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知音 2018年12月号を更新しました

窓下集- 12月号同人作品 - 西村和子 選

一滴に世界の揺れて秋の水 吉田林檎
ひと色は無色透明朝の虹 石山紀代子
入院の父に朝顔託さるる 井出野浩貴
秋の灯や昭和の映画二本立て 久保隆一郎
銀漢を渡らむ都電荒川線 岩本隼人
名月や浜の小貝のひとつづつ 大橋有美子
噴水の虹をさはつてみたき子よ 影山十二香
花苗を並べ酒屋の梅雨晴間 若原圭子
飄々と秋風渺々と山湖 江口井子
虹かかる浅間の空のまだ濡れて 清水みのり

知音集- 12月号雑詠作品 - 行方克巳 選

眠られぬ夜は眠らず火取虫 石原佳津子
雲の峰健康教室婆ばかり 黒須洋野
古文書の如き行間滝の面 巫依子
誰もゐぬゼロ番線のちちろ虫 深谷桂介
イブが手を伸ばすエデンの黒葡萄 帶屋七緒
鼻先を男踊りの手の掠め 鈴木ひろか
今日子規忌明日三平忌根岸ゆく 井内俊二
虫すだく末尾より読む子規年譜 志磨泉
白靴の花婿の眼の真つ直ぐに 岡本尚子
身にしむや骨壺の母膝のうへ 佐藤二葉

紅茶の後で- 知音集選後評 -行方克巳

壁紙の木の葉に止まり火取虫 石原佳津子
火取虫は、灯火が未だローソクなどの時代、ばたばたと飛んで来ては炎を消してしまうから、火取虫というようになったので、現在はむしろ火に取られる虫(特に誘蛾灯などのように集まって来る虫を殺す仕組みなどあり)と言った方が正確である。灯を慕ってやって来た蛾が、たまたま壁紙に印刷されている木の葉の模様に止まっているというだけの句であるが、まるで火蛾が葉っぱを承知しているように句作しているのがミソである。

標本の白いのでかいの御器かぶり 黒須洋野
 昆虫館などにあるごきぶりの展示コーナーである。一口にごきぶりと言うけれど、こんなにも沢山の種類があるのか、と驚いている作者である。酸素呼吸をする生物の中で最も生命力が強いのがごきぶりという。我々人類はあと百年しか残されていないという説があるが、酸素で生きている限り、ごきぶりは最後まで地球上に棲息し続けるらしい。

七夕や遭ひしひと逢はざりしひと 巫依子
 「遭ひしひと」というのは今生の何かの縁があって知り合った人ということ。一方「逢はざりしひと」とは、自分にその意志もあり、心ひかれているのに何かの障りがあってどうしても逢うことが出来なかった人、ということ。「逢はざりし」はたまたま逢えなかった、ではなくて、心が動いているのにどうしても結ばれることがなかったと解すべきである。「遭」と「逢」の使い分けに留意したい。