フィールドで走る競技であろう。色々あるけれど、足で走る本来の競走のかんじ。

雨音のだんだん勝り秋風鈴
小山良枝

夏の川吾子はざぶざぶ先を行く
(夏の川ざぶざぶ先を行きし吾子)
宮内百花

花火果つはらからいつかたれか欠け
(花火果つ親族のいつかたれか欠け)
千明朋代

寄る波の音やはらかに今朝の秋
緒方恵美
地味だが、気持ちは抵抗なく伝わる。

熱々のはうじ茶一杯秋深し
(秋深むほうじ茶を一杯熱々を)
木邑 杏

青きまま枝に朽ちたるトマトかな
チボーしづ香
そういうこともあるのか。若死にした人を思わせる。自然界であれば、人間以外のものは、大人になって子孫を残せる割合はむしろ少ない。一部植物のほうがその割合は多いけれど、天候不順を避けるすべはない。

地祭の祝詞の声の涼しけれ
藤江すみ江

朝顔の蕾より濃く咲きにけり
田中優美子

秋黴雨赴任地へ父送り出し
飯田 静

夏草やビデオショップのありし場所
長坂宏実

金糸草長々伏せる雨の日々
小松有為子

いにしへの祭祀めきたり大文字
(古への祭祀めきたる大文字)
荒木百合子

刻まれし父の戦歴墓洗ふ
中村道子
軍隊では位の高い人であったのか、あるいは色々な地で戦われたのか。記憶のお父様は物静かであったのか。いろいろ想像が膨らむ。

手作りの句集仕上がり夏の月
千明朋代
それはよかったです。私もあるグループでは表紙版画をいちいち刷ったりして作っています。

秋風に紙垂ひらひらと地鎮祭
藤江すみ江

秋霖の中やドクターヘリ待機
小野雅子

手花火の子らも交じりて魂迎
森山栄子
家族で集まっている。子供たちは退屈してしまうので、線香花火を与えるとよろこんでいる。昔からの風景。

初秋や艇庫久しく開かぬまま
松井洋子

水羊羹正座苦手な男の子
深澤範子

天の川乳飲み子の息確かむる
宮内百花

入つてはならぬ部屋あり夏館
山田紳介
よほど大きな格式高い館なのであろう。

半日を失せ物捜し汗しとど
長谷川一枝

風鈴の鳴らず揺れをり夕浅間
矢澤真徳

夕蟬のジジとつぶやく庫裡の窓
辻 敦丸

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■小山良枝 選

チョコレートぱきんと割りて涼新た 優美子
手も爪も父に似通ひ鳳仙花 栄子
ピタゴラスイッチに鍬形虫のよく動く 清子
野分だつ風に混じりぬバジルの香
☆無邪気とも無神経ともカンナの黄 実代
無邪気も一つ間違えれば無神経と取られかねません。明るいけれど、見方によっては毒々しいカンナの黄色との取り合わせが鮮やかでした。

 

■飯田 静 選

銀輪の駆け抜けたるや蝉しぐれ 昭彦
前略と置きて思案やつくつくし 眞二
無言館出れば現し世蟬時雨 康仁
水羊羹正座苦手な男の子 深澤範子
☆手花火の子らも交じりて魂迎 栄子
迎火に親子三代揃って賑やかに集っている景を浮かべました。

 

■鏡味味千代 選

無言館扉の先に夏の庭 康仁
前略と置きて思案やつくつくし 眞二
判定はアウト秋暑の土煙 あき
かき氷爆心地より戻り来て 百花
☆先頭の少年会釈精霊船 百花
夏だからでしょうか。生と死のコントラストの見える句を多く選んでしまいました。死者を送る精霊船の列の先頭にいるのは生に満ち溢れる少年。その少年がペコリと頭を下げた。動作を入れることで、より生が際立ち、生と死のコントラストも鮮やかに描かれます。列の先頭を務めるのは喪主であると聞きました。お辞儀をすることで、まだ少年であるのに、一家の代表としての振る舞いを身につけてきている様子も、句の背後のストーリーを感じさせます。

 

■千明朋代 選

名前なき夏の星にも願ひかけ 味千代
風鈴の短冊くるりくるくるり 味千代
雷除けお札三角衿に差し 田鶴
青空の呼吸に触るる秋の朝 優美子
☆この人の父母眠る墓拝む 依子
義理の関係の微妙なところを「この人」で言い当てて感心しました。

 

■辻 敦丸 選

釣り人は何を見つむる秋の波 新芽
八月の空を見てゐる観覧車 恵美
手作りの句集仕上がり夏の月 朋代
あの夏に残すものあり画学生 康仁
☆青きまま枝に朽ちたるトマトかな チボーしづ香
地球規模の自然災異でしょうか。昨日、此の3年葡萄の出来が思う様に出来ないと言ってきた。2か月前にカリフォルニアの友人が植物の成育が悪いと電話を掛けてきた。如何すべきか。

 

■三好康夫 選

一台は爺にあてがひ扇風機
夏の川吾子はざぶざぶ先を行く 百花
舌垂るる犬と目の合ふ残暑かな 眞二
長身の一歩一歩や登山靴 百合子
☆無言館出れば現し世蟬時雨 康仁
個性ある写生俳句です。

 

■森山栄子 選

倍々に増えて一丁新豆腐 あき
アイスコーヒー含みて立てる喪服かな 実代
木々よりも草に鳴くもの増えて秋 恵美
八月の空を見てゐる観覧車 恵美
☆雨音のだんだん勝り秋風鈴 良枝
秋風鈴の物悲しい音色に被さる雨音。次第に風鈴の音色は途切れがちになり存在感を失っていく。雨音、秋風鈴という二つの音を表現し、そこには静かな時間が流れていて、しみじみと感じ入りました。

 

■小野雅子 選

その事も秋の扇にたたみけり 恵美
尾を立てて犬も潜れる茅の輪かな 松井洋子
螺旋階段にて秋風とすれ違ふ 一枝
前略と置きて思案やつくつくし 眞二
☆地蔵盆知らぬ子一人混じりをり 良枝
夏休みの最後の楽しみは地蔵盆。お坊様のお説教は足が痛いが、それが終わればおやつや友達との遊びが待っている。みんな顔見知りのはずなのに知らない子がひとり。夏休み中に引っ越ししてきたのか、それとも…。あの世この世を超えて子供はみんな友達なのだ。

 

■長谷川一枝 選

おしやべりの途切るる間なし盆用意 松井洋子
そこここに団扇残され考の書庫 松井洋子
コスモスを引き起こし綱回しけり 康夫
前略と置きて思案やつくつくし 眞二
☆大門の鋲に西日の溜まりたる 百合子
中々沈まない夏季の西日、その様子を大門の鋲によく詠まれていると感心しました。

 

■藤江すみ江 選

門の鍵あけつぱなしや石榴の実 良枝
満天の星を肴にビール酌む
雨脚の闇に遠のき揚花火 チボーしづ香
身を反らし流るる川や鮎の簗 真徳
☆ほほづきや初めて鳴らせたるあの日 田鶴
遠い日の同じ体験を思い出しました。ほほづきを口に含み鳴らすに至るには、種を上手に取り除くという根気が必要。しかも鳴らすことも大変。難しかったことを懐かしく思い出す一句です。

 

■箱守田鶴 選

夏草やビデオショップのありし場所 宏実
かき氷爆心地より戻り来て 百花
青虫の食べ残したる葉も茹でて 紫峰人
バスの中通り抜けゆく秋の風 新芽
☆供花すべて鬼灯とせり七回忌 有為子
故人は鬼灯がよほどお好きだったのでしょう。鬼灯だけを供えて皆さんで偲んでいる様子がよくわかります。

 

■深澤範子 選

蜩や皿洗ふ窓にいつも来て 田鶴
朝顔の蕾より濃く咲きにけり 優美子
満天の星を肴にビール酌む
桔梗の莟へこます出来心 あき
☆落蝉のいまだ眼光失はず 松井洋子
情景がよく見えてきます。

 

■中村道子 選

八月の空を見てゐる観覧車 恵美
盆の月寝むづかる児を宥めつつ 有為子
豪雨去り庭にさやかな虫の声 雅子
地蔵盆知らぬ子一人混じりをり 良枝
☆レース終へ涙まじりの汗ぬぐふ 一枝
今年はオリンピックが開催されいつもよりたくさんの汗が流された。その汗とともに流れる涙には、たくさんの意味と感情が含まれているだろうことを想像します。

 

■山田紳介 選

刻まれし父の戦歴墓洗ふ 道子
アイスコーヒー含みて立てる喪服かな 実代
天の川乳飲み子の息確かむる 百花
覗きみて石榴に美しき奈落 良枝
☆梨を剥く住めば都と思ひつつ
こう言う諺を呟きたくなるのは、寧ろ新しい土地に馴染めないでいる時で、57の破調はその満たされない気分の故でしょうか。心の中の屈託とは無関係に、手先だけは目の前の作業に集中している。

 

■松井洋子 選

真夜中のサイレン遠き秋出水 雅子
カフェの椅子避暑の腕を軽く乗せ 栄子
広げたるおもちゃ二部屋秋暑し
語り部に三角座りの子らに汗 百花
☆箱眼鏡下唇は川の中 百花
子どもの姿だろう。川の中の世界に夢中になるあまり、唇まで浸かっていることに気づいていない。その様子を微笑ましくも頼もしく見ている親の気持ちまで読める。

 

■緒方恵美 選

手ぬぐひに堂々と紋秋祭 味千代
朝霧に触れて曇れる庭鋏 真徳
空蟬の風にからころ石畳 亮成
名前なき夏の星にも願ひかけ 味千代
☆飛び跳ねてみんな妖精秋夕焼 新芽
一般的には、秋夕焼は淡く、儚いものとされる。それを踏まえた上で、元気な子供たちを「妖精」と喩えた作者の感性で素晴らしい詩に昇華されている。

 

■田中優美子 選

夏痩せのあるじ癖毛の得手勝手 百合子
かき氷爆心地より戻り来て 百花
落蟬の片羽は青空を差し 実代
今生の縁に洗ふ墓のあり 依子
☆だれかれと告げたくなりし秋の虹 一枝
夏と違い、青空の勢いが少し衰えた頃の虹は、美しさとともにどこか寂しさも覚えます。独りでその儚い美しさと出会った作者の中にも、何かしらの寂寥があったのでしょうか。心象風景にはっとする句だと思いました。

 

■長坂宏実 選

寝るまでの自由な時間秋の雨
マニュキュアの剥げて疲れて秋の暮れ
友だちにすぐになりけり夏館 紳介
一台は爺にあてがひ扇風機
☆女子会と言ふ婆たちのあつぱつぱ
おばあちゃん達の楽しそうな様子が浮かんできます。「女子会」と「あっぱっぱ」の組合せにユーモアを感じました。

 

■チボーしづ香 選

舌垂るる犬と目の合ふ残暑かな 眞二
向日葵のブーケの届く誕生日 由布子
秋の夜の酔客の歌もの悲し 味千代
雲の峰虫取りの子ら隊を組み 味千代
☆風鈴の短冊くるりくるくるり 味千代
短冊がくるり揺れる状況を素直にすっきり表現されている。

 

■黒木康仁 選

前略と置きて思案やつくつくし 眞二
おしやべりの途切るる間なし盆用意 松井洋子
強情を隠しおほせし単帯 栄子
八月の空を見てゐる観覧車 恵美
☆朝採りのきうりがぶりと出勤す 深澤範子
「がぶり」に若さ、勢いが見えてきます。そして胡瓜の青臭さも伝わってきました。

 

■矢澤真徳 選

バスの中通り抜けゆく秋の風 新芽
覗きみて石榴に美しき奈落 良枝
大門の鋲に西日の溜まりたる 百合子
舌垂るる犬と目の合ふ残暑かな 眞二
☆アイスティーレノンの座りしベンチにて 朋代
どんなベンチだろう、なぜアイスティーなんだろう、想像を膨らませた先に居るのはレノンに思いを馳せる人である。想像の構造が二重にも三重にもなって面白い。レノンはどんな思いでそのベンチに座っていたのだろうか。

 

■奥田眞二 選

あの夏に残すものあり画学生 康仁
炎日や音取り戻す夕餉時 松井洋子
鳳梨切るその細腕の勇ましき 宏実
秋霖や礼状を書く手暗がり
☆判定はアウト秋暑の土煙 あき
甲子園の状況でしょう。判定はアウト、と切って読むと、土煙に一年間の練習の末の悲喜が読み取れます。

 

■中山亮成 選

チョコレートぱきんと割りて涼新た 優美子
雨音のだんだん勝り秋風鈴 良枝
姥捨の眼下に諏訪湖水の秋
冷たさの一撃眉間にアイスバー 田鶴
☆舌垂るる犬と目の合ふ残暑かな 眞二
散歩の折、同感いたします。

 

■髙野新芽 選

人柱星の手向けに眠らしめ 依子
今生の縁に洗ふ墓のあり 依子
青空の膜剥がれたる今朝の秋 優美子
言の葉を尽くすよりこの蟬時雨 優美子
☆一粒の青葉時雨や小さき庭 昭彦
青葉の上に拡がる小さな世界がとても可愛らしく、句から情景が浮かんできました。

 

■巫 依子 選

秋黴雨赴任地へ父送り出し
地蔵盆知らぬ子一人混じりをり 良枝
病床の仮の住まいや秋立ちぬ 穐吉洋子
盆の月寝むづかる児を宥めつつ 有為子
☆その事も秋の扇にたたみけり 恵美
どうやら世間には「言わずもがなのこと」というのがあるようですね。ただ「その事も」とのみ語り、それを「秋の扇」にたたむ・・・必要最小限の言葉の選択にして、なんとも意味深な感じが滲み出ています。

 

■佐藤清子 選

戦争を語る媼や夾竹桃 由布子
寄る波の音やはらかに今朝の秋 恵美
その事も秋の扇にたたみけり 恵美
とろとろの煮びたしの茄子益子鉢 敦丸
☆おほかたの家事を済ませて月涼し
「おほかたの」の使い方が好きです。さらさらと沢山の家事を片付けた後、月を眺めたのでしょう。とても品格のある句だと感じました。

 

■水田和代 選

山百合や眼下に里の開けきて 栄子
木々よりも草に鳴くもの増えて秋 恵美
いにしえの色と思へり百日草 朋代
判定はアウト秋暑の土煙 あき
☆語り部に三角座りの子らに汗 百花
戦争の語り部の話を聞く体育館の暑さと真剣さが汗でよく現わされています。

 

■梅田実代 選

灯して過ごす一日秋黴雨
八月の火を使はざる夕餉かな 良枝
朝採りのきうりがぶりと出勤す 深澤範子
寄る波の音やはらかに今朝の秋 恵美
☆その事も秋の扇にたたみけり 恵美
女性が失った恋を忘れようとしているのでしょうか。その事、としか言わないことで想像をかき立てられます。

 

■木邑 杏 選

女子会と言ふ婆たちのあつぱつぱ
八月の空を見てゐる観覧車 恵美
飛び跳ねてみんな妖精秋夕焼 新芽
浜晩夏足裏の砂さらはるる 田鶴
☆覗き見て柘榴に美しき奈落 良枝
柘榴の実の何とも言えない美しさ、奈落に引き込まれていく。

 

■鎌田由布子 選

千羽鶴死者の群れめく原爆忌 百合子
夏痩せの顔の寂しと紅を引く 百合子
刻まれし父の戦歴墓洗ふ 道子
わが鼓動ほどの地震あり盆の月 林檎
☆おしやべりの途切るる間なし盆用意 松井洋子
久しぶりに実家に帰っての盆用意、懐かしい面々とおしゃべりの尽きない様子が目に浮かびます。

 

■牛島あき 選

稔り田の一粒一粒の一枚 林檎
青虫の食べ残したる葉も茹でて 紫峰人
すがりつく浮き輪の匂い次の波 昭彦
尾を立てて犬も潜れる茅の輪かな 松井洋子
☆進みけり西日に向かふ一本道 味千代
やがて沈む西日に向かう一本道は残り少ない人生の象徴にも思え、昂然と進む作者の姿に憧れます。的外れだったらごめんなさい!

 

■荒木百合子 選

舌垂るる犬と目の合ふ残暑かな 眞二
前略と置きて思案やつくつくし 眞二
杉の根の香りもろとも岩清水 栄子
雨音のだんだん勝り秋風鈴 良枝
☆子の恋の淡々しさや夏期講座 朋代
子は別の人格という一方で、遺伝子の共有部分もあります。この句の感情の揺れ具合と微妙な距離感に共感致します。

 

■宮内百花 選

墓洗ふ男の指の薄よごれ 依子
敗残の世に露草の夜明けあり 眞二
無言館出れば現し世蟬時雨 康仁
落蝉のいまだ眼光失はず 松井洋子
☆繋ぎし手今年はクロールしてをりぬ 味千代
母親と長男の間柄でしょうか。去年まではよく繋いでいた手も、今年はクロールをするほどに成長し、少し恥ずかしさも出てきたのか、あまり手も繋がなくなった。子の成長は嬉しいけれど、少し切ない母の心情。

 

■鈴木紫峰人 選

言の葉を尽くすよりこの蟬時雨 優美子
秋涼し妣の羽織を身ほとりに 雅子
初秋や艇庫久しく開かぬまま 松井洋子
紫蘇刻む香り一入涼新た 眞二
☆地蔵盆知らぬ子一人混じりをり 良枝
地蔵様が子どもになって、みんなと遊んでいるような、座敷童が一緒に遊びたいと来ているような、不思議な可愛らしさを感じました。

 

■吉田林檎 選

長身の一歩一歩や登山靴 百合子
朝顔の蕾より濃く咲きにけり 優美子
終電の遠ざかりゆく夜の秋 栄子
地蔵盆知らぬ子一人混じりをり 良枝
☆存分に鳴いて身の透く法師蝉 恵美
法師蟬はどんな時でも翅が美しく透き通っていますが、作者は存分に鳴いたからと感じ取った。「身の透く」とあるので翅だけではなく全身透いたと感じたのかもしれない。秋の蝉ではあるが夏の名残を背負った法師蝉のありようが具体と詩情をもって描かれていると思います。

 

■小松有為子 選

手も爪も父に似通ひ鳳仙花 栄子
ニューバランス履きてバイクの盆僧来 松井洋子
青田風写真の中を吹くも良し 康仁
存分に鳴いて身の透く法師蝉 恵美
☆その事も秋の扇にたたみけり 恵美
十人十色百人百様とか、実に様々な事柄を経たその後に静かに扇をたたむという「悟り」に近いご心境でしょうか・・・。

 

■岡崎昭彦 選

杉の根の香りもろとも岩清水 栄子
水音も風音も秋吹かれゆく 和代
風鈴の短冊くるりくるくるり 味千代
青空の呼吸に触るる秋の朝 優美子
☆終電の遠ざかりゆく夜の秋 栄子
やや涼しさを含んだ南風に乗って微かに聞こえる終電の音に、暑かった夏の終わりを感じる。

 

■山内雪 選

前略と置きて思案やつくつくし 眞二
夏草やビデオショップのありし場所 宏実
わが鼓動ほどの地震あり盆の月 林檎
二度三度獄の塀越え大揚羽 松井洋子
☆蜩の蜂起の山となりにけり あき
その声を蜩の蜂起と表現したところに惹かれた。

 

■穐吉洋子 選

ニューバランス履きてバイクの盆僧来 松井洋子
千羽鶴死者の群れめく原爆忌 百合子
語り部に三角座りの子らに汗 百花
前略と置きて思案やつくつくし 眞二
☆「赤毛のアン」のそばかすのごと梨の肌
「アン」のそばかすは梨の斑点と似ていますよね、以前小4の子に「ばあちゃんの西瓜切る手は皺だらけ黒い点々西瓜と同じ」と詠まれた事を思い出しました。

 

◆今月のワンポイント

「言葉遣いについて」

今回の特選句に、亡きお父様のことを「考」(こう)と読ませた句がありました。亡き母のことは、「妣」(ひ、訓読みでは、はは)と読ませます。この妣は良く俳句で見かけますが、考は最近の句会のはやりでしょうか。先日両方が一句に入っている句を見ました。まあ、意味がわからなくはないけれど、音読してみると、気分でないなあということは参加者皆さんの一致した意見。そういう難しい言葉が好きな選者もいます。逆に反感を覚える人もいるとおもいます。大学院のころ、一生懸命前もって調べて教授と討論したときに、「おりこうさんだね」と馬鹿にされたことが悔しかったことを今でも覚えています。虚子は、難しい知らない言葉を使われると、調べないとならないので、時間をつかうけれど、まあそれで新しい知識を得たのだからよしとするということを書いています。風生はもともと大変な知識人ですから、それでも知らない言葉を使われると、反感を覚えざるを得なかったようです。子規はどうだったのか。聞いてみたいです。

ようするに「鼻につく」使い方をすると、読者の胸に落ちないということがあります。昔19歳のころ「若葉」にはいって誌面をみると、知らない言葉、知らない字が沢山あって、驚きました。そのころの自分はまだ知らないことが沢山あるのはあたり前ですから、だんだんに学んでいきました。そして、年齢を重ねて自分なりに勉強してもさらに小難しい言葉がでてくると、もうあきらめるしかないなあと思います。

平明で味わいのある句が一番であるのは明白です。でも短い俳句では、季語だけでなくて、色々な意味を包含する言葉をつかうのもよいケースは多々あります。秋櫻子が万葉集などの古典からいろいろ使ったとか、逆に誓子は現代語を使ったとか、旧来のやり方でない言い方で俳句の枠組みを広げたともいえます。

一方、このごろは俳句を一般に広めるために、あえて若者やタレントさんの使う言葉を入れるのも流行っているようです。私としては一番嫌なのは妙な略語です。「軽トラ」は軽自動車のトラックという意味ですけれど、季語などは時代を経て磨かれている言葉が多いのに、こういう言葉が同居すると、興ざめします。オリパラなどという言い方も参加選手を馬鹿にしているように思います。

そこで、皆さんに最近得た情報を一つ最後にお知らせします。

網走川の河口部にもあって、船着き場ではあったし、眺めもよくて駐車場も広く待ち合わせにも都合がよいので、よく行ったのが「網走道の駅」でした。鉄道の駅とは結構離れていました。北海道では車で移動するので、あちこちにそういう「〇〇道の駅」があることを知りました。すべて売店があって、地元の特産物を売っています。この「道の駅」はわれらがネット句会選者の和子先生が大嫌いな言葉だそうです。この言葉がはいっている句は必ず落とすそうです。本人から聞いたのではないけれど、どうも確かな情報のようです。お気をつけあそばせ!

(中川純一)