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2021年8月のネット句会の結果を公開しました。

◆特選句 西村 和子 選

雲の峰てつぺんきらと光りたる
田中優美子
【講評】もくもくと盛り上がった入道雲を見上げる作者。圧倒してくるその巨体。作者はそれを目でなぞり上げていって、そのてっぺんに、真珠のような輝きが少しだけ点っているのを見出す。わだかまりが溶けるように。このように読み砕いては、台無しであるともいえます。つまり、この句はそういう心理的なものを内包していますが、それを露わにしていないからこそ読者にその光景を追体験させてくれます。(中川純一)

 

通夜の門うす明かりして濃紫陽花
奥田真二
【講評】この場合の通夜は、葬儀場やお寺ではなくて、個人のお宅で行われている。個人も愛した紫陽花が咲き盛っている。そこに玄関の灯が及んでいるのが、死者からの挨拶のようでもある。抑えられた表現がよい。(中川純一)

 

晩年のおしやれもよきか衣更
千明朋代
【講評】若い頃はお洒落して派手なものを着なくとも、神から与えられた体そのものの輝きが十分にある。だが、年を経た現在、むしろ派手なもの、あるいは派手ではなくとも、お洒落であることがすぐに目につくものを身に纏うのが他人にもよい印象を与え、そして何より自分自身がまだ老いこんでいないという気持ちを保つよすがにもなる。(中川純一)

 

籠居の実梅を漬けて煮て干して
梅田実代
【講評】お名前にぴったりの句!沢山お庭に梅の実がなったのか、梅干しだけでなくて、いろいろな料理に使ってみよう。どうせコロナで籠っているのだから時間はたっぷりある。やってみると結構楽しい。そんな若さがうかがえる。私は同人句会の兼題だったので、食品店で袋入りになっているのを買ってきたが、結構量が多い。梅干しは手間がかかるしコツがいりそうなので敬遠。それで二回にわけて、ジャムを作りました。あの酸っぱいところが健康に良さそう!(中川純一)

 

サックスの音六月の雨の中
矢澤真徳
【講評】サキソフォンの音色はセクシー、特にアルトサックス。つまり作者はジャズを聴いている。実演だろうか。長雨の外とは全く別の妖艶な音の世界である。路上ライブとは思えない。こういう句は結構難しい。なぜなら、サックスの代わりに、別の楽器または作曲者の名前をもってきてもなり立つのではないかということ。それに「音」という言葉をわざわざ入れるべきなのかどうか。それらをすべて含んで、音、流れ、内容が読者に実感をもって受け取られるかどうかというのが一句のポイントである。(中川純一)

 

踊りの輪商店街は細長き
箱守田鶴
【講評】地域の盆踊りは公園などで櫓をたてたりして町民が大きな輪になって踊れるようなことが多い。しかしここでは、道に沿って細長く輪を作って踊っているという。親しい人々なのであろう。浅草の商店街だと聞くとなるほどと納得できる。(中川純一)

 

冷奴けふはたつぷり歩きけり
小山良枝
【講評】たっぷり歩いた一日。お腹もある程度すいたのであるけれども、暑い一日の後、帰宅して、夕刻にいきなり脂っこいものを食べる気分ではなく、一番合って居るのは冷奴だという。体を動かし、また訪ねた場所での出会いなどの心地よい満足感がしみじみわいてくるという訳だ。(中川純一)

 

茗荷の子座敷童も元気なり
黒木康仁
【講評】座敷童とは、一種の妖怪みたいなもので、詳しくは深澤範子さんがご存じだが、住人に害を加えるというわけではない。庭で育てている茗荷の子をつんできて、豆腐にでも合わせていると、なんだか座敷童も声をかけてきそうな気分。もう彼等とのつきあいに慣れておられる作者なのであろう。(中川純一)

 

横顔の方が美し百合の花
鏡味味千代
【講評】とくに鼻筋の綺麗な人でこういうことがある。一方、百合の花も真正面は大きく開いた花びらの中に、毒々しいともいえる蕊が見えて、すこし激しすぎる。この場合は百合が対象で、横から見た方がエレガントだと言っている。そう思いながら女性にもそういう人がいると思ったのである。(中川純一)

 

枇杷熟れてゐるなり君のゐない朝
山田紳介
【講評】
この句、若い人の句のように見える。心にある人を「君」という呼び方をするところが若い。でも俳句は作者名も前書のようなもので、大切な鑑賞の礎である。紳介さんは、お医者さまで、壮年の責任あるお立場ながら、人生の悔いも覚える年齢であるらしいことは、知音誌上で毎月拝見する作品から想像できる。そういう方の句としては表現とリズムが若い。

でも鑑賞を試みてみよう。枇杷の熟れてきたころの色合いというのはとても優しい。梅よりも穏やかな色合いで、赤味は少なくて優しいのだ。その形も梅とちがって、うりざね顔のようだ。それを見上げて、いつも心の中にすんでいる女性を思っている。

この句の甘い響きからすると、朝の空を見上げると思い出す、記憶の中のいつまでたっても若い日の姿のままの女性だと思われる。あの、優しい美しい目をした……。「君のゐない朝」それはたまたま今日いないというわけではなくて、あの日いつまでも一緒にいたい、そうなるのだろうと思っていた人を偲ぶ言い回しだ。一句の中でここだけが若き日の口語になっているのは、思わず呟いた独り言だから。

元気で頑張って過ごしていても、若い頃は意識していなかった死という事を意識する年齢である。しかも医者であれば、生死の境目はあっという間の出来事であるのを何度も身近に見てきている。あの世で会おうというのではないが、別れてこんなに年月が経つのにいつも心にある存在なのである。この思いは自分の脳が死んで滅びない限り消えない。(中川純一)

 

更衣プリーツの襞立ち上がり
森山栄子
【講評】大人の女性でもよいし、女子学生の制服でもよい。おろしたてのスカートのプリーツは折り目がしっかり立ち上がっていて、独特の華やかさがある。学生の場合は毎日着るので、それがすぐに緩んでくるわけだ。衣更えの季節だけの清潔感。(中川純一)

 

金魚玉声持たぬ魚美しき
箱守田鶴
【講評】美しい人だが口を開くと幻滅、なんというわけではないが、金魚はパクパクしても声が聞こえないのでそういうことはない。とくに金魚玉といわれる、昔ながらの金魚鉢の丸いガラスを通してみる琉金は優雅で、口を開けていても綺麗だ。声を持たない、という言い方で、かすかにそれが人間から見れば不自由という感覚も示している。でもそれが優雅なのだと。その感覚が面白い。(中川純一)

 

◆入選句 西村 和子 選
( )内は原句

白南風や港街より鉄路伸び
小山良枝

今年また夏菊母の供花とせり
奥田真二

子等は来ず大人ばかりのこどもの日
深澤範子
(子等来ずに大人ばかりのこどもの日)

父の日や形見の指輪中指に
(父の日や形見のリング中指に)

長谷川一枝

一面の田水を打つて青葉風
木邑 杏

青芝に一つは吾子のランドセル
(青芝や一つは吾子のランドセル)

梅田実代

目瞑れば見え初めにけり青葉風
(目瞑れば見え初め来たり青葉風)

藤江すみ江

夏木立見えればきみの家近し
山田紳介

側溝の流れの早き芒種かな
緒方恵美

郭公や入笠山の雨上がり
長坂宏実

筑波嶺の麓ゆたけし麦の秋
佐藤清子

雨雫こぼし実梅の二つ三つ
飯田 静

紫陽花やしばらく頭休めたし
小山良枝

梅雨晴間テレビ(ラジオ)体操気合ひ入れ
(梅雨晴間気合ひを入れて体操す )

深澤範子

早苗束違はず投げる元球児
宮内百花
その昔は高校野球選手、それもピッチャーとして鳴らした彼。早苗束を植える間隔にぴったりに投げている。それもどこか農民というのとは違う腕の振りで。最近は苗箱というもので機械にぴったり収まるものがあって、こういう光景はあまりないらしいが。

夏薊真直ぐの雨受け止めて
深澤範子

夕さればひと飛び長きつばくらめ
松井洋子

差し伸べし手を遠ざかりゆく螢
巫 依子

冷房のカフェの主の蝶ネクタイ
鎌田由布子
スターバックスのような店ではなくて本格的な喫茶店。若い頃はもてただろうという雰囲気のマスター。チョッキを着て蝶ネクタイをした銀髪のマスターなのであろう。冷房もきいていて、別世界のような気分。

早苗束ほどよき場所に投げらるる
中村道子

おほかたは鳥に残して(さむ)枇杷を捥ぐ
(おほかたは鳥に残せる枇杷を捥ぐ)

水田和代

雲を寄せつけず泰山木の花
牛島あき

緑陰の古書市江戸を行き来して
小野雅子

ひとところ歓声上がる螢狩
(螢狩歓声上がるひとところ)

松井洋子

緑蔭を貴人のやうな犬連れて
飯田 静

水郷を風の巡れり麦の秋
(水郷に風の巡れり麦の秋)

森山栄子

柚の花や植ゑて育てて半世紀
千明朋代

大夕焼高層ビルの燃えさうな
(大夕焼高層ビルの燃えさうに)

鎌田由布子

ダム放流燕もしぶき浴びにけり
(ダム放流燕もしぶき浴びてをり)

穐吉洋子

寝転んで潮騒遠し夏至の朝
山田紳介

十薬の花にゆつくり夜が来て
緒方恵美

山登り北アルプスは雲の中
(山登北アルプスは雲の中)

長坂宏実

睡蓮は座し河骨は背伸びして
(睡蓮は座す河骨は背伸びして)

牛島あき

諍ひも団欒も透け古簾
小野雅子

佃島盆唄呻くごとくにも
(佃島盆唄呻くごとくなり)
箱守田鶴

夏至の夜ローズマリーの香の強く
鏡味味千代

五月雨傘傾げ背中のチェロケース
(五月雨傘たおし背中のチェロケース)

梅田実代

短夜やぼんやり灯る置き時計
岡崎昭彦

紫陽花を挿す雨雫そのままに
(紫陽花を挿す雨垂れをそのままに)

森山栄子

聖五月窓と言ふ窓開け放ち
深澤範子

紫陽花や路地の子供の声消えて
箱守田鶴

ポニーテール揺らし駆けだす梅雨の駅
松井洋子

話なきこと快き端居かな
(会話なきこと快き端居かな)

田中優美子

マラッカの風の吹き抜け夏館
(マラッカの風の吹き抜く夏館)

鎌田由布子

緑さす材木置き場兼ねし駅
山内 雪

トラックに信号隠れ雲の峰
(トラックに隠る信号雲の峰)

藤江すみ江

雨の日の思ひ出ばかり金魚草
緒方恵美

落葉松の天を覆ひて山滴る
長坂宏実

ラベンダー畑より人立ち上がる
(ラベンダー中より人の立ち上がる)

水田和代
富良野を思い出す。一面のラベンター畑に花を見るか香りをかぐために屈んでいた人がいたのに気づかなかった。立ち上がるとそこに人がいたことがわかる。この表現で大変広い畑だとわかる。空気も綺麗で、そこにラベンダーの薄紫色が広がり、香りが漂っていることがわかる。他の畑でない季語が生きている。「畑」というのが必要。ジャガイモの花だって薄紫色で香りもよいけれど、こうは行かない。

梅雨晴の川だうだうと濁りをり
吉田林檎

溝浚へ噂たちまち拡がりぬ
小山良枝

誰とゐても何処にゐても梅雨曇
巫 依子

じやがいもの花の泡立つ富良野かな
(じやがいもの花の泡立つ富良野の野)

奥田英二

アンデスの山よりの風罌粟の花
(罌粟の花アンデスの山よりの風)

深澤範子

拭き上げし床を喜ぶ素足かな
鏡味味千代

麦穀焼鬼火の如く連ねたり
三好康夫

梅雨の蝶ふはりと止まり動かざる
中村道子

なだらかな丘一面のラベンダー
水田和代

短夜の浅き眠りのまたも覚め
(短夜の浅い眠りのまたも覚め)

鈴木紫峰人

紫陽花の白に陰影宿りそむ
吉田林檎

新緑や詩人の山家朽つるまま
(新緑や詩人の山家朽ちるまま)

森山栄子

舫ひ網解きて棹差し夏に入る
(舫ひ網解きて夏へと棹を差し)

箱守田鶴

漆黒の海原漁火の涼し
(真つ黒の海原漁火の涼し)

巫 依子

 

 

◆互選

各人が選んだ五句のうち、一番の句(☆印)についてのコメントをいただいています。

■小山良枝 選

青茄子のはりつめたるを真二つに 真徳
医師の背の窓いっぱいの青楓 朋代
合歓咲いて空の吐息のやうな風 あき
早苗束ほどよき場所に投げらるる 道子
☆横顔の方が美し百合の花 味千代
確かに正面から見るより、横から見た方が百合の花のすっきりしたシルエットが際立ちますよね。潔い表現も百合の花に合っていると思いました。

 

■飯田 静 選

水郷を風の巡れり麦の秋 栄子
登り来しスカイツリーよ夏至の月 田鶴
十薬の花にゆつくり夜が来て 恵美
青芝に一つは吾子のランドセル 実代
☆新緑のキリンも背伸びする高さ 味千代
若葉の勢いよく伸びている景を思い浮かべました。

 

■鏡味味千代 選

青芝に一つは吾子のランドセル 実代
青茄子のはりつめたるを真二つに 真徳
梅干してより空ばかり見てをりぬ 良枝
響きたる般若心経五月闇 康仁
☆夕さればひと飛び長きつばくらめ 松井洋子
燕も帰路を急いでいるのだろうか。夕方になると、ということは、この燕をいつも目にしているのだろう。作者と燕との心の距離が伺える。もしかしたら、夕方になってひと飛び長くなっているのは、作者のことなのかもしれない。

 

■千明朋代 選

マラッカの風の吹き抜け夏館 由布子
蟾蜍吾にもひとつの歌袋 雅子
香水の一滴二滴そして魔女 恵美
鈴蘭や葉を傘にして雨宿り 宏実
☆蜜豆のさらさら進む時間かな 良枝
蜜豆のおいしさを時間であらわしていて、感心しました。

 

■辻 敦丸 選

思ふまま好きにさせてと捩れ花 一枝
田一枚キャンバスにして夏木立 一枝
五月雨や本の積まれたピアノ椅子 昭彦
幼児にその名問はれて額の花
☆若竹におそれへつらひなかりけり 眞二
若竹の自由奔放、摂津山城の大方はその様でした。

 

■三好康夫 選

泉湧くこの村かつて原始林
避けやうともせぬ老猫に夏来たる すみ江
時の日や父の時計は動かざる
母逝きて青葉目にしむ畑仕事 紫峰人
☆目が合ひて男の子の逸らす水鉄砲 道子
やさしい男の子。大人をよく見ている賢い男の子。男の子と作者の心の触れ合い。

 

■森山栄子 選

青田波雨の気配を伝えをり 優美子
あの頃と同じ夢見て合歓の花 紳介
正解なく不正解なく髪洗ふ 実代
チャイの盃放る路上の朝曇 実代
☆早苗束ほどよき場所に投げらるる 道子
一年に一度の作業でありながら、手慣れた様子で早苗束を放ってゆく景が直ぐに立ち上がりました。

 

■小野雅子 選

十薬の花にゆつくり夜が来て 恵美
田の水へ母の夏帽子を被り 百花
蛍火に夫囲まれてをりにけり 松井洋子
なだらかな丘一面のラベンダー 和代
☆金魚玉声持たぬ魚美しく 田鶴
水槽を泳ぐものでは金魚が一番好き。優雅な鰭は見飽きることがありません。「声」がないことが美しさを際立たせているのですね。

 

■長谷川一枝 選

早苗束ほどよき場所に投げらるる 道子
腕より長く伸びたる草を引く 康夫
青茄子のはりつめたるを真二つに 真徳
梅雨晴の倒木へ降る鳥の声 松井洋子
☆緑陰の古書市江戸を行き来して 雅子
古書を探す様子を江戸を行き来してと表現したことに心惹かれました。

 

■藤江すみ江 選

翅運ぶ蟻のお祭り騒ぎかな あき
カーブ抜け夏潮の香の立ち上がる 依子
荒波を抜けきし太さ初鰹 良枝
白南風や港街より鉄路伸び 良枝
☆新緑や詩人の山家朽つるまま 栄子
新緑の眩しさと朽ちるままの山家の対比が鮮やかです。その光景が目に浮かんでくる一句です。

 

■箱守田鶴 選

しりとりで賑はふ夜のさくらんぼ 清子
蛍火に夫囲まれてをりにけり 松井洋子
青梅雨や新潮文庫の栞紐 栄子
小雨降る空の明るさ花菖蒲
☆青芝に一つは吾子のランドセル 実代
そろそろ新入生の返ってくる時間、おやつの用意も出来て手持無沙汰だ。お母さんは家を出て青芝の気持ちの良い広場にまで来てしまった。芝生の上にランドセルがいくつか放り投げてある。その中に確かに自分の子供のもある。でも子供らの姿はない、遊び惚けているのかな? きっと。

 

■深澤範子 選

誰とゐても何処にゐても梅雨曇 依子
睡蓮は座し河骨は背伸びして あき
横顔の方が美し百合の花 味千代
小燕は親の気配に囃し立て 康仁
☆思ふまま好きにさせてと捩れ花 一枝
捩れ花ってそんな感じですよね!

 

■中村道子 選

ダム放流燕もしぶき浴びにけり 穐吉洋子
母逝きて青葉目にしむ畑仕事 紫峰人
ラベンダー畑より人立ち上がる 和代
立葵婦人服店セール中 味千代
☆身の丈に余る餌食や蟻の道
たくさんの蟻がぞろぞろと列を作り、大きな獲物を担いて忙し気に歩く様子がパッと目に浮かびました。ふと、高齢になった私も余分な物を大事に抱えて日々暮らしているのかも…と思ったりしました。

 

■山田紳介 選

白南風や港街より鉄路伸び 良枝
末の子の挨拶上手糸瓜咲く 実可子
小上がりに稚児を寝かせて夏館 実可子
秘むるべきものは秘めよと夏の雨 真徳
☆飛び込めば真夏の海の静かなり 味千代
真夏の太陽が照りつけ、熱風が吹き過ぎて、波が逆巻いたとしても、海の中だけは全く別の世界だ。その無音の世界を過ぎて、もう一度、波の外へ飛び出して行く。

 

■松井洋子 選

ででむしや十万億土一人旅 眞二
朝凪や空の散らばる潮だまり 雅子
五月雨や本の積まれたピアノ椅子 昭彦
母を焼く山青葉なり若葉なり 紫峰人
☆青芝に一つは吾子のランドセル 実代
子育ての頃、同じ景を見たことがある。青芝の上に放られた数個のランドセル、少し離れて道草の子ども達の声。緑かがやく青芝が午後の日に映えて美しい。

 

■緒方恵美 選

若竹におそれへつらひなかりけり 眞二
捩り花小さきも風にたぢろがず 朋代
木下闇声出せば葉に千の耳 雅子
短夜やぼんやり灯る置き時計 昭彦
☆合歓咲いて空の吐息のやうな風 あき
「空の吐息」の措辞が面白い。合歓の木は大木にして群生する場合が多く、風を生むに相応しい句材であろう。

 

■田中優美子 選

ぺりぺりと剥がしてみたき夕焼雲 実代
葉がくれに見送る母や額の花 味千代
新緑のキリンも背伸びする高さ 味千代
美男美女うち揃いたるなすびかな 穐吉洋子
☆初夏や空のほかには何もなし 昭彦
夏の空がことのほか好きなのでとても心に響きました。朝、もくもくの雲を元気よく浮かべる青空、日盛りの昼、そして何より夕暮れのグラデーション。一日中見ていても飽きない空の色こそ、夏を告げるシンボルだと思います。

 

■長坂宏実 選

翅運ぶ蟻のお祭り騒ぎかな あき
五月雨や本の積まれたピアノ椅子 昭彦
聖五月窓と言ふ窓開け放ち 深澤範子
梅雨に入る濡れて楽しげ二人乗 松井洋子
☆薔薇を撮る人七色の薔薇の中 松井洋子
色鮮やかな薔薇園にいる人の優しい気持ちが伝わってきました。

 

■チボーしづ香 選

竿一本ばったきちきち噴きあがる
初夏や空のほかには何もなし 昭彦
差し伸べし手を遠ざかりゆく蛍 依子
ででむしや十万億土一人旅 眞二
☆飛び込めば真夏の海の静かなり 味千代
同じような思いをした事を思い出させる明快な句

 

■黒木康仁 選

舫ひ網解きて棹差し夏に入る 田鶴
胸に風受けて茅の輪へ踏み出せり 優美子
サングラス言葉の礫遠ざけて 良枝
木下闇声出せば葉に千の耳 雅子
☆蔦茂る朽ちることしかできぬビル 味千代
人はどうなんでしょう。人も朽ちることしかできないような気がするのですが。そんな思いが湧いてきました。

 

■矢澤真徳 選

わが居場所持ち運びたる日傘かな 林檎
枇杷熟れてゐるなり君のゐない朝 紳介
紫陽花やしばらく頭休めたし 良枝
誇りもせず落胆もなくえごの花 朋代
☆抱へたる秘密手放し夏の海 優美子
秘密を抱えるということは何物かにとらわれていることなのだと気付かされました。

 

■奥田眞二 選

ぺりぺりと剥がしてみたき夕焼雲 実代
蔦茂る朽ちることしかできぬビル 味千代
父の日やパイプ煙草のそのむかし 一枝
サックスの音六月の雨の中 真徳
☆早苗田を千人針と見える日に 康仁
能登の棚田が目に浮かびます。 千人針に見えるとはなかなかユニークな発想ですが、見える日に想うこと、歴史のかなたの悲しい思いでしょう。

 

■中山亮成 選

紫陽花を生けてホームの一人部屋 しづ香
溝浚へ噂たちまち拡がりぬ 良枝
ぺりぺりと剥がしてみたき夕焼雲 実代
マラッカの風の吹き抜け夏館 由布子
☆葉桜や新設道路三陸に 深澤範子
震災から10年ようやく復興された道路に色々な感慨が浮かびます。

 

■髙野新芽 選

夕立あと草葉を滑る粒ひとつ 昭彦
梅雨晴の倒木へ降る鳥の声 松井洋子
庭先の一輪挿して朝茶かな 一枝
ほつほつと樹の立つてゐる泉かな 実可子
☆隅田川熱き地表に身をよじり 田鶴
猛暑でまいる様子を人ではなく川で表現されることで、温暖化や環境問題も表現しようとされていると感じ、とても良い句だなと思いました。

 

■巫 依子 選

時の日や父の時計は動かざる
ディオールの赤きマニキュアパリー祭 由布子
緑蔭を貴人のやうな犬連れて
夏至の夜ローズマリーの香の強く 味千代
☆飛び込めば真夏の海の静かなり 味千代
キャンプや海水浴や、とかく人の集まる真夏の海辺の喧噪。しかして、飛び込めばそこには・・・真夏の海のもうひとつの側面が・・・。多くを語らずも、飛び込まずにいる時の場の喧噪をも想像させ、対比がよく効いている。真夏の海の恐ろしさのようなものも感じる。

 

■佐藤清子 選

ダム放流燕もしぶき浴びてをり 穐吉洋子
母逝きて青葉目にしむ畑仕事 紫峰人
雨しとど凌ぐ術なき鉄線花 有為子
香水の一滴二滴そして魔女 恵美
☆諍ひも団欒も透け古簾 雅子
ご家族の長い年月を透かし見ていた古簾がとても良く効いていると思います。諍ひは風通し良く団欒とのバランスも良いと感じます。とても素晴らしい句だと思います。

 

■水田和代 選

医師の背の窓いっぱいの青楓 朋代
拭き上げし床を喜ぶ素足かな 味千代
梅雨晴の川だうだうと濁りをり 林檎
青芝に一つは吾子のランドセル 実代
☆ダム放流燕もしぶき浴びにけり 穐吉洋子
雄大なダムの放流と、小さな燕の動きが見えてくるようです。

 

■梅田実代 選

マラッカの風の吹き抜け夏館

マラッカの風の吹き抜け夏館 由布子
おほかたは鳥に残して枇杷を捥ぐ 和代
梅雨晴や打てばヒットの草野球
蜜豆のさらさら進む時間かな 良枝
☆荒波を抜けきし太さ初鰹 良枝
荒波にもまれた初鰹、何とも美味しそうです。

 

■木邑 杏 選

青梅雨や新潮文庫の栞紐 栄子
雫してしづくの中の青葉かな 依子
青茄子のはりつめたるを真二つに 真徳
朝凪や空の散らばる潮だまり 雅子
☆緑陰の古書市江戸を行き来して 雅子
緑陰の古書市っていいなぁ、江戸時代を探すのではなく行き来している。至福の時間。

 

■鎌田由布子 選

水郷を風の巡れり麦の秋 栄子
三角の庭を縁取り韮の花 栄子
供へたる夫の好物鯖刺身 穐吉洋子
紫陽花を生けてホームの一人部屋 しづ香
☆キャンパスを抜けるマラソン緑さす
日吉の銀杏並木を想像しました。

 

■牛島あき 選

箒目の光と影や梅雨晴れ間 百合子
荒波を抜けきし太さ初鰹 良枝
青芝に一つは吾子のランドセル 実代
リラ冷えや主を連れて犬戻る
☆甘藍の十二単を脱がしたる 穐吉洋子
「十二単」が面白いです。そう言われてみれば、確かに!

 

■荒木百合子 選

緑蔭を貴人のやうな犬連れて
枇杷熟るる枝を持ち上げ通りけり 和代
拭き上げし床を喜ぶ素足かな 味千代
朝凪や空の散らばる潮だまり 雅子
☆母逝きて青葉目にしむ畑仕事 紫峰人
大事な人が亡くなると、季節の移ろいが一入身にしみます。何であれ共に見ることはもう叶いません。日常的な畑仕事で句をおさめていらっしゃるところに、お気持ちが深く表れていると思います。

 

■宮内百花 選

ぺりぺりと剥がしてみたき夕焼雲 実代
踊り子の昼の顔なりパリー祭 由布子
抱へたる秘密手放し夏の海 優美子
十薬や女人の苦悩尽きもせず 依子
☆山あぢさゐきりりとイネの面影す 百合子
イネの父シーボルトが妻の名から学名をつけた紫陽花。野趣に溢れた山紫陽花に、二人の子として生まれ西洋医学を身につけたイネの人生が重なり合うようです。

 

■穐吉洋子 選

まくなぎの囃し立てたる戦かな 康仁
もう打つた?それが挨拶梅雨に入る あき
踊り子の昼の顔なりパリー祭 由布子
さみどりの雨粒ひかる走り梅雨 一枝
☆山登り北アルプスは雲の中 宏実
北アルプスは山を登る人にとっては憧れの名峰(槍ヶ岳をはじめ乗鞍岳、奥穂高岳等々)が連なり一度は登ってみたい山々です。この句の様に殆どが2,500m以上で頭は雲の中、足腰を痛めてからは見るだけの山になってしまいましたが、健脚であれば登っていない山に登ってみたいです。

 

■鈴木紫峰人 選

早苗束違わず投げる元球児 百花
枇杷熟るる枝を持ち上げ通りけり 和代
拭き上げし床を喜ぶ素足かな 味千代
飛び込めば真夏の海の静かなり 味千代
☆自転車の後の寝息緑雨かな 味千代
子供を迎えに行き、自転車に載せ、走っていると、あんしんしたのか、寝息が聞こえてくる。頑張った一日が終わることを癒すように、雨が優しく降っている。子育ての頃が懐かしく思い出されます。

 

■吉田林檎 選

夜濯ぎや土まみれなる練習着 雅子
田一枚キャンバスにして夏木立 一枝
短夜やぼんやり灯る置き時計 昭彦
差し伸べし手を遠ざかりゆく蛍 依子
☆黴の家花瓶の水を新しく 康夫
ずっと住んでいるこの家を住み替える予定はないけど、きちんと慎ましく暮らしている。それもただ節約するだけではなく花瓶に花を挿すくらいの余裕はあるのだ。花瓶の水はこまめに替えないと花が枯れてしまう。地味な作業だけど、それを続けることで心が整う気がする。「替えにけり」などではなく「新しく」とした点に作者の引き締まった心持ちが表れています。

 

■小松有為子 選

田一枚キャンバスにして夏木立 一枝
夕さればひと飛び長きつばくらめ 松井洋子
大瑠璃や木陰をひろう遊歩道 昭彦
合歓咲いて空の吐息のやうな風 あき
☆漂ひて自由を語る海月かな 新芽
大海原を気ままに漂う海月が羨ましくなる御句ですね。

 

■岡崎昭彦 選

医師の背の窓いっぱいの青楓 朋代
荒波を抜けきし太さ初鰹 良枝
梅雨晴の川だうだうと濁りをり 林檎
わが居場所持ち運びたる日傘かな 林檎
☆青梅雨や新潮文庫の栞紐 栄子
まだ栞紐が付いていた頃の愛着のある文庫本の、一番好きな章に差し掛かるところで栞紐を挟み、ふと窓の外を見ると繁った樹々に雨が降っていた。

 

■稲畑実可子 選

十薬や女人の苦悩尽きもせず 依子
街薄暑待ち合はす店閉めてをり 百合子
六月の汚れ拭き上げ大玻璃戸 雅子
白南風や港街より鉄路伸び 良枝
☆抱へたる秘密手放し夏の海 優美子
秘密の内容を具体的に言っておらず、読み手に想像を託している点がいいと思いました。季語の置き方も爽やかで、この句の人物の心情に寄り添っているように感じられました。

 

◆今月のワンポイント

「省略について」

俳句は言うまでもなく器が小さいです。でも季語という舞台背景があるので、それなりの奥行があります。ですからもっと長い文章よりも印象を強く表現することも可能です。そのためには、肝心な事をきっちり表現する一方で、不必要なことは省略する必要があります。言わなくてもよいことを詰め込むと、肝心のメッセージが隠れないまでも、力を失います。今月の投句の中から具体例を挙げてみましょう。

窓若葉先師の像の静かな目     森山栄子

この句を読者として読んだ場合の心の動きを一緒に想定してみましょう。まず、「窓若葉」ということは窓の外に若葉がある明るい気分をもたらします。
「先師の像」人物の像、言葉からすると銅像か石像なのですが、それでは窓の中の部屋にあるのは変だなあと感じます。すると絵画が壁に飾ってあるのでしょうか?
「静かな目」石像かなあ、絵画かなあ。おそらくは絵画の細部だろうと感じます。でもそれなら絵に近寄って見ている気分になります。ところが、そのことと、目を窓の外に向けているという設定の矛盾が読者を不安定な気分にさせます。
  →窓という言葉で、読者の目を窓とそこから見える外の景色に引き付けておいて、続けて「静かな目」という細部を言うことが矛盾を感じさせるのです。窓は不要です。
むしろ窓を削除した分で、「像」とは何かを明確にイメージできる言葉を加えるべきなのです。

絵の中の先師の目にも若葉光

などのようにするとイメージがでてきます。

ま、日本一のレッスンプロと自らおっしゃっている克巳先生の添削のテクニックにはとても及びませんけれども、あくまで読者を不安にさせる混乱を避けることが自身の句の焦点を明確にします。

次回は省略とは逆に実際にはないものを追加することについて述べてみたいと思います。(中川純一)