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高橋桃衣集 
自註現代俳句シリーズ 12期21
2017/6/20刊行

ラムネ飲む釣銭少し濡れてをり
ファインダーに入り切れない花野かな
水底の空を駆け抜け寒鴉
ハンカチーフきつぱりと言はねばならず
いつまでもルオーに佇てる冬帽子
きしきしと月光がガラスを磨く
土地を売る机一つや梅雨晴間
シュレッダー紙食べつづけ夜長し
いつ見ても誰が描いてもチューリップ
新酒酌む句友といふはありがたく

窓下集 - 6月号同人作品 - 西村和子 選

流氷に彳つはラスコリニコフかな  米澤 響子
春時雨墓前にふつと止みにけり   小林 月子
寝てさめて雪とけて雁帰りゆく   中川 純一
小流の音の育てし春子かな     竹本  是
雨の夜の更けて雛の息づかひ    井出野浩貴
草青む東寮南寮巽寮        江口 井子
春昼のうろうろ探す眼鏡かな    久保隆一郎
花ミモザ思ひ何ゆゑ空回り     大橋有美子
初午の巫女の細眉細面       中田 無麓
髪洗ふ今日と変はらぬ明日のため  吉田 林檎

知音集 - 6月号雑詠作品 - 行方克巳 選

初大師達磨買ひ筆買ひ忘れ     藤田 銀子
雛の間に通ふ足助の山気かな    中田 無麓
歯をせせりをりてゴリラの春愁   中川 純一
人の世に矢印ばかり鳥帰る     前田 沙羅
杉落葉噛んで薄氷ひろごれる    中野トシ子
恋の句が欲しや眩しき二月来る   馬場 繭子
船頭の演歌訛りてうららかに    原田 章代
初大師賽銭箱の継ぎ足され     前山 真理
海の絵の涼しき風を見てをりぬ   佐貫 亜美
人類史残りいくばく寒夕焼     井手野浩貴

紅茶の後で - 6月号知音集選後評 -行方克巳

初大師達磨買ひ筆買ひ忘れ     藤田 銀子

一月二十一日、新年最初の弘法大師空海の縁日を初大師という。関東近辺では川崎大師が最も知られており、多くの人出がある。福達磨は最も有名な縁起物で大小様々な達磨が境内の出店に所狭しと並べられる。その中に作者の心を引く達磨があったのだろう。しかし、もとより達磨を買おうなどとは思ってもいなかったので、そのことに気をとられ、また境内の混雑に捲き込まれているうちに、うっかりと筆を買ってくることを失念してしまった。弘法大師は三筆の一人で、それにちなんで筆を売っている。筆は文芸を象徴するものだから、その筆を買うことを忘れてしまったと自分を笑っているのである。

雛の間に通ふ足助の山気かな    中田 無麓

足助は愛知県豊田市の地名。古来塩の道の足助宿として栄えてきた。<野良着吊る土間がすなはちひひなの間>からも推察されるように、古い時代の趣が今にも残っている地と思われる。山の冷気が雛の間に座している自分にも感じられるというので、足助という固有名詞と相俟って、他所にはない雛の情緒を醸しだしている。

歯をせせりをりてゴリラの春愁   中川 純一

類人猿ゴリラの行動を見ていると本当に人間そっくりで時には苦笑いしたくなることさえある。歯をせせるという行為もその一つ。彼らは人間が見ていることなど全く気にかけていないから、ありのままの自分を見せてくれるのだ。しかもそのゴリラの雰囲気にはそこはかとなき愁いが感じられるというのである。

西村和子著『清崎敏郎の百句』
2017/6/15刊行

◆俳句は足でかせぐものだ

蹤いてくるその足音も落葉踏む

落葉を踏んで歩く時、人は孤独感のうちにも、今、ここに在る自分の存在を改めて確認する。静けさの中で、この句はもうひとつの足音を聞いている。自分に蹤き従って歩む者の、落葉踏む音である。その足音も孤独の象徴と言えよう。創作の道を歩む師弟関係を思わせる句だ。その存在に気づいていても、待ってやったり、声をかけるでもない。隣り合う孤独を思うばかり。
句集『系譜』の掉尾に置かれた句。風生没後「若葉」の継承者として出版した句集の題名にも、その覚悟は表われている。